Femto Boy

弘田宜蒼

落零れ青年の遅咲青春記

 プロローグ


「フェムト(Femto)」。この前辞書を引いた時にたまたま見付け、何となく気に留まったので調べてみた。

 1964年に導入された、国際単位系(SI)の中の接頭辞の一つで、1フェムト秒は、0.000 000 000 000 001秒となる。 1フェムトmは、0.000 000 000 000 001mとなる……そうだ。

 つまり早い話が、それだけ「スケールが小さい」という事らしい。

 話は変わり、日本のうつ病患者数は、2022年に「419万人を突破」した。

わたくし、中山裕介24歳。先に自白するが、非常にスケールが小さい男なり。

そして、419万人分の1人となって10年目。持病と上手く付き合って行きたいが、未だ苦心中。

何故ならオレは、『Femto Boy』だからである。



憾み


『原宿表参道にはワセダノゾミちゃんがいます。ノゾミちゃーん!』

 12月に入った平日の18時過ぎ。普段は聴かないラジオに何気なく電源を入れ、ベッドに寝そべっていた時、女性DJから発せられたワセダノゾミという名前に、近頃運動不足のせいで患っている腰痛も忘れ、素早く起き上がった。

『はーい。私は今表参道のケヤキ並木に来ています。先月30日からケヤキ並木のイルミネーションが始まりました。今年は90万個の電球が153本のケヤキを彩り、幻想的な夜を演出しています』

 ワセダという人の声を聞き、獲物に襲い掛からんとするライオンのように、ラジオに向かって四つん這いになっていた。

????……。自分でも何故こんな体勢になったのか説明がつかないが、そのくらい衝撃を受けた。

オレの心境とは裏腹に、ラジオの中では女性二人の会話が続く。

『私もたまにケヤキ並木を車で通るんだけど、運転しながらでもうっとりしちゃうんだよねえ』

『本当にそうですよねえ。私もロマンチックな気分になって見惚れてしまいました。去年は一千万人以上が訪れたそうなんですが、今年はクリスマスまで1ヶ月を切ったこともあり――』

 四つん這いになって数分。ずっとラジオを凝視している。いつまでこの体勢でいるんだよ……。我に返り、直ちにノートパソコンの前に座り起動させる。立ち上がるまでが何とももどかしく、貧乏揺すりが止まらない。

 やっとデスクトップの画面が出てネットに繋ぎ、さっきの名前を検索する。その名前は芸能プロダクションのホームページの中にあった。クリックすると、にこやかに微笑んだ宣材写真が現れる。早稲田望。間違いない。

「アハーーアー」

「ア」なのか「ハ」なのかはっきりしない呻吟をして頭を抱えた。悔しさと、信じたくはない現実……。今頃悔しがっても遅い。忌まわしいあの人の声が蘇る。

『彼、何にもなさそうなんだよね。将来の目標とか――』

顔を上げ、改めてページに目を通す。

『癒しのナレーションならお任せ!!』

太字で書かれたキャッチフレーズの下に、簡単なPRが載っている。

『ナレーションスクールで正しい発音を身に付け、アルバイトで笑顔を身に付けました。他の人にはない、自分のカラーを持ったナレーターを目指しています』

僕はここ最近、笑顔を失っています。

そして、主な活動が紹介されていた。イベントコンパニオン・イベントMC・リポーター。

 始めは心が大きく揺蕩していたが、観ている内にスーっと落ち着いて行く気がした。頼むからこのままの状態でいてくれ!



 翌日の午前9時過ぎ。外からはもがり笛が聞こえる。平静を願って就寝したものの、目覚めれば反故同然。歯痒いというのか、腹の底で何かが涌いているような感じがして、のたうち回りたくなる。

 元はといえば、こんな気分を味わうのも全部自分のせい。自業自得なのだ。

溯る事2年前――

 


オレは私立東明館大学の学生だった。定時制での高校生活を過ごした後、国立大学と私立を受験し、見事? 東明館大学の文学部史学科に合格した。

 定時制と合わせて通信制も受講した三年間、学校を除けばたまに単発のアルバイトをするくらいで、後は引き籠もり同然に過ごした。金はないが暇はあった訳で、受験勉強をする時間には事欠かなかった。

 史学科を受けたのは、小学六年の時に社会科の授業で日本史を習ってから、特に戦国史が好きになり、漠然とそっちの道に進みたいと思ったからだ。

 人生の分岐点で安易な決め方をすると、後にそれはそれは「イッテーー!!」目に遭う。

確固たる志もないまま始まった大学生活。2ヶ月間は友達もいない「仮面一匹狼」で、キャンパスライフを謳歌する片鱗は微塵もなかった。

しかし、3ヶ月目に入った6月上旬。

「そこの席空いてる?」

授業開始前、男に声を掛けられた。オレは真ん中の列の通路側に座り、右に二席空いていた。「はい」と返事をすると、男は「サンキュー」と言いながら連れ立っていた女と座った。

隣に座った男の身なりをチラ見。平たく言えば、チャラい、といっても良いでしょう!

