ー前日譚ー アイシェの想い出

 わたしは親に捨てられた。

 わたしにはその記憶すらないけれど、そのことを知った時、無性に寂しくなってしまったのを覚えている。

 わたしは捨てられた子供としてはなかなか幸運な立場にある。

 わたしは路地裏に捨てられていたらしいのだけれど、たまたまその路地を通りかかった、この街の孤児院の院長がわたしのことを拾ってくれたのだ。

 あとで聞いた話だが、院長はその日、神のお告げを聞いたらしい。路地を通ることを神に命じられ、言われるがまま路地にやってくると、わたしがおぎゃあおぎゃあと泣いていたらしい。

 その話を聞いたわたしは、さすがに歳でボケてきたのかと疑ったほどだ。

 けれどそのおかげでわたしは孤児院で成長することができたのだ。神様も捨てた物じゃないなと、少しだけ心の内で思うのだった。

 院長がよく口にする「誰かのために生きろ」という言葉を、わたしは助けてくれた神様が与えた使命だと思って生きている。


 ある日、わたしは買い出しをするのに街に出ていた。

 8歳になったわたしは、最近では孤児院のお手伝いをするようになっていた。食事作りや洗濯の簡単なことをするだけだけれど、院長はとても喜んでくれて、それがわたしもとても嬉しかった。

 孤児院は院長が男手一つで運営していて、最近では孤児院を出て、自ら稼ぐようになったお兄さんお姉さんたちが手伝いに来てくれることもある。わたしはそんな彼らに憧れていて、いつか自分もお金を稼げるようになったら、孤児院のみんなをいろんな場所に連れて行ってあげようと思っている。

 孤児院には5歳から16歳くらいの子どもたちが生活している。17歳になるとこの国では成人になるので働くことができるようになるからだ。

 わたしの後に孤児院にやってきた子もいて、かれらにとってわたしはお姉さんとしてとても慕われている。生まれも育ちもバラバラなわたしたちは力を合わせながら細々と暮らしていたのだった。

 そんな孤児院に最近あたらいい男の子がやってきた。

 彼はわたしよりも少しだけ年上の10歳で、名前をレイといった。

 レイが孤児院にやってきた時、服はボロボロで、顔は煤に汚れていた。見ると涙を流した跡があり、何かに怯えるように震えていた。

 わたしはすぐにお風呂を沸かしてレイの身体を温めてあげたいと思った。

 今まで、孤児院にやってきた子どものなかには虐待を受けていた子もいたりして、別に珍しいことではなかったのに、レイに対してだけ、ほかの子どもたちとは違うように思ったのだった。

 お風呂に入っても、レイの震えが収まることはなく、わたしが背中を流してあげている時も心ここにあらずといった感じだった。

 レイに何があったのか、何がレイを苦しめるのか。わたしにわかるわけもなく、ただ安心してほしいと思ったとき、気が付いたらわたしはレイのことを抱きしめていた。

 わたしよりも少しだけ大きな背中にしがみついただけのような気がしなくもなかったけれど、それでもレイに何か感じてほしくて、わたしは必死だった。

 大丈夫だよ、と声をかけながら、わたしはきつくレイのことを抱きしめる。

 気が付いたときにはレイは羞恥で顔を赤く染め、それが伝染したのか、わたしの顔も赤く火照ってくる。今にも湯気をあげそうなくらい熱くなってしまったのだが、気づけばレイの震えが収まっていて、なぜかわたしの方が安心した。

