第7話 「二人」と距離感
目が覚めると、綾桐さんは僕の横で眠っていた。
僕が意識を失ったのと引き換えに、寝ている人に触れるとその夢が共有されるようになったらしい。まだ彼女は悪夢に魘されていて、触れている手は冷たく、額には冷や汗をかいている。
時計はもう放課後の時間を指していた。気を失ったのは昼休みだったから、午後の授業を丸ごと放りだしたことになる。まあ…今日だけならいいか。
座ったまま天井を見つめ、思案を巡らせる。彼女の夢は誇張されているにしても、僕でも目を背けたくなるほど痛ましく、悍ましい、壮絶なものだった。
あんな悪夢を見るほどに彼女を苦しめる人、あるいは過去…
「…っ!」
悲痛な表情で綾桐さんが目を覚ました。
「…大丈夫?」
恐る恐る問うと、彼女はびくりとはねて僕から少し距離を置いた。そして状況を理解したのか落ち着いたようで、深呼吸を1つして僕を見る。
「…私は平気。神田君こそ…大丈夫?」
青ざめた顔で僕を気遣う彼女は僕より具合が悪そうだ。流石に病気の事を話すわけにもいかず、当たり障りのない返事をする。
「…大丈夫だよ。まぁ、最近眠れてなかったのかも」
気を失ったら貴女の夢が見えた、なんて絶対に言えるわけがない。話が続かなくなって、沈黙に戸惑う。
「怖い夢…見てた?」
華奢な肩がぴく、と震える。それからふるふると首を振った。
「何でも、ないよ」
絞り出すような声。とことん嘘を吐くのが下手な人だと思う。
「でも、顔…真っ青だよ」
僕がかけた言葉を振り払うようにもう一度首をふるりと横に振り、彼女は俯いたまま、細々と言葉を吐き出した。
「大丈夫…神田君には関係ない。これは私の問題。全部私が悪いの。他の誰でもない、私が…」
本人は隠しているつもりだろうけど、少しずつ心の澱が漏れている。
踏み込もう。そう思った矢先だった。
「ごめんなさい…さよなら」
彼女は挨拶もそこそこに行ってしまった。
…当然か。一度気まずくなった男子に呼ばれて、自分の見せたくない部分が露呈して、更に気まずさが増して…しかも隣の席。これからどうすれば…
「どうすれば」?
あまりにも自然に浮かんだ思考に、思わず踏みとどまる。何故彼女の傷に触れようとするんだ。向こうが距離を置いたなら、僕が進んでその間を詰め直す事は無い。僕も彼女もこれ以上自分の事情で互いを振り回さずに済む…はずなのに。
どうして僕は彼女に態々自分から関わってるんだ…?
「あ…神田君」
「おつかれ」
誰もいなくなった教室へ戻り、帰る準備をしていると、宮瀬さんが入ってきた。
彼女は自分の席に座り、窓の外を眺めたまま何も言わない。僕も特に気に留めず、手を動かし続ける。
あの告白事件以降、僕らはまともに話したことがない。
でも元々そういう間柄だったし、宮瀬さんの方も諦めをつけて割り切ってくれたのか、一クラスメイトとして他の人と変わらない態度で接してくれている。
僕が振ったことを、彼女がどう思っているかは分からない。
ただ言えるのは、告白を受け入れたとしても、僕が彼女を悲しませてしまう日が必ず来るということ。やっと積み上げることができた想い出の山を僕のせいで済し崩しにしてしまうくらいなら、想い出の山さえ作らない方がましだ。それが彼女の気持ちを無視してしまう答えだったとしても。
昔読んだある小説で、「自分のせいで誰かが苦しむのを見たくない」という主人公の少女に幼馴染の青年が言った台詞が、ずっと心に残っている。
『自分のせいで誰かが傷ついた時、それを見たくないって言うのは…自分の責任から逃げているだけじゃないのか?』
