第2話 美女

俺は源頼光、35歳。神奈川県内に所在している富士健康食品株式会社総務部人事課に勤務している。妻と4歳の息子がいる。待遇はあまり良くないがこの会社で良くも悪くも充実した日々を送っている。

「源さん、今日中途採用の新入社員入るんですよね?」

「ああ、そうだよ。」

今日は、中途採用で採用した新入社員が入社してくる予定の日だ。新入社員に貸与するべき備品はちゃんと準備できている。後は本人の出社を待つだけ。

「面接を担当した石田さんの話によると、なかなかの美人だって言ってました。早く顔をみてみたいな。」

後輩の渡辺は表情をだらしなく歪めた。

「おいおい、お前には彼女がいるんだろ。営業部営業課の宇野さん。」

「しーっ!咲良と付き合っていることは秘密なんだから迂闊に名前出さないでくださいよ。」

「でも、結婚を考えてるのならいつかは皆にバレるぞ。」

「それでもです!社内恋愛してる事がバレたら仕事しにくくなるじゃないですか。しかも俺は人事課勤務ですよ。人事課の権限で咲良の待遇を良くしてるって事実無根の噂を立てられたら俺、飛ばされちゃいますよ。」

一応気を遣っていたのか。社員の人事評価も人事の仕事の内の一つだからな。仲の良し悪しで社員評価を決定していると邪推されることもあるしな。

「それに俺は咲良一筋ですから。浮気はしません。」

渡辺は俺よりも2つ年下だけど、なかなか馬が合うのでよく一緒に仕事帰りに飲みに行ったりしている。渡辺は俺の事を先輩だからと気を遣わずにざっくばらんに何でも話してくれるから付き合いやすく、渡辺が密かに社内恋愛をしている営業部営業課の宇野咲良の事もこっそり打ち明けてくれた。先輩後輩という仲というより親友といっても過言ではない。

ともかく今日は、中途採用の『岩瀬美月』という女性が入社してくる。面接を担当した人事課主任の石田さんの話では、かなりの美人らしい。ま、俺も美人が社内に増えるのは嬉しいんだけどね。でも、俺には妻もかわいい息子もいる身。渡辺の様に露骨に態度に出すことは出来ない。

暫くすると原口総務部長が女性を伴って総務部に入ってきた。

「えーっと皆さん、今日から中途採用でマーケティング課に配属になる岩瀬美月さんです。」

原口部長に紹介された女性にその場にいた一同目を見張った。白人の様な・・いや、それ以上の色の白い肌に肩より下に伸びた黒髪は光沢を放っていて、アーモンドナッツの形をした大きな目は、黒目の部分が多く吸い込まれそうだった。そして顔の輪郭は卵形の形の良い曲線を描き、その唇はプルンと厚ぼったく膨れ上がっている。

文句のつけようが無い美女だった。

いや俺だって会社に美人が増えるのは嬉しいよ。目の保養になるし。他の男子社員達も同じ気持ちだと思う。でも、なんていうか・・・彼女は妙に存在感あり、彼女だけ背景から浮き出ているように見える。まるで浮世絵を見ている様な気分にさせられる。そして彼女の雰囲気?いや、オーラが凄い。化粧など身なりは決して派手では無いのだが禍々しいようなオーラを放ち妖艶な美女という言葉がピッタリだった。これだけの美女となると、他の女子社員達から嫉妬されて虐められてしまうんじやないかな。そこが不安だ。

「じゃ岩瀬さん、他部署に挨拶回りに行きましょう。」

「はい。」

新入社員の岩瀬美月は原口部長の後に続き総務部を後にした。

「確かに石田さんの言うとおりすごい美人ですね。でも、なんか美人過ぎて苦手かな俺は。」

「俺もだ。」

渡辺の”美人過ぎて苦手”という言葉の言うとおり。美人なんだけど・・美人なんだけど・・・なんだか少し怖い気がするのはなぜだ?