 お風呂から出た後に二人して顔が赤くなってしまったことをごまかすのに苦労したのはまた別の話だ。

 そんなこんなで、レイが孤児院に来てからひと月ほどたって、ようやく孤児院の生活に慣れてきたようで、子どもたちもレイになついてきたみたいだ。

 今日はレイに子どもたちを任せてわたしは街に買い出しに来ることができるのだった。

「アイシェちゃん、今日は1人? 珍しいね」

「野菜安くしてるよ」

 街の市場で所狭しと並ぶお店を見ていきながらわたしは食材などを買っていく。

 いつもは院長たちと一緒だから、ひとりだと珍しがられてしまった。

「最近は良くない噂も聞くから気をつけてね」

「何やら、王国騎士たちが村を襲っているって話だ」

 怖い話もあったものだとわたしは少し急いで買い物を済ませることにする。

 持ってきた袋をいっぱいにして、わたしは市場から離れる。最近では育ち盛りの子どもたちがいるので、使う食材も多くなっていて一度にたくさん買わないといけないのだ。

 街から少し離れた丘の上にある孤児院は日が暮れると真っ暗になってしまうので、わたしは足はやに帰ることにする。

 最近は日が長くなっているが急ぐことに越したことはないだろう。市場で聞いた話もあるし、用心するに越したことはない。

 なぜか、今日は胸騒ぎがして自然と足が速く動く。

 息を荒くしながら、わたしは孤児院へと急ぐ。

 坂道を登り切りようやく孤児院が見えるところに着いたとき、そこは目を疑う状態だった。

 日が沈みかけ、うっすらと暗闇が広がる中、孤児院の周りだけが特に明るくなっていた。

 それが火によって燃えているのだと気づくのにしばらくかかった。

 まさかと思ってわたしはその場に立ち尽くす。頭が受け入れることを拒んでいるような感覚だった。

 頭の中には聞いた噂が頭の中を駆け巡る。

 気が付くとわたしは買ってきたものをその場に落とし、孤児院へと走り出していた。

 どうして? なんで? と疑問が渦巻くが私の頭は考えることをやめて現実が嘘であるように暗示をかけてくる。

 孤児院の扉を開けば、院長やレイ、子どもたちがわたしを迎え入れてくれると、信じて足を動かす。

 しかし、無情にも近づけば近づくほどこれが現実であることを訴えてくる。

 孤児院の周りにある柵は壊され、火がつけられていた。

 孤児院の入り口の扉は破られていて、その先には甲冑に身を包んだ騎士たちが孤児院にいた子どもたちに剣を向けていた。

 一ヶ所にまとまっている子どもたちの前に誰かが倒れているのが見えて、それが院長だとわかった瞬間、わたしの中の何かが切れた。

「次はお前だ。死にたくなかったら俺たちに従え!」

 騎士の中の1人がそう口にする。前にいる子どもに剣を向け、圧倒的な武力で脅す。

 そんななか、後ろの子どもたちを庇うように前に立つ者がいる。

 レイだけは彼らに怯えずに、騎士たちに立ち向かっていた。

「おらおら、さっきまでの威勢はどうした」

「俺たちの剣捌きにビビったか?」

「今更、ごめんなさいって言っても許してやらねえぞ!」

 男たちの下卑た笑いがあたりに響く。

 しかし、その音もわたしには届かなかった。

 頭の中に自分ではない何かが流れ込んできて、わたしの身体を勝手に動かしていく。 

「アイシェ、来るな!」

 わたしの存在にいち早く気が付いたレイが叫ぶ。

 それに遅れて、一番外側にいた男が振り返るがその時にはすでにわたしの腕は振られていた。

 気が付いたときには男の身を黒閃がほとばしる。一瞬の刻を経て男の身体が上下でずれるが、わたしは気にせずにまた腕を振るう。男は叫び声をあげるが再びの黒閃に遮られ、そのまま絶命した。

 わたしは無我夢中で甲冑の騎士たちを裂き続ける。

 自分でも知らないこの力を、しかし、わたしは最初から完璧に使いこなしていた。

 未知の力が自分を支配する感覚に、今だけは身を任せる。

 目の前にいる男たちを倒せるのなら、たとえこの身が支配されようとどうでも良かった。この力の正体が神の力だろうと、悪魔の力だろうと。2度と人に戻れないとしても、わたしの”家族”を傷つけた騎士を消し去ることができるのなら……!!

