No.10【隣人を愛して】

「因果応報」。善い行いには善い報いを。悪い行いには悪い報いを。

前世も後世も、天国も地獄も、この化学兵器ウイルスに汚染された世界には救いなのかもしれない。


「隣人を愛せよ」


隣人も居ないこの空虚な世界の愛しかたが、いまだに導かれている。


□□□□□


前回の探索報告:xx住宅街にニケ組織所有であると思われる人工アンデッドが出没。戦闘による負傷者2名。どちらも命に別状はない程度の怪我だが、手術後暫くの安静を要する。


午後6時48分。日も落ちてきた薄暗い林道を歩く。歩く度に小さな木々がパキパキと折れる音が響く。今日は範囲拡大探索二回目。一回目の探索から差程日にちは経っておらず、3日後の出動になる。探索メンバーである四人、ネイピア・リード、リズ=ロバーツ、カタリナ・ベアトリス・マドリガル、チューリエは各々、必要以上の警戒を抱いていた。特に、ベアトリスの挙動は探索指示を受けてから落ち着きがなかった。ずっと眉間に皺を寄せ、チューリエの釘バッドを持っていない左手を強く握り頑なに離そうとしない。手汗で滑るほど湿った掌を更に強く縛るのはチューリエ自身だった。探索に出向くことを決めた二人は"等価交換"をした。ベアトリスはチューリエを失いたくない、チューリエはベアトリスを守りたい。だから、危ないことはしない。必ず二人でいること。一見尊重すべき意見のようで、複数人での探索においては自分勝手な願望とも捉えられかねない。それを理解したうえで頑固に要望を通したのはベアトリスで、キャシーはそれを了承した。探索の同行メンバーが二人にとって馴染みのあるネイピアとリズなのも、意図を汲んでくれたからなのであろう。


しかし一方で、ネイピアは今日の探索中ずっと呼吸のリズムが安定しない。危険な探索だと承知していたが、いざ実際に怪我人を見てしまったせいで、先の、最後を、想像してしまうのだ。そんなネイピアの不調は表にはでないが、ずっと一緒にいたリズは僅かに違和感を感じており、ネイピアの様子を心配そうに見ていた。


結局、ネイピアとリズは"ふたりで同じ答え"は明確に出せていなかった。出せないまま選択の日だけが迫り、結局なぁなぁにリズに手を引かれるがまま、ネイピアは今ここにいる。ネイピアがある程度踏ん切りがついているのは、あのままいたって仕方がない、と何度も自分を納得させた結果だ。


何も起きないよう、無事に帰ろう。それだけを胸に歩き続ける。


「さて、暗くなってきましたが、そろそろ拠点を見つけますか?」


「そう、だね……えっと、……空き家……」


「来た道戻った方が早いかしら?」


「えー!せっかく進んだのに?」


「まぁまぁ、探しながら進みましょう」


にこり、ネイピアは笑みを見せる。こんな状況下においても、普段らしいネイピアとリズに、ベアトリスは安心感を覚える。お馴染みの勘を頼りに前を歩くネイピアについていくと、ふと立ち止まったのはリズだった。チューリエも遅れてリズが見ている方に反応している。先ほどまでの安心感は一気に警戒心へと戻り、チューリエの手を強く握りしめて、ベアトリスは声色を震わせる。


「あ、アンデッド……?」


「ううん、アンデッドじゃないと思うけど……」


「……なにか変な感じするわね……いってみましょ!」


ぐい、とネイピアの手を引いて林道を横にそれるリズに対しネイピアは「暗いのでお気をつけて」と一言案ずるような言葉をかける。ベアトリスとチューリエも二人のあとをついていく。少しすれば林道を抜けて、草原に小さな集落をみつける。


「おや、集落ですか」


「拠点にできそうね!私達、運が良いのかしら」


「アンデッドは……いない、かな……」


「いたらあたしがぶっ飛ばすから!安心してね、主!」


「あっ、あたしも、やるからね。一緒に」


しん、とした集落の中に入っていく。現代の街並みからは考えにくい石造りの建物がポツポツと存在している。そしてその建物の中央には、一際大きな建造物が聳え立っている。外壁がボロボロに剥がれている建造物に、リズはなぜか既視感がある。


