第8話 転進

 しばらくして、先に戻ってきたのは馬を引いた竹三だった。


「若、馬はなんちゃなか」

「そいは重畳たい」


 能虎は、丸い身体でひらりと馬に乗った。視点が高くなると、能虎が率いてきた部隊が、あちらこちらから集まってくるのが見える。数えてみると、十騎の武者は全員無事なようだった。

 やがて、息を切らせて平八郎が戻ってくる。


「まっぽし前に行きよるもんばおったけん、きつかったい」


 その後を、騎馬と郎党が続く。能虎の前に、ずらりと整列した。見れば、かちの郎党は朝にはいた者が何人かいなくなっている。そのやりきれなさを能虎は顔には出さず、声を張り上げた。


「ぬしゃどま、異賊の首ば取りよったとか」


 応、と意気盛んな返事が返ってきた。騎馬武者はもちろん、郎党も腰に首をぶらさげている者がいる。


「殿の下知のあっと。菊池ば息の浜の後詰めに向かうったい。いっちょん全然首の取り足らんど?」


 騎士たちが、えびらを叩いて大笑いする。


「いや、おいはもうよか……」


 平八郎の嘆きは、誰の耳にも届かなかった。


「赤坂の陣屋でメシば喰ろうてから、息の浜に行くど。ぬしゃどま、首ば掲げなっせ。勝鬨ばあげて帰るど」


 能虎は、馬にくくりつけてあった首を外し、薙刀に刺して高々と掲げた。

 竹三と平八郎も、自分の取った首をそのようにする。薙刀を持っていない者は、長刀の先に刺した。

 秋の空に、幾十もの元兵の首が誇示される。能虎は、誇らしい気持ちで一杯だった。


「えいえい」

「「「応!」」」


 能虎の予令で、総勢が勝鬨をあげる。血みどろの武者たちは、全員が充実しきった顔をしていた。平八郎も、次の戰場のことは置いておいて、今の喜びを味わっている。


 勝鬨をあげながら、能虎は部隊を率いて馬を進めていく。能虎たちのあげた勝鬨は、やがて菊池一族すべてに伝播しはじめ、秋の空気を震わせた。

 応、と声をあげるたび、幾百もの首が空に踊る。


 やがて、赤坂の陣屋が見えてくる。上部が白、下部を黒で染めた裾濃すそごに並び鷹羽紋の、菊池を現す旗がいくつもたなびいていた。


かつえた腹が減つたばい」


 能虎が腹をさすると、平八郎が顔をしかめた。


おいは、血の匂いだけで満腹たい」


 いくさの緊張が解けたひととき、そんな軽口を叩きながら能虎たちはそれぞれの陣屋に戻った。

 静かだった陣屋は、たちまち戦闘の昂奮が覚めやらない武者たちの喧噪に満たされる。


「これはこれは、早うお帰りで」


 留守を守る下男の老人が出迎える。


「ひと休みばして、これから息の浜ば行くけん。日の暮れるまでに、首桶ば百は用意しとかなんど」

「ひゃ、百とですか」


 驚く下男を見て、能虎が大笑する。


「竹三、平八郎、旗標はたじるしと交互に首ば掛けておくたい。異賊のこつば、異賊に見張らせようもん」

「そいはよか」


 竹三は、足取り軽く首を掛ける竹を取りにいった。その後を、平八郎がげっそりとした顔でついていく。

 そこへ、飯炊き女たちが桶に水を満載して庭にやってきた。


「婆っぱ、そがん重かもんば持ちよったら、腰も振れんごとなっど」

きさんあなたが婆の枯れたボボばうるかしてくれよると?」


 武者たちから飛ぶ軽口に、飯炊き女も即妙に返す。庭がどっと笑いに湧いた。飯炊き女たちが用意した椀を直接桶に突っ込み、侍たちは馬のように水を飲む。

 能虎は、全員に水が行き渡ったのを見てほっと息をついた。


「お帰りんさい、能虎……しゃま」


 見ると、いねは水を満たした椀を両手で持って立っていた。


「おう、そん手で仕事ばでくっとか」

「こんぐらいは、よか。うちだけ、寝とられんけん」


 能虎は、いねから椀を受け取った。籠手の指先がいねの手にふれたとき、いねがぴくりと動いた。


「痛かつとか」

「……ううん」


 いねは沈んだ、申し訳ないような顔をしていた。能虎は首をかしげたが、椀の水を一気に干す。朝から休まず戦闘をしてきた渇きが癒やされ、新たな力が湧いてくるようだった。


「かーっ、美味うまかなあ」

「もう一杯、どがん?」

「いや、よか。飲みすぐると腹の痛くなるけん」


 能虎が鎧の胴を叩くと、いねの口元にうっすらと笑みが浮かんだ。


「いね、おいどまで三十は異賊の首ば取ったったい」


 庭に敷かれた茣蓙ござの上に、元兵の首がずらりと並んでいる。

 いねの顔が恐れと嫌悪に歪み、背中を向けた。


「うちは漁師の家だったけん、首ばあまり見たことなか」


 ぽつりとつぶやいた、いねの口端は高く持ち上がっていた。能虎からは見えない。


「ぬしにおいの弓で異賊の船ば沈めるち言うたばってん、船のおるところで戰にならんかったと。今から息の浜に行くけん、今度は船ば沈めるたい」


 いねがくるりと振り向く。顔は元に戻っていた。


「能虎しゃまが、無事に帰ってくれたら、そんでよか」


 と、いねが空に向けて、くんくんと鼻を鳴らした。


「何ばしよっとか」

「雨の匂いばする。嵐の来るかもしれんぶぁい」


 能虎が見上げると、秋晴れの空が澄み渡っている。


「どこがね」

「うちは、阿翁浦でいっちゃんてけ天候を見るとが上手かとよ」


 ことさら誇るでもなく、淡々といねは口にした。今や、阿翁浦の生き残りは彼女しかいなかったのだが。


「覚えとくばい。さあ、メシば喰うど」


 能虎はどっかりと腰を下ろすと、朝に詰め込んだ腰兵糧の袋に手を突っ込み、山盛りの炊いた粟をつかみ出した。そして無造作に大口を開けて詰め込む。ぽろぽろと粟の粒が落ち、雀が集まってきた。


