7.収穫祭②

「──なぁ、おっちゃんたち。ここだけの話なんだけどよ、の席が空いてるんだ」


 ノッカの口車に乗せられて、手始めに四人のうち二人が部屋を離れていった。

 残る二人の男も、窓向こうで盛り上がっている収穫祭の様子に目を惹かれている。ただ、ちょうどかがり火の影になって見えないが、いつエンドがバラされてもおかしくはない。ノッカの時間稼ぎも、いつ終わるかも分からない。


(──今しか、ない)


 縛られていた縄は、既に千切っている。

 深呼吸をひとつ。準備は、ただそれだけだった。

 音もなく床を蹴って、イルは暗い部屋を駆ける。最初の狙いは、近くの窓辺に佇む村人。


「なぁ、とっとと俺たちも──ッ!?」


 気付かれた、交錯する視線からそう分かる。

 ただ、とびきりの不運では無かったようだ。その丸太のような腕をすり抜けて、どうにか組み付くことが出来たのだから。


「──チッ、この餓鬼が!」


 しかし、この状態はほんの一秒も持たないだろう。

 体の弱いイルと大の男では、赤子と子供のようなものだ。戦闘へと思考が切り替われば、すぐに首を折られて終わり。

 ──だからイルは、手段は選ばなかった。ゴツゴツとした指に捉えられるより前に、彼は大人の頭を掴む。両手で、しっかりと。


「後悔させて──ぁ?」


 そして、一縷いちるの躊躇もなく──その両の親指を、黒い眼へと突き刺した。

 鮮血が漏れ出る。指先が、泥のような感触に包まれる。それから数秒、男は何が起きたか分からないように固まっていた。


「イル、お前、お前……や、やリやがったなァ!!?」


 痛みよりも、屈辱が勝ったのだろう。

 タガの外れた力で、男は乱暴に青年を引きはがした。細い体が、壁に叩き付けられる。

 それでも、到底怒りは収まらないのだろう。もはや光の無い両目で辺りを見渡し──男は、掌の上にを作り出した。


「──ころシッ、殺して……殺してやるからよ?」


 これこそ、イルがこの男を先に狙った理由だった。

 彼は魔術士なのだ。詳細は知らないが、こういった魔法で幾人もの旅人たちを殺傷してきた。


「危ねぇな!? おいレルキー、ちょっと落ち着け!」

「あァ? 落ち着けるかって言ってんだよ、あの糞餓鬼が──ッ!!!」


 掌から放たれた光球は、床に炸裂するなり地面ごと吹き飛ばした。

 連携もないような状況なのが幸いだろう。こうして部屋の隅でじっと息を殺していれば、見つかることはない。


(けれど、これじゃ駄目だ。間に合わなくなる可能性がある)


 乱舞する光球の間を縫って抜け出すにしても、もう一人の村人は出口の扉の前に陣取っている。

 同士討ちを待つのも、一つの手ではあるが……今この瞬間にも、エンドが食べられていてもおかしくは無いのだ。時間が惜しい。


(……矛盾しているのは、分かっている。それでも、やるしかない)


 もう一度、イルは大きく深呼吸をした。

 震える手を、無理矢理に落ち着かせる。

 そうして彼は、男の元へと近づいていった。光球が頬を掠めていくのを感じながら、一歩一歩、ゆっくりと。


「おいレルキー、ソイツ──!」


 仲間の声も、今の大人の耳には入らないようだ。

 歩を進める傍らで、イルの脳裏には彼の夢がよぎる。

 人を食べないこと。人を殺さないこと。ただ、それを叶えるために、今は、今だけは──。


(──殺すしか、ない)


 小さく跳んで、イルは大人の首筋へと飛び付く。

 そして、そこに浮かぶ血管へと──全力で、歯を突き立てた。


 ■


「いや~、まさか亜人がもう一人入ってたとはな。ありがとよ、ノッカ!」


 そんな喧噪も届かない、小屋からは少し離れた村の角。

 ノッカに先導されながら、男たちはのんびりと雑談に興じていた。


「しかしまぁ、イルの餓鬼とは大違いだなぁ」

「ははっ。アイツは、本当に気持ちの悪い奴だよ」


 小屋の方で縛られている青年を思い出して、村人たちは眉をしかめている。

 『気持ち悪い』。その言葉は、どうやら単なる適当な蔑称では無いようだった。


「だって、を食ってるんだぜ? 冷静に考えて、おかしいだろ」


 この17年間、残飯食いのネルは死体だけを貰って生きている。

 それは、村では誰もが知る事実だった。その他に狩れる獣など無いし、実際に口にしている様子は何度も目撃されている。だからこそ、おかしかった。


「あぁ、だな。そもそもとしてよ──アイツ、何で?」


 それは、村の誰もが不可能なことだった。

 いかに人の肉を食らう人々とはいえ、腐ったものは食えない。それも、ハエがたかるほどに日数が経ったものだ。

 欠片でも口にすれば、腹を壊すどころか病にかかるだろう。誰の目から見ても、明白な事実だった。なのに、イルは平然と食らっている。それも、毎日のように。


「それによ? どうしてアイツ、この年まで生きてるんだろうな。他の食いもんとか、何も回されてねぇのに」


 ここは人喰いの村ではあるが、別に食料は人肉だけではない。

 村の一画には畑が広がっているし、少なくはあるが牛や鶏も飼っている。肉だけ食っていても、その他の栄養が不足して死ぬ。それもまた、分かり切った事実だったが──イルは、ああして生き長らえている。

 彼が住むのは、一帯でも特にやせ細った土地だ。野草など、鳥の涙ほどしか採れないというのに。


「──ははっ、まるで悪魔みてぇだ。アイツ、本当に何なんだろうな?」


 残飯食いのことなど、誰も気にしていない。だから気付かれていないのだし、運が良かったのだと片付けられて終わりだ。

 ただ、本当のところは分からなかった。唯一の付き合いであるノッカにも、彼本人にすら……自分が何なのか、分かっていない。


「ちょっと思ったんだけどよ? アレだけで生きてけるってなら、アイツ──」


 冗談のような口振りのまま、男は最後にこう呟く。

 遠く離れた小屋の中で、何が起こっているのかも知らずに。


「──ちゃんとしたモン食わせたなら、どうなるんだろうな?」


 ■


「……どう、なってんだ?」


 ぐしゃり。そんな言葉をぽつりと零して、もう一人の村人の体も崩れ落ちた。

 部屋に横たわる死体は、これで二体目になるだろう。首を食いちぎられた男の方も、中央で赤黒い血を流々と流している。


「どうしてオマエが、魔法、を……?」


 それが、彼の最後の一言になった。自分の腹に空いた大穴を見下ろし、男は息絶える。

 その様相をぼんやりと照らしていたのは、イルの掌の上で輝く光球だった。最初に殺されていた男が構えていたのと、全く同じ──魔法だった。

 確実に殺すため、口内に入った肉を嚥下してしまっただけだった。イルには、自分の身に何が起きているのかは分からない。ただ、深呼吸をして歩んでいく。村の中央、かがり火の方へと。


「……行こう」


 結論から言ってしまうと、彼には最も皮肉な才能があった。

 食った相手の力を、自分のものとすることが出来る。そんな、この村の誰よりも燦然と輝く──人肉食の、才能が。

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