マーケティング課で働き始めた岩瀬は何かにつけて注目の的になっていた。

「岩瀬さんすげー美人!」

「マジ美しい!俺の彼女になって欲しいよ。」

「バーカ、あんな美女もう他に男がいるに決まってるだろぉ。」

「だよな、でも二股でもいいから付き合ってくれないかな。」

男性社員達は岩瀬を憧れの眼差しで見つめ、欲望を隠さず何かにつけて話題のネタにしていた。そして、男性社員達が持て囃せばはやすほど女子社員達は予想通り岩瀬を敵対視し嫉妬の炎を燃え上がらせ睨み付けたり、女同士群れを作り悪口を語り合っていた。

(頼むから直ぐに辞めたりしないでくれよ。)

社内トラブルとかマジで勘弁してくれ。

実はマーケティング課の中途採用は岩瀬が始めてでは無かった。他の部課に比べて退職者が多く、岩瀬はその補充で採用されたのだ。なぜならマーケティング課にはパワハラの疑いがある河辺課長がいる。岩瀬の前任者もその前の前任者も河辺のパワハラに負けて退職していったとの噂があった。退職していった奴らは揃って、『一身上の都合で』と言葉を濁して逃げるように退職していくのだが、誰がそんな理由を信じるだろうか。人事課の人間は誰も口にはしないけれど、明らかに人間関係で辞めていったと悟ってる。恐らくは河辺課長のパワハラに耐えかねて。

河辺のパワハラが事実なら人事課としても事実確認をした後パワハラを食い止めなければならない役目があるのだが、パワハラ・セクハラに寛容な日本の企業ではそういった人事の仕事も建前でしかなく、ほぼ何も対策は取ってはいないのが現状なのだ。

決して対応が面倒くさいとかじゃないぞ。でも・・・

岩瀬さんがパワハラされていなければいいいけど。

石田さんが岩瀬を採用したのも、この美女ならば誰かにいじめられても男性社員が庇い退職を防げるかもしれないと思ったのかもしれない。美人の特権だな。

ともかく美女が一人が入社してくれたおかげで社内が少し明るくなったような気がした。


それから一週間後、俺は営業部営業課に用があった為マーケティング課の側を通りかかった時、一瞬チラ見してみたらマーケティング課の一角に居た岩瀬だけ相変わらず目立っていた。とりわけ騒いでいるとか何か特別な事をしている訳ではないが、岩瀬が放つオーラというべき何かが異色の雰囲気を感じさせて思わず注目してしまう。そして、やはりというか周囲の女子社員達は岩瀬から顔を背けるように避けているし、それとは真逆に男性社員達は岩瀬の方ばかり魅入っているではないか。これでは岩瀬が女子社員達からいじめられていないか心配だ。女というのは男が絡む事になると悪魔に変わるからな。

「岩瀬さん。」

「はい、何かご用でしょうか?」

「あー、えっと、俺、人事の源です。」

「えっと・・人事の?何かご用でしょうか?」

やはりというか入社時に顔合わせ程度しかしていない俺の事は忘れていたらしい。しかし岩瀬の発するその声色は妙に頭に染みこむ様な、何というか・・・人を魅了するような・・響きだった。

