第四章 PNМOと自動運転社会
公共通信網管理機構(PNMO、通称ピヌモ、PUBLIC NETWORK MANAGEMENT ORGANIZATIONの略)と警察庁サイバー犯罪対策課は共に、インターネット網を悪用する犯罪を捜査する国の機関である。いま現場に来ているのはPNMOの捜査員の52名。警官が60名。
一方の警察庁・警視庁交通部は各種交通取り締まり、交通事故対応など。刑事部は事件の捜査する。
近年、急増しているネット犯罪に関しては、ハイテク犯罪対策部を設けて対応している。
警察の交通課はPNMOの現場担当捜査員を下に見る傾向があった。現場で汗を流して働いているのに、管理センターの者たちは空調の行き届いた室内で主に働く。彼らの担当する事案はセンター内の情報分析課のオフィスでの活動がほとんどだった。
今回は現場に設置してある各機器の故障による障害の可能性も排除できないのでこうしてPNМOの係官が現場で直接調査している。
大破して走行不能に陥ったクルマの近くに、大型のバスが到着し始めていた。道路上で足止めされた乗員をまとめて付近の交通機関まで運ぶためだ。続々と到着する。公道上にはかなりの数の破損したクルマが取り残されていた。
クルマとバス、この時代にはそれぞれオートカ―、オートバスと呼ばれていた。大勢のヒトを乗せるバスもいまやほとんど自動化されている。日本でも数十年前に運転士・車掌の同乗しない新交通システムはあった。
この時代は公道の地面を走るバスも自動化されている。旅客機も操縦士がAIに置き換わった。
自動車、バス、トラックなどの、人とモノを運ぶ乗り物と、電車、地下鉄、モノレールなどの決められたルートを走行する公共交通網がある。双方ともほとんどが自動化されている。
自動運転はまず、決められたルートを走行し、かつ正確さを求められる公共交通機関から導入された。電車、バス、航空機の順となった。航空機は航路をGPSのデータを元に決めて飛行し、離着陸も今やAIがすべて行う。自動運転のレベルで言うとレベル3、条件付き完全自動化。緊急時のみパイロットが操縦する。
自動車に関しては2020年4月、日本でも道路交通車両法が改正されて法律上は解禁となった。
電車も人の通り道と車道を完全に隔てられた環境を整えてから本格的自動運転は始まった。電車網は経路上に人が居ないという前提を保てれば極めて安全な環境を作れる。
そこに人の運転するクルマやバスが関与してくる。電車の通路と人間、車の通る道が交錯したり並走したりと、従来以上に機械と人の安全な関わりを構築する必要が生じた。
電車は経路と所用時間・時刻が正確なので、対応しなくてはならないのは人の運転するクルマ、バスである。人間の運転する車の場合は、その人によってクセや乗り方がが違うから事故が生じる原因となる。
といってもこの時代、わざわざ自分で車を運転するドライバーはほとんど居ない。
しかしゼロではないので、手動走行車の車体にも緊急時回避装置が取り付けられた。
ならぱ人とクルマ・バスの通る道を完全に分離してしまえば安全に移動できるという発想から自動運転の普及が加速した。
その普及の最大の障害が自動運転車の性能だった。車体に様々なセンサー、光学的カメラを装着して、人の五感を肩替わりさせようとした。危険回避操作もヒトの手を介さずに制御する。
言ってみれば自分で周囲を感知・分析・判断して動く機械、タイヤをころがして移動するロボット。そのロボットに乗せてもらって移動していることになる。地上を移動する乗り物は、この時代でもタイヤというアナログな部品を使用している。
それが鉄道の分野だがリニア駆動という画期的な移動方法が編み出され、東京と名古屋の間で営業運転を開始した。二〇三五のことである当初の二〇二七年が当初の開業予定だったが、地元環境保護団体の反対運動や工事の遅れなどの原因で八年もずれ込むことになった。
鉄道以外、自動車の分野でもタイヤによる移動からリニア駆動への研究は始まっている。
問題は環境整備とコストである。リニア新幹線のように経路上に浮上・案内コイルを敷設する必要がある。同時にそれらのコイルに電力を供給する電線網。これらの設備を道路に敷設するとなると莫大な費用が必要となる。
次の問題点は消費電力量である。リニア新幹線の例でいうと、従来のN700系の新幹線の四倍の電力を必要とする。移動速度と引き換えにこれだけのコストがかかる。
複雑な道路網への設備の敷設、必要電力。研究段階では実現はほぼ可能であるが、この二つのコストのせいで自動車への応用は困難な状況であった。
自動運転に話を戻す。運転操作を完全にクルマに委ねることが出来れば、運転に伴う精神的・肉体的疲労やストレス、長時間同じ姿勢で運転することによる疲労などから乗員は解放された。
この環境下に人間自身が運転するクルマが混在してくる。人間は機械と違って予測のできない動きをする。
この時代、特にAIの技術に関しては恐ろしい勢いで技術革新がなされている。大手IT企業がその潤沢な資金を元に、他のAI研究企業を買収したりヘッドハンティングしている。新たに開発するよりも優れた技術を持った企業を買収したした方が安上がりで時間短縮になる
