第2話 千里眼について(2)

「またね、か……」

「嬉しそうだな」

 ティトンが去ったことで再び空いた席一つ分の空間に、ぬっと影が差した。顔を上げたイロハは、影の主の名を呼ぶ。

「クエルクス」

「おう」

「鍛錬はもう終わったのか?」

「オマエらの謎解きお茶会には間に合わなかったけどな」

 言って、丸太に腰を下ろす。皮肉っているわけではなく、彼の場合は単に口が悪いだけだ。それがわかっているので、イロハも「それは残念だったな」と軽く返した。

「それで、わざわざどうしたんだ? 実戦練習なら付き合うけど」

「ちげーよ。余ってて勿体ねぇなって思って来ただけだ」

 クエルクスが指差した先には、冷めて微妙に余ったフライドポテトがあった。

「食い物を粗末にするのはよくねぇだろが」

「それについては同感だよ。あんたが始末してくれるなら、再調理を考えなくて済むしな」

 大真面目に返したイロハは、「飲み物でも持ってこようか?」と問うた。揚げ物は、とかく口中の水分を奪っていくものだ。

 早くもポテトを咀嚼していたクエルクスが答えるより前に、コトワリが予備のカップに残りのお茶を注ぐ。

「香りが嫌でなければ、どうぞ」

 片手を上げてクエルクスが謝意を伝える。コトワリ自身は己のカップが空になっているので立ち去っても良いのだが、少し気になっていることがあった。

「さっき、なにを言いかけたんですか?」

 問いかけた相手は、頬杖をついてぼんやりとポテトの山を見ていたイロハだ。

「へ?」と視線を上げた彼に、もう一度繰り返す。

「さっき。ティトンさんになにか言いかけたように見えたんですが」

「ああ、あれは――」

 少し迷ってから、イロハは苦笑した。

「ヒントいる? って言いかけた」

 ポテトを摘んでいたクエルクスの指の動きが、ぴたりと止まる。口に運ぶ代わりに摘まれた芋が指したのは、イロハの背中で輝く黄金きん色の光環だ。

「ソレか?」

「そうだよ」


 この世界には、稀に【ハロ】と呼ばれる光環を持つ者が現れる。正式名称を天使の輪エンジェルハイロゥ。この輪を持つ者は神の遣いである天使の名の通り、特別な力を振るうことができた。力の源はから与えられたと言われているが、その種類は様々だ。筋力増加に、火や水を操るもの、動物に変化するもの。人によって『スキル』と名付けられたこれらの力を持つ者達は、持たざる者達を守る義務を課せられる。

そして、スキルを持つ者達が集った小規模な集団が同盟クランだ。【エル・ブロンシュ】もそんなクランのうちの一つであり、もちろん全員がなんらかのスキルを所持している。

 イロハの持つスキルは、千里眼と呼ばれていた。


クエルクスが顔をしかめる。

「やめとけ。ティトンは怒るぞ「自分で解くから面白いんじゃないですか」ってな」

「あ、やっぱり? そんな気はしてたから、言わなくて正解だったな」

 へらりと笑って「良かった」とイロハは独りごちた。二人の会話を聞いていたコトワリはわずかに身を乗り出す。

「ヒントって、なにが見えるんですか?」

「それはみないと分からないなぁ」

 千里眼は、その名の通り千里の果てにある光景を見れるスキルだ。

 ただし、それはあくまでも一番最初の状態である。剣術や料理にしてもそうだが、世にある専門性を要するものは使えば使うほど習熟度が上がり、できることが増えるのが常だ。

 そして、それは当然ながらスキルにも当てはまる。

 千里眼は、認識可能な「千里」の定義を広がる方向で強化がされるらしい。要はこの能力の本質は「本来見えないものを視る」ということで、それが最初はたまたま距離だったということになる。

 過去視や暫定的な未来視。生き物の思考。

 そういったものの認識も「千里眼」の範疇に入るのだと、能力を説明する際にイロハは語っていた。


「今回だと、ティトンが持ってた紙を起点にして過去の景色を視ることになるかな。農耕用なのか狩猟用なのか、はたまた祭祀用なのか。それくらいは掴めると思う。俺のハロが足りる範囲の時間軸で使われてたら、だけど」

 自らの長い髪を手持ち無沙汰に指先で弄りながら、イロハは補足した。

「ふーん」と相槌を打ったクエルクスが、手にしていたポテトを口に放り込む。

「アンタ、その場合は過去の人間の心も読めんのか?」

 何気ない問いかけに、イロハの指の動きが止まった。

「ティトンみたいにスキルの多重展開ができるかってことか? やって出来ないことはないが……」

「やりたくはない、と」

 濁した語尾を容赦なく形にされ、「う」とイロハは呻いた。

「失礼ですが、それはハロの容量の問題ですか? そこまで小さくはないと思いますが」

 卑屈にならないよう言葉を選び、コトワリはイロハの背にちらりと視線をやった。スキルの幅や使用時間は、ハロの大きさに比例する。大きいほどスキルによって起こせる現象の幅は広がるし、使える回数や時間も増えていくといった具合だ。

 イロハのハロは、細身の彼の身幅とちょうど同じくらいである。クランを束ねる盟主ほどではないが、十分に大きいと言えるだろう。

「容量……はまったく問題ないんだけどな」

 なおも歯切れ悪くイロハは答えた。

「千里眼使ってる時って一応今のことも認識してるんだよ。音も匂いも、もちろん視覚も。俺はできるだけ遮断してるけど完全じゃない。で、視覚についてはそこにもう一つ別の景色が頭の中に流し込まれる感じで……こう、頭の中で歌とか思い出しながら人と全く違う話とかしてる時ないか?」