岩瀬が俺をその黒目の面積が多いつぶらな瞳で俺をジッと見つているのに思わず後ずさりしそうになった。

「いや、何か困っていないかな~って思って、ほら、人事だからさ、はは・・」

「ご心配ありがとうございます。まだ仕事には慣れていませんが皆さん優しく教えてくださっていますし。お気遣いありがとうございます。」

岩瀬は魅力的に微笑む。

「そっか、それなら良かった。何か困ったことがあったら遠慮なく相談してね。」

「はい、ありがとうございます。」

俺は逃げるようにその場を立ち去ったが、岩瀬のその微笑みはこれ以上も無いほど美しかったのだけど・・・やはり俺にはそれが怖く感じてしまったんだ。


その晩、俺は渡辺といつもの飲み屋で酒を飲んでいた。飲み屋で渡辺と話すことと言えば、大抵は仕事の愚痴だとか社内の噂話だ。

「岩瀬さんどうもマーケティング課で浮いているみたいなんですよ。」

「やっぱり・・。元々あそこの部署は人が入れ替わるのが他よりもわりと早かったけど、岩瀬ほどの美女は他の女子社員達に嫉妬されやすいだろうからな。」

「そうみたいですね、ほら男連中が岩瀬さんをチャホヤしちゃうから殆どの女子社員は岩瀬さんとは口も聞かないらしいです。特に浅川を筆頭に宮崎と百瀬の三人組が岩瀬さんにキツくあたっているらしいって聞きました。」

「浅川か~、元々あの女キツい性格してるもんな。今日の昼間さ、岩瀬に何か困っていることないか聞いてみたんだけど本音は聞けなかったんだ。総務として社内の乱れは正さなきゃいけないんだけど、肝心のご本人様からの相談がなければ動けないんだよな~。人事だって人間なんだからさ~対応するにも限界があるんだよな~。」

「ですよね、それか岩瀬さんがいじめられている現場を押さえるしかこっちとしては動けないというか。でも四六時中見張っている事も出来ないし。」

「それな。俺たちは他にも仕事を抱えているし、岩瀬さんだけに構っていられないからな。今の俺たちに出来る事は静観するしかないんだよな。」

「せっかく美人が入社してきたんですから出来れば退職させたくないですよ、暫くの間はできる限り岩瀬さんの事を意識して見ている様にします。」

「おう、そうしてくれ。」

総務の仕事は意外とストレスが多い。総務部は人事課と総務課と経理課や備品課と枝分かれしており、人事課は新入社員の採用活動をしたり、人事異動の告知や社員達の人事評価を決定する部署でもある。でもそれ故、他部署の社員達からは、社内の人事権を握っていて気に入らない奴を飛ばす権限を振りかざし威張り散らしている様な楽な仕事と勘違いされやすいのだがそうでも無い。

採用活動で求職者を不採用にすると直接恨みをかうのは人事担当者だし、せっかく採用しても何らかの事情ですぐに退職されると、上からちゃんとした人材を採用しろ!とどやされることもある。人事異動でも、異動先が気に入らなかったりすると反発を受けるのも人事課なのだ。人事異動というのは人事課が勝手に決めているワケでは無くて、各部署の部長課長や総務部長達の話し合いで決まり、それを異動する本人に告知するのが役目なのだが、もしその異動を相手が拒否する様であれば人事が間に割って入り、異動元の部課長に交渉する事もある。

そして何より社内の取り締まりだ。岩瀬のように社内での人間関係のトラブルに気を配り、いじめやパワハラやセクハラや不正行為を防ぐ義務もある。しかし本人から自己申告が無かったり、ただの噂話レベルだと証拠が無い為取り締まる事もできないし、殆どの場合調査するのも面倒くさがって放置されているのが実情だ。渡辺の言う通り四六時中見張っているワケもいかず、例え本人からの申告があったとしても加害者側に軽く釘を刺す程度で、後は個人間の諍いと判断し、それ以上は介入しない事が殆どである。ただの怠慢かもしれないけれど、ただ静観するしかない。そんな人事の対応に恨まれる事も珍しくはない。でも、人事としてだけでは無く、会社としてはできるだけ社員同士の人間関係に口を出したくはないのだ。

それに社員の個人情報を取り扱う関係上守秘義務に縛られる事も多いから、社内外の交友関係に気を遣ってしまう。うっかり個人情報を喋ってしまい、それが大事になったら間違いなくクビになってしまう。

