どうせ死んでく他人でしょう

ふくべ

狂信者の夫婦

 ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンー…

(チッ…うるさいな)

 仕方なく私はドアノブに手をかけた。こんなアパートに振動をかけたら今にも私達の住む場所が無くなってしまう。


「…はい」

「あぁこんにちは!俺は多比栄二って言います」


 多比…と名乗るこの男は見覚えがあった。黒縁メガネをかけて、茶色のクセのある髪を後ろで1つに束ねている。

 確か、私と同じ子神(ししん)教の信者であったか。 


「秋村紗也乃さんですよね?」


 誰?…あ、私の名前か


「そうですけど」

「よかった。実はどうしても伝えなければいけないことがあるんです」


 心臓が跳ね上がる。上納金を跳ね上げろとでも言うのだろうか。気づかれないようにスカートの裾をグッと掴んで聞いた。


「伝えなければいけないこと…ですか?」


 多比は下を向いておもむろに縮れた前髪をかき上げる。私はその仕草が嫌いだ。


「実は、貴方達へ教祖様から直々のご指示があるんです」

「えっ」

「信じられませんよね」


 彼は苦笑しながら私の様子を伺う。

 私は丸くなった目が戻らず情けない顔で口をあんぐりと開けていた。

 逃げたかった。

 教祖様直々の指示なんて、昇進か追放の2択だなんて基礎中の基礎の知識である。ここにまで見捨てられたら、私達の縋る場所が無くなってしまう。


「どういったご指示なのでしょうか」


 答えないで。


「子供を育ててほしいそうです。」


 え、子供?頭が真っ白になった。理解するのに数秒かかってしまう。


「ちょ、子供って、あの?」

「一定の年齢を迎えたらまた回収するそうです。」


 意味がわからない。子供を育てる?私達が?


「実は教祖様が信者と作っちゃった子供が沢山いましてね。それなら教団の未来の為に金になってもらおうということで…」


 慌てて説明を開始されたものの、頭に入らない。子供という単語を聞くだけで頭痛がした。叫び声が脳内をこだましている。


「いやっ無理です!」


 勢いよく扉を閉めようとする。だが、若い男と体力のない女では勝負にもならなかった。


「ちょっなにするんですか!これは教祖様からのご指示なんですよ!」


 雨の音さえも掻き消すような荒れた声。一瞬竦んだものの、こればかりは譲れない。嫌だっ嫌だっ嫌だっ!


「とにかく!明日、例の子供を連れてもう一度訪問させていただきます!」


 それだけ言い残すと彼は傘もささずに去っていった。玄関前で1人残った私は青のない空を見上げて茫然としていた。静かな雨の中に、私も溶け込みたいだなんて半ば本気で思っていた。


「はっ!?どういうことだよ?」

「私も…よく…わからないの…」


 私は夫である秋村武に事の顛末を全て話した。

 くりっとした目を見開いて、私を見定めるようにじっとこちらを見つめてくる。居心地が悪い。


「とりあえずそのカーディガン脱げよ。びしょびしょだぞ。」


 やっと口を開いたと思ったら、関係のないことを口走ってきた。

 私は抑えていたストレスが次第に沸々と沸いてくる事に気がついた。しかし、あの事があったがために子供の引取りについて武と相談するんだ。ここで感情的になってはいけない。


「うん。わかった。」


 一旦距離を置くことが最善と判断し、私は脱衣所へ向かう。ここで初めて気がついたが、靴下もぐちょぐちょしていてとても気持ちが悪かった。


 軽い白Tシャツに着替え、垂れ流しの傷んだ髪も適当にまとめた。

 そしてまた武の前に着く。だが、何か話そうと思っても、何も言えない。完全なる沈黙の中、雨音だけが次第に強くなっていく。そんな中やっと武が口を開く。


「心笑が懐かしいな」


 予想通りと言えば予想通りだった。

 私達は元々ただの一般的な家族だったのだ。こんなボロアパートに住んで、教団にしがみついて、縋って生きているような社会不適合者ではなかったのだ。普通に恋愛して、普通に結婚して、「心笑」という子供が生まれて、幸せな家庭を築いていた。


「事故さえ、なければね」

「…」

「そういえば、あの日もこんな雨の中で」

「やめろよっ」


 武の方を見ると、唇を噛み締めていた。それはもう血が出るんじゃないかって思うくらいに。

 暗い雰囲気が変わることはなく、私はぼそりと呟くように言った。


「もう、あんな思いはしたくない」


 そっと背中に暖かさを感じた。目を向けると、いつの間にか隣に来て背中をさする武の横顔があった。涙がぼろぼろと落ちていたと気づくのにしばらくかかった。


「でも教祖様のご指示とあらば、きっとやらないといけないと思うぞ。」


 そうだ。今は娘よりも寄り掛かる場所を失わないことに集中しなくては。


「どうする。育てるのか」

「成長したらすぐ回収するって言ってた。それまで無心で育てればいいだけよね」


 変な感情を持たないように。私と武はそれだけを胸に子供を迎え入れる準備を始めた。


 そして次の日またインターホンが鳴った。扉を開けると、多比とはまた別の男性が女児の手首を掴んで立っていた。


「それではよろしくお願いします。ほら」

「…おねがいします」


 天気は快晴。昨日の雨が嘘みたいな天気だ。だがその女児はこの天気とは似ても似つかない顔をしていた。


「では、また教祖様からのご指示があり次第迎えに参ります。」


 それだけ言うと男性はすぐに消えてしまった。

 取り残された女児と私は特に会話をすることなく、家の中に入っていった。

 

 グキュルルルルルル……


 家の中に入るとすぐ、女児のお腹が鳴った。顔を耳まで赤くして、じっとお腹を抑えていた。

 私と武は顔を見合わせ、しぶしぶ僅かな食料をその

 音源まで持っていった。


「はい、どうぞ」


 コトンとお皿を置く。女児は慌てたように私を見つめる。


「何?野菜炒めは苦手?」


 私は声をワントーン低くして聞いた。ここで頷いたらその小汚い顔に思いっきり野菜炒めを投げつけてやろうと思ったから。

 しかし女児は首を横にぶんぶんと振って手掴みで食べ始めた。ベチャベチャベチャと不愉快な音が耳をかすめる。

 4〜5歳くらいだろうし、箸の使い方を知っていてもおかしくないはずなのに。


「ちょっと…!」


 流石に机が汚れてしまうと焦った私は止めさせようと手を伸ばした。が、その手が止まってしまった。


「おいしいです」


 手も口周りもひどく汚れていた。でも泣きながらご飯を美味しそうに食べる様を見て、そして、拙い日本語で「おいしい」なんて言われてしまえば何もできなかった。

 なんだか、昔の娘を見ているような心の浮遊感を感じていたのだ。


「何してるんだ。箸を使え。」


 武が我慢の限界といったように箸を掴む。そして、そのまま野菜炒めを掴んで女児の口へ運んでいた。

 そのまま私達は、美味しそうにご飯を食べる女児を見て、自然と口元が緩んでいることに気づくことはなかった。

 



































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どうせ死んでく他人でしょう ふくべ @hukubu

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