第5話
11
私は二十五歳の誕生日を待たずにママになった。店の名前は妙子のままだったが、歩はその日から名前を「あゆみ」に変えた。親からもらった「歩」の名前をその日に捨てた。一年前に会社を辞めて、女の格好で実家に戻った私に、驚いた両親は私を罵倒し、ひどい言葉をいくつも浴びせた。聞くに堪えない言葉の数々は私を谷底に突き落とした。母親から「変態」と言われたことは今でも忘れてはいない。せめて女の子になった自分を「可愛い」と一語言って欲しかった。でも、父は言った。
「もう戻ってこなくてもいい。おまえはうちの子じゃない」
私はその日に勘当された。
家を追い出され、その日から私は妙子ママの娘になった。ママの躾は厳しかった。趣味の女装とは訳が違うことを思い知らされた。ママの言った事が出来ないと物差しで叩かれ、何度も何度も同じことをさせられた。口答えするとまた叩かれた。それまで親にも叩かれたことなど一度もなかったのに、自分のふがいなさと女として生きることの厳しさ、ママが私に教えようとしていることが叩かれる痛さで伝わってきた。
私は何を言われても我慢した。初めのうちは腕もお尻も真っ赤で、毎日お風呂に入ると痛くてたまらなかった。夜寝ていると涙が出てきて止まらず、枕には涙のシミがたくさんできた。その時ママは「おかま」「変態」と罵られても我慢し、お客さまをもてなす気持ちの強さを教えたかったのかも知れない。ママの教育は二カ月続いた。ヒカルは早々に音をあげ、しばらく帰ってこなかったという。その間にヒカルはホルモン注射や豊胸手術など見かけを綺麗にする方法をたくさん覚えてきた。戻ってきたヒカルはママに酷く叱られ、物差しで何度もお尻を叩かれた。ヒカルは悲鳴をあげ、
「もう決して逃げたりしません。許して下さい。ママの言うことを聞きます」
と、泣きながら何度も謝った。
二か月で私はお店に出られるまでにしてもらった。着物も一人で着られるようになったし、少々の自信も持てるようになっていた。ヒカルと私はお店の評判の姉妹になった。ただ、ヒカルにはすぐに男が出来た。もっと綺麗になるんだとホルモン注射、豊胸手術ばかりでなく、去勢手術もしてしまい、もうママの言うことは聞かなかった。私は心配だったが、男に振り回されていくヒカルを誰ももう止められなかった。
私がこの街にきて一年、ヒカルは男と去っていき、ママも結婚して引退した。私は一人取り残された。お店の看板が二人同時にいなくなってしまい、私は倶楽部のママに頼んで、女の子を二人貸してもらった。そうしないと店が開けられなかった。
私はママになった日、常連客を集めて、妙子とオーナーのささやかな結婚パーティを開いた。お客さんも関係者もみんな喜んでくれた。四十歳を前に結婚、引退する妙子が私は羨ましかった。倶楽部のママは、
「妙子ちゃん良かったわね。あなたをいつも見守ってくれたオーナーさんと一緒になれて。私は今まで本当のことを言えなくて苦しかったけれど、もう隠さなくていいのね。本当におめでとう」
と言うと妙子は躊躇うことなく大泣きした。みんなももらい泣きした。
※
飛び出して三か月、ヒカルの生活はひどく荒んでいた。男には二カ月目にはもう捨てられた。「性転換したら結婚しよう」と言ってくれた男は、知らないニューハーフと出て行った。女の子に取られるならまだ諦めもつくが、自分と同じ男だったのが許せなかった。知らないオカマに寝取られたショックは大きかったが、ヒカルは涙が出なかった。
ヒカルはニューハーフヘルスを転々としながら、食いつないだ。「妙子」の店にいたころは人気があったし若かったので、お客はすぐについた。そのうち雑誌やビデオ出演の話も出て、しばらくはもてはやされ、性転換手術もそのころ受けた。体はまったく女の身体になっていた。でも、もてはやされるのも二十五歳を超えるとピタっと止まった。ヒカルの女としての旬が終わったのだった。三十歳になる前にヘルスからも追い出された。
「明日からどう暮したらいいんだろう。ママや歩のいる街に帰りたい」
でも、帰れなかった。ママを裏切った私は帰れない。一度飛び出して戻ったとき、お尻を叩かれ、ママに誓ったのに私はまた裏切ってしまった。歩みたいに大人しく我慢強いいい子だったらと何度も思った。
それから地方に流れていき、お店の店員、旅館の仲居、スーパーの掃除婦まで何でもした。ある日のこと、中学生のお客にトイレで、
「汚いババアだな、もっと端のほうで掃除してな。汚いからこっちに来ないで」
と言われ、ヒカルの心はボロボロになってしまった。もう、限界だった。
十九歳で飛び出して二十年、ヒカルは四十歳になろうとしていた。その時、携帯電話が鳴った。その声は懐かしい歩だった。
「ヒカルちゃん。やっと見つけた。探したのよ。もうだれも怒らないから帰ってらっしゃい。みんな待っているから」
