前世ブラック宮廷魔術師は、今世はダラダラ暮らしたい
丘野 境界
前世ブラック宮廷魔術師は、今世はダラダラ暮らしたい
前世、彼は王国の宮廷魔術師として名を馳せていた。
「おい、起きてくれ! 緊急の仕事だ!」
「勘弁してくれ……もう真夜中だぞ? 今、ようやく眠れそうだったのに……」
「こちらに言われても困る。上からの命令なんだ。この瓶全部に、ポーションを詰めてくれ。朝になったら取りに来るから」
「私は承知するとは……」
「頼んだぞ!」
「……やれやれ」
昼夜を問わず、王や貴族たちのために魔術を振るい、無尽蔵に仕事を押し付けられた。
「最後の一本……これで、眠れる……」
「できたか? ご苦労だったな。じゃあ次の仕事だ。北の山に現れたドラゴンを……い、聞いてるのか? おい……おい……!」
その重責と過労は、やがて彼の命を奪い去った。
彼が最期に思ったことは、ただ一つだった。
「……次の人生は、絶対に働かない」
こうして、彼は人生の大半を仕事で終わらせることになったのだった。
◇◇◇
そして今世。
「うーん……」
目を覚ましたアルトは、小さな村の一軒家に暮らしていた。
両親はいない。
赤子の時、村の教会の前に捨てられていたのを、神父が拾ってくれたのだ。
幼少の頃に前世を思い出したが、このことは神父にも話していない。
独り立ちができる年齢になって、アルトは今の家で一人、暮らすことにしたのだった。
アルトは転生後の世界でのんびりと生きることを決意し、前世で培った魔術の知識や技術は何となく封じ込めていた。
しかし、使わなくてもその知識は頭の中に刻まれており、ふとした日常で彼はその技術を活かすことになった。
ある日のこと。
村の広場に、みなが集まっていた。
「どうしたんです?」
アルトが聞くと、恰幅のいいオバさんが答えてくれた。
「井戸水が出なくなってねえ。これじゃ、料理も洗濯もできなくて困るよ」
「川まで、かなりの距離があるからなあ」
別の一人も、そんな事を言う。
「なるほど……」
アルトは井戸を覗き込んだ。
なるほど、水脈が弱ってきているようだ。
これなら……。
アルトは指を井戸の底に向けた。
水脈に魔力を与え、ちょっとだけ拡張する。
枯れそうになっていた井戸の底から、水が湧き出てきた。
「お水、出るみたいですよ」
「ええっ、本当かい!」
「よかった! 助かった!」
騒ぐ村人達を尻目に、アルトはその場を立ち去るのだった。
別の日のこと。
アルトと同じく一人暮らしをしている爺さんが、ベッドにうつ伏せい横たわっていた。
その腰に、アルトは自家製の湿布を貼った。
「おおお……これは効くのう」
「歳なんだから、無理しちゃダメだよ」
「そうは言ってものう……」
まあ、一人暮らしである。
基本的には、何もかも自分一人でやらなければならない。
爺さんが腰をやったのは、薪割りの最中であった。
たまたま、その悲鳴を、アルトは耳にしたのだった。
アルトお手製の湿布なので、明日には腰もなろうだろう。
とはいえ、今日の分の薪割りが終わっていない。
「しょうがないから、僕がやっときますよ」
「おお、助かる」
アルトは外に出て、まだ切られていない薪を前に指を向けた。
「ちょいっとな」
指から風が迸り、薪は一瞬にして全て切断された。
時々そんなことをしていたのが、どうやら村長の耳に入ったらしい。
「お主、ただ者ではないのではないか?」
ある日、村長が彼に問いかけられた。
アルトは肩をすくめて答えた。
「ただの村人ですよ。ちょっと魔術をかじっただけで、働きたくないだけです」
「しかし、その力を使わないのはもったいない。どうじゃろう。ちゃんと報酬は払うから、時々面倒事を片付けて欲しい」
「働きたくないって言ってるんですけど」
「無理なら断ってくれてもいい。とりあえず、今年は作物の収穫が今一つみたいなんで、それを何とかして欲しいというのと、家畜が一頭病気になっとってな。報酬として、肉と魚と野菜とパンと葡萄酒……はいかんな。ミルクでどうじゃ」
「それぐらいなら。現物支給のところが気に入りました」
アルトは畑に出ると作物に向けて祈祷をし、牧場では元気のない牛に指を向けた。
すると畑の作物には艶が出始め、草の上で横たわっていた牛は起き上がってスキップし始めた。
「では、これで」
アルトは報酬を受け取ると、自分の家に戻っていった。
◇◇◇
ある日、村にとても豪華な馬車がやってきた。
それを見て、村長は飛び上がった。
「えらいことじゃ! 村の者全員を、広場に集めにゃならんぞ」
「誰なんです?」
村長の側近が聞いた。
「アレはこの近隣を治めておるご領主様の馬車じゃ! グラニア侯爵様じゃぞ!」
「そそそそ、それはえらいことです! みんなを呼んできます!」
「うむ、頼んだぞ!」
豪華な馬車は村の広場で停まり、その中から侯爵が降り立った。
彼は村の豊かさに目を見張り、広場に集まった村人達の中からアルトを見つけると、そのまっすぐな眼差しを彼に向けた。
「お前がこの村を繁栄させたというのは本当か?」
アルトは少し困惑しながらも答えた。
「ただ少し、便利にしただけですよ。でも、僕は働きたくないんです」
……前世で懲りましたからね。
口には出さなかったが、心の中で答えた。