 わたしはその後も力を行使し続けたのだろう。気がついた時にはすでに騎士たちは全滅し、わたしはレイに抱き止められていた。

 少しの間、わたしは気絶していたらしい。記憶があやふやで、辺りを見渡してようやく孤児院に帰って来ていたことを思い出した。

 孤児院の所々が崩れ落ちているのを見て、一体何があったのかと疑問に思う。

 そして、何故わたしはレイに抱きしめられているのだろうか。

「レイ……?」

 わたしは彼に問いかける。

 抱きしめられているのが恥ずかしくなって、身をよじるがそれを上回る強さでレイが抱きしめてくる。

 仕方がないから首を回して、状況を確認する。

 さっきから気になっていたのだ。近くに人が倒れている気配がして、わたしは気配のする方へ首を向ける。

「見るな」

 レイが直ぐにわたしの頭を自分の胸に押し付ける。

 しかしその一瞬でわたしは見てしまった。

「………………いん、ちょう…………………………?」

 倒れていたのは院長だった。肩から腹に向かって大きく裂かれていて、大量に流したであろう血があたりに広がっていた。

「院長……!」

「見るな、アイシェ」

「離して、レイ。院長が……」

「もう手遅れだ」

「でも……」

 尚も身をよじるわたしの背中にレイの爪が食い込む。

「手遅れなんだ……! 院長は、僕たちを庇って……」

 その声には自責の念が込められていた。

「僕はまた守られるだけだった……」

 レイは唇を噛み、声を震わせながら口にする。その表情には自責の念が濃くにじんでいた。

「そんなことない。そんなこと……」

 わたしはレイの顔に手を添え、目元から流れ出る涙を拭う。

「レイはみんなの前に立って、立ち向かっていた……」

 それはわたしの意識が飛ぶ直前に見た状況だった。

 レイは孤児院の奥で固まる子どもたちの前に出て騎士たちと対峙していた。

 それは震えて固まっていた子どもたちを安心させただろう。

「そういえば、みんなは……」

 レイが抱きしめる手を緩めてくれたのでゆっくりと上体を起こしながら辺りを見渡す。

 入口の方は無惨にも半壊していて、雨風は到底防げそうになかった。

 壁や床には血が飛び散っていて、ここで起きた戦闘の激しさを物々しく語っていた。

「みんな無事だよ。奥の部屋で休んでる」

「そっか、よかった」

 安心してホッと胸を撫で下ろす。

「それにしても、いったい誰が助けてくれたの?」

「…………」

 わたしが聞くとレイが顔を強張らせたような気がした。

「……アイシェは、何も覚えていないの……?」

 えっ、とわたしは首をかしげる。

 言われてみれば、なぜわたしは意識を失っていたのだろう。騎士たちに何かをされたわけでもないのに。

「ううん。覚えてえいないのならいいんだ」

 そう言って、レイは立ち上がり、わたしに手を差し伸べてくれる。

「みんなのとこに行こう」

 レイに助けられながらわたしは立ち上がる。

 改めて見た惨状に目を逸らしたくなる気持ちを抑え、わたしは院長の亡き骸のもとに立つ。

 持っていた白いハンカチを顔の上に被せ、手を合わす。

「今まで、育ててくれてありがとう」 

 時間にして数秒ほど。しかし、わたしはこれまで生きてきた人生の長さを感じながら院長に語りかける。

 楽しかったこと。悲しかったこと。全ては院長に拾われた日から始まった。

 わたしは院長を殺した奴ら決して許さない。

 たとえ相手が騎士だろうと、わたしは復讐を果たす。

 最後にもう一度院長に感謝を伝え、その場を後にする。



 子どもたちは奥の部屋で眠っていた。誰も彼もが身を寄せ合って、不安な思いを励まし合っていたのだろう。

 レイが暖かい飲み物を用意してくれて、ようやくわたしは一息つくことができた。

「ねえ、レイ。いったい何があったの?」

 そして、ことの顛末を尋ねる。

 孤児院を襲ってきた騎士たちはなんだったのか。わたしが街に出ていた間に何があったのか。

「……アイシェが街に行ってからしばらくして、アイツらがやってきたんだ……」

 奴らは自分たちを王都から派遣された騎士だと言っていたそうだ。上の者から命じられたとかで、孤児院に居るはずの魔力に富んだ子どもを連れてこいと言われたらしい。

 わたしはそれを聞いて、昼間に市場で聞いた噂を思い出す。騎士たちが村を襲っているという、到底信じがたい話は現実であったのだ。

 院長はそんな子どもは知らないと話したらしいが、騎士たちはやがて剣を取り出して恐喝まがいなことをしたらしい。

 そこからあとのことはレイに語られるまでもなく、理解できた。

 わたしの中で、今まで王国騎士たちに抱いていた理想が崩れ去る音がする。

 騎士は男の子のあこがれの職業で、孤児院にいた子どものなかにも憧れていた子もいた。人々を守り、悪を倒すというヒーローのような存在が、しかし、現実では民を殺しているということをわたしは知ってしまった。