ヒカルは電話をもったまま泣いていた。とても我慢はできなかった。
「歩ちゃん、ごめんなさい。お姉ちゃんだけには本当のこと言いたかったんだけど。やっぱり、言えなかった」
もう言葉にならなかった。
「帰って来なさい。ママも引退して、今は私がママをしてるの。あなたも辛いこといっぱいあったんでしょ。もう何も聞かないから戻ってきて」
そう言うと歩は電話を切った。
それから二日後、ヒカルは帰って来た。化粧はしていたが、やつれた顔をしていた。とても四十前には見えず、昔の溌剌としたヒカルの面影はどこにもなく、どこから見てもおばさんという感じだった。
私はヒカルを温かく迎えた。
「待ってたのよ。あれからずっと。二十年以上もたっちゃたわね」
「お姉ちゃんごめんなさい。ずっと連絡もしないで」
「ママは自分もそうだったから、帰れなくなることは分かってたみたいだけど、私は信じてたの、あなたはきっと帰って来るって」
歩は何も言えないヒカルに言った。
「昔のことを謝りにあちこちに行かなくちゃいけないんだけど、今日はやめましょ。私のうちにいらっしゃい」
そう言うと歩はヒカルを家に連れて帰った。
「まず、お風呂に入って綺麗になりなさい。それからお化粧よ。あなたは女の子なんだから。いつもきれいにしてなくっちゃ駄目」
ヒカルがお風呂から上がると歩は言った。
「私との約束を破ったんだから、お仕置きをしなくちゃね。昔、ママがしたように四つん這いになって、お尻を出しなさい」
ヒカルは四つん這いになってバスローブを捲り、ショーツを脱いだ。私は物差しを持ち、ヒカルのお尻を何度も叩いた。ヒカルは悲鳴をあげ、何度も何度も「ごめんなさい、許して」と言いながら、涙を流した。私は疲れて叩くのをやめるとヒカルを抱きしめた。
ベッドで横たわったヒカルの身体は、もうどこから見ても女だった。胸も大きく、ウエストは括れ、男の印もなかった。歩はヒカルに覆いかぶさり、抱いた。胸を揉み、乳首を舐め、股間に手を伸ばした。縦に割れた亀裂に触れるとヒカルは声を上げて喘いだ。
「ああああああ―――」
歩は生まれて初めて女性の性器に自分のペニスを入れた。初体験の相手はヒカルだった。
「ヒカルちゃんと何時かこうなると思ってたの。二十年も掛かっちゃたけど、やっと私の物になったのね。もう決して離さないから。今日からヒカルは私のもの、いいわね」
ヒカルは「はい」と答えた。
そして歩は男の声で言った。
「今日からおまえは私の妻だ。いいね。私のことはあなたと呼びなさい」
「はい、あなた。私を許してくれるんですね」
「勿論だ、お前は私の妻なんだから」
また、歩の男性器は大きくなっていた。
「もう一度するぞ」
「はい、あなた」
その夜、ヒカルは何度も絶頂を迎えた。
翌日、歩は男もののスーツを着、ヒカルを連れて妙子と吉田松平の家へ出かけた。これまでのお詫びとヒカルとの結婚の報告をした。
「今日は、あゆみではなく、三谷歩として吉田さんに結婚の報告にまいりました。父には勘当されているので、子供のころからいろいろお世話になった吉田さんにはお話したくて」
「歩さん、おめでとうございます。お父様もお喜びになるでしょう。あなたの男の姿を見るのは何年振りでしょう。私もうれしいです」
妙子もヒカルと会うのは二十年振りだった。
「ヒカルちゃん、良かったわね。結婚出来て。女は結婚できるのが一番幸せなの。特に私たちのような女は。二十年は長かったけど、いっぱい苦労したんだから、幸せになりなさい」
「ママ、ごめんなさい。黙って出て行って。もうぜったい許してもらえないと思ってました。本当はとっても会いたかった。もう、歩さんから決して離れません」
ヒカルは今まで我慢していたものを一度に吐き出し、声を出して泣いた。もう我慢するものは何も無かった。
12
その時、電話が鳴った。妙子が受話器を取って返事をする。
「はい、吉田です。はい主人に代わります」
「あなた、三谷様からお電話です」
「吉田です。会長お久しぶりです」
と言うと、急に声は深刻になった。
「分かりました。すぐに歩様にお知らせします」
そう言うと電話を切った。
「歩さん、お兄さまが交通事故に会って、今病院に運ばれたそうです。すぐにいきなさい。中央総合病院だそうです」
「えー。本当ですか」
歩は驚いた声を上げた。しかし、
「でも、僕は父に勘当されているんだ」
「歩さん、お兄さんは、危篤なんですよ。そんなことを言ってる場合じゃないでしょ」
と吉田に即され歩はヒカルと共に病院に急いだ。吉田の家から病院までは車で十分もかからない距離だった。
病院には両親もいて、二十年ぶりに歩は父、母に会った。二人とも年老いていた。歩は重い口を開いた。
「お父さん、御無沙汰いてます」
父はきちんとスーツを着て、男の格好をしている歩を見ていった。
