6.収穫祭

「手間取らせてくれたなァ、イル? なぁ、オイ!」


 頬を殴られる衝撃で、青年はまた目を覚ました。

 痛む瞼をゆっくりと開けてみれば、数人の大人たちが彼を取り囲んでいる。どうやら、村に連れ戻されてしまったようだ。


「ま、安心しろ。お前の出番はもう少し後だ。それまでせいぜい、俺たちと遊んでくれやッ!」


 胸やこめかみを走る衝撃に耐えつつ、イルは窓の向こうを呆然と見やる。

 村の中央部では、かがり火が煌々と燃え盛っていた。辺りは夕暮れ、収穫祭は今にも始まろうとしている。


(エンドは……あぁ、いた。まだ、生きているのか)


 少女の姿は、燃え盛る火のすぐ傍にあった。

 手足を縛られて、地面に転がされている。微かに上下する胸から、辛うじて息はあるようだ。


(……ただ、胸に矢が刺さったままだ。あれじゃ、治る傷も治らないだろう)


 昨日に見せたような再生も、心臓に矢が突き刺さったままでは叶わない。

 自分はどうしようもないとしても、せめて彼女には逃げてほしかったが……それも、遠い望みとなってしまった。


「余所見してる余裕があンのか、なァ!?」


 かく言うイルも、後ろ手に縛られて好き勝手ににされている。

 瞳を閉じてしまいたかったが、無数に付いた傷によってそれすらも阻まれてしまうようだ。


(この様子だと、始まるまでもう数分と無い。俺は、また……)


 殴り疲れたのか、村人たちはひとまずは休んでいるようだ。

 それでも、今の彼にできることは何もない。せめて少女が食べられる現場は見るまいと、イルは窓辺から視線を逸らして──。


「──おい。聞こえるか、イル?」

「……ノッカ、か?」


 後ろの壁の向こうから、慣れ親しんだ小さな声を捉えた。

 ノッカ。イルの幼馴染の青年であり、村でも唯一の信頼できる相手だった。


「事情は分からねぇけどよ、事態はまぁ察してるつもりだ。助けるぜ?」


 イルを対等な相手として扱うのも、こうして彼を助けに来るのも、彼以外には皆無だろう。

 ボロボロの壁の向こうで、任せてくれと胸を軽く叩くような音がする。


「もちろん、オレが死なない範囲でな!」

「……あぁ、それでも充分に助かるよ」


 多少愉快な性格はしているが、一筋の光明には違いなかった。

 短いやり取りを終えて、イルは改めて室内を見渡した。大人たちが、四人。それも、皆屈強な男だ。たとえ二人がかりでも、正面からではどうしようもないと分かる。


「さて。オレので、多少の傷は治してやれる。そしたらお前、縄は切れるか?」

「……恐らくは。そんなに頑丈な素材じゃない」

「よしきた。ちょっと待ってろ──治癒イルグ


 ノッカが何かを唱えれば、イルの体は温かい感触に包まれる。瞬きを幾つかすれば、付いていたハズの傷や痛みは穏やかになっていた。

 これは、ノッカに備わった生まれつきの才覚だ。どこぞの神に認められ、人の傷病を癒やす奇跡を使うことができる。収穫祭の準備中であっても自由な行動が許されているのは、その能力で築き上げた立場が大きいだろう。


「……ありがとう、恩に着るよ」

「任せろって、こういうときのための力だ」


 鼻を擦る様が、壁越しでも見えるようだった。

 ただ、ノッカはそこで声を落とす。


「でもよ、オレにできるのは治すだけだ。攻撃には使えないし、お前の残念なパワーはどうしようもない」

「……あぁ、分かってる」


 そう、状況はさして変わっていないのだ。

 今はかがり火の方に目を奪われているようだが、大人たちがいつイルを始末にかかってもおかしくはない。その気になれば、首を折るまでは数秒だろう。相手になるような体格差ではない。


「……それでも、ただ死力を尽くすしか無いんだろう」


 自らを奮い立たせるために零した言葉は、やはり震えていた。

 体も弱い、武術の心得もない。ノッカのように、魔術や奇跡が使えるわけでもない。それに彼は、人なんか殺したくはないけれど。

 ここから紡がれる数秒は、きっと分岐点になる。その事実は分かっていたから。数秒のうちに覚悟を決めて、イルは壁向こうの仲間へと短く囁く。


「──頼みがあるんだ、ノッカ」


 気付かれぬように縄を切ったと同時、広場から響く歓声が辺りを揺らした。

 かがり火が燃え盛る、幾つもの悲鳴が折り重なって聞こえる。

 収穫祭が、始まる。

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