「……漬物ば、いると?」

「よかな。頼むばい」


 能虎の動物のような食べぶりに、いねは少々気圧されていたがくるりと背を向けてくりやに早足で向かっていった。

 そこへ、首を掲げ終わった竹三と平八郎が戻ってきた。


「若、あん女子おなごばだいぶよかごとなったとか」


 竹三の問いに、能虎は口いっぱいの粟を噛みながらうなずく。


「いや……たまらんたい。首もこんだけあっと臭かな。三郎どんば、ようメシば食えるたいね」


 平八郎が顔をしかめる。庭に並べられた首は、新鮮なうちは血臭を漂わせていたのだが、十月とはいえ次第に腐臭がまじり始めていた。それが三十もあるのだ。

 能虎は、ごくんと粟の塊を飲みこんだ。


「何ば言いよっとか。いねでんそがんこつば言わんど。平八郎は女子おなごと飯炊きでんしとった方がよかか」


 意地悪な視線を向けると、さすがに平八郎は憤然とした。


「そがんわけなかろうもん。おいは今日、首ば取ったったい。女子おなごと一緒にせんとぞ」

「戰場でメシば喰うときば、こがんもんじゃなかど。はらわたんごつ、まっぽし本当に臭かけんね」


 平八郎がげっそりした顔をして黙る。つい今しがた、その臭いを浴びるほど嗅いできたのだ。あの中で食事をすることを想像したらしい。

 竹三が能虎の隣に黙って腰を下ろし、腰兵糧を使い始めると平八郎も諦めたように座った。


「あん女子おなご、いねち言うとか」


 竹三が喰いながらぼそりとつぶやく。


「そうたい。松浦の鷹島におったげな。あんまり聞いとらんばってん、島に異賊の来たと」

「そっで、手に穴ば開けられたとか」


 平八郎の顔は歪みっぱなしである。


「そうだろうたい」


 いねの話をしていたところへ、本人が瓜の古漬けを盛った木皿を両手で持って現れる。三人は、黙った。


「あ……」


 能虎ひとりだったところへ、竹三と平八郎が増えていたので、いねは少し警戒しているようだった。


「いね、おいの若党の竹三と平八郎たい」

「……うん」


 いねは、能虎の前に木皿を置くとさっと下がった。


「そがんえじからんでん怖がらなくてもよか。こん竹三ば、いねばちゃんと休めるごと見張りばしよったとぞ。平八郎んごた悪ごろいたずら者が夜這いばせんごとな」

「何ば言いよっとか」


 青白かった平八郎の顔が赤くなる。能虎は古漬けをつまんでぽりぽりとかじった。


「どーも……」


 いねは、竹三に向けて頭を下げた。竹三は、軽くうなずき返しただけで漬物と粟飯を交互に食べている。


「いや、おいは怪我人に夜這いなんかせんど」


 平八郎は必死に弁解するが、いねは感情のない眼をちらりと向けただけだった。


「せからしか、平八郎。早う喰わんね。もう行くど」


 能虎が、手についた粟を払って立ち上がる。


「ひと口ぐらい、喰わせてくれんね」


 平八郎は慌てて腰兵糧と古漬けを両手でつかみ、口に押し込んだ。


「いね、鳥飼の異賊ば、もう赤坂には来れんと。菊池が抜けてん勝てるぐらいだけんね」

「そう……ばってん、うちは能虎しゃまが無事に帰ってきてほしかとよ」


 いねがまた同じ言葉を口にした。


「判ったとたい。もう首ば取ったけん、無理ばせん」


 能虎は苦笑して答えた。喪失の恐怖が、いねの身体に骨がらみにしがみついているようであった。


「若、馬の用意ばしてくっと」


 竹三が先行した。


「なら、行くけんね」


 包帯を巻いた両手を胸に当てて、いねがうなずく。能虎は、いねに背を向けた。


「三郎どん、おいは盛りのついた犬じゃなかど」

「別ん武士の恥じゃなかろうもん」

「ばってん、あん女子おなごの前で言うとは……」


 能虎の後についていく平八郎が、延々と愚痴をこぼす。


「せからしか。メメジョんこつばっかり考えとるけん、そがん気になっとたい」


 平八郎は、顔を赤くして黙った。


「息の浜に行くど! 集まるったい」


 能虎の声で、思い思いに腰兵糧を使っていた武者たちはきびきびと立ち上がり、戰の用意を始める。


「いくつか首を掲げていくど。おいどまの手柄ば見せつけてやるばい」


 鳥飼の戦の前よりは少し減ったが、戦士たちは血気盛んな声をあげた。鎧を着た侍たちは、郎党の薙刀や長刀に元兵の首を刺して、旗標はたじるしのように掲げさせた。

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真・元寇戦記 龍淵灯 @kurama151

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