第8話 他人ごとと、自分のこと
「綾桐さん、おはよ」
「…」
席替えで隣であることが変わらず、僕たちは気まずいまま、また1ヶ月を過ごす事になった。屋上の一件があってからも、せめて挨拶はするようにしているけど、最近は返事すら返って来ない。虚ろな目をして俯く綾桐さんの表情は日を増すごとに彩を失っていった。
僕も僕で、病状が落ち着いてから少し変化が起きた。
島﨑以外とも話す機会が増えて、周りにいる人が増えた。軽い気持ちで誰かと馬鹿みたいに騒げるようになったのは、成長かも知れない。
「なあ神田。お前好きな人とかいないのか?」
ある日の昼休み、最近友人になった川畑がそんな質問をしてきた。
「え、あ…」
「ないない!こいつは恋愛封印してるから」
島崎が遮るように快活に答える。
「おいおい!こんなご尊顔なかなか拝めないぜ…?」
聞き慣れたやりとりだが、説明した方がいいだろうか。
「まあ、今はそういう事に興味ないというか…」
「じゃあ、綾桐さんはどうなんだ?」
突然そう聞かれ、一瞬考える。
「…何も無いよ。多分、彼女には嫌われてるだろうから」
そう、何もない。嫌われているのも、全く嘘ではないだろう。
これが一番妥当な答えだ。
「はぁ…神田、お前人生の大半損してるぞ…」
「何で川畑が達観して言うんだよ」
「だって、恋愛は青春の代名詞じゃん!それを失えば…学校に行く目的を失ったも同然だろ」
「はは、何だそりゃ。そういえばさ…」
…損、か。
あんな風に大切な人の隣で無邪気に笑えたらと、何度願っただろう。でも無理だ。
虚しいけど、これが現実なんだ。
帰ろうとして、綾桐さんの手に目立つ大きな傷を見つけた。朝にはなかった。
「その傷…」
声をかけた途端、彼女はさっと手元を隠した。
「何でも無いよ!」
急に立ち上がったかと思うと、久々に彼女と目があった。
「ほんとに、何もないから…ね?」
彼女の目に、初めて感じる類の恐怖を覚える。
くすんだ瞳に引きつった笑みを浮かべる表情は、僕の知る彼女とは似ても似つかない人だった。
もう一つ気になっていたのが、宮瀬さんが綾桐さんと放課後に2人で何処かへ行っている事。
何を話しているかは分からないが、綾桐さんを誘う宮瀬さんの顔はあんなにもにこやかなのに、肝心の彼女は行きも帰りも無表情のまま。2人で何をしているのかは、正直僕には関係ない。
でもあの夢…あの残虐な幻影が、彼女の隠す真実に僕を強く惹きつけてやまない。
真実が分かれば、彼女の嘘の理由も明らかになる。
真実を知れば、僕はこれ以上彼女に関わらなくて済むだろうか。
…僕が関わらなければ、彼女は苦しみから開放されるだろうか。
〜〜☆〜〜
次の日の放課後。僕は綾桐さんを付けることにした。
宮瀬さんから言伝を預かった彼女は、放課後になると早々と教室を出ていく。教室棟を抜けて、辿り着いたのはあの生徒会室だった。
「遅かったじゃない…愚図」
扉に僅かな隙間を作ると、宮瀬さんの声が聞こえた。
「ごめんなさい」
その後に輪郭のぼやけた綾桐さんの声が続く。
「毎度言うけど、私本当にあんたが嫌いなの。でも今日も甲斐甲斐しく可愛がってあげるから、楽しみにしてなさい」
聞いた事がないほど冷徹な声が、扉越しでもはっきりと聞こえた。
「傷…ばれたのね。うまくやれと言ったのに…まあいいわ。早く始めましょう」
それを合図に、鈍い音がした。同時に煙の匂いが流れてくる。
「本当に生意気ね。懲りないし、空気も読まなければ、従いもしない。馬鹿としか言いようがないわ。でも…そんな馬鹿のくせに!!」
再び鈍い音と同時に、なまものが焼ける嫌な音がした。
戸の隙間から録画のスマホは回している。後はあの残忍な行為を止めるだけなのに。
「動け…動け、俺…」
足が竦んで動けない。でも早く…早く行かなくては。
「私より優秀、好きな人が相手にするのは貴女ばかり...何でこんな不平等なの?人から奪うだけのあんたなんかに、どうして私は憧れなきゃいけないのよ!」
あの日階段の踊り場に響いた金切り声が、再び耳を貫く。
これまで、夢に出てまで綾桐さんを苦しめていた「あの子」の正体。
「…勘違いしてると思うんだけど」
ふと綾桐さんが呟く。
「は?」
「憧れるかどうかは宮瀬さんの勝手だし、空気が読めない事はあくまで私の行動があなたの意思に沿ってないだけだし、神田君が私ばかり構うように見えるのは、嫉妬心からでしょ。…私が嫌いなら、構わなければいいのに。こんなくだらない…」
えらく饒舌になった彼女を、ゴッ、という不快な音が遮る。
「…いい加減にしてよ。まだ誰が上か分からないの?嫌いだからこうして自分の手を汚してまでもう一度存在を消してやろうとしてるの!いつまで他人事のようにいられるかしら?さっさと泣いて醜態を晒して、私の目の前で許しを乞いなさいよ!」
他人事。
その言葉を聞いた瞬間、竦んでいた足に力が入る。迷わずその扉を開け放った。
「か、神田君!?」
本当に器用な人だ。今目の前には宮瀬しかいない。綾桐はデスクの下へ蹴るなりして隠したのだろう。
「…どうしたの?ここに来るなんて、珍しいね」
用ならいくらでもある。本当はそう言いたい所だったが、僕は笑みを繕った。
「忘れ物をしたかもしれなくて。ほら、この前…仕事を、手伝った時。宮瀬さんこそ、こんな時間まで生徒会の仕事?」
「まあ、そんな所。そうだ、ごめんなさい…私、別用があって。鍵だけ神田君にお願いしてもいい?」
早口な彼女に一瞬探るような視線を向け、にこやかに答える。
「…もちろん。宮瀬さんも気をつけて」
「ええ、じゃあ」
勢いよく扉が閉まり、再び部屋が暗くなる。
「綾桐さん…居るんでしょ?もう出てきて大丈夫だよ」
しばらくの静寂の後、やはり机の下から彼女が顔を出した。
「どうして…」
呆気に取られたような間の抜けた声だった。
しゃがみ込み、彼女と視線を合わせる。
「忘れ物は、実は嘘で…最初から、聞いてた。最近宮瀬さんと2人でいなくなる事が増えて、気になって後を付けてきちゃったんだ。もっと早く助けるべきだったのに…ごめん」
そっと手を出すと、傷だらけの手が弱々しく握り返す。
机の下から出た彼女は、俯いたまま何も言わなかった。
「僕が来て逃げたのは、僕が君に気づかないまま、君を此処に閉じ込める算段でもあったからだろうね。最初から聞いているなんて、予想だにしなかったんだろうな」
所々荒れた所を片付けていく。
「…怒らないの?」
幼子みたいな事を聞かれたようで、思わず笑いそうになる。
「どうして?」
「散々振り回して嘘をついた上に、こんな大迷惑までかけて。貴方にだってあの子のように私を怒鳴りつけるくらいできる。…関わらなければもっと楽なのに」
どこまでも他人事のように言う彼女に、僕はもう一度ちゃんと向き合う。こちらを見つめ返す瞳は、心の奥底にある感情の本流を必死に抑えているようだった。
「迷惑かどうかは僕が決める。…関わらないことも出来たよ。彼女の思惑通りに、君を閉じ込めることも出来なくはなかった。あの日から、どうして僕は自分から君に関わろうとしてるのかずっと考えてた。まだ答えは解らないけど…少なくとも、傷ついている人がこんなに側にいるのを無視できない。そう思っただけだよ。だから、怒らない」
僕は諭すように彼女に本心を伝えながら、綾桐さんの手に絆創膏を貼った。
「僕は、しばらくこの部屋にいるけど…綾桐さんは帰る?」彼女はすぐに首を横に振った。
「…もう少しここにいる」
僕はふっと微笑むと、ある作業にとりかかった。
「あの、嘘の事、だけど」
綾桐さんの声に、思わず手が止まる。
「…神田君が言う通り、私は転校生じゃなくて、一年の頃はほとんど教室にいかなかったの」
驚いたように振り返ると、小さな灯がともる瞳が揺らぐ事なく僕を捉えた。
「全部、話す」
恋愛封印宣言! 紫丁香花(らいらっく) @azuki-k01
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