「…………教会?」


「え?」


教会といったらだいたい十字架とかついているもの……とベアトリスは思いながら外装をみるが、一見はただの建造物だ。装飾などの無駄が一切無いコンクリートの建物。


「教会って、もっと、槍みたいなものが頭についてるお城みたいなものじゃないの?」


「えっと、…………そうよね、私もそう思うわ。けど、なぜか教会って思ったのよね。ネイピアの勘がうつったのかしら?」


「え。あぁ。ふふ、かもしれませんね」


ワンテンポずれた会話に、リズは少しぎこちなさを抱きつつ、ネイピアの指先を掴んでくい、と引いた。そのまま視線をチューリエとベアトリスにも向けて一歩足を進める。


「はいってみましょ!」


「……はいるんですか?」


「寝泊まりするなら、ここにある建物の中は……確認しておいた方がいい……って、感じだよね……?」


「なにかいればあたしにまかせて!」


一瞬ネイピアが苦い顔をしたように見えたが、リズについていく意思を見せる二人の様子を見て、ネイピアは一回頷いた。


「そうですね……安全は、確保しておいた方がいいですよね」


「……中にはいるの怖い?」


「怖い、というか。少し嫌な予感がするだけです」


「あら!じゃあ、きっとアンデッドがいるんだわ。慎重に進みましょう」


「今回ばかりは外れて欲しいですね」


□□□□□


コツ、コツ、と、無駄を限りなく取り除いた内装に靴音は嫌なほどに響く。四人はなるべく足音を立てないように進んでいるが、アンデッドが嗅ぎ付けてくるには十分すぎる音だろう。けれど、アンデッドの気配はこの広間には全く無い。そもそも、気配を隠せるような物や棚など一切なく、左右に各々五本の柱、そして中央に何者とも知れぬ像が一体だけぽつんと立っている。頭上のステンドグラスから月明かりが当てられ、彩色に照らされた広間は、外から見るよりずっと教会らしい。小聖堂だろうか。側面には何処に繋がっているかもわからない扉が計六つある。四人が顔を見合わせれば、一番最初に口を開いたのはネイピアだった。


「扉がいくつかありますが……なるべく四人で行動したいところですね。どうします?」


「え、えーと……あ、あたしも、別行動は気が進まないから、それでいいと思う」


「どこから入ってみる?」


「あそこは?前のでっかい扉!」


チューリエが指差す先は、正面の両扉。リズは扉を見つめたまま答える。


「きっと、祭壇に繋がっている扉ね」


「教会にきたならまずは礼拝をしなくっちゃ!」


煽るように鋭い犬歯を突き出した笑みでそういい、リズは正面の両扉へ向かい始めた。アンデッドはいない、と安堵したのか、やけに本調子を取り戻してきたリズに、若干眉をひそめつつも、ネイピアもあとからついていく。


「れーはい?」


「あぁ、礼拝っていうのは……」


依然としてベアトリスは繋いだチューリエの手を離さず、説明しながら両扉へ向かう。リズは両扉へ向かう前に、像の前で立ち止まる。首も腕も無く、右肩はもぎ取られたような後を遺している。傷だらけの身体は、なんとなくだが女体をしているとわかる。光に彩られた像はやけに魅力的で、リズの眼にも彩色を落とす。一歩、二歩と後退れば、後ろから礼拝の説明に手間取っているベアトリスの声に意識が向く。リズはくるりと三人の方へ向き直り、その両手を胸の前できゅっと絡ませて、酷く優しい微笑みを浮かべた。