人事異動の告知だって俺みたいな下っ端には人事権は無いのに異動する社員に異動の告知をするだけでも、異動先が意に沿わない部署への異動ならば告知をした者が恨まれるのもよくある話しだ。

ちなみに給与査定を決めるのは総務課の仕事。同じ総務でも総務課と人事課と分岐しているから、社内の人間は給与査定を決定する総務課員には非常に気を遣っている。

総務課も人事課も他部署からみて目の上のたんこぶなのは間違いない。会社役員のご機嫌取りも総務部の仕事で非常にストレスが多い部署なのだ。だから時々こうして渡辺と二人で愚痴を吐き捨ててストレス解消する為に飲み屋でくだを巻いているのだ。

「俺、この後咲良と待ち合わせしてるんですよ。」

「そうか、そりゃもう行った方がいいかもな。宇野さんと何処で待ち合わせしてるんだ?」

「今日は咲良の家でお泊まりです。」

「・・・・早く行け!」

彼女と順調な交際をして幸せそうな渡辺を見ていたら、俺も早く家に帰って嫁と息子の顔が見たくなってきた。


週明けの月曜の朝、家族で朝食を食べているとスマートフォンの着信がけたたましく鳴った。これから会社に出勤だというのに朝から電話だなんて着信に応答する気にもなれない。まだ朝の7時を過ぎたばかりじゃないか。誰だろうこんな早朝に電話をかけてくる非常識な奴は。暫くの間無視し続けていたんだけど一向に鳴りやまかったからしぶしぶ画面を見てみると、電話をかけてきたのは総務部長の原口部長だった。

なんだろう?今朝からわざわざ電話なんてしてこなくても、会社に出勤してから用件を言えばいいのに。

「はい、源です。」

「源君?朝早くから申し訳ないんだけど今日は早めに出勤してくれないかな。」

早めに出勤?なぜだ?今現在急務な仕事は無いはずだけど。でも原口部長の慌てた様子はただ事ではないなこりゃ。俺、なんかミスしたっけ?

「わかりました・・。でも何かありましたか?」

「ああ、あったとも。理由は会社で話すからすぐにでも出社して欲しいんだけど。」

「・・わかりました。」

俺は朝食を切り上げ、直ぐにでも出社する事になった。いつもより早く家を出る俺に息子は不満そうにブーブーぐずっていた。ごめんな、パパはリストラされないように会社の奴隷になるしかないんだよ。お前も大人になれば分かるんだからな。


早めの出社をすると、社内の一角ではすでに総務のメンバーが出社していた。しかも誰も彼も深刻そうな表情で話しをしていた。そんな深刻なイレギュラーな事が起こったのか?でも総務の連中が集まっているという事は、会社全体のトラブルかもしくは上役になにかあったのかだ。

決して俺個人がミスをして、それが騒ぎになっているワケでは無いはずだ。

「おはようございます。部長。」

「あ・・おはよう。朝早くに来て貰って悪いね。」

「何かあったんですか?」

「ああ、・・・実は・・・マーケティング課の河辺課長と浅川と宮崎と百瀬が昨日亡くなったそうだ。」

「えっ!・・・それ本当の話なんですか?何かの間違いでは?」

ある日突然同じ会社の人間が同じ日に4人も亡くなったなど聞かされて誰が信じるだろうか。しかし、総務部のメンバー全員の暗い表情と深刻そうにヒソヒソと話す話し声や、そしてなにより総務部長である原口部長が人の生死に関わる嘘をつく筈はないと思い直し、事の重大さを認識した。

「僕も嘘だと信じたい・・・。4人も同じ日に亡くなるなんて・・。でも今朝警察から知らせの電話がかかってきたんだ。警察も電話では詳しくは言わなかったが、自然死というワケじゃなさそうだ。」

