第13話 ハピエンを諦めない悪役令嬢
「ジンテール殿下がずっとそばにいたことには気づいていたの。だって、聖女として覚醒した私が、なんの問題もなく生活できるのは、ジンテール殿下が結界を張ってくれているからだって聞いたわ。それって近くにいて、ずっと結界を張ってくれていたってことでしょ?」
「なるほど、これは罠だったわけか。やはりお前は面白い生き物だな」
そう言ったジンテール王子は、どこか悲しそうな顔をしていた。
「さあ、事情を説明しなさいよ。どうして私を殺そうとしたの? それで、どうして逃げたのよ」
私がビシッと指を差して告げると、ジンテール王子は不敵に笑って、空に手を振りかざした。
すると、地面にヒビが入って、魔法陣がガラスのように砕けて消える。
「なに!? どういうこと!?」
「ジンテール殿下は人間じゃなかったのですか……?」
白装束を着た一人が、私の元にやってくる。フードをとると、それはゴリラン大司教だった。
「悪いが、私にはこんな魔法陣は通用しない」
「あなたはいったい、何者なのですか?」
ゴリラン大司教が問いかけると、ジンテール王子はどこか苦しそうな顔で笑った。
「私は監視者だ。その女に力を使わせないよう、監視する役目を担っている——神の御使いだ」
「……監視者? どういうこと」
「大きすぎる力はいずれ災いを生む。ゆえに国王に進言し、聖女アコリーヌを封印させたというのに、まさか鍵を壊すとはね」
「……それって、私がアコリーヌだって、最初からわかっていたってこと?」
「……ああ」
「だから私に近づいたの? 監視者ってことは、私を監視するために?」
「ああ、そうだ」
「私を愛してるって言ったのは嘘だったの?」
「ああ、私はお前を愛してなどいない」
「兄さん! なんてことを!」
「悪いが、初めからグクイエには兄など存在しないんだ。私はその女を監視するために第一王子のふりをしていただけだ」
「な、何を言ってるんだよ……嘘でしょ……兄さん……?」
「嘘なんかじゃない。私は大聖女を監視し、抹殺するために生み出された存在なのだから」
そう言ったジンテール王子の瞳は、真っ暗な空洞のようで、なんの感情の色も見えなかった。
けど、私にはわかる。これだけ長い時間いたんだから、この人が考えていそうなこと。たとえ全てが嘘で塗り固められてたとしても、たった一つの真実があること。
「ジンテール殿下」
「どうした? 俺が怖いのか」
「歯を食いしばれ!」
「な———ガッ」
気づくと私は、
「け、ケイラ!?」
よろめいて地面に尻餅をついたジンテール王子は、殴られた左頬を押さえて私を見上げた。その顔は呆然としていて、何が起きたのかよくわかっていないような雰囲気だった。
その傍らでは、グクイエ王子がアワアワと狼狽えていて、ゴリラン大司教に至ってはなぜか爆笑していた。
「あはは、ケイラ様、豪胆すぎますよ〜」
「ちょっと黙ってて、ゴリラン大司教」
「はい」
私が睨みつけると、ゴリラン大司教は震え上がって黙った。
そしてなんとも言えない空気の中、私はジンテール王子を見下ろして仁王立ちする。
「嫌われるようなことを言ったって、私は嫌いになんかならないんだからね!」
「お前……言ってることとやってることが無茶苦茶だ」
「こうでもしないと目を覚まさないでしょ? 私が知りたいのは、これまでの行動の理由なんかじゃなくて、あなたの気持ちよ」
「私の気持ちだと?」
「そうよ。あなた、本当は私のことが好きで、心配でたまらないくせに、突き放そうとするんだからっ」
「何を勘違いしているのかは知らないが、私はお前なんか好きじゃない」
「だったら、どうして殺さないのよ」
「は?」
「今までいくらでも私を殺す機会なんてあったはずよ。あなたは行方をくらましたふりをして、本当はずっと私の傍で見守ってくれていたんでしょう? それにあの時——魔王と戦っていた時も、本当は見ていたんじゃないの? でなければ、ルーが召喚なんてされないわ」
「……それは、様子を見ていただけだ」
「様子見? 本当に?」
「ああ、お前が本当にアコリーヌを継ぐ者かどうかを確かめていたんだ」
「なら、私を殺してみなさいよ」
「……言われなくても、殺してやる」
「兄さん!」
ジンテール王子は不穏な言葉を吐いた後、腰にある長剣をゆっくりと抜いた。
そして私に剣先を向けてゆっくりと近づいてきたけど——私は逃げなかった。
なんとなく、確信があった。この人は私のことが好きだって。
自意識過剰なんかじゃない。だって、今まで危機に陥った時、いつも助けてくれたのはこの人なんだから。