「しばらく見ないうちに立派になったな。もう女の格好はやめたのか」
「今は、お店を三軒持っています。ママもしていますが、主な仕事はお店の経営です。今後は経営に専念し、お店を増やしていくつもりです」
「そうか。でも家に帰ってこないか」
「今すぐにご返事はできません。お店の従業員も大勢いますし、それに今後も店を拡大するつもりもありますから」
そう言うと、ヒカルのほうを見た。
「お父さん、私は近々結婚するつもりです。妻にするつもりのヒカルです」
とヒカルを紹介した。父は「そうか」と言っただけで、何も言わなかった。
兄の剛は意識が戻らず、こん睡が続いていたが、二日後息を引き取った。不思議と私には悲しさは込み上げてこなかった。父は、ヒカルとの結婚を認め、私は家へ戻った。勿論、ヒカルも一緒に。その日から、三谷建設社長という、私の肩書がもう一つ増えた。すでに性転換しているヒカルはその後、戸籍を女性に変え、妙子の養女として私と結婚、三谷ひかるとなった。それまで、兄の控えでいつもナンバー2でしかなかった私は、会社と最愛のヒカルを同時に手に入れることになった。
13
その春、歩は四十五歳になった。ヒカルと出会って二十一年、また桜の季節が来た。花見で賑わう近くの公園にはたくさんの人が連日訪れる。公園を見下ろすマンションの最上階、窓からは見える景色は一面、桜色をしていた。
歩はヒカルと結婚し、一緒に暮らしていた。二人とも四十代になり、どこにでもいる中年夫婦のように見えた。歩はそれまでのように三店舗に増やした「あゆみ」の経営と父から受け継いだ三谷建設の社長としても精力的に毎日を過ごしていた。
二人の結婚式には歩の両親、吉田松平と妙子、倶楽部のママのほかにもお店の女の子それに三谷建設の関係者が大勢出席した。ヒカルの両親にも知らせたが、母親だけで父親は出席してくれなかった。二十年以上経っているというのにまだ許してはいないのだろう。
「お父さんは来てくれなかったね」
と歩が言うと、ヒカルは少し悲しそうな顔をした。家を出た時から覚悟はできていたが、二十年たっても父は許してはくれなかった。自分の気持ちの中では許していても、やはり認めたくないのだろうと思った。
ヒカルの母は涙に暮れていた。二十年以上行方の知れなかった息子の結婚式だが、その姿は美しい花嫁だった。歩はなるべく肌の多く見えるドレスを望んだが、ヒカルは自分の衰えた体をなるだけ見せたくなかったのだろう。純白のドレスだったが、ヒカルはなるだけ肌の隠れるものを選んだ。
「綺麗だよ、ヒカル。昔とちっとも変って無い。初めて会った時のようだ」
と歩が言うと、嬉しそうにしたヒカルだが、年を隠せないことは分かるので、人前はやはり恥ずかしいようだった。
「お母さんが来てくれてよかった」
そう歩がと言うと我慢していたものが切れたようにヒカルの目から涙が溢れて来た。
「ヒカルとは決して結婚はできないと思っていたから私も嬉しい。さあ、涙を拭いてみんなに挨拶しよう」
と言って歩はヒカルを促した。でも、お母さんの前ではもう声にならなかった。
「ヒカル、綺麗だよ。花嫁になったヒカルを見ておかあさんは嬉しいよ。おまえは女の子になりたかったんだもの、歩さんと結婚出来て本当に良かった。お父さんにも見せてあげたかった」
ヒカルはそこから歩くこともできず、泣き崩れた。そこに妙子が助けてくれた。
「ヒカルちゃん良かったわね。でももう泣いちゃダメ。今日はあなたがヒロインなんだから。私も着たかったな、こんなドレス」
と言うとそっと抱きしめてくれた。
式の間中感激に浸っていたヒカル。そしてその夜は、歩との特別な夜だった。緊張と疲れがあって、硬くなっていたヒカルもやっと二人になると落ち着きを取り戻した。
「やっと終わったね。疲れたろう」
「大丈夫、あなたは大丈夫?」
「このくらいは平気さ。これからやっと二人の時間だね。今日は特別な日だから。これまで溜まった二十年分の思いをヒカルにぶつけよう。いつものセックスじゃあ物足りないな」
「私、耐えられるかしらあなたは激しいから。でも、思いっきり激しいのをお願い。我慢してたもの全部出して」
二人とも女装していた二十年前を思い出した。若くて可愛かったヒカル、美しく知的だった歩、若くて眩しいくらい輝いていた二人が男と女になってやっと今、ここにたどりついた。時間が止まったように二人は見つめ合い、体をあわせ、二十代の男女のように激しく抱き合い一つになった。もう、二人に障害などなく躊躇うものもなかった。もうヒカルの体には男の痕跡は何もなく、一人の女の身体になっていた。
1 僕のシーメール白書 @toshiko1955
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