「そんな・・。」

それ以外他に言葉が見付からなかった。同じ課のメンバーが四人も同じ日に亡くなるなんて一体どれほどの確立でそういった事が起こるのだろう。

「これから僕と総務課長と人事課長とで警察署に行ってくる。恐らく彼らのご家族も駆けつけてきているだろうから事情を詳しく聞いてくるよ。君たちは全員会社に残り、マーケティング課の社員にこの事を伝えておくのと、社員達の心のケアと業務が通常通り執り行われる様に見守って欲しい。マスコミからも事件の問い合わせが来るかも知れないから、もし問い合わせがきたら『ただいま事実確認中です』とだけ答えておいてくれ。決して個人情報は漏らさないように。」

「はい、判りました。お願いします。」

亡くなった河辺課長と浅川宮崎百瀬のご家族の事を思うと胸が締め付けられる。

河辺課長は奥さんと大学生の息子さんがいたはずだ。一家の大黒柱がいなくなってしまうと残された家族はどうなってしまうのだろうか。他3名も同様だ。浅川や宮崎や百瀬はまだ若く独身だ。人生これからだっていうのになぜこんな事になってしまったのか・・。

原口部長達が戻ってきたのは昼過ぎ頃だった。総務部のメンバー全員原口部長から事件の成り行きを聞きたがったが、部長は「まずは常務に報告してその後で社長に報告してから。」との事で足早に常務取締役室に向かっていった。そして、常務取締役室から出てきたと思ったら間髪入れず社長室に向かい、その日一日は総務部に戻っては来なかった。他課長二名も原口部長に追従する形だった。これは今日は事の顛末が何も判らずじまいだぞ。そして、何よりマーケティング課は河辺課長の代理として営業課の亀井主任が居座っていたのだが、それでもマーケティング課のメンバー全員、同じ課の人間が四人も亡くなったと聞かされた為か、なんだかソワソワと落ち着かない様子で働いていた。

次の日、原口部長から正式に総務部全メンバーに河辺課長達の死の真相について報告会があった。

「皆さん、マーケティング課の河辺課長と浅川真智子さん、宮崎静流さん、百瀬舞さんの四名の件について、現段階で判っている範囲で報告します。」

総務部部員全員神妙な面持ちで耳を傾けている。俺も一言も聞き漏らさないよう全身全霊をかけて耳を傾ける。恐らく他の部署でも同じだろうな。特にマーケティング課は。

「まず、河辺課長の死因についてですが、これは交通事故です。夜、車の運転中にハンドル操作を誤って道路脇の植え込みの樹木に激突しそのまま亡くなられたそうです。同乗されていたご家族は無事とのことです。」

・・・なんてっこった!確か河辺課長の運転免許証はゴールドカードだったはず。有料運転者の河辺課長が運転操作を誤るなんて何か注意力をそぐ事があったのだろうか?しかもご家族を乗せて運転している最中に。

「そして、浅川さんと宮崎さんと百瀬さんの三名については、この三人は当時三人一緒にカラオケ店に遊びに出かけていたそうです。ですが、不幸にもカラオケ店で火災が発生し、三名とも逃げ遅れてそのまま火事に巻き込まれて亡くなられたそうです。」

あのマーケティング課で岩瀬にキツくあたっていると噂の浅川宮崎百瀬の三人がそろいもそろって同時に事故に巻き込まれるとは。四人とも壮絶な死を迎えた事に胸が痛む。

「事故の経緯は不明ですが、偶然の不幸に巻き込まれたとしか言いようがない。皆さんで四名のご冥福をお祈りしましょう。そして、総務の仕事としては、欠員補充の採用と社内人事の変更と四名の退職手続きを早急に行います。そして彼らのお葬式の弔問に、僕と総務課長の三浦課長と人事課長の横内課長と行ってきます。営業部の方でも山岸部長を始めとして、何名か弔問に伺うと思われます。」