「心を込めて神を仰ぎ、賛美と感謝を捧げましょう」


「……え?」


「あ!リズのシスターごっこ!」


状況を飲み込みきれていないベアトリスと、いつもみている茶番劇!と指を指して笑うチューリエの様子がおかしくって、リズは思わず吹き出してしまう。


「これが礼拝の基本。お祈りと賛美よ!」


クスクスと笑うリズが、ふと視線をネイピアの方へ向ければ、ネイピアは難しそうな表情をしていて、リズと目が合えば、反射的にその細めた目をそらした。


(普段だったらおかしいって笑ってくれるのに、どうしたのかしら)


駆け寄れば、ネイピアはいつの間にかけろっとした笑みを見せて口を開いた。


「お祈りごっこも良いですが、早く拠点を定めないと今夜は野宿かもしれませんよ?」


クスクスと笑うネイピアに、リズはつられて「いやよ!」と笑う。そのまま駆け出すように両扉の方へリズは歩き出した。ネイピアはついていき、その後ろでベアトリスとチューリエも向かう。


リズはドアノブに手を掛けて、ガチャン、と鉄製の両扉を開く。しかし、そこに礼拝を行うための主聖堂は無かった。真っ暗闇が小さな空間を包んでいるのが、射し込んだ月明かりからじんわりと把握できる。よく見れば奥に同様の両扉がある。おそらく、ここは主聖堂前の廊下なのだろうと三人より先に理解したリズは、その暗闇に一歩足を踏み入れた。


その刹那、何かが素早く音を立てて飛ぶ。


ぶすり。


じんわり、じんわり。腹部に熱が籠る。なぜ?暖かくて、熱くて、火傷するような、煮えるような刺激。


「…………、え」


いたい、いたい。


「リ、ズさ」


後ろから暗闇に足を踏み入れたリズの背中を見る三人は、何が起きたか、理解するよりもその光景に衝撃を受ける。ポタリ、ポタリ、とリズの背中を突き破る矢は、銀の刃先から青い液体を落としている。震えた手を柔く伸ばしながら、無意識にネイピアがその暗闇に爪先を置いた瞬間、ビュンッ、と鋭くとんだ音と共に、またぶすり、とまたリズの腹部に矢が突き刺さる。


「ウ"、」


「ぁ、」


侵入者に反応して作動する罠なのだろうか。ネイピアが取り乱す寸前、ネイピアの腕を強く後ろから引いたのはベアトリスだった。


「ネ、イッ、……は、入らない方がいい、……リ、リズ、こっち、も、どって、これ、る、?」


相当な焦りから、ベアトリスの声色も震える。その声に反応してリズがゆっくり振り返る。じんわりと涙を垂れ流しながら此方を向いたのを最後に、その両扉は勝手に閉まった。


「ちょ、ちょっと!?な、なに!?リズ、リズッ!!!」


バタンッ、と大きな音を立ててしまった扉のドアノブをチューリエはガチャガチャと押しては引いてを繰り返す。しかし、微動だにしないことがわかれば、グリップを両手で握りしめ釘バットで扉を強く叩きつける。しかし、まるで刑務所のように頑丈に作られた鉄扉は、表面に傷をつけるだけで壊れる様子はない。無意味だと悟ればバットを投げ棄てて、力の抜けた右手で握られたネイピアの斧を「貸して!!」と奪い取り、強く叩きつけた。しかし、刃はバキッと金属音を立てて折れ、破片が周囲に散乱する。


息を吐きながら、呆然と鉄扉についた傷をチューリエが見つめていれば、ようやく正気を取り戻してきたネイピアが、扉に寄ってドンドンと叩く。


「リズさん、…………リズさんッ……!!!無事ですか……!??返事してください!!!」


そう声を荒げたあとに、リズからの返事がないか扉に耳を当てる。


____ァ"、ぁ"、


「…………は」


わずかに聞こえたのは、聞き間違えるはずもない。確かにアンデッドの呻き声だった。


□□□□□


「くひぅ、くひぅ…………」


刺さった二本の矢から漏れ出る青い血液を抑えながら、倒れこんだリズはか細い呼吸を繰り返している。ドンドン、と扉を叩く音が背後から聞こえる、気がする。痛みと、真っ暗な視界で、リズの思考は覚束なくなっていく。


(私、ここで死んじゃうのかしら、)