 わたしの一番大切な人を殺した彼らを、わたしは死ぬまで恨み続けるだろう。

 院長の死を見たとき、わたしも共に死のうと思った。生きる意味を失ってしまったと感じたから。

 けれど、彼らに命令を出した者がいると知った今、わたしはその者たちに復讐を果たすまで死ねない。

 胸の内にふつふつと復讐の感情がわいてくる。しかし、ふと隣に座るレイの表情を見たときに、その感情はどうしてか静まってしまった。

 ひとしきり説明した後からずっと黙ったままの彼を見てわたしは心配になる。

 何を考えているのだろう。わたしと同じように騎士に対して復讐心を抱いているのか。

 彼の想いを知りたいと、わたしはレイに声をかける。

「あなたは、何を考えているの……?」

 声をかけるだけのはずだったのに、気が付いたらレイのことを抱きしめていた。

「アイシェ……?」

 くしくもそれはレイと初めて会ったときと同じ。けれどただ、しがみつくだけだったあの時とは違う正面からわたしは彼のことを抱きしめる。

 彼を励ますだけでなく、わたし自身を励ますように。わたし自身が安心するために。

 気づくと、レイもわたしのことを抱きしめ返してくれていた。

「……君には励まされてばかりだ……」

 わたしの肩に顎を乗せ、レイはそう口にする。

(そんなことない。そんなことないよ)

 わたしは涙をこらえながらレイのことを抱きしめる。

 育て親を失い、生きる意味を見失ってしまったわたしは、しかし、レイが生きている限り頑張ろうと思えたのだった。



 数秒間の抱擁をとき、わたしたちは元の状態に戻る。

 お互い、相手の顔を見ることができず、けれど相手のことは気になるわけで、視線が右往左往してしまう。

 思えば、わたしが人のことを抱きしめたのはレイが初めてだ。初めてレイが孤児院にやってきた日を思い出す。あの時もさっきと同じような表情をしていて、わたしは居ても立っても居られなくなってしまったのだ。

 そんなことを考えたら、再び顔が上気してしまう。今顔を見られたら、絶対に赤く茹でだこのようになっていることだろう。慌ててわたしは平常心を取り戻す。

 そしてごまかすように言うのだった。

「騎士たちに苦しめられている人はわたしたちのほかにもいるのかな……?」

 レイは答えなかった。答えられなかったのだと思う。

 レイはわたし以上に騎士に憧れを抱いていたから。

 いつだったか聞いたことがあった。レイが幼馴染の少年と騎士を志していたと。

「わたしはもう、大切な人を失いたくない」

 これは紛れもなく、わたしの心の内から出た言葉だった。声を震わせながら言うわたしの手をレイは優しく握ってくれた。

「騎士たちによって苦しめられる人をもう見たくない」

 思い出されるのは、子どもたちに剣を向ける騎士たちの残虐な瞳。

 わたしはその時の子どもたちは怯えた表情を決して忘れることはないだろう。

 もう二度とあんな顔をする人を見たくない。

「わたしは、騎士に苦しめられている人を助けたい」

 初めてわたしは誰かのために何かをしたいと思えた。

 院長の口癖だった「誰かのために生きろ」という言葉が蘇る。

 これが神様がわたしに与えた使命なのだ。

 たとえこの選択が間違っていたとしても、わたしはわたしの信じる道を生きる。

 それがわたしをここまで育ててくれた院長に対する恩返しだ。

 叶うならその時にはレイに隣にいて欲しいと思った。わたしひとりではまた、感情に飲まれてしまうと感じたから。

 不安げにレイを見るとちょうど目が合った。身長差でわたしがレイのことを見上げる形だが、不思議と不快感はない。

 レイの優しげな笑みにわたしは安心して目を閉じて、肩に自分の頭を預ける。

「アイシェ……、僕が行く先はいばらの道だ」

 幼さの残る高い声で、けれどレイは落ち着いた声色で語る。

「この国で騎士と敵対して生きていくのは簡単なことじゃない」

 そうだね、と相槌を打つ。この国での騎士の権力は絶対的だ。

 今日の出来事を誰かに話したとしても、信じてくれる人は少ないだろう。

「それでも、僕は騎士たちのことを決して許せない。彼らに復讐を果たすまでは死ねないんだ」

 レイの言葉には憎しみと恨みと、そして後悔が込められていた。

 レイの過去に何があったのか、わたしは知らない。

 とても気になるけれど、いつか話してくれたらいいなと、今は聞かないことにする。

 けれど、レイが苦しんでいる時に隣にいるのがわたしであったらいいなと思う。

「だから僕は、騎士を狩る……」

 今はまだレイの手を握ることしかできない。わたしは彼に自分の思いが伝わるように強く握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

騎士狩り物語 魔木 楓 @MaypReon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る