 問われ、クエルクスとコトワリは頷いた。

「それに似た感じ。だから、どっちに比重を寄せるか決めればそこまで大変じゃない。ヘマしても気持ち悪くなるくらいだし。でも、読心についてはちょっと違うんだよな」


 そもそも、心は視えないんだよ。


 なんでもないことのようにイロハは言った。

「生き物の、特に人の思考は複雑だよ。時間も場所も一つじゃない。「まぁいいか」って言い聞かせながら深層心理では怒ったり悲しんだりしてるし、「もういい」と諦めながら過去の過ちを悔やんだり未来への渇望があったりする」

 二人と視線を合わせないままに、イロハは続ける。

「で、そういう心情を正確に視るとどうなるかっていうと……まぁ、同じになるしかないんだわな」

「……は?」

「これについては俺もうまく説明できない。ごめん。ただ、その時に対象が見たこと聞いたこと、匂い、味、触った感覚。そういうのと一緒に、思い出してたものとか考えてたものが流れ込んでくる――うん、そう。流れ込んでくるってのが一番しっくりくるな」

 控えめにコトワリは手を上げた。

「その場合、自我はどうなるのですか? 先ほどの例だと、ある程度どちらかに焦点を絞れるということでしたが」

「それなぁ」と、なおも髪の先をいじりながらイロハは苦笑した。

「一応、調整はできるよ。だから、自分の頭の中で別の人間が一緒に思考してるみたいになる。でも、その強さって一定じゃないんだよな。ぼーっとしてる時と、強い感情が前面に出てる時で違うというか。例えばだけど、魔獣に襲われた時のことが恐怖になってる人が、それを不意に思い出した時とかね。そういう時は、自分の感覚が一気に呑まれたりするかなぁ。あと動物とか魔獣ね。あいつら人間と感覚違いすぎて、正確に視ようとすればするほど自分のこと忘れちゃうから、ちと怖い」

「オマエ、それ大丈夫なのかよ」

 クエルクスが不機嫌そうに言った。元より吊り気味の眉を寄せているせいで、怒っているようにも見える。

「大丈夫だよ。たぶんね。でも迷惑かけたらごめん。――さっきの多重展開の話に戻ると、やると迷惑かける可能性が高くなるんだよね。だから出来れば避けたいし、やりたくない」

 チッとクエルクスが舌打ちした。わずかにイロハの表情がこわばる。

「例えばどーなるってんだ?」

続くクエルクスの言葉に、拍子抜けしたようにイロハが目を瞬かせた。

「え、そこ聞くの。まぁいいけど。今まであったのだと、吐いたり鼻血出したり……あ、鼻血は多重展開しなくてもたまに出してるか。とりあえず、その程度だよ」

「それで全部か?」

 ずいっとクエルクスに顔を近づけられ、「あー」とイロハの目が泳いだ。

「いやぁ……若気の至りで」

「ほう」

 クエルクスの声が低くなる。妙な圧力を感じ、イロハの額に汗が浮かんだ。

「まさに、さっき話してた過去視での多重展開を長時間やって、ぶん殴られて意識飛ばされるまで自分をなくしたことはあります」

 目を逸らしながらイロハは素直に白状した。なぜか敬語である。

 再びクエルクスは舌打ちした。

「好奇心か?」

「ではないんだけどねぇ」


 前いたところで、ちょっと揉め事があって。


 言いかけて、イロハはその言葉を飲み込んだ。

 なんとなく、言ったらさらにクエルクスの機嫌が悪くなる気がしたのである。


 仲間内での喧嘩が洒落にならないレベルで発展したものやら、痴情のもつれからくるいざこざやら、護送中での窃盗やら。

 そういった「あまり大っぴらにはしたくないけど、今後のために犯人と理由は知りたい」といった時にこのスキルは非常に便利なのだ。

 そして実のところ、そういうトラブルは表沙汰にならないだけでどこの集団にもある。同じ集団に所属していても、一部の人間にしか知らされないことも。

 断ってもよいのだが、大抵は良い顔をされない。はっきりと「怠慢だ」と言われたこともあった。


 視て、伝えて――後悔するまでがいつもセットだ。

 仲間が処罰されたり追放されれば、どれだけ鈍い人間でも事情くらいは薄ら察しがつくもので、そうなるとそこに至る過程までも想像したくなるらしい。

 人の口に戸は立てられぬ、とはイロハの故郷にある言葉だが、考えた人間は天才だと思う。

 飛び交う憶測が当たっていても外れていても、どちらにせよ居心地が前以上によくなったことは皆無だ。

 だから、「そういうこと」を頼まれた時は結果だけ告げてさっさと離れることにした。所属したクランの数だけだと、確実に十以上はあるだろう。

おかげで他人と距離を保つことだけは上手くなったが、自分をさらけ出す方法は別れる度に分からなくなっていった。




「まぁ、色々とありまして」

「端折りすぎだろ」

 クエルクスのツッコミは聞こえなかったことにして、イロハも皿に手を伸ばす。おそらくは盟主のお手製だろうポテトは冷めても美味かった。

「細かい事情忘れたんだよね。前後の記憶飛んでるし」

「マジかよ」

「本当、本当。でも多分、こことは無縁の理由だと思うよ。みんな好奇心強いし」


 クラン「エル・ブロンシュ」――別名を白羽。

 悩んだり迷ったら、とにかく猫のように好奇心の赴くままに行動しよう、という思いから付けられたクラン方針は「隙あらば猫」。

 その方針に惹かれて集まっただけあり、クラン員は大なり小なり「自分で解くから面白いんじゃないですか」な部分を飼っている。


 好奇心は猫をも殺すが、人間は好奇心がないとつまらない。

 だから、イロハはこの場所が割と気に入っている。


 了

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エデンの箱庭 透峰 零 @rei_T

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