やがて授業が始まったが、隣の男女はペチャクチャお喋り。

「あのセンコー、桃屋のキャラに似てね?」

「えー。マス夫さんじゃない?」

おいおい。教授のお話を聞けや! そうは思いながらも、改めて教授の顔を見てみると、確かにどちらにも似ている。不覚にも「んぐ」と鼻で笑ってしまった。

「ね。似てるよねえ」

鼻で笑った音を聞き逃さなかった男が訊いて来た。

「五分五分だね」

そう答えながら今度は女をチラ見。ショートカットでボーイッチュな感じ。それにノリも良さそう、と判断しても良いでしょう!

男の名前は舞田尚之。女は藤崎美登里(みどり、あだ名はミド)。予想した通り、舞田はチャラ男。ミドは誰とでも気さくに接し、ポジティブな性格だった。

2人は同じ中学に通い、高校は別々だったが、大学で偶然再会した。学部・学科も同じで、恋愛映画であれば奇跡と演出される所だろうが、当時舞田には彼女がいた。

舞田はオレとミドより一つ上で、一年浪人しての入学。ミドは中学時代少しやんちゃだったそうで、全日制の高校を拒否し、通信制高校に入学した。「別に不良じゃないから」とは言っていたが、アルバイトをしながら学校に通い、一念発起して大学に合格したのだから凄い。

2人と出会った事で、オレの大学生活は一変……は過言。0・5変する。

3人でカラオケに行き、踊りはしなかったがクラブにも行った。たまには別の所で遊ぼうと言うミドの提案で、ゴルフ練習場にも行った事がある。舞田とは日雇いのアルバイトもした。

2人と行動を共にしていると、一つ一つが新鮮で、楽しい時を過ごせた。

でも、時を重ねて2人には別の友達が出来、ミドにも彼氏が出来て、3人で遊ぶ事は少なくなって行った。オレは人見知りと社交性のなさから、2人以外に友達は増えなかったが、二人と関係が途絶えた訳ではなかったので、特に寂しいとは思わなかった。



大学4年になった、4月中旬の土曜の午後。舞田から電話が掛かり、

「ユースケ、久しぶりに行っちゃわない?」

とクラブに誘われた。

とっくに就職活動に入り、遊んでいる暇などない筈だが、週末だったので、

「はいはい。行っちゃいますよ」

軽く承諾した。

18時過ぎに六本木に行ってみると、舞田の他に、ミドと彼女の女友達2人が来ていた。

入口でIDチェックなどを済ませ中に入ると、4人はフロアーに出て踊り始める。舞田は直ぐに目当ての女性を見付け、リズムを取りながら声を掛けている。オレはカウンターで軽くリズムを刻み、2、3時間場の雰囲気を堪能したら帰ろうと思っていた。

「望も踊らない?」

三つ離れた席に座っていた女性に、友達と思われる女性が声を掛けた。

「うん。私はいい」

ノゾミと呼ばれた女性が答えると、友達は「そう」と言ってフロアーに戻って行く。これが、早稲田望という人を最初に見た瞬間。色白で、サラっとしたロングヘアーの早稲田が気に留まった。だが、流石にガン見する訳にもいかず、気持ち悪いと自覚しつつチラチラ見て現を抜かした。

その時、後ろから急に肩に手を回された。

「ユースケもたまには弾けちゃえよ!」

振り返ると、舞田が知らない女性を連れている。

「望もだよ!」

女性はさっきとは別の早稲田の友達だった。

「私はここで飲んでるのが好きなの!」

勝手な推察だが、早稲田も進んで踊ったり人に声を掛けて行くタイプではないようだ。

「オレは場に慣れたら適当に動くから」

オレがそう言うと、

「リズムに乗ってるだけでも良いんだよ。お二人さん」

早稲田の友達が言った。舞田も「そうだぞ!」と言って、オレの肩を『ポン』と叩く。苦笑して早稲田の方を見ると、にっこりして会釈してくれた。

「気になるならガンガン声掛けちゃえよ」

舞田が耳打ちしたが、会釈されただけで結構胸が一杯だった。完全な一目惚れ。この瞬間から呼吸が早まった。確かに声は掛けたいが、何を話せば良いのやら……。それ以前に、緊張してろれつが回りそうにない。