柄にもない弱音が思考を過る。アンデッドであるリズの身体が、腹部の出血程度でくたばるはずがない。けれど確かにリズの身体を弱らせているのは、リズが未だに根底に抱いた「自分は人間だ」という意思だった。リズの身体を支配するウイルスは、良くも悪くも人間のリズの支配下だった。そのはずだった。


(隣人を愛せよ。なんでこういうときにかぎって、あなたの言葉なんかをおもいだすのかしら)


(…………誰も、私を助けてくれないくせに)


ガチャン。


____ァ"、ぁ"、


□□□□□


「_______~♪」


懐かしい音が聞こえる。ピアノの音。まるで誘われるように目が覚める。やけに軽い身体を起こせば、美しいステンドグラスアートの彩色が鮮やかな祭壇があった。主聖堂だ。肩からはらり、と毛布が落ちる。自分自身をみれば、長椅子に横たわっていたことがわかる。ハッとして、腹部に手を当てるが、傷らしき箇所は見当たらない。治ったのだろうか、と考えるが、アンデッドの身体だったとしても治りが早い気がすると思う。自分はどれほど気を失っていたのだろうか。


「……ネイピア、!そうだわ、ネイピア。早く、みんなと合流しなくっちゃ、」


なかば転げるように長椅子から降りて立ち上がると、また懐かしい音が聞こえてくる。


「Twinkle twinkle little star……」


「…………?」


そういえば、このピアノの音に惹かれて目覚めたのだ。奥の部屋から聞こえる。ゆっくり歩みより、その部屋へ続く扉のドアノブをそっと握る。鍵はかかっていない。そっと開けば、キィ、と音と共に、小さな部屋に繋がる。部屋の中央で、グランドピアノの前で弾き語る誰かの姿があった。


「…… ~How I wonder what you are~♪」


「…………」


嘘だ。


「…………おはよう。調子はどうかしら」


こんなところにいるはずがない。


「リズ」


どうして、あなたがここに。


No.10【隣人を愛して】


□□□□□


リズとはぐれてから30分ほど経った。三人は、どうにか別の部屋を渡ってリズと合流できないか、と建物内を探索していた。しかし、主聖堂に繋がる道は未だに見つからない。


ネイピアは珍しく取り乱していた。リズ刺さった二本の矢。微かに聞こえたアンデッドの呻き声。リズは無事なのだろうか。そう思案すればするほど、焦りが呼吸の乱れとなる。彼女は自分にとって、太陽のような存在だ。特出したことなど何にも無い自分に寄り添ってくれて、理解しようと歩み寄ってくれる優しい人だ。何故彼女が自分の側にいてくれるのか。何度も考えて、何度も聞こうとした。けれど、そんなことを聞いたらきっと困らせてしまう。なら、彼女にはずっと隣で笑っていてほしい。


「ベティ、チューリエさん、どこか繋がりそうな道はありましたか?」


「ごめん、それはなかったんだけど、……一個気になるものがあって、」


そういってベアトリスが手にもって見せてきたのは一枚の紙だった。だれかからの手紙のようで、ネイピアは覗き込んでみる。


『被験体A61045 教会の間


一つ、この建物に仕掛けた罠を利用し、新たな実験体及び人工アンデッドの回収

一つ、第二日曜日に成果の報告


全ては勝利の名の元、人類に新たな発展をもたらすために行われる


被験体A61045のウイルスの適合率は高い。神に選ばれし光栄な身体だと自覚し、十分に貢献するように

家族を捨てれば、報いを受けるのは被験体A61045自身だということを忘れるな』


「よくわからないけど、多分、ニケ、とかなんとか言うやつのあれな気がして……」


「回収……だとするなら、リズさんはまだ生きている可能性が高い、ですよね……!?」


「た、たぶん、でも、回収されたら、本当に、見つからなくなる、よね、」


「リズが変なやつらに拐われちゃうってこと!?はやく見つけなきゃ!!」


「でも、扉は開かないし、どうしよう……」


頭を悩ますベアトリスとチューリエの前で、ネイピアは数秒沈黙をおいたあとに口を開いた。


「……私に一つ考えがあります」


□□□□□


シスターはゆっくりこちらに歩み寄ってくる。思わず後退るも、リズは状況が飲み込みきれていないせいか、身体は思うように動かない。目の前まできたシスターの顔をみる。


あぁ、いやだ。憎たらしいほど、あの人だ。


私に「隣人を愛せよ」と呪いの言葉を植え付けた、大嫌いで大嫌いで大嫌いな人。


その人が、私の頭にそっと触れる。その優しい手つきが酷く懐かしくて、目頭が熱くなる。


「いや、触らないでッ!!」


パチン、とその手を払う。シスターは動揺したように瞳を揺らしたあと、慈しむようにリズを見つめたまま黙った。リズは握った拳を震わせながら、口を開く。


「今更隣人面するつもり!?あの時、私が独りになったときに助けてくれなかったくせにッ、私のこと突き放したくせに!!」


「リズ……」


「私には……私にはもう学校じゃない帰る場所があるの!!あなたのお情けなんていらないわ!!」


怒鳴るリズは、そのまま部屋を出ていこうとした。こんなところに居てられない、はやくみんなと合流しなければ、と。主聖堂に戻り、扉の方へ向かおうとしたが、扉が見えない。正確に言えば、物陰に隠れていてうまく視認できない。物陰に近付けば月明かりに照らされたその物陰は、わずかに揺れている、と気付く。"一体"と目が合う。光に反射した眼の下は酷く爛れている。


アンデッドだ。


この一体だけじゃない。この主聖堂の半分を埋め尽くすほどの大量のアンデッドが、まるで調教された軍隊のように並んでいる。異質な様子に、リズは思わず後ずさる。シスターの方をみれば、リズの言葉を受けて酷く悲しそうな顔をしていた。


「……なに、あれ、」


「信者達よ。みんな、神様に従っているの」


そして、シスターは後方のグランドピアノの方へ戻ったあと、何かを手にとってリズに見せた。


「リズの新しい居場所は……これが関係しているの?」


シスターの手に握られていたのは、リズのポケットにしまっていたはずの簡易輸血キットだ。ネイピアの血液が入っている輸血キット。


「……ッ!!」


ポケットを上から叩くように触れたあと、中が抜き取られてることを確信すれば、焦りが身体の内側から肝を冷やす。


リズにとって、輸血は欠けてはならない行為なのだ。

あの耐え難い飢餓から逃れるために。

もう_______ために。


リズはずかずかとシスターに近づき、輸血キットに手を伸ばした。


「返して!!」


「リズ、これはなに?なにに使うものなの?」


「あんたに関係ない!!!」


グランドピアノに手を置けば、歪な不協和音がジャン、と鳴る。自分とピアノの間にシスターを挟むように追い込んで、輸血キットを取り返そうとするも、手が届かない。ぎり、と音を立てて歯軋りをし、伸ばし続けるリズの手を、後ろからべちゃりと音を立てて誰かが掴んだ。


「なっ、はなしてッ」


振り返れば、自分よりも二回りも大きいアンデッドが、じっとりと此方を見つめていた。知能のないはずのアンデッドが、自分の手を掴んでいる。これが前の探索報告で聞いた人工アンデッドなのだろうか、とも考えるが、明らかに皮膚は爛れており、ただのアンデッドにしかみえない。


「ありがとう」


シスターはアンデッドにお礼を言っている。それがおかしくって、シスターの方を向けば、思わず肩がすくむ。


「リズ。お話があるの」


よくみれば、シスターの口内は、アンデッドの血の色とおなじ、真っ青だった。そして、服の隙間から見えた首には、キャシーやアビス同様のチョーカーがついていた。


「ぁ、……なんで、あなた、あなたって……」


「リズの今の居場所は、リズにとって心安らかになれる場所じゃないと思うの」


「そんなことッ、」


「リズの手をとってあげられなくてごめんなさい。あの時は、貴方の手をとれる状況では無かったの。だから、今度こそ、貴方の手をとらせてほしいの」


シスターが、離して、とアンデッドに指示すれば、アンデッドはその指示に従うように掴んだリズの手を離した。そして、その手を掬い上げるように優しく握り、酷く優しい微笑みを浮かべた。偽物じゃない、本物のシスターの微笑みを。


「リズ。私と来て。神の元で、賛美と感謝、そして勝利を祈り、共に新しい世界を迎えましょう」


さっきみたいに手を振り払えばいいものを、濁ったその手に包まれた暖かさは、振り払うにはあまりにも惜しかった。


大嫌いで大嫌いで大嫌いでしかたがなかったのに。


ずっと、この手をとってほしかった。

ずっと、許してほしかった。

ずっと、助けてほしかった。


その想いが、今、救われようとしているから。

あなたの隣人であることが許されようとしているから。


「……一緒に、来てくれるわよね」


手を_____。


刹那、バリンッ!!と大きな音を立てて、ステンドグラスが割れ落ちる。破片に紛れて、リズの足元の床に斧が突き刺さる。破片が髪を掠り、リズの三つ編みを結ぶゴムが千切れ、はらりと長い前髪が落ちる。衝撃に反応し、3m程の高さにある割れたステンドグラスの窓に視線をやれば、声が聞こえてくる。聞き慣れた、大切な声が。


「リズさん!そこにいますか!!」


「ネイ、ピア、」


「……リズのお友達?」


微笑むシスターの顔を見て、ハッとして、掬われた手を振り払う。足元に刺さった斧を抜いて持ち、強く睨み付ける。


「……そう。……もうとっくに神様は貴方を守ってくださっていたのね」


「違うわ、神様なんかじゃない!!私には今大事にしたい人がちゃんといるの!!あんたも神様もだいっきらい!!私はみんなの、ネイピアのところに帰るんだから!!」


「……そう、そうなのね。…………、」


「ネイピア!!リズよ、私ここにいるわ!無事よ!!」


リズがそう答えれば、割れた窓から一本のロープが投げ込まれた。


「こっちに来れそうですか!」


「えぇ、今いくわ!」


リズはロープを手に取る前にシスターの方を見る。逃げ出そうとする自分を、シスターは一切引き留めようとする素振りを見せない。まるで慈愛に満ちた目で自分を見てくるのがむしろリズをイライラとさせる。眉間にシワを寄せ、キッと睨み付けながら口を開く。


「あなたは……ううん、ニケは一体何が目的なの。私を連れ出してどうするつもりだったの」


「ごめんなさい。それは言えないの」


「……そ。……いいの。私本当に行くからね!」


「……リズ」


シスターはそっと歩み寄り、ぎゅう、とリズの身体を優しく抱き締めた。


「な、なにっ」


「リズ。愛しい子よ。どうか、貴方が見つけた新しい居場所で、貴方が幸福であることを願っているわ」


優しく、優しく抱き締めたあとに、そっと離す。クスリ、と笑って、リズの長い前髪を指先で触れる。「もう一人でも編めるようになったのね」と言葉を溢しながら、そして手首につけた髪ゴムを取り出して、器用にリズの長い前髪を編み込みはじめた。


