第3話 美味い話には裏がある
数あるエデンの区画のうちの一つ、商業区画ハビラ。そこでは武器屋や防具屋はもとより、飲食店も数多く並んでいる。昼時ともなればどこも賑わい、食欲を刺激する匂いがあちこちの店から流れてくる場所だ。
その一画で、クエルクス・アイレクスは小さく息をついた。
「で、なに企んでやがる?」
常と変わらぬぶっきらぼうな口調で尋ねる相手は、同じクランに所属するイロハ・アサケノである。
「……ん?」
クエルクスの意図を測りかね、イロハは小さく首を捻った。
「言わなかったっけ? 単なる時間つぶし」
「言った。たしかに言ったな。「昼飯を奢るから、時間つぶしに付き合え」と」
「うん」
あっさりと頷かれ、クエルクスの顔が苦虫を噛み潰したように顰められる。
「まさかとは思うが――オマエ、本当にそれだけなのか? そのためだけにオレを呼んだのか?」
「まさかもくそも、最初からそう言ってるだろ。ティトンは朝からダンジョン潜ってるし、アロに一箇所でじっとして話し相手になれっていうのは酷じゃないか。コトワリは店があるし」
「昼飯奢るって言えば喜んで来そうな気もするぞ」
言って、クエルクスは目の前のテーブルに視線を移した。白い皿に行儀よく並んでいるのは、みずみずしい野菜と香ばしく焼かれたウィンナーが挟まれた二本の細長いパンだ。一つはケチャップとマスタードが格子状に塗られたもので、もう一本はケチャップやマスタードの代わりに濃いチーズソースがたっぷりとかかっている。
彼らが今いるのは、ハビラに最近できたというパン屋である。二人が座っている飲食スペースのテラスから少し目を転じれば、活気に満ちた店内の様子が見てとれた。ここでは、店内で買ったパンを持ち込んで食べれるだけでなく、飲み物も一緒に販売を行なっている。昼用の軽いものだが、アルコールも提供されるとあって評判は上々のようだった。
なお、奢りということもあり、クエルクスも遠慮なく注文している。ミントグリーンと萌葱色がグラデーションを成すコリンズグラスを一口煽り、相手の返事を待つ。
「あんまり長いこと店を空けさせるわけにもいかないだろ」
「オレは暇だと。そーいうことか?」
「そっか。悪い、確認してなかったな。なんか予定あった?」
素直に謝るイロハに、クエルクスは軽く鼻を鳴らした。
「ねーよ。けど、その言い方だと食って飲んではい終わりってわけじゃねーんだろ?」
「それはまだ分からないかな。何事もなければ、それはそれで良いことだし」
「んだそりゃ。じゃあオレは、オマエといつまでこうやって面つき合わせてりゃいーんだよ。ってか、オマエは何を待ってやがる」
言って、クエルクスはパンにかぶりつく。小さく肩をすくめたイロハもまた、自身の前に置かれたクラブサンドに手を伸ばした。
「昼飯時が終わるくらいまでかな。ちょっと今、この店で仕事頼まれててさ。暇だってのもあるけど、野郎一人だと目立つだろ」
ここで言う仕事とは、クランに入ってくるダンジョン絡みのものではない。彼個人が街で請け負ったものだろう。
イロハ本人は自身を「器用貧乏」と話すが、荒事からアクセサリー作りまで大抵のことはソツなくこなすためか、なにかと困りごとを引き受けているようであった。おおかた、今回もそんなところだろうとクエルクスは見当をつける。
「二人でも目立つわ。それに一人の方がまだマシだろ。弓矢背負ってないオマエのゴツさなんて、楽士とそう変わらんから安心しろ?」
悪口一歩手前のクエルクスの言葉に、イロハは頷いた。パンを飲み込んでから、再び口を開く。
「確かに、目立たなさそうだからって理由で俺のとこに依頼がきたみたいなもんだしな。この店、店長含めて女の子ばっかだから本当は同性の方が目立たないと思うんだけどさ。間が悪かったみたいで、心当たりは断られたんだって」
そこまで言って、まだクエルクスの問いに全て答えていないと気がついたのだろう。
「なにを待ってるっていうより、誰をって言う方が正確かな。店主が言うには二、三日くらい前から」
と、そこでイロハが言葉を止めた。クエルクスがそれに不審を唱える前に太い男の怒鳴り声が店内に響く。
「いい加減にしろよ、お前ら!」
「……あ?」
クエルクスが身体を捻って声の方に目を転じれば、会計を行うカウンターの前で一人の男が店員に詰めっている。声に恥じない立派な体格の男だったが、顔がずいぶんと赤い。右手に持っているのは、クエルクスが持っているのと同じ飲み物のようだ。どうも、かなり酔っ払っているらしい。