舞田達がフロアーに戻って20分くらいが経ち、

「暑くないですか? ここ」

途中で噛まないように、徐に言った。クラブの中は冬でも暑いくらいだ。

「そうですね。熱気がムンムンしてる」

「こういう所はがらがらって事ないでしょうしね。よく来るんですか?」

「いえ。さっきの友達に誘われて。でも彼女みたいには出来ませんね」

「オレもそうです」

結局、この日はこれが精一杯だった。気持ちがアップしたのかダウンしているのか、何とも微妙な感じで、舞田に「先に帰る」と告げて帰った。

もう会う事はない。この時はそう思っていたのだが……。



2週間後の火曜日だったと思う。舞田から合コンの誘いを受けた。そんな悠長な時期ではない。それに、知り合いと飲むならまだしも、初対面の人達との席は苦手で、ずっと断わって来た。

オレが「合コンはいいよ」と言うと、

「合コンとは聞こえがわりーな。飲み会だよ。皆でパーッと盛り上がって仲良くなる。お互い良けりゃLINEとか交換するだけじゃん」

それを合コンっていうんじゃねえのかい?

「この前の子も来る予定だけど、それでも来ないか?」

「誰の事だよ?」

早稲田である事は直ぐに分かったが、無意識に見栄を張った。

舞田はあの日から、早稲田の友達と連絡を取り合っているようだ。流石!……でもないか。

舞田は「惚けんなよ!」と言って、オレが被っているキャップのつばを掴んで下にずらした。

「からかうなよ!」

キャップを直しながら不機嫌を装ったが、内心はドキドキしていた。



その週の土曜日。下北沢(世田谷区)の居酒屋の個室にて、舞田の言う「飲み会」は開かれた。結局、承諾した訳で……。

参加したのは、男性がオレと舞田、舞田の友達2人。女性が早稲田と、その友達3人の4対4だった。

女性を追ってノコノコ出ては来たが、やっぱり慣れない雰囲気。そこに追い討ちを掛けるように、舞田がオレと早稲田を、入って右端の席に向かい合わせにした。ありがたいが……始まる前から心臓が大きくバウンドする。

その時、早稲田と目が合い、「この間はどうも」と話し掛けてくれた。

「こちらこそ。今日も誘われたんですか?」

「そうなんです……」

早稲田は口に右手を当て、前のめりになった。何だろう? と左耳を近付ける。

「ゴリ押しされたんです。私押しに弱いから」

早稲田は照れ臭そうに笑った。たったこれだけで、宙にも浮かぶ気分である。

「それじゃあ、早速自己紹介から始めちゃいましょう! まずはオレから」

舞田が流暢に進行し始める。男3人が砕けた自己紹介を済ませ、オレの番になった。

「中山裕介です。本日は宜しくお願いします」

何とか噛まずに言えた。緊張すると妙に丁寧な口振りとなる、変な癖。

「かてーよユースケ!」

透かさず舞田がツッコミを入れ、軽く笑いが起きたが、言葉を返す余裕は全くなく、無言で座る。

続いて女性が自己紹介して行く。

「望です。今日はガンガン飲みましょう!」

「一緒に盛り上がろう!」

舞田の友達が入れた合いの手に、早稲田は笑顔で返した。

暫くすると、向かい合う男女の会話が弾み出し、早稲田もにこやかに相槌を打っている。

オレは一人マイペースを装って、黙って飲食するばかりだった。

やがてさり気ない席変えが始まる。

「望ちゃん何飲む?」「どんな映画が好きなの?」。男達が早稲田に話し掛けて行く。羨ましい光景だが、こっちには何の手立ても、なし。

もどかしさから貧乏揺すりが激しさを増していた時、舞田から声を掛けられ、一旦外に出た。

「お前望ちゃんと喋りたいんだろ?」

「別に……」

目一杯しらを切った。

「嘘付け! さっきからチラ見ばっかしてんじゃねえか」

「……その通りだよ」

そこまで目が行き届いている人には、しらは切り通せませぬ……。

「オレあいつ(早稲田の隣に座る男)呼び出して席立たせるから。その隙に望ちゃんの隣に座れ」

「どうやって?」

「さり気なくだよ」

舞田はじれったそうに言う。

「「何飲んでるの?」とか「隣良い?」とか言って。分かったな?」

舞田はオレの肩を『ポンッ!』と強めに叩いて、中に入って行った。舞田は早速実行に移し、友達に何やら耳打ちすると2人は出入口に向かった。出て行く時、舞田は「行け!」とアイコンタクトした。

