第12話 好きなものは好きだから


 


「どうしてジンテール殿下はいなくなってしまったんだろう」


「ケイラ、またこんなところにいたの? 風邪をひくよ」


 グレープ王城の庭で、夜の散歩をしていると、生垣の間からグクイエ王子が顔を覗かせた。


 記憶が封印されたことですっかり元に戻ったグクイエ王子だけど、私を追いかけてくるのは相変わらずだった。

 

 きっとそれも本能的にアコリーヌを求めているからではないだろうか? 


 でも私は、複雑な心境だった。


 電気なんてない世界だけど、魔法があるから夜の庭には蛍のような光が無数に飛んでいて、とても綺麗だった。


 ジンテール王子と一緒に見ていた光景だから、なんだか悲しくなるけど、そんな私の肩に、グクイエ王子がそっと手を置いた。


「大丈夫、僕がいるから——」


「それじゃあ、ダメなのよ」


 私がピシャリと告げると、グクイエ王子は鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をする。


 そりゃ、普通は婚約者に斬りつけられたあと、イケメンに優しくされたらコロっと行くでしょうけど。私はどうしても納得がいかなかった。


「どうしても、兄さんがいいの?」


「そうね。きっと何か事情があるんだわ。でなければ、あの人が逃げたりしないもの」


「ケイラの歌声が怖くて逃げたのかもしれないよ」


 グクイエ王子が後ろから私をそっと抱きしめる。


 私が動揺する中、どこからともなく、のっしのっしと地響きのような音が聞こえた。


「え? ルー?」


 そういえば、キウイ王国の帰りにルーを放置したままだった!


 それなのにきちんと私の元に帰ってくるなんて、カエルにも帰巣本能きそうほんのうがあるのだろうか? なんて考えていると、ルーが撫でろとばかりに頭を下げてきた。


 その目は嬉しそうに細めている。その顔が、なんとなくジンテール殿下に似ていて、私は泣きたくなった。


「ごめん、グクイエ殿下。離してくれる?」


 私が丁寧に断ると、グクイエ王子は静かに離れていった。


 この人も悪い人じゃないのに、どうして私は……。


 私はルーが下げた頭を撫でながら、ため息を吐く。


 自分がジンテール王子ばかりを求めるのが不思議だった。最初はあんなに苦手だったし、今も実は少し苦手なところもあるけど、好きなのよね。あの人のことが。


「どうしても、兄さんがいいんだね?」


 グクイエ王子が諦めたように問いかけてくる。その目は真っ直ぐで、ずっと見ていると引き込まれそうになるけど、私にはアコリーヌのようなときめきはなかった。


「ごめんなさい、グクイエ殿下」


「なら、兄さんを探そう」


「え?」


「兄さんがケイラを殺そうとしたのには理由がある——と思うんでしょ?」


「グクイエ殿下は、ジンテール殿下に斬られたことを……許すの?」


「実は僕も、ケイラと同じことを考えてたんだ。兄さんはとても優しい人だから、本気でケイラを殺そうとしたわけじゃないと思う。だから僕も致命傷を負わなかったわけだし」


「でも……今度会って、ジンテール殿下が私にまた刃を向けたら——自信失くしそう」


「大丈夫だよ、次会った時は僕が兄さんに聞いてあげるから。だからそんな顔しないで、ケイラ」


「……ありがとう」


 


 その日、私は再びアコリーヌの日記を読んだ。グクイエ王子に対するときめきが詰まった恋物語は、私が終わらせてしまったけど——何度読んでも聖女アコリーヌの日記は幸せで胸にくるものがあった。


「そういえば、アコリーヌは妊娠したって言ってたわよね? その後はどうしたんだろう? ゴリラン大司教がアコリーヌを封印したって話はいったいいつの話? なんで封印なんかしたの? やっぱり、王子様との恋は道ならぬものだったのかな?」


