8.収穫祭③

(……殺した。レルキーとジャラガを、俺が)


 かがり火の方へと、やせ細った青年は歩いている。

 口元から零れる血の雫にも気付かないように、呆然とした足取りで家屋の合間を縫っている。


(レルキーは、村の皆から頼られる男だった。二年前の火事から子供たちを助け出したときは、誇らしそうに笑っていたっけ)


 そんな彼は、遠く後ろの廃屋で冷たくなっている。

 自分が、殺したのだ。その事実をゆっくりと咀嚼そしゃくしながら、イルはもう一人の死人についても考えた。


(ジャラガも、決して悪いヤツじゃなかった。前の収穫祭のときは、こっそりと俺に飴を奢ってくれたし……妻と子供をいつも気にかけていた、優しい大人だった)


 村の外れからであっても、イルにはその中のことがよく見えていた。

 生まれてからの17年を、この場所で過ごしてきたのだ。そこに住まう人々についても、色んな面を知っている。確かに自分を虐げている人たちではあるが、それだけではないと分かってしまっている。一方的に憎んで、恨みを晴らしたと誇れるような度量は……少なくとも、彼の性質ではなかった。


(……あぁ、駄目だ。やっぱり俺は、人殺しに向いていない)


 青年は、両の瞼を手で覆った。べったりの血の付いた掌は、いやに温かい。

 彼は、とても目の効く青年だったのだ。長い時間をともに過ごした村人はおろか、たとえ行きずりの旅人であっても……分かってしまう。彼ら彼女らにも、自分と同じような人生があったのだと。誰一人として、軽率に殺されてなんかいけないのだと。


(だからこそ、俺はこの村を出なければ──)

「──おい、イル!」


 そこまで考えを巡らせたところで、彼の肩は誰かに叩かれた。

 振り返れば、そこには友人の姿。ノッカもまた、うまく切り抜けられたようだ。


「こんなとこで何してんだ!? どうにかなったんだろ? それなら、早く村を出て──」

「そういうわけにもいかないんだ。俺は……彼女を、助けたい」

「中央の、アイツか。今日の目玉だっていう」


 聞こえてくる会話から察するに、エンドはまだバラバラにされてはいないのだろう。

 ただ、そのときは数秒後かもしれない。イルはなおも歩を進めようとするものの、友人の手はその肩を強く掴んでいる。


「なぁ、イル。どうせ、出会ったばかりの旅人か何かだろ?」


 ──だから、命を危険に曝す必要はない。

 ノッカは、暗にそう伝えたいのだろう。収穫祭もあって、中央以外には人気などない。あの二人の死体がバレるまでも、今しばらくの猶予があるだろう。

 少女の命を諦めれば、イルはきっとすぐにでも逃げられる。


「あぁ、そうだな。正直、そこまで知っているわけじゃない。むしろ、名前以外は殆ど何も知らない相手だ」

「それなら──とっとと見捨てて、逃げちまおうぜ?」


 ノッカの提案に、イルはすぐには首を振れなかった。

 迷いのある瞳に向けて、昔からの友人は小さく言葉を重ねる。


「お前が現実を見れるヤツだってのは、分かってるつもりだ。今までだって、そうしてきただろ?」


 きっと、ノッカの言葉は正しかった。

 彼にとって、何もエンドだけが特別だったわけではない。彼の家は、村の町へ外れた方にあるのだ。

 流れ着いてきた人々と数日をともにすることはザラにあったし、彼ら彼女らが村の方へと引き立てられていくのを、何度だって黙って見てきた。絆される情など、とうの昔に擦り減っている。


「……分かっているよ、ノッカ。君の言う通りだ。ここで走り去ってしまえば、後は何が起きようが知らないままでいられる」


 村の外に出ることは、掟によって禁じられているのだ。

 自分から近付こうとしない限り、一度逃げおおせれば縁は切れるだろう。少女を見捨てたことだって、誰にも咎められない。


「……俺は、醜い人間だよ。村を出る理由だって、殺すのが……食べるのが、嫌なだけだ。知らないフリをして、生きていきたいだけだ」


 人が殺される、それが嫌なわけではない。

 正確に言ってしまえば、彼はきっと……人を、殺したくないだけだ。自分が、殺したくないだけだ。他人が他人を殺すなら、知らないところで死んでいくだけなら、きっと目をつむれる。

 ……最初の最初から、彼は物語に謳われるような英雄や勇者とは程遠かった。悪逆の食人族を成敗する、そんな未来なんて欠片も望んでいない。


「それなら、どうして──」

「……ごめんよ、ノッカ。ただ、約束をしたんだ」


 人口太陽の更に上。遥かなる地上の方を向いて、イルは小さく笑った。

 この家の影から先に進めば、さらに多くの人を殺す必要に迫られる。それらの人々は、彼がよく知った相手で……この先もずっと、悪夢に見続けるのだろう。

 そう分かっていてもなお、彼は友人の手を優しく払いのけた。戸惑うような瞳に、最後にぽつりと言葉を返す。


「麦でも育てて、羊の毛を刈って……生きるんだって」


 きっと、彼女が特別だったわけではない。ただ、あの瞬間。やつれた青年に始めて手を差し伸べてくれたのは、紛れもなくあの少女だったから。

 何がどうなろうとも……ここからの数分が、村で過ごす最後の時間となるのだろう。かがり火の下へ、彼はゆっくりと消えていった。

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屍肉喰らいの冒険譚 HT @dakyou

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