さてどうするかと思っていた時、運良くまた早稲田と目が合った。これを逃しちゃ駄目だ。意を決して立ち上がり、早稲田の隣へ回った。

「隣良いですか?」

「私は良いですけど、人がいますよ?」

「向かい合わせじゃ聞き取り難いですから」

適当に誤魔化してさっさと座った。

「あの、苗字訊いて良いですか?」

性格上、いきなり「望ちゃん」と呼ぶのは憚られた。

「早稲田です」

「あの大学と同じですか? 由緒正しそうな名前ですね」

「そんな事ないですよ。大学とは何の関係もないですから」

苦笑された。よく言われるのかもしれない。

「皆大学生なんですけど、早稲田さんも学生ですか?」

「まあ、一応……」

明らかに気色ばんだ答え。

「もしかして、訊いちゃ失礼でした?」

神妙に言うと、早稲田は笑顔で「いや違うんです」と言いながら、素早く右手を振った。

「実は私達、働きながらアナウンススクールに通ってるんです」

「へえ。じゃあ、将来はアナウンサーに?」

「私は声優です。ナレーターとしても活動出来る、そんな声優を目指してるんですけどね」

早稲田の目には力が籠もっていた。

その他にも、早稲田は石川県の出身で、オレより一つ上である事。オレは日本史を専攻している事など、色々話をした。

「今大学は何年ですか?」

「4月で4年になりました」

「えっ!? 就活大変でしょう?」

「こんな時期に合コン!?」というような反応。正にその通りな訳で……。

「今勉強してる道には進みたくないんですか?」

「いや、そういう訳じゃないんですけど……」

痛い所を突かれ、歯切れの悪い返事しか出来なかった。今思い返すと、当時は志とか、就職の事とか、正直ボヤっとしていた。先の事に対する危機意識も乏しかったと思う。

ふと周りに目をやると、男女が連絡先を交換し合っていた。オレもこの人とコンタクトを取りたい! 別に付き合いたいとか、最終的な考えはなかった。只純粋に、早稲田との関係を続けたかった。