「部長、会社名で献花だしますか?」

総務課の社員が質問する。社員の冠婚葬祭に関する手続きは総務課の仕事なのだ。

「勿論。それぞれのご家族から葬式の日程の連絡があったら知らせるので手配するように。」

「はい判りました。」

「人事課は欠員補充の採用活動を行うように。」

人事課長の横内課長は軽く頷いた。

「また何か変わった事があれば報告しするので、今回はとりあえずここまで。」

原口部長の報告会はそこで終了した。俺も亡くなった遺族の気持ちを考えるといたたまれないけど、部長の指示通り自分のやるべき事をやるだけ。それ以上なにもやれる事は無いんだ。渡辺も黙々と自分の仕事に戻っていった。


一週間後、社内で人事異動が決定された。新しくマーケティング課の課長に営業課の主任を務めていた亀井主任が新しく就任することになった。亀井主任は45歳で河口課長より年齢は若いが性格はおっとりしていて非常に話しやすい。営業課の人間からも亀井主任と一緒なら仕事がやりやすいと評判はすこぶる良かった。俺も社内で擦れちがい際に軽く話すこともある。それ故、パワハラ課長の河辺とは正反対の亀井主任がマーケティング課の課長になってくれればこちらも課内の人事異動の交渉がしやすい。

ちなみ今現在職業安定所に中途採用の募集はだしているものの、まだ誰も応募者の申し込みは無し。

「亀井主任、昇進おめでとうございます。」

「源君。昇進って言っても不幸な事件があった後だからねぇ、マーケティング課のみんなが僕を受け入れてくれるかどうか不安だよ。」

「亀井さんなら大丈夫ですよ。優しいから皆から慕われているし、マーケティング課の皆も同じだと思います。」

「そうかなぁ、圧が強かった河辺課長とは違ったやり方でやっていこうと思うよ。亡くなった河辺課長には悪いんだけど、あの人は酷かったから。」

河辺課長のパワハラは亀井さんも判っていたのか。ま、マーケティング課と営業課は隣同士だしな。

「ここだけの話しだけど・・。」

亀井さんは声をひそめて顔を寄せてきた。なんだろう、人事には聞こえてこなかったレアな裏情報か?

「河辺課長は中途採用で入社してきた岩瀬さんをいびり倒していたんだよ。」

「えっ、そうだったんですか?」

「うん。今までも河辺課長のパワハラに負けて何人も退職した人何人もいたけど、次のターゲットが岩瀬さんに移っちゃったんだ。」

何てことだ・・・。当初の心配が現実に起こっていたとは。いや、予想は十分できたはずだ。なにせ元々パワハラの疑いのある河辺課長の下に配属されていたのだから。

「誰も助けなかったんですか?」

「助ける人なんているわけないよ。みんな河辺課長が怖いんだからさ。しかも同じマーケティング課の女子社員達から岩瀬さん嫌われていたから、男連中も迂闊に岩瀬さんを庇いでもしたら今度は自分の立場が危ないと思っていたんだろうね。特に、河辺課長と同じ日に亡くなった浅川宮崎百瀬の三人組なんかさ、岩瀬さんにキツい態度とっていたからね。」

「浅川さん達が岩瀬さんにキツく接していたのは俺も小耳にはさんでいます。でも、そんなに酷い態度だったんですか?」

「そりゃね、僕に言わせればあれは美人に対する女の嫉妬だね。」

やっぱり美人に対する嫉妬か。それにしても、そろいもそろって岩瀬に嫌な思いをさせていた奴らが同じ日に事故で亡くなるなんて、もの凄いレアな確率だと思う。

「河辺課長も岩瀬さんが美人だからパワハラしてたんじゃないかな。ほらよくあるだろ、小学生が自分の好きな女の子に対して素直に好意を示すのが恥ずかしくて、意地悪することで気を引こうとする幼稚な態度をとる奴。あれだよ、あれ。僕からみると河辺課長は岩瀬さんに気があって気を引こうとしてた様にしかみえなかったよ。」