 戦争の英雄だったアコリーヌを封印した理由が知りたくなった私は、ジンテール王子の書庫を訪れることにした。


 ジンテール王子がいない間も、綺麗に保たれている私室は、今にもジンテール王子が現れそうな雰囲気だった。


「えっと、史実の本はどこかしら?」


 それから私は、とりあえず私室を回ってみたもの目的の本は見つからず。地下の隠し部屋の方にも行ってみることにした。


「ここも綺麗に整頓されているわよね。ジンテール殿下らしいわ」 


 秘密の部屋にある書架も、私室と同じように綺麗に整頓されていた。


 けど、いくら探してもアコリーヌに関する本はなかった。


「そういえば、どうしてアコリーヌの日記がここにあったんだろう? あの時は机の上に無造作に置かれていたのよね……まるで私が見つけることを待っていたような?」


 そこでふと、私は背後に視線を感じて振り返る。けど、後ろには誰もいなくて、物音ひとつしなかった。 


「気のせい……かしら?」


 結局、私はアコリーヌについて調べることを諦めた。いくらジンテール殿下の部屋を調べたところで、何かがわかるような気がしなかった。


 それよりもアコリーヌのことなら、ゴリラン大司教に聞いた方が早いわよね?


 そう思い立った私は——翌日、ゴリラン大司教が管理している神殿に再びお邪魔することにしたのだった。




 ***




「——アコリーヌ様を封印した理由ですか?」


 ジンテール王子に襲われてから、なんとなく近寄りたくなかったけど、数日ぶりに訪れた神殿では——なぜかゴリラン大司教が懸垂けんすいをしていた。


 肋木ろくぼくみたいな懸垂マシンが、神殿に似合わなくてちょっとどうかと思ったけど、若さを保つためには必要なことだとか。


 それはいいとして、私が単刀直入にアコリーヌ様のことを聞くと、ゴリラン大司教は懸垂マシンから降りて、私のところにやってくる。


 その姿はたおやかで、見た目は美女のようだけど、相変わらず性別不詳である。


「ふう……では、お茶でも用意しましょうか」


 それから神殿近くの山小屋に移動すると、ゴリラン大司教がお茶やお菓子を用意してくれた。キウイ王国に攻め入られた時にかくまってもらった小屋だった。


「それより、いいんですか? お一人でここに来たりして」


 テーブルについた私に、ゴリラン大司教がおそるおそる訊ねた。


 私は果実の形をした焼き菓子を頬張りながら告げる。


「……そうね。ジンテール殿下に命を狙われている以上、一人で行動するのは良くないと言われたけど……どうしても聞きたかったから」


「どうしてそんなに聞きたいのですか?」


「それは、自分に関わることだから、ジンテール殿下がいなくなったヒントになるかと思って」


「もしかして、ケイラ様は……思い出されたのですか?」


「何を?」


「前世の記憶を」


「私がアコリーヌ様の生まれ変わりって話? それなら、思い出したわよ。魔王を討伐した時、力の使い方を思い出して魔王を倒すことができたから」


「……そうでしたか。では、私のことも覚えてらっしゃいますか?」


 どうしてゴリラン大司教が、私がアコリーヌの生まれ変わりだと気づいたのかは知らないけど、私は思ったままを告げた。


「それが、アコリーヌの記憶はあやふやなのよ。かろうじてグクイエ殿下のことは覚えているけど」


「では、完全に封印が解けたわけじゃないのですね?」


「それって——私の力を封印したんじゃなくて、記憶を封じたってこと?」


「ええ」


「どうしてそんなこと——」


「あの頃は、時の王が聖女に心酔しておりまして。王というのは、前世のグクイエ王子の父君のことですが……聖女を戦争の兵器としてまっとうさせるために、聖女の恋愛を禁じておられたのです」


「聖女の方が立場的に強かったはずなのに、聖女の恋愛を禁止したってこと?」


「それが、とても複雑なのですが、聖女の伝説は以前にお話しした通り……戦争の道具として扱われることをいとうた聖女が、国の権力を掌握したまでは良かったもの……聖女はまつりごとを得意としていなかったため、政権を王族に返したのですが……それから聖女は大切に扱われながらも、いつしか国王が聖女を法で縛り付けるようになったのです」


「法律で縛る……?」


「そうです。国のルールだと言えば、聖女も文句が言えないと思ったのでしょう。戦時や緊急時の出動はともかく、聖女の私生活に対しても厳しい法律を作ったのです」


「それが、恋愛禁止?」


「ええ。聖女としての責務を終えるまでは、恋愛をしてはならないという法律を作ったため、当時はグクイエ王子との結婚を反対され——ついには記憶を封印する始末に」


「それで、ゴリラン大司教は国王の指示に素直に従って記憶を封印したわけだ?」


「そんな怖い顔しないでください。私も聖職者といえども、法律には逆らえませんから」


「結局は当時の国王にしてやられたってわけね。聖女の行動を制限して、兵器扱いして——」


「ただ、記憶を封じたことで、ひとつ問題が起きました」


「問題?」


「聖女が力を使えなくなったのです」


「アコリーヌが?」


「ええ。うっかり、アコリーヌ様の力も一緒に封印してしまったので——急遽、鍵を作ることになりました」


「鍵?」


「記憶を開く鍵です。力を使っていただく時だけ、その鍵を使って封印を解くのです。ゴォフという名の鍵で」


「ゴォフ!? ちょっと待って、ゴォフってまさかあのゴォフなの!? 魔王討伐の時にゴォフはいなくなったんだけど……」


「それはきっと、鍵が壊れたんだと思います。ですから今は、自由に力を使えますよね?」


 一瞬、ゴリラン大司教の目が鈍い光を帯びたような気がしたけど、気のせいだろうか? なんだかいつもと雰囲気の違うゴリラン大司教に、私はごくりと固唾を飲み込んだ。


 けど、ゴリラン大司教はすぐにいつものくだけた雰囲気で破顔した。


「あはは、そんな怖い顔しないでくださいって。何も責めているわけではありませんから。しかも国王が変わったことで法律も変わりましたし。少なくともこのグレープ王国は」


「それって、他の国にはいまだに聖女を縛る法律があるってこと?」


「そういう国もありますね」


「……そう。アコリーヌ様の事情はなんとなくわかったけど……ジンテール殿下が私の命を狙う理由がまだわからないわ」


「そうですね。それは私にもわかりません」


「けど、ゴォフがいなくなったことと、ジンテール殿下に命を狙われていることに、何か関係でもあるのかしら?」


「それは考えすぎじゃないですか?」


「でも一つだけ、わかったことがあるのよね」


「なんですか?」


「ジンテール殿下は本気で私を殺したいわけじゃないってこと」


「どうしてそう思われるんですか?」


「本当に殺したかったら、いくらでも殺すことができたと思うのよね。だから、一つ賭けに出てみようと思うの」


「賭け、ですか?」


「私の考えが正しいなら、きっとジンテール殿下は現れるわ。だからゴリラン大司教、手伝ってほしいことがあるの」


「手伝ってほしいことですか? 大聖女様には御恩がありますから、なんなりと」


「聖女たちが魔王を呪文で拘束したけど、あれってゴリラン大司教にもできたりします?」


「呪文で拘束……できないことはないですね。相手にもよりますが、普通の人間なら私や修道士程度にも拘束は可能です」


「おっけー。できるなら良かった。これで罠が張れそうだわ」






 ***





 数日後、王国はジンテール王子不在のため、執務長のタナカが王子代理として働いていたけど、まるで自分が王族になったような態度のデカさで仕事にあたっていた。


 それを見たグクイエ王子がなんとも言えない顔をしていたけど、グクイエ王子はジンテール王子のように内政に詳しいわけでもないから、口を出すことができないとか。


 だから我が物顔で執務室を牛耳っているタナカを止められる人間は誰もいなかった。国王陛下もお年を召してらっしゃるしね。


 そんな中、ジンテール王子がいない不安が、城下にも広がって——次代の王について議論されるようになっていた。


 そして私はというと、相変わらずアコリーヌの日記ばかり読んでいて、現実逃避に走っていた。


 けど————。


「さて、そろそろ動いてみようかしら?」


 アコリーヌの日記を読み終えた私は、グクイエ王子のいる庭園の東屋に向かった。花壇に囲まれた東屋でお茶を飲んでいたグクイエ王子は、私を見て相変わらず屈託のない笑顔を浮かべる。