AIは確かに優れたツールである。しかしここでAIにも倫理的な機能を与える必要がある。
たとえば人の言うがままにAIを搭載したアンドロイドが、「いま、あいつに付きまとわれて困ってるんだ。なんとかしてくれ」と人間Aに言われたとする。AIはその相手Bに対して何をしてくれるだろうか。Bのところに行って「Aさんにはもう付きまとわないでください」と懇願するケース。それでも聞き入れなかったら、本人自体を拘束する。あるいはまたAIが身体的にBに危害を加えるだろうか。それともBの住んでいるマンションに行き、AIがそこにいて外出ができないように軟禁するだろうか。
これらのケースのどれをAIが判断するかはAIの倫理的思考回路に直接聞いてみないと分からない。事前に倫理、社会的ルール、憲法や民法などの、人間が守るべき決まり事をその時々のケースと関連付けながらどれが最善手かをみずから判断しなくてはならない。AIにそこまでの行動をできるようにするのは可能か。
つまり人と接するAI制御のロボットに倫理的・法的・社会常識的判断を教え込む必要がある。
いまや一人に一台、個人用のロボットが供与ている。個人用情報端末と連携して使用者の行動・判断を助ける。街中では情報端末がナビをしてくれ、車で移動中はカーナビがその役目を果たす。
自動車専用道路ではない、歩行者、自転車なとが混在する道路、スペースにおける自動運転車の手助けとして、各々が常に携帯している情報端末の力を借りて行動する。場所の限定がかなりゆるやかになった点においてはレベル5にかなり近づいたといえる。
しかし今度は新たな問題が生じてくる。それは自動車の運転は機械任せなので、もしも人間や自転車と事故を起こした場合に、どちらが道交法上・刑法上の責を負うかという点である。
もしも自動運転車という事になれば運転手はAI、その場合、どういう罪と罰を与えるか。そもそもAIを搭載した自動運転車自体を罪に問えるのか、それともAIを開発した会社を裁くのか、さらにまた自動車のメーカーなのか。その点はまだ明解な解釈は得られていない。過失割合も暫定的にAI開発企業が8割、自動車メーカーの開発企業が1割、残りの1割が搭乗している人間となっている。これから更に過失割合に関する解釈の熟成が進めばその過失割合は変動して行くだろう。
捜査が進むにつれ、今回の自動運転システムの障害は、国内のハッカー集団によるものと判明した。警視庁のサイバー犯罪対策課もネットワーク解析からそう判断して捜査を開始していた。
危機管理センターでは更に、おおよその犯人グループのメンバーや活動拠点をあぶり出していた。ここまで捜査が進むまでには1か月余りを要した。
イスルギら新人の研修期間はほぼ1か月、彼らの研修が終了し、最終適性試験に合格した者はすぐに本件の捜査班に加えられた。
「イスルギ捜査官、あなたは先輩のスズキ捜査官と組んでもらいます。他のメンパーもこないだの『全自動運転システム広域障害事件』の捜査に行ったメンバーも、それぞれ先輩捜査官とチームで捜査に当たることになります」
情報分析第三課課長カタギリレイコはきつ然とみなに告げた。
こうしてかれら新人捜査・分析官の忙しい毎日が始まった。
当初、犯人は単独犯と思われていたが、その後のAIによる捜査データ分析でグループ犯である事が突き止められた。同時期にたくさんの公共施設・システムに攻撃を仕掛けるのは、タイマーで時間差を設定すればできる。 しかし自動的にシステムに入り込むセキュリティ破壊プログラムを使用してのハッキングは難しい。自動的にパスワードを解析するシークエンスを組んでも、膨大な数字の羅列の中から特定のパスワードを探り出すのは、スーパーコンピュータを駆使すれば可能である。犯罪のための資金が潤沢にあったとしても、個人でスパコンを所有することは不可能である。
しかしつい先日、政府所有のスパコンを身近に知ってもらうために、一般の個人に無償で使用してもらうというイベントが行われた。
その時は抽選で選ばれた個人・民間団体がそういう、政府系研究機関でなければ使用できないスパコンを短期間でも利用できるということから、抽選に選ばれる倍率は二十万分の一にも跳ね上がった。現在はそのイベントも終了している。
ではいかに犯人は厳重なセキュリティの関門をかいくぐって公共システムに入り込んだのだろうか。
この時代、全就業可能人口の内、実際に組織・集団に所属して働いている人は四十パーセントくらいであった。残りの六割の内、個人事業を営むか、会社を経営している人が二割、残りの四割の人は就業していない。政府がベーシックインカム制度を本格導入したからである。ベーシックインカムの支給希望は自己申告制となっている。
つまり全人口の四割の人がもともと働く意欲がなかったともいえる。生活を成り立たせるためにやむなく働いていたということになる。