河辺課長は既婚者で奥さんと大学生の息子さんがいる。だから他の女性にうつつを抜かすなんて~と思うかも知れないが、男という生き物は、例え既婚者であろうと美人と仲良くしたいと思うものだし、若い女の子にチャホヤされたいという願望があるもの。別に不倫でなくてもね。ましてや河辺の様な自己顕示欲の強い男なら、パワハラという形で相手を自分に媚びさせようとするに違いない。

きっと岩瀬をマーケティング課に配属したのは間違いだったんだろうな。狼の群れの中に子羊を放り込む様なものだったんだ。

            『皆さん優しく教えてくださっていますし』

岩瀬のこの台詞は気丈に振る舞っていただけだったのか。ごめん岩瀬さん。助けてやれなくて。でも、次の課長になる亀井さんは優しい人だから岩瀬さんも精神的に楽になると思うよ。

亀井さんなら課内の人間関係のバランスを上手に保ってくれるに違いない。人が四人も亡くなって不謹慎かもしれないけれど、これからは暫くマーケティング課に平和が訪れるはずだ。

「亀井主任!いや、亀井課長。」

「ん?何?」

「岩瀬さんの事みていてあげてください。彼女マーケティング課で浮いているって話しだし、人事としてもいじめだとかのトラブルは避けたいんで。」

「うん、岩瀬さんの事は任せておけ。あれほどの美人だから女子社員達からは敬遠されているけれど、なんとか今の雰囲気を変えてみせるよ。」

「はい、お願いします。」

亀井さんは上機嫌で自分の席に戻っていった。俺も必要以上に人事の仕事が増えなくて済んだことを確認できたので上機嫌で総務部に戻った。

人事課に戻ると俺は石田さんに話しかけた。

「石田さん、欠員補充の件なんですが。」

「ん?」

「まだ誰も応募してきてないんですよね?次ぎ採用するとしたら、男を採用しませんか?」

「なぜだい?」

俺は石田さんに岩瀬がマーケティング課で女子社員達に目の敵にされている事を話した。次ぎ採用するならば、男を採用した方がトラブルが少ないのではないか、と。女性を採用するとまた美人の岩瀬に嫉妬する者が出てくるのではないかと。余計な揉め事を少なくする為に次は男性を採用した方が会社にとってもプラスになると石田さんを説得した。石田さんは少し考え込むと、「考えておくよ」と言って目線を書類に戻した。ま、俺の意見が反映される事はないんだけどね。一応人事らしく職場の雰囲気が良くなる様に気を配ってみたわけだ。

それから暫くの間、暇をみつけてはマーケティング課の付近をブラつきながら岩瀬の様子を伺ってみた。岩瀬は相変わらず課内では浮いていたが、河辺課長から亀井さんに課長が変わったせいかマーケティング課の雰囲気が少し和らいでいる様にみえた。

・・・でもなんだろう。なんだか胸の内でモヤモヤしたものが腫れないのは。同じ日に同じ課の人間が四人も亡くなるなんて・・・。しかも四人とも、そろいも揃って岩瀬をいじめていた人間ばかり。四人が亡くなったのは別に岩瀬の所為ではない。偶然の事故だ。岩瀬が仕返しに仕組んだわけでは断じて無い。でも・・・こんな事考えるなんて不謹慎で岩瀬には失礼な話しなんだけど、どうも事件と岩瀬が全く無関係とは思えないんだ。

渡辺に話しても、「ただの偶然でしょ。岩瀬さんをいじめたバチがあたったんですよ。」と。バチがあたった説は俺も同意する。因果応報と言うべきか。悪い子とをしたらその報いは必ず自分に戻ってくるものだ。だけどどうも釈然としないんだよな。なんだろう・・。ただの気にしすぎなのかな。うん、きっと気にしすぎなんだ。もう考えないようにしよう。

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魔生の女 @popopress46ha12

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