「ああ、ケイラ。どうしたの?」


「ちょっとアコリーヌ様のところに行こうと思うんだけど。ついてきてくれない?」


「アコリーヌ様のところって?」


「神殿よ。聖女が住まう神殿」


「あんなところになんの用があるの? 神殿といっても、今は廃れてしまっているのに」


「いいのよ。人のいない場所に行きたいだけだから」


「え?」


「とにかく! 馬車を用意するから、一緒に来てくれる?」


「いいよ。ケイラが行きたいところに、僕もお供するよ」


 それから私たちは、馬車を使って森の奥深くを走り、古代の聖女の住処である神殿に赴いた。


 途中、何度も視線を感じたことで、私の推測は確信に変わった。


 これならきっと、計画はうまくいく——と思うけど。




「相変わらず、聖女の像がボロボロだね。予算をこちらにまわせないかな?」 


「そうね。私がここで暮らすことになるのなら、綺麗にしてほしいところだけど——」


 そんな風に、私とグクイエ王子が他愛のない話をしていたその時だった。


 白い布をかぶった細い体躯の男たちが、私とグクイエ王子を取り囲んだ。


「なんだ!?」


 グクイエ王子が私をかばうようにして前に出る中、男たちが剣を抜いた。剣先がいっせいに私の方に向かうと、グクイエ王子も腰の剣をゆっくりと抜く。


 そんなグクイエ王子に、私は小さく告げた。


「お願い、ここで人を殺したりしないで。ここは聖女の聖域だから」


「……わかった」

 

 それからグクイエ王子は白装束の男たちに立ち向かうけど——さすが魔王を倒しただけあって、強かった。


 けど、私が殺さないでと言ったせいか、グクイエ王子は本気を出せなくて、そのうち剣を白装束に絡め取られてしまう。


 ————絶対絶命、そう思ったその時。


 私たちの目の前に魔法陣が現れて、中からカエルのルーが出現した。


 ルーは現れるなり、ゲコゲコと鳴いて白装束たちを手で払い除けていった。


「やっぱり、そうなんだわ」


「どうしたの、ケイラ?」


 グクイエがきょとんとする中、私は大きく声を張り上げる。


「ジンテール殿下! 見てるんでしょ!? 早く出てきなさいよっ」


 そう告げると、ルーがゲコゲコ言いながら、神殿の外に向かっていった。私たちもそれを追いかけると、ルーが一本の木に向かって長い舌を伸ばした。


 見れば、木の後ろにジンテール王子の姿が。ルーにじゃれつかれて、戸惑った顔をしていた。


「ジンテール殿下!」


「兄さん!?」


 ジンテール殿下は逃げようと踵を返すけど——その時、ジンテール王子の足元に魔法陣が浮かび上がる。


 魔王を拘束した時よりも威力は弱いみたいだけど、人間を拘束するにはじゅうぶんな力だった。


 魔法陣から動けなくなったジンテール王子は私を睨みつける。


「これは……どういうことだ?」


「ふふ、実は私たちを襲ったさっきの白装束の人たちは、ゴリラン大司教の元で修行している修道士さんなの」


 私がそう告げると、神殿の中からゾロゾロと白い装束の男の人たちが現れる。彼らはこちらに向かってきながら口々に何かを唱えていた。


「どういうこと、ケイラ?」


 グクイエ王子も驚きの目を私に向ける中——私は思っていることを口にした。




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