第6話 てつはう

 鏑矢かぶらやが、とびの鳴くような音をたてて空へと吸い込まれていった。怪鳥けちょうの声が、原野に響き渡る。戰場いくさばのすべての眼が、その音の行方を見守っていた。


 音が止まると同時に、五町先の騎兵が落馬した。能虎よしとらの矢が、あやまたず射貫いたのだ。

 鳥飼の一万二千人が、天と地を震わせる歓喜の声をあげる。

 いくさの始まりだった。


「一町まで距離を詰むるど! 足場をぴしゃっと確かめるんど」


 武房の采配で、菊池の千人が気合いの声をあげながら進み出す。

 鎧武者の騎馬とその郎党がひと組になって、知り尽くした湿地帯の歩行可能な道を、あみだくじのように分散しながら進軍していく。


 麁原そはら山のふもとに進出した元軍は、一万二千人の包囲の輪が迫ってくるのを逃げもせずとどまっている。うかつに一方向に進めば、包囲した軍勢のいずれかに側背を見せることになる。あるいは元軍の指揮官は、麁原山に陣を敷くことを考えているのかもしれない。

 いずれにせよ、包囲されていることに変わりはない。


「昂ぶるど? 平八郎」


 能虎がぎらついた眼で騎馬から声をかけたが、平八郎は顔を紙のように白くして口を引き結んでいた。昨日までの軽口が嘘のようである。


「何も考えんでよか。薩摩の侍ば戰の心得ちて『知恵捨てチェスト』ち言わすと。考えたらえすか怖くごとなって身体の動かん。ひたぶるに前ば出て、薙刀ば振ればよか」


 寡黙な竹三が、兄のように頼もしく平八郎を励ます。


「……何も考えんでよかか」

「まっぽし、いつもどおりの平八郎でよか」


 能虎が豪快に笑う。平八郎が、きっと馬上を見上げた。


おいは、三郎どんよりは物ば考えとるばい」

「だけんえすかこわいったい。さあ、来るど」


一町ほどにお互いの距離が詰まる。もはや元軍のひとりひとりの顔まで判別できるほどだった。

 そのとき、虚空に割れ鐘の音がじゃんじゃんじゃんと鳴った。


「何ね」


 能虎が眼をやると、それは元軍の部隊から聞こえている。弓を構えた歩兵が前に出て、一列に並んでいた。


「矢ば射てくっど。竹三、平八郎、前に出て楯ば構えるったい」

「応!」


 竹三がさっと前に出て、置き楯を能虎の前に置く。平八郎も、転びそうになりながら竹三の隣に楯を設置した。楯の陰になるよう、身を必死で縮めている。

 じゃあん、とひときわ大きい音が鳴り響いた。同時に、矢が一斉に放たれる。きれいに列を揃えた矢が、山なりになって飛んできた。


「ずいぶんおかしか矢の射かたばしよらす。あん鐘で合図ばしよるとか」


 能虎は落ち着いて、矢の行方を見定めていた。聞き慣れない音に、馬がいやいやをするように首を振っていた。

 かっ、と軽い音を立てて、元軍の放った矢が平八郎の楯に突き立った。


「ひいっ」


 可愛い悲鳴をあげた平八郎を、もはや誰も気にしていない。

 ある矢は、能虎の騎馬の足元に突き立つ。しかし、大半の矢が楯を置いた竹三たちの前に落ちた。


「異賊の弓ば、短かな。こん間合いじゃ当たらんど」

「若の鏑矢ば見て、恐ればなしとるったい」


 竹三が能虎を振り返った。竹三の楯にも何本か矢が立っていたが、むしろ闘争心が増しているようだった。


「油断ばせんとよ。距離ば計っとるだけたい。今度は詰めてくるど」


 能虎はえびらから征矢そやを抜き、強弓をまっすぐに構えてぎりぎりと引き絞った。

 限界まで引いた弦を、ひょうと放つ。

 ひと筋の矢が、一直線に指揮を執っているだろう騎馬兵へとうなりをあげてはしる。


 征矢が、日本のものとは違う、帽子のような兜の内へ突き立った。

 騎馬兵が顔面から矢を生やし、のけぞって馬上から崩れ落ちる。

 能虎の正面あたりだけ、敵の矢の密度が下がった。


「よか、前に出るど。一番首はおいどまのもんばい」


 元軍はじゃん、じゃんと鐘に合わせて調整された斉射を行ってくる。その音が気になるのか、馬が前に進むのを嫌がった。


「何ばしよっとか。がまだす頑張るばい」


 能虎は馬の平首をばしばしと叩く。それで落ち着いたのか自棄になったのか、馬は前進し始めた。

 竹三が楯を構えてすっくと立ち、能虎の前方を進む。


「ま、待たんね」


 平八郎もなんとか続く。


「能虎に遅れなんど! 菊池の弓ば食らわせてやるったい」


 武房たけふさの大音声が、鳥飼の湿原を駆け抜ける。

 騎馬武者が、思い思いの機で弓を引く。日本の弓は元軍のものよりも長く、さらに騎乗した状態が放つので打点が高い。そのため、威力と射程で元軍を上回っていた。