『仮に僕が何らかの呪いで君を巻き込んでしまっても、僕は君を離したくはない。君を苦しめたいんじゃない…君が受けた傷や哀しみを、僕も一緒に背負うんだ。それが何の取り柄もない僕にできる…最低限の罪滅ぼしだと思うから。』
彼の台詞は、まさしく僕に対しても諫めの言葉になる。
でも…僕は弱い。最初から誰かといることを諦めてしまっているのだ。改めて考えると、そんな自分が綾桐さんに深く関わろうとしているのも馬鹿げている。
馬鹿だよな…僕。
建物の向こうは、きっと街を焼き尽くすような円い夕日が浮かんでいるのだろう。そんな事さえ思ってしまうほど、差し込む西日は鮮やかだった。
荷物をまとめ終えて教室を出ようとしたところで、宮瀬さんが不意に立ち上がった。
「あの時私を振った理由…ちゃんと教えてくれる?」
「へ?」
あまりに急な話題の振り方に、変な声が出た。
「私、あの後よく考えてみたの。そうしたらたくさん疑問が出てきてね。私がどうしてだめだったのか…詳しく神田君から聞けていないことに気がついたの。だから、ちゃんと教えて」
至極真面目な顔で、宮瀬さんは僕に詰め寄って来た。
「いや、その、とにかく宮瀬さん自身じゃなくて、僕の問題で…」
「その僕の問題を教えてほしいの!」
彼女の語気が荒ぶる。これは一言二言では済まなさそうだ。
「えっと…」
ここで下手に、「今は恋愛に興味がない」と言ってしまえば、頑張れば振り向かせられると彼女の気持ちを再燃させてしまうかもしれない。さて、どう答えるべきか…
迷っていると、宮瀬さんはほっ、とため息を一つ零して、僅かに俯いた。
「ごめん。急に詰め寄ったら、困っちゃうよね…。でもどうしても気になって」
「え、い、いや…はっきり答えられなくて、宮瀬さんの中に蟠りを残してしまったのは僕だし…」
視線を右往左往させた後、ばっと顔をあげた彼女は、僕を真っ直ぐに見据えた。
「…ねえ、神田君。他に好きな人がいるなら、そう言って。…あの子でしょ?隣の席の、綾桐さん」
「ちがっ…違う!僕に想い人はいない!僕が好きになって、傍にいてほしいと願って良い人なんていない…僕は、宮瀬さんに好かれる資格はない、それだけだよ!」
淡々と、正しい抑揚だけで発された言葉。全ての感情をそぎ取ったような声音。そんな彼女の言葉に畏怖を覚え、思わず捲し立ててしまった。
直後こそ目を丸くして僕を見ていた宮瀬さんだったが、僕の弁明に納得したのか宮瀬さんはにっこり笑うと、「良かった」と言った。
「良かった?」
疑問がそのまま口をつく。
「そのまま。彼女を好きになる程、神田君が馬鹿じゃなくて良かったってこと」
「え…」
ますます意味がわからない。
「あの子…綾桐さんには近づかないほうが良い。彼女は私たちとは違う。何て言えばいいかな…ほら、狂ってるから。あと…神田君がそこまで自分を卑下する必要はないと思うわ。今のままで、ありのままでいいと思う」
ぽかんとして動けない僕を、宮瀬さんは誂うように笑って教室を後にした。
『変わってる』ならまだしも、狂ってるって…さっぱり解らない。
家へ帰って自分の部屋のベッドの上で大の字になり、深く息を吸って、止める。
宮瀬さんは僕を綾桐さんから遠ざけたいのだろうか。でも彼女が狂っているという言い訳は、あまりにも大げさだし現実味がない。確かにあの悪夢といい、転校生の嘘といい、何か隠そうとしている事は確かだ。
でも、それを狂っていると一括りにしていいものとは思えない。いじめの噂も、主犯も分からなければそもそも事実だったかも判らない。
じゃあなんで…
そこまで考えて、ゆっくりと息を吐き出す。
考えても仕方ない…か。
事の全てを理解したのは、その1週間後だった。
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