第7話 新鉢

 元の重装兵は、湿地に足を取られながら突撃してきたため、すでに息があがっている。しかし、能虎よしとらが雄叫びをあげて迫ると、果敢に槍を突き出した。


「せいっ」


 能虎の振り下ろした薙刀が、槍の柄を叩く。穂先が逸らされて、槍兵はたたらを踏んだ。重装兵の綿甲めんこうは首筋をしころで覆っていて、生身が露出しているのは日本で内兜うちかぶとと呼ぶ顔面だけである。


 能虎は槍の柄を踏み、薙刀の石突いしづきを正面から顔にめり込ませた。頬骨に突き立った石突は五寸も埋まり、元兵はびくんと大きく身体を震わせる。石突を抜いて蹴倒すと、槍兵は立ち上がることはなかった。


「一番首といきたいとこだけんが」


 能虎は冷静に周囲を見回す。周囲は乱戦のちまたと化していた。のんびり首を取っていたら、無防備にやられかねない。そのような無様な死に方は、能虎の望むところではなかった。


「ひいいっ」


 平八郎が、重装兵に槍の柄で押し込まれ、悲鳴をあげている。お互い必死の形相だった。


「ふんっ」


 能虎は、膝まである綿甲のさらに下、すねのあたりを薙刀で薙ぎ払った。

 左足が膝の下から横に飛び、元兵は何が起こったのかも判らず倒れる。平八郎は、口元から泡をはみ出させながら、正気を失いかけた眼で襲いかかる。


「うわわっ」


 刃筋も立てずに、めちゃくちゃに薙刀で倒れた重装兵を打ちまくった。綿甲とは言っても、下手な斬撃でそうそう斬れるものではない。だが、嵐のような猛打に足を失った兵は立ち上がることはできず、やがて一発が顔面にあたってざっくりと斬れた。

 血がぱあっと舞い、平八郎の身体に返り血がかかる。


「よか、平八郎。腰刀こしがたなでとどめば刺して、首ば取りなっせ。ぬしが一番首たい」

「一番首……」


 悽愴の気を漂わせた平八郎の、眼だけが異様に光っている。

 平八郎は薙刀から手を離し、まだ息のある槍兵に馬乗りになった。


「ぐう」


 その重みで、元兵は異様なうめきをあげる。平八郎の打撃は、鼻骨を切断し顔を斜めに横断していた。背中に手を回し、腰刀を逆手に持つ。


おいが背中ば守ってやるけん、ゆっくりやんなっせ」


 周囲は、怒号と悲鳴、武器と武器が激突する金属音、人間の肉体が強く叩きつけられる音、馬のいななきなどが渾然一体となって渦巻く異様な空間になっていた。


おいがやるとか……」


 平八郎のつぶやきは、誰にも聞こえなかった。元兵の首を守る錏を持ち上げ、首を露出させる。きらめく腰刀を見て、血にまみれた顔の中で光る細い眼が、怯えの表情を見せた。

 つい先ほどまで平八郎を殺そうとしていた重装兵は、今や平八郎の下で苦しそうに息をついている。戰場の狂熱にあてられた平八郎も、首を取るのは初めてである。


「南無八幡大菩薩」


 いくさの神の名を唱え、左手で元兵の眼を覆った。そして、首に腰刀を突き立てる。尻の下の身体が、びくんと跳ね上がった。血が音をたてて噴き出し、平八郎の顔面を濡らす。


「ぬぐっ」


 平八郎は、やけになってざくざくと骨の周りの皮膚を斬っていき、最後に両手で力を込めて首の骨を切断した。ごろんと、兜をかぶったままの元兵の首が地に転がる。


「名乗らんね」


 能虎の言葉に、上半身を血みどろにした平八郎は、兜首をつかんで立ち上がる。


「菊池三郎能虎の郎党、平八郎が異賊の一番首ば取ったり!」


 高々と首を掲げた平八郎に、視線が集まる。味方からは賛嘆のどよめきが、元兵からは哀号あいごうという嘆きが聞こえた。


「よかど、平八郎。首は腰に着けときなっせ。ぬしの手柄ど。さあ、まだまだ討ち取るけん」

「お、おう」 


 平八郎は、元兵の弁髪を帯にしばりつけ、薙刀を拾った。柄を握ると、両手にべったりとついた敵の血はすでに乾いていて、ぱりぱりと音をたてた。

 先に駆けようとした能虎が振り向く。


「平八郎もこいで男たい。新鉢あらばちば割った」


 処女を奪うという意味である。平八郎は腰の重みを感じた。戰の前の、怯えていた自分が、他人のような気がした。




 武房たけふさ策戦さくせんどおり、元軍は鳥飼とりかいの湿地に足を取られて体力を失っていた。加えて、ただでさえ船に慣れない元兵が狭い船に押し込められ、玄界灘の荒波で何日も揺られていて、士気と体調は万全とはとても言えるものではなかった。


