孫犬丸
ここで完結ではございません。
―――
一五六一年九月 第四次川中島の戦い勃発。上杉軍と武田軍の壮絶な戦となるが勝敗つかず。次の年、上杉謙信の下にいた近衛前久(この頃改名をしていた)は帰京する。
一五六二年三月 三好軍と畠山軍の久米田の戦いが勃発。畠山軍が勝利して、三好長慶の弟である三好実休が戦死。
一五六二年四月 織田家が美濃へと侵攻する。その数七千程。対する斎藤家は五千と六角家からの援軍二千の合計七千で当たる。ただ既に信長(と重元)によって一部家臣が裏切り出兵を拒むなどしたため士気が低下。稲葉山城近くでの決戦で織田軍が勝利。
稲葉山城は内通者により門が開けられていて織田軍に占拠されたため、大将である斎藤龍興は重臣の日根野弘就の居城本田城に逃げる。しかし、西美濃三人衆(安藤守就、氏家直元、稲葉一鉄)に不審な動きありとして、北野城へと逃げて反撃の機会を伺う。
一五六二年五月 久米田の戦いに続き、教興寺の戦いが起きる。畠山軍は大き手痛い損害を受ける。この合戦後、反三好勢力は勢いを失う。六角家は京を一時的に占拠するもすぐに奪われ、翌月に三好家と和睦している。
一五六二年六月〜八月 美濃国不破郡、石津郡一部、池田郡一部を六角家が突如占領する。そして抵抗する豪族や領主たちを攻めて滅ぼし始める。
六角家は同盟相手である斎藤家を助けるためとしており、これに反発する西美濃三人衆は主君である斎藤龍興が何も対応しないことに激怒して、織田家と内応する。これにより、斎藤家を支持する勢力は美濃北部だけとなり、西の一部は六角家に、その他の西美濃と中美濃、東美濃は織田家の支配となった。
一五六二年九月 織田家と六角家の戦が起きるが、勝敗つかずに和睦を結ぶ。不破郡で反乱が起きるも六角家に鎮圧される。
一五六二年十月 稲葉山城周辺及び東美濃の一部地域でも反乱が起きるも織田家に鎮圧される。また内部工作により奥美濃と呼ばれた地域の豪族たちが織田家に付いたことにより、斎藤龍興は本巣郡に逃れる。
これにより、織田軍は美濃国のほとんど全域を支配することとなる。
一五六二年十月頃 織田家が椎茸や清酒、歯ブラシの販売を開始。
一五六二年十二月 京北武田家が分国法『京北十五箇条』を制定する。主な内容は他の家と変わらず、喧嘩両成敗や婚姻の許可制などが書かれている。
一五六三年〜一五六四年 三河一向一揆勃発。最終的に松平家康(既にこの頃には改名している)が一向一揆の排除に成功して、三河での地位を盤石にしていく。
一五六三年三月 元管領細川晴元死去。
一五六三年八月 三好長慶の嫡男、三好義興が死去。これにより跡取りがいなくなったため弟の十河一存の子を、三好義継として養子とする。しかし一部の三好家内からは、不満の声が上がることとなる。
なお同じ頃、毛利家当主である毛利隆元が死去。
この年、正史で起こるはずであった観音寺騒動は発生せず。
六角家内部ではまだまだ対立は解決していないが、六角義治の美濃での成果を見て口出す老臣がいなくなったことや孫犬丸による裏工作により、まだ平穏を保ったままである。
一五六四年一月 佐渡の金山で取れた金が京で売られるようになる。また銀の採掘も少しずつ増えていき、若狭での大事な貿易品となる。
他にも、孫犬丸の助言により吉郎がまだまだ未開の蝦夷地の一部にてん菜畑を作る。これによって砂糖作りがより盛んになったことで、砂糖を使った洋菓子の金平糖、ベッコウ飴、綿あめなどが作られるようになり、爆発的なヒットとなる。
一五六四年五月 三好長慶が弟である安宅冬康を殺害。理由は不明だが、重臣の松永久秀の諫言とも、次期当主である三好義継の為とも言われている。
一五六四年六月 丹波で起こった反乱のために三好家の松永久秀が一万の軍勢を引き連れてくる。警戒のために京北武田家も二千を国境沿いに配置。一時期不穏な空気が流れるも、戦にはならず。
一五六四年七月 三好長慶死去、享年四十三歳。三好家を築き上げた天下の武将が死す。ただ、嗣子の義継が若いため混乱を避けるように長慶の死は秘された。ただ孫犬丸が忍びを使って風潮したことにより三好家の足元が少しずつ崩れていく。