「ミントビアはもっとビールの量を多くしろって言っただろ! これじゃ、ただの緑色の水と変わらねえ! こんなので金を取るってのか! え? しかも氷まで入れやがって」
「なんだありゃ」
手元にあったグラスを傾け、クエルクスは男が文句をつけているミントビアを口内に流し込んだ。涼しげな氷の音と共に、ミントの爽やかさとホップの香りが鼻に抜けていく。ついで、ビールのほどよい苦味とミントの清涼感が喉を潤して胃に落ちていくのがわかる。
つまりは、普通に美味い。今日のように少し暑い日ならば尚更だ。
手を払ってパン粉を落としたイロハが立ち上がる。いつの間にか、皿は空になっていた。
「あれが俺の待ち人」
「なるほど。手伝いはいるか?」
「ありがと、気持ちだけ貰っとくよ。じゃないと、店主が人件費を二人分払いかねんからな」
「そーかい。なら、オレは高みの見物でもしとくかね」
「そうしなよ」
返事代わりに掲げられたグラスに軽く拳をぶつけ、イロハはその脇を抜けていった。そのまま男の背後に音もなく立ち、肩を叩く。
「失礼。他のお客さんの迷惑になるので、文句なら裏で聞きますよ」
「あ?」
振り返った男の顔が歪む。
「なんだお前」
「この店の期間限定従業員。やたらと味に注文をつけてくる客がいるからって雇われたんだ」
唇だけで笑んだイロハに、男の顔が険しくなった。
「兄ちゃん、俺に喧嘩売ってんのか」
「いや? 俺は、裏でちょっとお話聞かせてもらえないかなってお願いしてるだけだよ。まぁ、嫌だって言っても来てもらうけど。自分の足で行った方があんたの為にもなるんじゃないかな」
口調こそ丁寧だが、有無を言わさぬ物言いに男が酒臭い息を吐き出す。
「面白いこと言うじゃねえか。俺を引きずってでもいくつもりか? お前のスキルはよっぽど戦闘向きなんだろうな」
嫌味ったらしく男が言うように、彼とイロハの体格差はクエルクスから見ても大きい。身長はさほどではないが、幅と厚さが違う。
「戦闘向きではないけど、あんたは連れて行けるよ」
イロハの持つスキル「千里眼」は確かに戦闘向きとは言いがたい。それ単体だと、離れた場所や時間の流れを視ることしかできないからだ。
イロハの切れ長の目が、わずかに見開かれる。今、彼が視ているのは数秒後の未来だった。
(右から踏み込んで締め上げる感じか)
もともと、未来というものは不確定なものだ。風が吹けば医者が繁盛する、とイロハの故郷では例えられたが、どんな小さな事柄が影響を及ぼすかは分からないものである。イロハの視る未来も、何十、ときには何百通りということも珍しくはない。
ただし、今回のように限られた状況下での短い未来。それも、攻撃前にどう動くかを決めることが多い対人戦においては、ほぼ一本道に等しい。油断している上に、アルコールで頭の働きが低下している相手なら尚更だ。
未来が読めても反応できない速度で動くなら話は別だが、今のところイロハはそんな恐ろしい人間を見たことはなかった。
「だったら連れて行ってみろよ」
言って、男が足を踏み出す。左足、ついで右足。
足を踏み出すと同時に、男がイロハの胸ぐらを掴もうと右腕を伸ばしてきた。
この数秒でイロハが何度も視た光景が、現実に重なる。
ゆえに、その手首を捻りあげて背後に回るのはそう難しいことではなかった。
「いでででで?!」
「はいはい、大人しくしてくれよ。じゃ、約束通り行こうか」
悲鳴をあげる男の両腕を右手だけで固定し、ついでとばかりに空いた左手で口を塞いだイロハはそのまま男を連れて店の奥へと消えていった。
実に無駄のない、慣れた手つきですらある。時間もせいぜい数分だろう。なんといっても、見物していたクエルクスが手にしたグラスの中身もまだ半分ほど残っている。
と、そこまで考えてふとクエルクスは気づく。
「……って、ちょっと待て。オレはここで一人で飯を食い続けにゃならんのか?」
彼の問いに答える者はない。
了
エデンの箱庭 透峰 零 @rei_T
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。エデンの箱庭の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます