「仮想現実」という言葉に対する考え・思い

サカムケJB

本文

”仮想現実” という言葉あるいは ”我々が生きるこの世界は仮想現実である” といった考えは、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

それらの言葉が、聞き手の脳内に響き渡ったのか、それとも生物学的に聴覚を刺激したのみで途絶えたのかは人それぞれだが、少なくとも私はそれらに悩まされたり救われたりしている。


『マトリックス』という映画はご存じだろうか。まだ見たことがない人には一見の価値ありと進言させていただこう。革新的な映像技術はもちろんだが、その哲学的な内容に刺激される可能性は大いに存在する。

マトリックスの舞台がどういうものであるかをかなり端的に表すとしたら、今我々が生きるこの現代社会が実は何者かによって作り出された "マトリックス” と呼ばれる仮想の空間、仮想現実であり、本当の自分自身の肉体ははるか遠い未来の世界で機械たちが生きながらえるための生体エネルギーとして支配され利用されている。つまり我々人類は自らの意思で生きていると思っていたがそれはただの仕組まれたプログラムであり、実際はマトリックス創始者の利益に準ずる思惑によってだけなのである、というものである。


もう一つ仮想現実について考えるうえで、触れておきたいものがある。かつて空海が密教の教えとして説いた "唯識" という概念である。唯識思想では、この阿頼耶識あらやしき(我々の心の根本にある貯蔵庫)に蓄えられた過去の経験が、末那識まなしき(阿頼耶識に蓄えられたものを自我・自分自身であると認識すること。そうした心の働き)や六識ろくしき(簡単に言うと、五感+意識)の基礎となり、今現在の自我や自己、あるいは世界の認識に影響を与えると考えられてる。


ここからは現代日本社会を頭に思い浮かべながら読んでみてほしい。

この二つの事柄から私が言いたいことはこうだ。私たちは、過去の経験に基づいて心の中でつくり上げたイメージを現実の世界だと思い込んでいる。そしてその我々の思い込みは集合体として形成され "現代社会" として機能している。「過去の出来事から学んだ結果、世界はこうあるべきなのではないか」という思想のうち、日本人の大半が "そうあるべきだ" と考えているその共通項が、現代日本社会として出現しているのだ。

だが、上記の通りこの現代日本社会というのは単なる思想の権化でしかなく、その実は人類の働きを養分としてを生き永らえさせるためのシステム、偽りの、空しき《むな》、仮想の現実なのである。ということである。


我々は自らの意思で生きていると考えていたが、実際は国の養分となるための思想を "この世の常識" として植え付けられ(プログラムされ)、国の養分として生きるための人生をさせられるのだ。それがあたかも、この世の常であるかのように。


生き方というのは人それぞれだし、思想というのは押し付けるものではない。私は、思想は刺激を生むためにあると思っている。私がこのエッセイを通じてしたいことは批判ではなく "問い" であり投げかけである。国のために命を捧げる覚悟を決めた人、社会のシステムの中で生きていく覚悟を決めた人。素晴らしいではないか。

私が上記の考えに基づいて「あなた本当にこのままでいいんですか?」と言いたいのは、小中高大と進学し大学在学中に就職活動をし、現代社会の中で現代社会のために奉仕をする。その考えが当たり前だからと言い聞かされ続け、それがこの世の常識だからと言い聞かされ続け、されるがままに日本を生かすための生体エネルギーとなる道にその身を置いている。ある種のゾンビのような形で、マジョリティの思想の権化である現代社会で生きている者たちである。


「この世は仮想現実である」

この考えを否定することはできないが、同時に肯定することもできない。この世界が仮想現実ではないとも言えないし、仮想現実だとも言えない。

だから私はこう考える。「この世に仮想現実が存在するのであれば、それはこの世界全体を指すのではなく、この世界で常識だとされている考え・生き方こそが仮想現実なのだ。」と。

そして私は言いたい。仮想現実の中で国のための生体エネルギーとして死ぬのか、今現在の自分が仮想現実に囚われているのだと自覚し、仮想現実から抜け出すための戦いに身を投じ、一個人として、一人の人間として死ぬ人生を選択するのか。今一度人類は考え直す必要があるのではないかと。


私は「生きるのはつらいこと」という言葉が嫌いだ。

正確にはつらいのは、ではなくなのではないかと私は思う。

生きる意味・目的は人それぞれだ。私の友人は、美味しいものを食べたいという思いを生きる意味としている。素晴らしい。どんな些細なことでもそれがその人の中で生きる意味として存在し得るのなら、それは立派な生きる意味なのである。

生きる意味なんぞ、何でもいい。

だったら今一度自分の生き方を見つめなおし、この大衆が支配下に置かれている仮想現実から抜け出すことを生きる目的として設定しても、なんら恥ずかしいことではないのではないだろうか。


「ちゃんと学校行って、就職もちゃんとして、○○君は立派な人間だね!」

これは仮想現実に囚われた単なる生体エネルギー、

ただの単三電池からの言葉に過ぎない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


今この文を読んでいる方は、本文を最後までお読みになった方なのでしょう。

すべてに目を通していただいた方にも、画面をスクロールさせることに熱心だった方にも、等しく感謝を述べさせていただきたいと思います。ありがとうございました。


本文はあくまで私の考えであり、この考えを読者の皆様に押し付けようなどとは全く考えておりません。私は思想や考えというのは他者とぶつけ合い、そのぶつけ合う戦いの中で何かをくっつけたり削ったりして成熟させていくものだと考えております。

ですから、本文を読んで思ったこと、反対意見等があれば是非ともお聞かせ願いたいと思います。


繰り返しになりますが、最後までご覧いただきありがとうございました。お疲れさまでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「仮想現実」という言葉に対する考え・思い サカムケJB @sakamukejb

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画