三好義継の後見を務めた松永久秀と三好三人衆だがそこまで仲が良くなく、内部でも分裂が起きようとしていた。
一五六四年九月 未だに抵抗している斎藤龍興が籠もる城を包囲する織田軍だが、六角家が援軍に来たことで戦となる。織田軍は撃退に成功するも兵糧不足に陥り、撤退。
同時期に甲斐武田家と通商関係になる。
一五六四年十月 畠山家が三好家へ再度攻め込む。六角家も京へと攻め込むがどちらも失敗をする。
一五六四年 永禄七年 十二月中旬 若狭国難波江城
「はぁ〜〜〜、寒い」
俺も床にゴロンとしながら小さく呟く。そんな俺を見ている三人の男は、まだまだ慣れないのかソワソワとしている。彼らが来て一年は経っているというのに・・・。三人とも新参者であるから仕方がないか。
一人目は髭を顎周りに生やしたガタイのいい男。文というよりは武が似合う猛者であり、もう四十を超えたベテランである。名を磯野丹波守員昌。
今は俺の護衛として傍にいる。
二人目、三十代なったばかりの磯野員昌のようにガタイのいい男。ただ磯野員昌とは違って鼻の下に髭を生やしている。名を斎藤内蔵助利三。
重政と同じ通称を持つ
正史においては明智光秀の右腕として最後まで活躍した優秀な将であり、文武において非常に優れている。彼の話で欠かせないのは娘である春日局だが・・・今はまだ生まれてすらいないからな。
斎藤利三は美濃国の武将だが元々は幕府に仕えていたらしいが、浪人となってしまったらしい。六角家に仕えた(正史とは違う)ものの待遇はそれほど良くなく、たまたま出会った光秀に誘われて俺の護衛となった。
さて、三人目。まあ彼はどちらかというと四人目ではあるが、今ここにいるうえでは三人目だ。まだ若く幼さの残る顔立ち。武将のような顔というよりは、兄とは違う童顔で柔らかい顔の男。名を
もう一人、この場にはいないが重矩の兄である竹中
この二人、竹中兄弟は兄の方が有名である。竹中半兵衛といえば、あの豊臣秀吉の前半生を支えた武将で、秀吉の参謀である二兵衛の一人。数々の逸話を持ちながら若くして亡くなった天才軍師である。重矩はその半兵衛の弟である。
竹中半兵衛は元々美濃国不破郡の菩提山城の城主であった。が、一昨年突然六角家が不破郡を占領したためそれに反抗した結果、城を攻められてしまったらしい。弟と僅かな家臣たちと共に放浪してたところを、噂を聞きつけた俺が呼び寄せた。
どうやら織田家からも仕官の話があったらしいが断ったらしい。危ない危ない。
竹中半兵衛は明智光秀ほどの価値のある武将である。竹中半兵衛がSR級なら、斎藤利三はS級、磯野員昌がA級、竹中重矩がB或いはC級。うん、我ながらなかなかの人たちを家臣にできたと思う。
正直織田家の転生者に取られないかとヒヤヒヤしていたが、天は俺に味方をしてくれたようだ。
京北武田家なんて呼ばれる若狭武田家は、ここ数年はゆったりとした時間を過ごしている。内政と外交を重視して、外への遠征は控えている。まだまだ俺としても攻め込む隙のある家がないしちょうどいい。
重政は多忙を極めている。今までの活躍から単なる守護代の息子ではなく武田家重臣として認められており、各地を飛び回っている。そのため月に一度ほどしか難波江に寄らず、ほとんど会えない状況である。
なお、ちゃっかり去年、一五六三年に子供が生まれた。あ、重政が産んだわけではなく、弥生が重政の子供を産んだ。今年で二歳となる猫丸は男の子で、すくすくと難波江で育っている。この時代の子供は成人まで育たないことが多いため、俺は毎年若狭彦神社でお参りすることにしている。
和丸はというと、こちらも忙しそうである。重政がやれなくなった難波江の内政をしており、目の下に隈があることが多い。でも、生き生きとはしている。
千種兄弟は丹後でちゃんと仕事をしており、青春を羨ましいぐらいに経験している。光秀も一色義忠の下で楽しそうに仕事している。
みんな、特に変わらずで何よりだと思う。
「孫犬丸様、先程兄から早馬がありました」
「半兵衛からか?」
重矩は頷く。
半兵衛は今は重政のサポートをしており、あまり難波江にはいないから見かけることも少ない。
「何かあったのか?」
「伝えたいことがあるので内藤様が急ぎ難波江に向かうという知らせでしたが」
はて、何の事かな?