ショウジの場合、自己の持てる能力のスキル向上の為に、今の会社に入った。自己実現という野心もあった。もしも彼がベーシックインカム受給組に入っていたら、彼の趣味の性質上、外出などはほとんどせず、自宅中心の日常生活になっていたに違いない。そうしたくなかった。ひいては引きこもりになりたくなかったという事から、彼は学生生活を終える一年前には既にどのような業界で働きたいかなどを具体的に考えていた。
ショウジの趣味はというと主にインドアで、模型製作、パソコン、ゲームなど。写真やドライヴはアウトドアだが、写真はひと月に数回、車でどこかに行くのも、いちいち道路管理当局の省庁に道路走行許可を取るのが面倒であるという理由から、月に一度だけ。気が向いたら月に二度と、せいぜいその程度だった。
自動運転車が完全実用化となると決まってから、国土交通省の役人たちはかなり難しく面倒な課題を解決しなくてはならなかった。
自動運転を実用化するにはまず、ドライバーが人間の運転するクルマと混在して走行することとなる。割合としては自動運転車が95%、残りの5%が手動運転者。自動運転車が高性能センサーと回避能力を備えていたとしても、人の運転するクルマがどんな挙動を見せるかは完全に予測することはできない。
自動運転車同士なら接近したり追い抜きをする場合は常時、互いに電波を使用して自車の動きを先に伝えたり、その他の各車の走行データ、速度、乗車人数、車体重量、天候状況などの情報から適切な速度を割り出し、道路網の中から最適な道のりを瞬時に決定し、それに基づいて走る。
これが人間が運転するクルマとなると、気分次第で最短の道のりを通らずに、気が向いたら少し寄り道したり、雨が降ってきたら予定を変更して違う場所を目的地に変更したり、とにかく最初の計画通りに進めない場合がある。
自動運転車は乗車前に目的地と希望到着時刻をセットすればあとは車が即座にどこを時速何キロで走る。であるから事故などのトラブルを未然に防ぎたい道路関連の役所としては、公道上の車かすべて全自動運転車になってほしいところだ。
誰でもが自動運転車の恩恵で運転疲労とは無縁に、快適な旅を続けられるという時代になっても、それでも自分の感覚で運転を楽しみたいという酔狂な人は一定数存在した。新車ではすべて自動運転車しか販売されていない。そのためそういった運転好きの人たちは中古の自動車を探すほかなかった。
かくいうショウジもそのひとりで、。わざわざ五十年も前のトヨタの車に乗っていた。車名は「スープラ」、車体形式番号JZA80、エンジンは2JZ-GE。その圧倒的なパワーと官能的ともいえる曲面主体のデザインは当時のトヨタフリークをうならせた。
それまでエンジントルクは三菱のGTOが最高だったが、スープラはそれを超えてきた。
八十年代後半から九十年代は、バブル景気という異常な世ではあったが、各自動車メーカーは次々と高性能で個性的なクルマを世に送り出していた。日産スカイラインGT-R、マツダ・サバンナRX-7、ホンダNSX、三菱は先述のGTO以外にも、海外のラリーフィールドで戦うべく、ランサーエボリューションを会費つ、スバルはインプレッサWRXを。クルマを選ぶ方が目移りするという、贅沢な状況が展開されていた。
ショウジのPNМOの同期入所したタムラという青年、ショウジと同年代だが彼も手動運転車に乗っている。車名はマツダのサバンナRX-7、通称名はFD3S。なかなかマニアな車種選択だとショウジは思った。
オンラインだと直接人に会わない分、どうも人間関係が希薄になったり、外出する機会も減少する。
会社に勤務すると共に同じ組織に属しているという共同体意識を持てる。会社に属しいるから、直に接しているからこそ人とのつながりも感じられる
しかしベーシックインカム受給者はそういう社会とのつながりが極端に薄れる。現代のような何でもネットでつながり、デジタルに瞬時に物事が進む。人との関係性の変化は技術の進歩に伴い、たいていの人は便利で快適、効率重視という方に依存しがちとなる。ますます居心地の良い自分の城にこもる。
そんな時、移動する時にも自動運転に身を任せるよりは、自らの操作で運転する手動運転車の方が自分で何かをしているという満足感になる。
ショウジ以外にも同僚で同じ考えを持っている者はいた。打ち合わせなどでもディスプレイ越しの表情からはわからない空気感や相手の態度などは、対面でないと感じきれない部分が多い。
また自分の足で歩き、電車に乗り、勤務先までの15分ほどの通勤路の歩道に植えられた、四季の花々を愛でるのも通勤の楽しみのひとつだった。
なにより、リモート勤務だと、本人が希望すれば月に一度のリアル勤務の時しか直接顔を合わせない。実際に同僚と直接会って話したり、会社終わりにカフェに行ったりする頻度もおのずと減る。一日中他人と話をしないという事が常態化するだろう。せいぜい近所に遊びに行くくらいだ。
次の更新予定
毎週 金曜日 20:00 予定は変更される可能性があります
自動運転社会の片隅で嗤う-未来の明暗は 穂積アズールスカイ純一 @jza801ggeu
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