しかし、それまで連絡先を交換した経験があまりない為、どう切り出そうか迷い、咄嗟に舞田を出汁に使った。

「今日、あいつに誘われたんですよ」

「そうなんですか。なーんか軽そう」

「チャラいですよ。皆に連絡先訊くと思いますけど」

「服装からしてそうだと思った」

早稲田は笑いながら言った。チャンスだと思った。

「オレも連絡先訊いても良いですか?」

言った瞬間から、早過ぎる達成感に満ち溢れた。が、それは持って1、2秒で終わる。

「良いけど、用なくなるよ、絶対」

「良い」と言いながらも、教えてくれる素振りは全くない。二の句が継げず思案に暮れていると、「お二人さんちょっとごめん」と女性が後ろを通ろうとした。

早稲田は女性に「トイレ」と訊き、「うん」と返事をされると、「私も」と言って席を立ってしまった。

1人残され手持ち無沙汰になったオレも、後を追うつもりはなかったが、トイレに行こうと席を立った。

廊下を真っ直ぐ進み、左に曲がろうとしたその時、

「隣の彼と良い感じじゃん?」

「只会話してただけだよ」

さっきの女性と早稲田の声が聞こえ、思わず足を止めて耳を欹てた。

「連絡先訊かれたんだけどさあ……」

「教えたの?」

「用なくなるって断わった」

「別に教えるくらい良いじゃん」

「そうなんだけど……」

早稲田は口籠もる。何か嫌な予感……。

「彼、何にもなさそうなんだよね。将来の目標とか。そういう人と関係持ってても、何にもなんないじゃん?」

!!!!……。一遍に身体が凍り付いた。首から熱い血液がカーっと上がり、顔は脂汗でギットギトになって行く。

気付いた時には席に戻っていた。あのままあそこにいたら、尚気まずい状況になってしまう。無意識の行動だった。聞かなきゃ良かった……。

でも何も知らなかったら、再度連絡先を訊いて、体よく断わられていただろう。どっちにしてもショックを受ける訳だ。

暫くして、早稲田が帰って来た。だが、もう目を合わせる事も、話し掛ける事も出来なかった。向こうも、一切声を掛けては来ない。居た堪れなかった。

他の皆は二次会でカラオケに行ったが、オレは当然そのまま帰った。別れ際、一瞬だけ見た早稲田の笑顔……。憎らしい程輝き、綺麗だった。

『何にもなさそうなんだよね。将来の目標とか』。帰りの電車の中、この言葉が頭の中をグルグルと駆け巡った。その場にしゃがみ込みたい程、羞恥心にさいなまれる。一時の思い出にしておけば良かったのだ……。結果論。



2、3日経つと、羞恥心は苛立ち、憎しみへと変化した。落ち着いたかと思えば、1、2時間後にはぶり返すの繰り返し。この時ばかりは安定剤も効かなかった。

自分に目標があれば、あの人の見方は違っていたかもしれない。怒りを奮起に替える訳でもない、お門違いも甚だしい感情……その状態が2ヶ月は続いた。

この間、舞田とミドは遊びながらも就活を本格化させていて、舞田は歴史雑誌を発行する出版社へ、ミドは神奈川県内の歴史博物館の事務として就職が決まった。

オレはというと、流石に危機感を感じては来たが、重い腰が中々上がらず、結局面接を受けたのは10社に止まった。そして、全て不採用……。そのまま卒業を迎えてしまう。

今思えば、採用されなかったのは自分の無気力さ、心構えのなさが手繰り寄せたのだと思う。

オレが進んだのは、派遣社員の道だった。大手人材派遣会社に登録し、通信会社で基盤の検査をしてデータを取る仕事が決まった。取り敢えずは、路頭に迷わなくて済んだ。

しかし、働き出して2ヶ月が経った頃、舞田とミド、そして「もう1人」。全ての友達と音信不通になってしまう。

職場には友達がおらず、背後から「孤独」という悪魔が忍び寄る。悪魔は病の症状も伴っていた。連日続くうつと倦怠感……。そんな状態で3ヶ月目に入り、仕事に慣れて来たという事で、1、2時間程度の残業を頼まれるようになった。始めは何とか耐えていたが、その内きつくなり、体調不良を理由に定時で上がらせて貰っていた。

働き出してから、通院は月1にして貰い、その事はリーダーにだけ告げていたが、流石に怪訝に思ったリーダーは、「何処が悪いのか」と訊いて来た。オレは躊躇いながらも、正直にうつ病だと打ち明ける。

次の日から、リーダーや周りの社員さんは、「大丈夫?」などとちょくちょく声を掛けてくれるようになった。

理解してくれたんだ。勝手にそう思っていた矢先――



10月初めの就業後。派遣会社の担当の人に呼ばれた。休憩室の隅の席に向かい合って座る。どんな話か、大体予測は出来た。

担当の人は徐に口を開く。

「中山さん。あなた精神疾患を抱えてるそうですね?」

「……はい」

派遣会社には、うつ病の事は伏せていた。

「それでですね、主任さんが言うには、中山さんには仕事が頼み辛いっていう声が上がっているそうなんです」

「……」

話によると、精神疾患を抱えている事がリーダーを通じて周囲に広がり、仕事上のミスも全て病気のせいだと、偏見を持たれてしまったらしい。理解してくれたように見えたのは、オレの錯覚。

「主任さんからは人をチェンジしてくれって言われています。ですので……ここの仕事は今日で終わりです」

 担当の人の顔に悔しさが滲んでいた。立場上、スタッフを庇いたい気持ちを押し殺し、顧客の要望を迎合しなければならない。精神的苦痛となる仕事をさせてしまった事は申し訳なかった。

だが、それも然る事ながら、オレにとっては「戦力外通告」。今日で終わりって、労働基準法も無視か……。とは思ったが、「今月一杯です」と言われて、偏見を持たれている職場に明日からも出勤出来たか? 仕事を失うショックの中に、安心感が漂っていたのも事実。

「力になれなかった事は申し訳なく思います。ですが、日本はまだまだそういう国なんです」

担当の人は鼻から溜息を吐いた。

患者数が増えている現実とは裏腹に、周囲の目は冷ややかな現状……。それをまざまざと教えて頂いた。

翌日からは完全な無職。結局路頭に迷う結果となった。



その少し前。中山家ではもう一つ大きな「事件」があった。父の譲一が、九月一杯で会社を依願退職した。まだ55歳である。

「オレは疲れた。もうお前達の面倒は看きれない」

突然こう宣言された。給料をカットされ、尚且つ、入社以来の親友が上司とトラブルとなって退社した。この一件で、譲一も会社に不信感を持ったと、母の小枝子から聞かされた。