侯爵は笑ったが、その目には冷ややかな光があった。
「ならば、ほどほどに働き、私の元で少し稼ぐことを考えたらどうだ? すべてを押し付けるつもりはない。お前にはそれに見合う報酬も用意しよう」
「今の生活で充分なんですけど」
「金があれば、自分で料理をする必要もない。何なら世話係を雇って家の雑用を全部任せることもできるぞ。後は好きなことをすればいい」
「なるほど……それはいいですね」
アルトは迷ったが、侯爵の提案は思ったよりも魅力的だった。
程よい仕事、程よい報酬。無理をすることなく、安定した生活が保証されるというなら悪くない話だ。
ただ、そうなると村の困りごとは解決できなくなる。
アルトは、木材を彫って小さな人形を作った。
そして村長にこう言った。
「この人形を奉る祠を作って下さい。僕の代わりに頼み事を聞いてくれます。今年の豊作祈願とか、家畜の病気の治療とか。ただし、無理難題は無理です。できることなら、人形が光ります」
「なるほど。報酬はどうするんじゃ?」
「置いておいてくれたら、僕の手元に送られます。ちなみに、ただ働きはしません」
「心配せんでも、それはないわい」
村長は笑った。
◇◇◇
それから、数年が経過した。
アルトは侯爵の元で小さな仕事を請け負いながら、平穏な日々を過ごしていた。
平民にしてはそこそこ大きく、だが屋敷と呼ぶにはちょっと足りない家で暮らし、お手伝いさんを雇って細々とした雑事はそちらに任せていた。
アルト自身が何をしていたかというと、普段は自室でゴロゴロしたり、ひなたぼっこをしたり、買った本を読んだりしていた。
そんなある日のこと、アルトの元に侯爵が訪ねてきた。
「困ったことになった」
「というと?」
「お前のことが、国の大臣の耳に入ったらしい。王都への招待状も送られてきた」
「……さすがに、国の大臣となると、手紙でのお断りは無理っぽいですね」
「断ることは確定なのか」
「だから、最初から言ってるじゃないですか。僕は働きたくないって。閣下は約束通りほどほどでしたが、大臣は何だかそうではなさそうですね」
「国の仕事は多いからな……」
「とにかく、会ってみますよ」
「分かった。服や馬車の手配はこちらでやっておく」
「ありがとうございます。祠を建てて、この木彫りの人形を奉って下さい。使い方は僕が元いた村の村長に聞いて下さい」
こうして、アルトは王都にある城へと招待されることとなった。
◇◇◇
ここは王城の応接室。
案の定、大臣はアルトに国の仕事を手伝うよう命じてきた。
だが、アルトはこれを断った。
「僕は、もう働きたくないんですよ。特に、宮廷のような場所ではね」
何しろ、この国ではないとはいえ、死んだのは宮廷内だったのだ。
最初から、この場所に来るのは嫌だった。
何より提示された仕事の量が、尋常ではない。
それに、おそらくこの仕事をこなしたら、次の仕事が押し寄せてくることは容易に想像できた。
それでは前世と変わらない。
「地方とは比べものにならない金が手に入るぞ。それに貴族の地位も与えよう。食べ物、女も、報酬なら望むものなら叶えてやってもいい」
「分かってないですねえ。金も地位も、使えればこそでしょう? ずっと仕事仕事で、その報酬ってやつ、僕はいつ使うんです? 僕は、人生は楽しむために使うって決めているんです。働くために生きているわけじゃない」
「無礼な。無理矢理働かせることだって、できるのだぞ。おい、アレを持って来い」
大臣が指を鳴らすと、召使いの一人が首輪を持ってきた。
「隷属の首輪ですか。貴族はいつも、こうだ」
アルトはソファから静かに立ち上がり、微笑んだ。
「もう充分です。貴方達とは、ここまでです」
アルトは両手を広げ、ほんの一瞬、空気が静まり返った。
そしてアルトの身体がはゆっくりと霧のように消えていく。
そのまま、大臣も侯爵も、そして村の人々も、彼を二度と見ることはなかった。
こうしてアルトはどこかへと姿を消した。
◇◇◇
四方を海に囲まれた、ちょっと大きめの無人島。
正確には一人、住人がいた。
アルトである。
開かれた平地には畑が作られ、ささやかな家もある。
今、アルトが手掛けているのは、雑用を任せられるゴーレムの作成だ。
書物がないのが不満だが、まあ転移術が使えるのでどうにでもなる。
家の傍らにある、木彫りの人形からピコンと音が鳴り、その目が緑色に輝いた。
「おっと、そういえばもうじき、収穫の時期か。ちょいっとな」
村からの祈りに応え、アルトは豊穣の祈祷を行った。
アルトが失踪してから、大臣は村の祠から人形を奪ったが、もちろんそんなことをアルトは許さない。
大臣に祟った。
仕事は失敗が続き、家族にも不幸が続いた。
夢枕に原因が村から奪った木彫りの人形であることを知らせ、村へと返させると、大臣は大人しくなった。
もっとも仕事の失敗で、大臣はもうその職を失っていたが。
アルトは時々、変装をして国内や国外を旅して周り、気まぐれに人助けをしていた。
もちろんアルトは名乗らなかったが、いつしか不思議で気まぐれな魔術師の噂は物好きな学者によって集められ、一つ本にまとめられて、王都の図書館に治められることとなった。
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