 山なりに降ってくる元軍の矢の下を、菊池軍団の征矢が一直線にそして不規則に射込まれていく。

 最前列に出ていた弓兵が、身体に矢を受けてばたばたと倒れる。明らかに敵の矢の量が減った。


「よかよか! 射ながら進むど」


 武房の嬉しそうな声が耳に入る。


「竹三、平八郎、早駆けたい。足元には気をつけるんど」

「判っとる」


 竹三が戰場らしく、仕える能虎にもぶっきらぼうに返す。そして、楯を構えて早足で前に出る。


「ばっ、もう知らん」


 平八郎も臆病さを振り切ったのか、竹三と並んで走り出す。


おいも負けとれんど」


 能虎は騎乗した馬の頭越しに、弓を放った。騎馬兵が、棒でひっぱたかれたように吹き飛んで落馬する。

 ひと矢を放つごとに、進んで距離を詰める。前から飛んでくる矢は、竹三と平八郎の楯で受け止める。

 ついに元軍との距離は、半町まで迫った。駆ければ十数える間に白兵戦に突入できる。


「若、薙刀なぎなたにすっとか」


 秋だというのに、大汗をかいた竹三が能虎を見上げる。竹三や平八郎は郎党として、能虎の補助も仕事である。竹三は、自分の薙刀と能虎の薙刀を、背中に掛けていた。


「おう、薙刀にすっど」


 能虎は剛弓を竹三に投げ渡し、代わりに下から薙刀がすっと手渡された。


「異賊んとこまで道ば見ゆるど? そこば外したら、足ばとらるるけんね。さあ、楯ばもういらんど」

「嘘たい」


 平八郎がぼやく。


「能虎、おいが先に行くど」


 菊池の統領である武房が、自ら大薙刀を振るって単騎で抜け駆けした。その後を、主君に遅れまいと騎馬武者や郎党が鉄砲水のように続いていく。


「ばーっ、殿ばまっぽしとつけむにゃあとんでもない


 能虎が馬腹を蹴る。竹三が楯を捨て、薙刀を両手で構えて走り出す。平八郎は、敵の矢に身体をさらすよりも置いていかれる恐怖が勝ったのか、やや遅れて駆けだした。


 武房の突撃を見て、他の豪族が率いる一団も前進を始め、包囲は急速に狭まっていく。

 日本軍の喚声は、鳥飼の天地を文字通り震わせた。元軍が鐘を打ち鳴らしているが、もはや聞こえるものではない。


 元軍の先頭から軽装の弓兵が下がり、肩から膝の下まである長い甲と槍を持った重装兵が前に出る。

 先頭を走る武房と、元軍との距離が詰まったところで、重装兵の背後から黒い玉がいくつも投げ上げられた。


「何ね?」


 能虎がいぶかしむ間もなく、黒い玉は轟音とともに爆発した。


「うおおおっ」


 初体験の武器に、馬が竿立ちになる。平八郎はもちろん、竹三も表情をこわばらせて足を止めていた。菊池一族の突進が急停止する。

 その隙を見逃すことなく、元の重装兵は槍を構えて果敢に白兵戦を挑みに向かってくる。だが、湿地に足をとられその足取りは鈍い。

 てつはうという火器だった。大陸ではすでに火薬が開発されていたが、能虎たちは日本人で初めてその洗礼を受けたのだ。


「何ばしよっとか、静まらんね」


 人間より繊細な動物である馬は、未知の轟音をいきなり浴びせられて、能虎を振り落とそうと前脚や後ろ脚を跳ね上げる。なんとかしがみついて建て直そうとする能虎だったが、ついに振り落とされた。


「ぬわわっ」


 能虎は、大鎧を身につけていながら、丸い身体を回転させて見事に足から着地した。堅固な地面とはいえ、衝撃で足の甲までめりこむ。もし湿地の上に落ちていたら、膝まで埋まっていたに違いない。


「ふう」


 能虎が汗をぬぐう。幸いなことに、湿地をやみくもに進む元軍との距離は、まだ十間18メートルほどある。


「馬から下りなっせ! 音だけたい。なんちゃなか!」


 初見の武器に魂を抜かれかけていた菊池軍団は、能虎の怒号で正気を取り戻す。騎馬武者たちは、次々と下馬するが中にはまともに降りられず落馬する者もいる。さすがに武房は、華麗に馬を御して地上に降り立った。


「平八郎、竹三、いつまでぼーっとしよっとか。異賊が来よるど」


 ふたりの背中を強く叩く。


おいとしたことが、恥ずかしか」


 竹三は、眼をぎらつかせて薙刀を構える。


「三郎どん、何ねあれは」


 平八郎は、初陣で聞いたこともない武器の威力を浴びて、怯えていた。


「せからしか。ぬしゃそれでん菊池の郎党か。おいについて来るったい」


 能虎は、眼の前に迫った元の槍兵に、薙刀を振りかざして突っ込んでいく。


「応!」


 竹三は、戰場の狂熱に身を委ねている。


「もう、知らん」


 平八郎は、幼さの残る顔を歪ませて、能虎に続いて走った。

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