カイソウロク

 村に戻ってからは大変でした。

 わたしが長い間戻らなかったせいで、みんなわたしがさらわれてしまったのだと考え大騒ぎになったそうです。リレー大会も当然、やめになりました。


 大人たちにこっぴどく叱られ、どこへ行っていたのかしつこく聞かれてしまいました。

 わたしはもう、正直に話すしかありませんでした。



 人魚に会ったこと。仲良くなれたこと。海の外で見たニンゲンの言動。人魚の運命。

 村のみんなはわたしの話を聞き、悲しいような困ったような顔をしました。



 それから大人たちは話し合ったようで、人魚は危険ではないという結論が出ました。

 昔半魚人を攫ったのは人魚ではなくニンゲンだった、と判断したらしいのです。





 𓆝





 あれから長いこと経ちました。

 わたしはワカメ採りから卒業して大人になりました。




 今、わたしは真実を後世に伝えるため、人魚の危険性が描かれているあの岩の絵本を描き直しています。

 ざらざらした表面に彫りつけられた古い絵を、小石でゴリゴリ削る作業は終わりました。今はそこに新しい絵を彫りつけています。

 久々に人魚のことを思い出し、懐かしいような苦しいような不思議な感覚に埋もれます。



「あれ、まだやってたの。あたしも手伝うよ」

寄り目気味の友達がそう言って、わたしが描いている途中の岩に目をやりました。わたしはちょうど、半魚人がニンゲンに出くわしてしまう場面を描いているところでした。


「あっ……。それ、お姉ちゃん……」

寄り目気味の友達は悲しそうに、寄り目をさらに寄せました。



 村長さんの言っていた、いなくなった村の半魚人。怒り狂ったニンゲンの言っていた、ハクブツカンの半魚人。あれは寄り目気味の友達のお姉さんだったのだと思います。



「それよりもお母さんのこと、大事にしてあげてね」

わたしがそう言うと、うん、あとで洞窟に寄るよ、と友達はつぶやきました。




 それにしても、この絵本にはどうして人魚が危険だなんて描かれているのでしょう。

 寄り目気味の友達のお姉さんが攫われてしまったからこの絵本が作られた、というのは矛盾します。

 お姉さんがいなくなったのは割と最近のことだと思います。

 しかし、絵本が描かれたのは村長さんが生まれるよりもずっとずっと前のことのはずです。


 わたしの考えだと、人魚が半魚人を殺すのではなく、その逆だと思うのです。

 昔のひとたちは、我々半魚人が人魚を殺すだなんて絵本には描けなかったので、人魚が危険ということにしたのでしょう。

 わたしも時々感じた、傷ついた人魚を見ていたいというあの不気味な気持ち、きっとその本能が悲劇を起こしうるのです。

 それだけは村のみんなに話せませんでした。

 未来の子どもたちへ。どうかあの感情に負けないで人魚と仲良くやっていってほしい。わたしは強くそう願いながら絵を彫りつけました。

 



「まだそこにいたのか。もう食事の支度はできているよ」

後ろから村長さんがやってきて、声をかけてきました。

「はーい」

わたしたちは声をそろえて食卓へ歩き出します。




 あんなことがあってからもずっと、わたしは自分の醜い体が嫌いでした。

 何度見てもため息しか出ません。

 けれど、人魚がうらやましいとはもう決して思いませんでした。



 以前のわたしは、人魚は見た目が美しいから幸せなのだとどこか決めつけてしまっていたのです。

 そんなものにとらわれて、自分の幸せを見失っていました。

 本当は幸せは目の前にあったのです。

 大切な家族、友達、村のひとたち。それらはあって当たり前のものではありませんでした。現にそうでない者もいたのですから。


 あの人魚──ラデンはきっと、ずっと寂しかったのだと思います。

 わたしはずいぶんとラデンを傷つけてしまいました。

 きれいで魅力的な人魚。その憧れの存在の向こう側にある苦しみをわたしは全く想像していなかったのです。

 寂しさや泡にされる恐怖、プレッシャー、ニンゲンへの愛憎。あの美しい生き物はあまりに色々なことを抱えすぎていました。



 ラデンは海の泡にされてしまったのでしょうか。

 あれからわたしはラデンと過ごしたことを何度も思い出し、何度も悲しくなりました。

 ただ今は、自分の醜さを受け止め、村のみんなを大切にし、ラデンの分も精一杯生きようと思います。





 食事を終えましたが、過去を思い出しすぎたせいかわたしはぼうっとしていました。

 無意識のうちに足が進んでいきます。


 あの頃と同じように、巨大ワカメを見つけ、それをたどって上へ上へと泳いでいきます。

 全身を包み込むような緩く生あたたかい海流、ほんのり甘い匂い。あの頃と何も変わってはいません。




 かなり浅瀬に近づいたところで、見覚えのあるどこか懐かしい後ろ姿が見えました。

 長く黒いカミに、銀色に輝くウロコ。

 夢でしょうか。右足で左足を蹴ってみます。

 ちゃんと痛むので、夢なんかではありません。


 はっきりこの目に映った彼女を追いかけて、わたしは走り出しました。

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人魚になりたかった半魚人の話 結城 絵奈 @0214Lollipop

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