「……くそっ」
ジンテール王子は私の首に剣をつきつけるけど、その手は震えていた。
だから私はジンテール王子に歩み寄って——その頬にそっと右手を置いた。
「あなたは……私の力が大きな災いを生むから監視していると言ったわね?」
「……」
ジンテール王子は答えなかった。その額には汗をかいていて、無表情を装いながらも、感情が揺れているのは明らかだった。
「わかったわ。私の力がなければ、あなたは私を殺さなくて済む、そういうことよね?」
「……なんだと?」
「ゴリラン大司教」
ジンテール王子が不審そうに顔を歪める中、私はジンテール王子の剣を避けて、ゴリラン大司教に声をかける。
するとゴリラン大司教は目を丸くして「はい?」と声をひっくり返らせた。
私はにこやかに笑みを浮かべて告げる。
「ねぇ、ゴリラン大司教。私の力をもう一度封印することはできるかしら? アコリーヌから受け継いだ力を」
「ケイラ様の力……ですか?」
「ええ」
「可能ですが」
「じゃあ、今すぐ私を封印してちょうだい」
「……ケイラ様」
「そうすれば、ジンテール殿下も私を殺さなくて済むと思うし、また監視を続けてもらえるわ」
「……わかりました。私がアコリーヌ様の力を封じましょう」
「ありがとう、ゴリラン大司教」
私が笑うと、ゴリラン大司教は一瞬大きく見開いて息を飲んだ。けど、すぐにいつもの笑顔で確認する。
「本当にいいんですね? また元のひどい歌声に戻ってしまいますよ?」
「いいのよ。私は歌うことよりも、ジンテール殿下のことが好きなんだから」
「アコリーヌ様は……今も昔も素直でお変わりなく」
ふいに、ゴリラン大司教がぼそぼそと口の中で何か言ったけど、私には聞こえなかった。
そして私はゴリラン大司教に力を封印してもらい、ダミ声でしか歌えない普通のケイラに戻ったのだった。
「——そんなに殺されたくなかったのか?」
封印を施してもらったあと、ジンテール王子が嘲笑するように告げた。けど、笑っちゃうのはこっちのほう。この人は相変わらず、ちっともわかってないんだから。
「違うわよ。あなたが私を殺せないから、私が代わりに私を殺したのよ」
「どういうことだ?」
「あなたのことだから、一生かかっても私を殺すことはできないでしょう? だから力を封印することで、あなたが私を殺さなくて済むようにしたのよ。わかる? ついでに、一生監視してもらわなきゃね」
すると、ジンテール王子は観念したように息を吐いた。
「全てはお前の手のひらの上ということか。私はとんでもない女に引っかかってしまったようだ」
「そうね。私の監視者として、私の側に一生いなさいよ」
「それはとんでもないプロポーズだな」
「それより、あなた本当は王子じゃないんでしょう? だったら、これからどうするの?」
「何も変わらない。私は王子のふりをして王宮にとどまるだけだ。その方がお前を監視するのに都合が良いからな」
「そんなこと言って、本当はタナカに仕事を任せたくないからじゃないの? あなた、責任感だけはひと一倍あるんだから」
私がやれやれといった感じで告げると、グクイエ王子も頷いた。
「僕も、兄さんにはそのままでいて欲しいよ。僕には王子の仕事なんて無理だから」
「だが私は監視者であって、この国の王になるつもりなどないぞ」
「だったらさ、僕が仕事を覚えるまで兄さんのままでいてよ。タナカをやりこめるくらい頑張ってみせるから」
「そうか。なら、わかった。私は今のまま監視を続けよう」
「そうこなくっちゃ」
私が両手を合わせて言うと、ジンテール王子は不思議そうに首を傾げた。
「どうしてそんなに私を王子にしたがる?」
「それは、みんなあなたのことが大好きだからよ」
「私には……わからない」
「ねぇ、ひとつ聞いていい?」
「なんだ?」
「あなたの本当の名前はなんていうの?」
「……私には名前などない。ただの神の御使い、監視者だ」
「そっか。だったら、ジンテール殿下でいっか。もう馴染んでしまっているものね」
「お前は、全てが仕組まれたことだと知っても、それでも私を受け入れるのか?」
「仕組まれたこと?」
「お前が私と出会ったことだ」
「だったら、出会わせてくれた神様に感謝しなくちゃね。そういえば、ルーと出会ったことも必然だったのかしら? グクイエ殿下の矢でルーが暴れたことがきっかけで、仲良くなれたけど」
「そういえば、あれからルーの矢について調べてみたけど、犯人は見つからなかったんだよね」
言って、グクイエ王子は肩を竦めてみせる。そういえば、ルーが負傷した矢について、グクイエ王子に調べてもらってたんだっけ?
でも、犯人が見つからないってどういうことだろう。
すると、ジンテール王子が苦笑して告げる。
「だろうな。あれは私がルーに仕掛けたものだ」
「え? ジンテール殿下が? 自作自演だったってこと? どうして?」
私が畳み掛けて聞くと、ジンテール王子はため息混じりに答えた。
「お前の力を試すためだ」
「私の力って、歌のこと?」
「そうだ。あの頃はまだ覚醒していないことがわかったがな」
「そうだったの……でも、ルーに矢を刺すなんてひどいんじゃない?」
「ああ、ルーには悪いと思っている」
「そういうところよね」
「なんだ?」
「あなたは悪役には向いてないってことよ。だから今後は、悪役ぶったりしないでね? あ! それともう一つ、魔王討伐の時、タナカの息子を私の護衛にしたのはどうして? あなたが兎村——ラビットソンを指名したのよね?」
「勘違いするな。タナカが勝手に送り込んだだけだ」
「なるほど、タナカが送ってきた刺客だったのね」
「まあ、お前なら大丈夫だと思ったが」
「そんなこと言って、本当は心配でずっと一緒にいたんでしょう? あの時ラビットソンをやっつけたのはあなただってわかってるんだから。あなた、意外と近くにいたんじゃないの?」
「さあな」
「ああもう、ここにきてまだ素直にならないの?」
私がジンテール王子に正面から抱きつくと、ジンテール王子は戸惑いながらも私の頭を撫でた。
「お前は……グクイエを選ぶと思っていた」
「ちょっと兄さん、人前でいちゃつくのはやめてよ」
怒った顔をして訴えるグクイエ王子だったけど、その顔は優しかった。私はジンテール王子から離れて、グクイエ王子にかしこまって告げる。
「ごめんなさい、グクイエ殿下」
「もうとっくにわかってることだから。気にしないで——とは言わないけど……でもいつか、振り向いてもらえるよう僕も頑張るから、覚悟しておいて」
「若いですねぇ。私には真似できないことだ」
全てを見守っていたゴリラン大司教が、ふいに自嘲して言った。その顔は複雑な色をしていて、私には何を考えているのかわからなかった。
***
こうしてジンテール王子は王城に戻ってきたわけだけど、それからはなんだかジンテール王子が以前よりもぐっと近く感じられるようになって、私は幸せというものを改めて噛み締めるようになっていた。
そしてそんなある日————。
「ケイラ様っ!」
私の私室を豪快に開いてやってきたのは、スーツを着た
「うそ!? ゴォフ? あなた——魔王を倒した時にいなくなったんじゃなかったの?」
「ゴリラン大司教が
「ゴリラン大司教が? あの人も不思議な人よね。アコリーヌの時代から生きていると聞くし——あなたには、色々と聞きたいことがやまほどあるのよ」
「ケイラ様は、本編からどんどん離れた存在になりますね」
「本編から離れた存在? って、この世界が小説って話? けど、夢の中くらい幸せでもいいわよね」
「まだこの世界を夢の中だと思っているのですか?」
「当たり前じゃない。でもどうせなら——この世界が悪役令嬢の世界だって言うのなら、私は悪役令嬢なんて大っ嫌いだから、その世界をぶっ壊したいじゃない?」
「あなたは今も昔もとんでもない御方だ」
「今も昔もって……ゴォフのことがよくわからないわね。この世界を悪役令嬢の世界だって言ってたけど、アコリーヌ様の封印の鍵をしているってことは、かなり昔から生きているんでしょう?」
私が訊ねると、ゴォフは少しだけ暗い顔で笑みを浮かべた。その表情の意味を知るのは、ずっと先のことだけど——でもその時の私は、なんとなくハッピーな気持ちだったから、あまり深く考えていなかった。
「それより、ジンテール様がそろそろいらっしゃる頃じゃありませんか?」
「ええ、そうね。そろそろ仕事が始まる前に、ここに来るかもしれないわね」
言っているそばから、私室のドアが豪快に開かれる。
「ケイラ」
私の監視を続けている彼は、こうやって定期的に私の元にやってきた。そして私の顔を見るなり、苦笑しながら私の額にキスを落とす。
そしたら、私の胸がいっぱいになって、私もお返しとばかりにジンテール王子を抱きしめる。
「私はいない方が良さそうですね」
そそくさと消えていなくなったゴォフを見て、私はくすりと笑う。そんな私をじっと見つめる大きな瞳。吸い込まれるようにして、顔を近づけていくと——顔に何かがぶつかった。アコリーヌの日記だった。
「ふぎゃっ! 何よ!」
「俺はこれから仕事なんだ。あまり煽らないでくれ」
「何よ、ちょっとくらい、いいじゃない」
「お前が王子を続けろと言ったんだぞ」
「わかってるわよ。この複雑な乙女心がわからないかしら」
「二十八にもなって、乙女心だと?」
「悪かったわね。私にもようやく乙女の気持ちが芽生えたのよ——って、ちょっと待って」
今、私のこと二十八って言ったわよね? ケイラの年齢は十八なのに……二十八って言ったら、
「あなた、どうして私の年齢を——」
「じゃあ、俺は行ってくる」
それからジンテール王子は、颯爽と私の部屋を出て行った。
残された私は、何がなんだかわからないまま呆然としていたけど、そんな私の頭にルーの顎が乗った。
三章へ続く
次の更新予定
隔日 20:00 予定は変更される可能性があります
(続)アンチ悪役令嬢の私がなぜか異世界転生して変人王子に溺愛される話 #zen @zendesuyo
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