「うん、これでいいわ。ほら、お行き」


シスターはリズの背中を押した後、主聖堂へ繋がる扉に鍵をかけて、背をつけた。主聖堂からは、血肉を引き摺る無数の足音が聞こえる。


「……シスターは、ここに残ってどうするの」


「私のやることは変わらないわ」


リズはロープを登るのに少しだけ躊躇していた。なんとなく、これが最後な気がしてしまったからだ。大嫌いで大嫌いで大嫌いな人。でも___


「……また、あえる?」


「神様がきっと、また私たちを巡りあわせてくれるわ」


___いいえ、神様は私達を巡りあわせなどしない。私は裏切ってしまったのだから、賛美と感謝と勝利の女神を。あの子に嘘をついてしまった。けれど、この身が地獄で朽ちようとも悔いはない。あの子の幸福を望めるのであれば。


ロープを上りきったあの子と、最後に目が合う。


「リズ=ロバーツ。貴方に神の御加護があらんことを」


心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。


自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。


「隣人を愛せよ」


私は貴方を愛しています。


□□□□□


「リズさん!」


「ネイピア!!今降りるわ、受け止めて!」


「おっと、だいぶ無茶なことを言いますね」


リズが勢いよく飛べば、両手を広げたネイピアがリズの身体を受け止める。しかし、身体の細いネイピアに受け止めきれるわけもなく、そのまま二人は倒れこんでしまう。ネイピアは「いたた、」と言葉を溢しながら、自身に抱きつくリズへ向けて口を開いた。


「……無事で良かったです。ほんとうに、」


「ネイピア、お願い、」


「……はい」


「どうか離さないで」


「…………、」


「リズ!ネイ!!」


二人の元へベアトリスとチューリエが駆け寄る。二人の声がして、ようやくリズはネイピアから身体を離し起き上がった。ネイピアも上半身だけ身体を起こす。


「良かった、本当に良かった、無事、で。あっ、えっと、ここ、普通にアンデッドやばいし、ていうか、普通に危険だし、一旦引こ、「リズのばか~~~~~~~~!!!!!!!!!!心配したんだから~~~~~~!!!!!!!!」


チューリエが勢いよくリズに飛び付けば、リズは笑って「ごめんなさい」と謝る。完全に圧負けしたベアトリスはネイピアの方を見て言葉を続けた。


「ここ、普通にアンデッドがいるから、拠点にしない方がいい、っていうか、普通に刑務所に戻った方がいい気がしてて……」


「そうですね。これ以上探索を続けるのも危険な気がします」


二人がそう話していれば、建物の奥からバキッと音が響いた後、ずるずると何かを引き摺る無数の足音が聞こえる。次第に、ぐちゃ、ぐちゃ、と歪な液体音が響く。その音だけでリズは中の光景が想像できてしまった。思わず建物の方へ近づくリズの手を引いたのはネイピアだ。


「リズさん、危険です」


「でも、……」


掴まれた手を見て、リズはそれをみつめる。思えば、ネイピアから手を取ってくれたことはどれほどあっただろうか、と。今まで気にもとめていなかった。でも、今なら、自分の手を掴んでくれて、助けに来てくれるバディを、この手を、リズは信じてみたいと思った。


「行きましょう」


「……うん」


もし二人で同じ答えを出すなら、


『隣人を愛せ』


あなたとって隣人であるように。

私にとって隣人であるように。

そう願いたい。


_____シスター。


私、神様もシスターも、もう二度と信じない。また会えるだなんて思っていない。きっとそれも嘘よね。わかってる。


あなたがどれだけ私に御加護を願ったって、あなたが私の手を取ってくれなかった事実は変わらない。結局神頼みなんてくだらないのよ。


でも___、


私、あなたのこと許してあげる。


そしたら、地獄に落ちたあなたの罪は少しでも軽くなるかしら。


□□□□□


「おい、被験体A61045は今どうなっている。通信が途絶えたぞ」


「彼女は僕達を捨てた。家族を捨てたから報いを受けた」


「クソッ、所詮脳無しの聖職者か…………収穫は?!」


「実験体の捕獲と人工アンデッドの回収は失敗。彼女が崩れたことで、教会の収穫も途絶えた」


「クソッ、クソッ!!」


「でも、一つよくわからないものがおちていたよ」


「……なんだこれは」


「わからない。けど、中に人間の血が入ってる。ボタンを押したら針が出てきて、それを刺したら血液が身体に流れてくる」


「輸血か?何故こんなものが……グレイソンの仕業か?いや、奴にこんな高等な物品は作れない…………、」


「…………、キャシー?」


「…………、はは、まさか。彼女は死んだんだ」


「とにかく、この輸血キットは調べておく。お前は新しい収穫源を作れ」


「わかったよ。父さん」

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UNDEAD□BUDDY @UNDEADBUDDY

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