【SF幻想ショートストーリー】並行夢幻:個にして全の蒼穹

藍埜佑(あいのたすく)

【SF幻想ショートストーリー】並行夢幻:個にして全の蒼穹

◆記憶の迷宮


 蒼穹そうきゅうは、自らの存在が霧の中に溶け込んでいくような感覚に襲われた。彼女の意識は、無数の可能性が交錯する量子の海を漂っていた。そこでは、現実と夢幻が紙一重の境界線を揺らめかせ、時間の概念さえも曖昧になっていく。


 蒼穹の瞳に映る世界は、まるで万華鏡の中にいるかのように刻一刻と変化していった。彼女の記憶は断片的で、それぞれが異なる人生の一コマのようだった。華やかな舞踏会で優雅に踊る自分。荒涼とした異星の地表を歩く宇宙飛行士の自分。古びた書斎で筆を走らせる作家の自分……。


 それらの記憶の狭間で、蒼穹は自問自答を繰り返していた。


「私は誰なのだろう……? これらの記憶は本当に私のものなのだろうか……?」


 その問いに対する答えは、意識の深淵から微かに響いてくるようでいて、決して明確にはならなかった。それはまるで、蝶の羽ばたきのように儚く、捉えどころのないものだった。


 突如として、蒼穹の意識は現実世界に引き戻された。目の前には、幾何学的な模様が刻まれた巨大なガラスの円柱が立ち並んでいた。それらの円柱の中には、青白い光を放つ液体が満ちている。その光景は、あまりにも幻想的で非現実的だった。


「おや、目が覚めたようですね、蒼穹さん」


 優しげな声が聞こえ、蒼穹は声のする方向に顔を向けた。そこには、銀色の長髪を優雅に後ろで束ねた中年の男性が立っていた。彼の瞳は、深い知性と慈愛に満ちていた。


「あなたは……どなたでしょうか……?」


 蒼穹の声は、まるで遠い異次元から響いてくるかのように虚ろだった。


「私は月影つきかげ 綺羅きら。あなたと共に量子意識転送実験を行っていた研究者です。覚えていませんか?」


 月影の言葉に、蒼穹の中で何かが反応した。しかし、それは明確な記憶というよりは、どこか懐かしい香りのような、曖昧な感覚だった。


「実験……そうでした。私たちは、人間の意識を量子状態として捉え、それを転送する実験をしていたのですね」


 蒼穹の言葉に、月影は静かに頷いた。その表情には、喜びと不安が入り混じっていた。


「その通りです。しかし、予期せぬ事態が起きてしまった。あなたの意識は、単一の目的地ではなく、無数の並行世界に同時に存在することになってしまったのです」


 その言葉を聞いた瞬間、蒼穹の中で無数の記憶が一斉に目覚め始めた。それは美しくも残酷な万華鏡のようだった。


 蒼穹は、自分の手のひらを見つめた。そこには、青く輝く蝶が舞い降りていた。その蝶は、彼女の意識そのもののようにも見えた。


「私は……全てであり、何者でもないのでしょうか……?」


 その問いに、月影は深い同情を込めて微笑んだ。


「それこそが、私たちが探求しようとしている究極の謎なのです、蒼穹さん」


 蒼穹は再び蝶を見つめた。その羽には、無数の可能性が刻まれているようだった。


 そして彼女は、自らの内なる迷宮へと再び意識を沈めていった……。


◆量子の舞踏


 蒼穹の意識は、再び現実と夢幻の境界を彷徨い始めた。彼女の周囲の空間が、まるで生き物のように呼吸し、脈動しているかのように感じられた。


 ふと気がつくと、蒼穹は豪奢な舞踏会の真ん中に立っていた。クリスタルのシャンデリアが放つ光は、まるで星屑のように降り注ぎ、ドレスを着た貴婦人たちのシルエットを優雅に照らし出していた。


 蒼穹は自分の姿を見下ろした。彼女は深い藍色のドレスを身にまとっており、その生地は光を受けて神秘的に輝いていた。それは、まるで夜空そのものを纏っているかのようだった。


