最終話 紫の疑問

 それから、ほんの少しの月日が流れて。

 祭り当日まで、あと1週間になった。


「あら魔女ちゃん、もう花冠の準備? 早いわね」


「うん。今年はどうしてもあげたい相手がいるんだ!」


 摘みたての青い花をかごいっぱいに持って歩いていると、色んな人にそう言われた。


 普通花は時間が経てば萎れてしまう。

 だから花冠や花飾りの準備は、大体皆前日にしている。

 でも魔法が使える僕には、そんなの関係ないからね。


 今日はこの花で、彼と一緒に花冠を作ることにした。

 そのために彼の大きな頭に乗せても余るくらい、沢山の花を用意。

 皆が困らないよう、色んな花畑から少しずつ採って来るのは、結構大変だった。


 いつもなら、昼頃には彼に合っているというのに。

 日が空の頂上より少し先に行って、青い空はそろそろオレンジ色になってしまいそうだった。


 いつもの通りもすっかり祭モードで、街の青化が進んでいるのがわかる。

 辺りを見回すだけで自然と鼓動が高鳴って、足が軽くなった。

 自分の歩く速度が、普段より速い気がした。


「――あ、魔女殿!」


 いつものように、だけど少し早足で山を登ろうとすると、騎士に呼び止められた。

 今日は大変な仕事だったのか、銀の鎧は少し汚れている。


「今日も、奴のところへ行くのですか?」


「ああ、そうだけど」


 いつも申し訳なさそうな顔をしている騎士の顔が、なんだか晴れている気がする。

 祭が近いから、浮かれているのだろうか。

 そう考えていると、騎士は大層嬉しそうに言った。


「その必要には及びません!」


「――どういうことだ」


 ふっと嫌な予感がして、声のトーンが下がってしまった。

 僕の機嫌を察していないのか、騎士は弾んだ声で続ける。


「最近魔女殿の帰りが遅いので、無理をさせていないかと心配で。そろそろ我々がどうにかしないとと思っていたのです」


「だから、どういうこと?」


 自分の声が、ますます低くなっていく。

 まるで僕のものではなくなったかのように、コントロールできない。

 喉がぐっと熱くなって、乾いてくる。


「ドラゴンなんていたら、祭も不安で楽しめないでしょう? 弱っていると伺っていたので、先程――」


 いても経ってもいられなくて、言葉の終わりを聞かずに走り出した。

 花籠にも構っていられない。騎士の僕を引き留める声が遠くなる。


 走るのも遅い。急がないと、急がないと――!

 ――急がないと、この嫌な予感が現実になってしまう気がした。


 急いでもなおしっかりと握った杖を振って、風を起こす。

 その力で、ふわりと飛び上がった。

 こんな使い方をするのは初めてだが、上手くいった。


 折角集めた花が、零れて空を舞う。だけどそんなこと、気にしていられなかった。



 山の頂上付近で、木々の隙間に綺麗な青が見えた。

 一気に近づいてから、魔法を弱めてすぐに降り立つ。

 勢いで残っていた花も全部出て行ってしまった。


 空になった籠を投げ捨てて、彼の元に駆け寄る。


「ねえ! 元気か!?」


『元気そうに見えるか』


 彼が声の代わりに、魔力を震わせて気持ちを伝えてくる。

 その綺麗な青い体は――全身、傷だらけだった。


 青い鱗に赤い血が流れている。

 浅い傷、深い傷、小さな傷、大きな傷。

 どれも痛そうで目を閉じたくなってしまう。 


「回復魔法!」


 気を持ち直して、杖を大きな鼻先に突きつける。


『必要ない。もう意味がないからな』


 僕が魔法を使う前に。試してもないのに。

 彼はなんてことのないように、悲しいことを言った。


「やってみないとわからないじゃないか! ほら、魔法使うよ?」


『やめておけ。無駄に消耗するだけだ』


 もう一度杖を構え直す。

 それでも彼の意見は変わらないようだった。


「でも、このままじゃ君は――」


『元々長くなかった。気づいていただろう?』


 彼の言葉に、はっとさせられた。

 傷が癒えても、彼の元気が戻っているようには見えなかった。

 回復するどころか少しずつ弱っているのも――本当は知っている。


「だからってこんな……!」


『もうやめてくれ。こうして話すのも辛い』


 無理をさせるわけにはいかなくて、出かかった言葉を飲み込んだ。

 喉が更に、ぎゅっと熱くなる。

 浅くなった呼吸が、その乾きを加速させる。


「……街の騎士が、ここへ来たんだろう? それで君を……こんな目に遭わせたんだね」


 返事はしなくていい、と、きっぱり付け足しておく。


 騎士達が、彼をこんな目に遭わせた。

 優しい彼は、抵抗しなかった。そうだろう?


 手に取るようにわかる。

 君が自分の安全よりも、街の平和を選んだ事くらい。


『――髪に、花が付いている』


 彼は緑色の瞳に僕を映して、言った。

 籠からでた花が、髪に絡まっていたようだ。


「喋らないでくれ」


『それが青い花か。確かに、綺麗だな。……汝の目と、同じ色をしている』


 喋るなと言っているのに、彼は言葉を続ける。

 瞬いた目で、じっと僕を見る。


 その言葉を紡ぐ度、目を動かす度。

 僕を視界に映す度、僅かな命がすり減っているというのに。


「喋らないでってば!」


 木々の間を通り抜けていく僕の声は、悲鳴のようだった。

 癇癪を起した子供のように行き場のない感情を、全て声に押し付けていた。


『――花冠なら、もっと似合っただろうな』


 ――彼が、笑った気がした。ぼやけた視界には、笑ったように見えた。


 貴重な残りの体力なのに。

 どうしてそんなことを言うのに使うんだ。


 実際そう告げてくる魔力の流れが、かなり不安定になっている。

 彼はもうじき死んでしまうのだと伝えてくる。


 本当に、彼は死んでしまうらしい。

 あの騎士達のせいで、動かなくなってしまうらしい。


 ますます喉が熱くなって、僕まで話すのが困難になってくる。

 ぎりっと歯を食いしばって、痛いくらい杖を握りしめた。


「……どうして」


 ぽつり、と、口から声が漏れる。

 誰にも届かないような、弱々しい声が。


「どうして、どうしてこうなるんだ!?」


 熱の正体は、苛立ちなのだろうか。

 喉だけでなく、身体の奥からも熱が沸いてきて、全身を巡った。


 悪い奴じゃないのに、分かり合えるはずなのに、どうして。

 僕の時は分かり合えたのに。彼がドラゴンだから?

 大きな体をしているから?

 どうして、どうして――?


「――ごめん、


 熱くなった頭を、必死に回した。

 結果わかったのは、ただ1つそれだけ。


 僕は弾かれたように、彼に背を向けた。

 許せない。彼をこんな目に遭わせて、僕が許すと思っているのか。


『何処へ行く?』


 すかさず彼が聞いてきた。

 さっきまで黙っていたのに。

 僕の考える事なんて、わかっているだろうに。


「……決まってるだろう? 君をこんな目に遭わせた奴らを、同じ目に遭わせるんだよ」


 心優しい魔女などと言われたって、関係ない。僕は、優しくなんてない。

 僕は自分勝手で都合のいいことばかり考える、自己中心的な魔女だ。


 祭なんて知らない。台無しになってもいい。僕がそうしたいから、そうする。

 優しかった騎士たちに、酷いことをする。


 怒っている。僕は彼らが憎くて仕方がないのだ。

 なのに――溢れた涙が止まらないのは、何故だろう。

 足が竦んでしまうのは、何故だろうか。


「じゃあ、行ってくる」


 助走もつけずに風魔法で飛び立とうとすると――バキッと、鈍い音がした。

 大きく動いた彼の頭が、僕の隣でドスンと落ちる。


 鈍い音の正体は――僕の杖が、折れた音だった。

 彼が口を開けて、その大きな牙で杖を喰った。

 一生に一度の僕の杖を、噛み砕いてしまったのだ。


「何で……そんなことするの……?」


 情けないほど弱々しい声が、僕の口から出る。


 この杖がないと、僕は二度と魔法が使えない。

 今までのように人を手伝うことができなければ、勿論――奴らに復讐することだって、できない。


「ねえ、どうして……? 答えてよ、さっきまで……喋るなって言っても、喋ってたじゃないかっ!」


 振り返って、彼に不満を訴えた。


 涙が邪魔して殆ど見えない視界で。

 気疲れして上手く表情を作れない、情けなく下がった眉で。

 キッと、できるだけ強く彼を睨んだ。



 さっきの口の動きは、振り絞った最後の力だったのだろうか。

 彼が最後の最後に取った行動が、僕の邪魔だったのだろうか。



 ――彼は、何も答えてはくれなかった。

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魔女とドラゴン 天井 萌花 @amaimoca

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