そういえば、つい先月に来年の事を話したからそれのことかな?
来年―――一五六五年に起こる大事件といえば、永禄の変だ。永禄の変は暴走した三好家が将軍である足利義輝の屋敷を襲撃して殺害をする事変であり、日の本を大きく揺るがす大事件。
将軍が殺されたことにより畿内は大混乱に陥り、三好家内部もすぐに瓦解する。次期将軍を巡って戦が起きて、新勢力が誕生したりもする。
何よりも、義輝派である六角家に朝倉家、俺達京北武田家にとっては予期せぬ出来事となる。
この事変をどうするべきなのか。俺達は選択を迫られている。もちろん父に言っても信じてもらえないから独自で動かなければならない。そうなると行動が制限されるし、色々と気を使わなければならなくなる。
ものすごく面倒くさいのだが・・・やらないといけない気がする。
本当に大変だ。
その後、しばらく三人と談笑していた俺の所に、汗をダラダラと垂らしながら息を切らして入ってくる重政。何処か余裕がなく俺だけをじーっと見つめてくる。
「どうした重政、そんな急いで。ほら、お茶でも飲んで―――」
「孫犬丸様、はぁ、はぁ、急ぎの知らせが、はぁ、あります、はぁ」
「落ち着け、俺は逃げたりしない」
「孫犬丸様、はぁ、落ち着いて聞いてください、」
落ち着くのは重政な気がするが・・・まあいい。そこまで重要なことなのだろう。
「何だ?何処か攻めてきたのか?」
「御館様が京へ、公方様の挨拶に向かわれたのはご存知ですか?」
「ああ、父上が向かったのは知っているぞ。あまり時間がないから僅かな供回りを連れて急いで行ったと聞いているが」
「・・・御館様は帰路中に、何者かに襲われました」
!?!?!?!?!?!
「ち、父上が襲われた!?」
「右胸に矢を受け、脇腹も斬られたとのこと」
「そ、それでどうなった!」
「何とか逃げることができたそうですが、予断を許さない状況です。医師が言うには半々とのこと。最悪の事態もありえます」
・・・そんな馬鹿な。史実では父、武田義統は後数年は生きるはず。それなのにここに来て史実では無いと思われることが・・・やっぱり俺のせいなのか?
「・・・とりあえず、父上の所に向かう。吉郎には凄腕の医者を呼び寄せるように伝えてくれ。そして重政、
「はっ!」
義統にはまだ生きていてもらわないと困る。まだ俺達の準備は完璧じゃないから。
もし父が亡くなったとすると最悪の最悪が起きるかもしれない。
家督争いという、最悪の内紛が。
―――
ここで”六章 北近江侵攻”は終わりです!
これまで読んでいただきありがとうございます。ここで一旦連載を止めたいと思います。ここで完結するわけではなく、まだまだ話は続きます。
ただ僕の諸事情により来年の四月頃(おそらく二十日)にまた連載を再開します。申し訳ありませんm(_ _)m
今後について、軽く近況ノートに書いていますので、よければ読んでください。
(https://kakuyomu.jp/users/school-J-H/news/16818792439654586434)
なお今年中に某ゲーム風な能力値を入れた登場人物紹介を投稿しますので、見てもらえたら幸いです。また、コメントもできるだけ返していきますが、誤字脱字報告の方を優先する場合があります。ご了承ください。
戦国騒乱記 〜二度目の転生先は同姓同名の弱小大名でしたが、敵が多すぎます!〜 スクール H @school-J-H
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