第2話 千里眼について(1)
その日は、空が綺麗に晴れていた。
微かに吹いた風が己の薄緑色の前髪を揺らすのを感じながら、コトワリはティーカップを傾ける。今日はカモミールとカレンデュラのハーブティーだ。
目を閉じると、リンゴのような微かに甘い香りが鼻腔をくすぐる。その香りを十分に堪能してから、彼は目を開いた。
濃い桃色の瞳に映るのは、丸太を切って表面を軽く削っただけの素朴な椅子とテーブル。その上に載る薄黄色の液体が満たされたガラス製のカップと、揃いの作りのティーポットだ。添えられた白い皿の上には、クロテッドクリームをたっぷりと塗ったスコーンが盛られている。
だが、なにより彼の視界の大部分を占めるのは、テーブルを挟んだ向かい側で腕立て伏せをしている三白眼の青年だろう。物理的に長いので仕方がないのだが。
「あ"? なに見てんだよ」
「いえ別に。どうぞ気にせず、続けてください」
青年――クエルクスに、コトワリは軽く右掌を上に向けて差し出した。
「むしろお邪魔ならすみませんね。今日は天気がいいので、屋外でお茶を楽しもうとした僕が浅はかでした」
「あーあー、そーかい。っていうか、ここにいる奴らなんて大抵そんな理由だろ」
「まぁ、そうかもしれませんね」
答え、コトワリは視線を右に流す。自分とクエルクス以外にも、この場にはもう一人いたのを思い出したのだ。
やや離されて置かれた丸太の椅子。その椅子を一つ空けたところでは、イロハが
拾ったものか買ったものか、あるいは自分で作っているのか。細かいところまではわからないが、この男はよくこの場所で矢を弄っている。
席一つ分の空白。
嫌われているわけではないのだろうが、話しかけるには微妙な距離感である。黒髪に縁取られた白い横顔を少しだけ眺め――結局、コトワリは再びハーブティーへと視線を戻したのだった。
この面子が揃ったのは、ただの偶然だ。
暇な人間が天気の良さに惹かれて外に出てきた。やることがバラバラなだけで、そんな状況が固まっただけである。
最初に庭にいたのはクエルクスだった。その後、彼が鍛錬しているとは気づかずにティーセット片手にコトワリが訪れた。
最後に、「ちょっと邪魔するな」と来たのがイロハだ。
そうして出来上がったのが、この「居心地が悪いわけではないが、特に話を弾ませるわけでもない」という微妙な空間である。
そうして各々が適当に時間を過ごす中、新しい来訪者達の声が響いた。
「あれ。みんな、今日はこっちにいるんだ」
「ほんとだー。天気が良いもんねぇ」
声に続いて、パタパタという軽やかな足音が二つ。現れたのは、水色と桃色の華やかな色彩だ。
「ちょうどいいや。これ、今朝潜ったダンジョンで見つけたんだけど全然わかんなくてさ。せっかくなら一緒に見てくれない?」
ハキハキと言って手にした紙片を掲げたのは、水色の髪を持つ青年、ティトンである。
その隣では、桃色の髪をしたアロがひよこに似た動物――PIYOと呼ばれる掌サイズの生き物達と戯れていた。この生き物はエデンの各地にいて、建物やダンジョンの破損を修繕する習性を持つようだが、詳しい生態は謎に包まれている。それはさておき。
「よいしょっと」
真っ直ぐに駆けてきたティトンは、迷うことなくコトワリの隣に腰をおろす。イロハとの間にあった微妙な空席が、彼が座ったことでごく自然に繋がった。
「……なんというか、そういうところ尊敬しますよ。本当」
「? なんか言った?」
「いえ、別に」
ティトンは少しだけ不思議そうな目をコトワリに向けたが、重ねて聞き返すことはなかった。
「それで、その小汚い紙がどうしたんですか?」
カップを置き、コトワリは話題を元に戻した。「待ってました」とばかりにティトンが机上に広げたのは、古びた紙切れである。
材質は羊皮紙のように見えたが、ダンジョンにあったものならば違う可能性もあった。びっしりと書き込まれているのは、直線を主とした記号群だ。
「なにかの文字を暗号にしたみたいなんだけど、全然わかんなくてさ。気分転換に外出たところでアロと会って、そのままこっちに来たんだ」
「なるほど」
そのアロはというと、暗号よりもPIYOに構う方が忙しいようで、ティトンの方に戻ってくる様子はない。
クエルクスも鍛錬のメニューが終わっていないのか、さっきの場所からは動いていなかった。しいて変わったところを挙げるならば、腕立て伏せをしている背中にアロの手によってPIYOを積まれていることくらいだろうか。
「規則性はあるみたいだな」
言ったのは、ティトンを挟んだ反対側から紙を一瞥したイロハだった。顔を輝かせたティトンが頷く。
「そうなんだよね! 四つのパーツで一つの記号が作られてるところは古代ラール朝の文字に似てるけど、微妙に違うみたい。あ、というかイロハは暇? 暇なら一緒に考えてくれると嬉しいな」
「いいのか?」
「もちろん! 違う人間の視点で考える方がアイデアは出やすいしね。それとも、こういう謎解きは嫌いだった?」
「いや、どっちかというと好きだよ」
「じゃあ、せっかくだし! あ、コトワリもいいよね?」
「ええ、特に嫌がる理由もありませんし。ティトンさんが言うように、二人より三人の方が発想は広がりやすいんじゃないですか」
コトワリにしてみれば、特に変わったことを言ったつもりはない。だから、イロハが自分の顔を見つめているのに気がついて僅かに眉を寄せた。
「……なんです、ぼくはそんなおかしなことを言いました?」
「あ、いや。ごめん、特になにも考えてなかった」
なにかを誤魔化すように笑ったイロハに、コトワリもそれ以上は追求しなかった。
◆◇◆◇
ティトンが暗号を持ってきて、二時間ほどが経った。
ティーポット内のお茶はすでに残り少なく、アロがどこからともなく調達してスコーンの皿に添えたフライドポテトの山もだいぶと減ってきている。そして、三人の集中力も切れかかっていた。
「ダメだ……! 決定打に欠ける」
べしゃりとテーブルに両手を投げ出し、ティトンが呟いた。
三人寄ってアイデアは出たが、彼自身が嘆いたようにどれも決定的なものにかけ、結局答えは出ていない。
一番集中していたのはティトンだったが、その分溜まった疲れも人一倍だったのだろう。両手を頭上に振り上げた彼は、凝り固まった筋肉をほぐすように大きく伸びをした。
「すみませんね、お役に立てなくて」
「そんなことないよ。二人のおかげで候補もけっこう潰せたし、ありがとね。でも、そろそろ暗くなってきたし後は部屋で考えようかな」
彼が言うように、いつの間にか空の端は赤くなっている。もう夕暮れが近いのだろう。イロハがわずかに目を見張った。
「まだ諦めないのか?」
「うん、こういうの考えるの好きなんだ。それに、このままじゃ気になって寝れそうにないしね」
笑って言ったティトンは、紙に手を伸ばすと端から丁寧に巻いていった。手慣れた様子で片付けていく彼に、わずかにイロハの唇が動く。
だが、彼がなにかを言うよりもティトンの言葉の方が早かった。
「じゃ、またね! もっと考えて分かんなかったら、明日も来るかもだけど!」
来た時と同様に明るく別れを告げたティトンは、軽く手を上げてあっさりと走り去っていった。
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