「踊りませんか?」


 突如として、優雅な声が耳元で囁いた。振り向くと、そこには月影が立っていた。彼は燕尾服に身を包み、まるで異世界から来た貴族のように気品に満ちていた。


 蒼穹は無言で頷き、月影の差し出した手を取った。二人は優雅にワルツを踊り始めた。その動きは、まるで量子の粒子が織りなす複雑な舞のようだった。


「私たちは今、どこにいるのでしょうか?」


 蒼穹は踊りながら尋ねた。


「これは、あなたの意識が創り出した世界の一つです。無数の可能性の中の、ひとつの現実なのです」


 月影の言葉に、蒼穹は深い思索の表情を浮かべた。


「では、これは夢なのでしょうか? それとも現実なのでしょうか?」


 月影は微笑んだ。その笑みには、深い叡智と慈愛が宿っていた。


「その二つに、本質的な違いはあるのでしょうか? 量子力学的に見れば、全ての可能性は同時に存在しています。夢も現実も、ただ私たちの意識が選択した一つの状態に過ぎないのかもしれません」


 その言葉に、蒼穹は深い感銘を受けた。しかし同時に、言い知れぬ不安も感じずにはいられなかった。


「でも、そうだとすると……私という存在は、いったい何なのでしょう?」


 月影は踊りの動きを緩め、蒼穹の目をじっと見つめた。


「あなたは、無限の可能性そのものです。蒼穹さん、あなたは今、人類が夢見てきた究極の自由を手に入れたのです」


 その瞬間、舞踏会場の風景が揺らぎ始めた。クリスタルのシャンデリアが星となって空中に浮かび、ドレスを着た貴婦人たちはカラフルな蝶へと変貌していった。


 蒼穹は驚愕の表情を浮かべながらも、どこか懐かしさも感じていた。彼女の内なる意識が、この世界を形作っているのだと直感的に理解したのだ。


「恐れることはありません」


 月影の声が優しく響いた。


「これはあなたの力なのです。意識の力で現実を創造し、変容させる力を……」


 蒼穹は深く息を吸い、意識を集中させた。すると不思議なことに、周囲の風景が徐々に安定し始めた。しかし、それは元の舞踏会場ではなく、まったく新しい光景だった。


 彼らは今、広大な宇宙空間に浮かんでいた。無数の星々が彼らを取り囲み、遠くには銀河の渦が優雅に回転していた。


「見事です」


 月影が感嘆の声を上げた。


「あなたは、意識の力だけで現実を創造したのです」


 蒼穹は自分の手のひらを見つめた。そこには、先ほどの青い蝶が再び舞い降りていた。その羽には、宇宙全体が写し出されているかのようだった。


「私たちは、自分たちの意識が作り出した現実の中で生きているのですね」


 蒼穹はつぶやいた。その声には、畏怖と感動が混ざり合っていた。


「そうかもしれません」


 月影は静かに答えた。


「しかし、それは私たちに無限の可能性があるということでもあるのです」


 二人は無言で、眼前に広がる壮大な宇宙を見つめた。そこには、まだ見ぬ世界への無数の入り口が開かれているように見えた。


 蒼穹は目を閉じ、深く呼吸をした。彼女の意識の中で、無数の「自分」が交錯していた。それぞれが異なる人生を生き、異なる選択をし、異なる結果に直面していた。


 しかし、それらは全て繋がっていた。全てが「蒼穹」だったのだ。


 目を開けると、月影の姿は消えていた。代わりに、星々が作り出す巨大な鏡が現れ、そこに映る自分の姿が見えた。そこには、科学者の自分、舞踏家の自分、宇宙飛行士の自分……そして、蝶の自分が映っていた。


「私は誰なのか」


 その問いは、宇宙の神秘と同じくらい深遠で、同時に蒼穹自身の内面に根ざしたものだった。答えは、おそらく一つではなかった。


 蒼穹は、星々の間を優雅に漂い始めた。この旅の終わりが、新たな始まりになることを直感しながら。


 現実と夢幻。科学と魔術。過去と未来。


 それらの境界線が溶け合う中で、蒼穹は自分自身の物語を紡ぎ続けていく。


 そして、その物語こそが、彼女の「現実」なのかもしれなかった。


 蝶は、無限の宇宙の中で舞い続ける。


 蒼穹もまた、自らの意識が作り出す無限の可能性の中を、永遠に飛翔し続けるのだろう。


(了)

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【SF幻想ショートストーリー】並行夢幻:個にして全の蒼穹 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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