 そして、菊池一党を始めとした包囲の輪は麁原そはら山を目標として着実に狭めている。しかしながら、元軍の数は一向に減る気配がなかった。百道原ももちばるからは、引き続き無抵抗で陸続と新たな兵が上陸しているのだ。


「何ね、異賊の後詰めば麁原山に登りよるったい」


 能虎は、兜の眉庇まびさしに手を当てて遠くを見透かす。すでに、当初赤坂正面に進出した元軍の先鋒は、崩壊こそしないものの多くの兵を失い少しずつ押し下げられていた。


 能虎の大鎧も返り血で赤黒く汚れ、血脂がこびりついた薙刀は鈍器と化している。腰には、無念の表情をした元兵の首が三つ、くくりつけられていた。


 元軍が麁原山にって前線の正面幅を縮小する企図があるのなら、もとより赤坂連合軍の一万二千人は過剰である。いくら後詰めが来ようと、元軍が一挙に一万人を着上陸させられるものではない。赤坂に限れば、戦力の差が三倍を下回ることは考えられなかった。


「ぬんっ」


 能虎は、槍を構えてよろよろと駆けよってきた元兵の頭を、薙刀で横殴りに叩きつける。一撃で、重装兵は横倒しに昏倒した。


「若、首は取らんとか」


 竹三も頭から血みどろになっていた。腰には首がふたつ揺れている。


「腰刀が、斬れんごとなった」


 能虎は苦笑しながら、腰刀を見せる。これも薙刀と同じく、固まった血で覆われて切れ味を失っていた。


「はあっ、はあっ、はあっ」


 獣のように息を荒げて、平八郎はきょろきょろと周囲を見回している。あれから首こそ取れないものの、白兵戦の中を生き残っていた。


「ばってん、異賊ば名乗らんけん、誰ん首ば取ったかも判らん。こいで手柄になるとだろか」

「名乗ったちて、異賊の言葉ば若は判るとや」

「判るわけなかろうもん」


 戦いはまだ終わっていないが、ふたりには軽口を交わす余裕が生まれていた。

 そこへ、主君の武房が馬に乗って能虎の前に現れる。どうやら馬は、てつはうの衝撃から立ち直ったらしい。


「能虎、小弐しょうにどんから息の浜の方に合力してくれち使いのあっと。行くど。赤坂は菊池がおらんでん勝ちばい。こがんもんの戰じゃ、物足りんど?」


 武房の馬には、首がいくつもぶら下げられている。元兵にとっては、首を取る習慣のある日本軍は鬼のように思えるだろう。


「そいはよか。まだ昼にもなっとらんけん」


 能虎が空を見上げると、秋の太陽は朝が終わったばかりの高さにあった。


「赤坂の陣屋で弁当ばつかって、息の浜に行くど。勝鬨かちどきばあげて帰るったい」


 武房は返り血の飛んだ顔に爽やかな笑みを浮かべ、馬首を返して走っていった。


「竹三、おいの馬ば探してくれんね」


 黙ってうなずき、竹三はその場を離れた。今の戰場を離れると判って、いつもの寡黙な竹三に戻ったようだった。


「さ、三郎どん。手が離れんたい」


 平八郎が、身体を震わせながら薙刀の柄を手が白くなるほどつかんでいる。


「上々の初陣たい。一番首ば取って、生きて帰って来たんだけん」


 能虎は硬直した平八郎の指を、薙刀からむしりとってやった。平八郎は、何度も手を握って指の動きを確かめる。


「こいでおいも、一人前の菊池の郎党たい。戰なんて、終わってみれば大したことのなか」


 安堵の笑みを浮かべた唇の端が、細かく震えている。


「聞いとらんかったとか。これから息の浜の戰場に行くんど。油断しとったら、ぬしが首になるど」


 強がりを言っていた平八郎の顔が、引きつる。


「まだやるとか……」

「平八郎、みんなばここん来るごと呼んできなっせ。次にすっこつば言うけん」

「判ったつたい」


 平八郎は、暗い顔で駆けていった。

 戰場を見ると、元軍はもはや周囲に姿はなく能虎が戦っていたときからはかなり麁原山に追い込まれているようだった。倒れているのは、元兵の方が遙かに多い。菊池一党も斃れた者がいる。


 能虎は、血がこびりついた籠手を合わせて合掌した。

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