家庭では家庭で、長男のうつ病は一向に改善しない。常に気に掛かり、歯痒くて仕方がない筈だ。

家庭にも職場にも、譲一の気の休まる場所はないのだと思う。この状況下にいて、譲一は何もかも一度リセットしたかったのかもしれない。

辞めてどうするのかと思っていたら、小・中・高と同級生だった友人の農業を手伝いに行ったり、ふらっと一人旅に出たりと、悠々自適な生活に入った。

小枝子は、譲一が退職した事に伴い、パートをフルタイムにした。それともう一つ。ママ友から習ったデイトレードに嵌り出したのだ。勿論高額な取引はしていないようだが、そこそこの小遣い稼ぎにはなっているらしい。

弟の秋久は、心理カウンセラーを目指して国立大の心理学部に通っている。動機は、「兄貴のような子達を救いたい」からだそうだ。苛め・うつ病・引き籠もり……問題児な兄を、秋久は間近で見続けて来た。兄らしい事は何もして来なかったが、志という点では、兄貴も役に立ったという事か。

3人はそれぞれの道を見付け、歩みを進めている。オレも何とかしなければと、アルバイトから始められる事務の面接を数社受けたが、悉く惨敗。

家族の中でも、オレは停滞してしまった。



――リスタート――


そして現在。24歳の12月。

早稲田が出演したラジオを聴いた翌朝、憂鬱を払拭させようと、ベッドの上で「っは!!」と声を張り上げたが無駄。暫くベッドでごろごろし、天井を見詰めて軽く舌を噛んだ。このまま噛み切ってやろうか? 無理すんなって。お前にそんな勇気はない。

無職となった2ヶ月を思い返す。10月から始まったテレビの新番組。11月中旬のボージョレ・ヌーボー解禁の報道。今月に入り街で輝く、クリスマスのイルミネーション……。それらを見て、「そんな時期かあ……」と溜息を吐いた。そして止めは、昨日のラジオ。オレの人生って何なんだろ?

1時間くらい経ってやっと起き上がり、パジャマからトレーナーとジャージに着替えて1階に降りた。時刻は10時を回っている。

うつ病の改善は、規則正しい生活が必要不可欠。放恣に流れると社会復帰だって遅れる。自覚はあっても、現実はこの有様。

コーヒーを飲みながらテレビを観ていると、昼になった。冷蔵庫からハムエッグと焼き鮭を取り出し、鍋の味噌汁を温め1人で食事をする。その時、昨日から泊り掛けで友人の農業を手伝いに行っていた譲一が帰って来た。「おかえり」とも言わなければ、向こうも「ただいま」とは言わない。

「お前に郵便だ」

親父の第一声。二つの封書を手渡して来た。見ると、年金についての役所からの通知と、スマートフォンの請求書だった。食事を終えて2階の部屋へ上がり、封書をベッドへ投げやった。

ノートパソコンの前に座り、起動させてネットに繋ぐ。仕事を探す訳でもない。どのページを観るのかも決めていない。キーボードを打ち、頬杖を突いてマウスを動かすと、画面一杯にアダルト画像が映し出された。

「気晴らし」などの言い訳はしない。「サボり」以外、何と表現出来ようか……。僕はこれを、「自覚ある腐れ」と申します。

閲覧するのは「ギャル系」よりも「お姉さん系」。自分が如何に甘えん坊かが嫌でも解る。こういう人達と「付き合いたい」ではなく、「知り合いたい」の想いが強い。そこが、良く言えば「控え目」。悪く言えば「受身」の自分の性格を現している。

後ろの請求書を見て、気持ちがダウン&溜息一つ。日が暮れた頃、タバコを買う序に請求書を持って外出した。銀行のATMで金を下ろす。減って行く残高を見て、気持ちがダウン&溜息。2発目……。

コンビニでタバコを買い、スマートフォンの料金を支払った。出て行く時、雑誌コーナーに目をやると、カップルが笑顔で会話していた。正直羨ましいが、自分は彼女を作る次元にもいなければ、その器もない。気持ちがダウン&溜息。3発目……。

夕食を済ませて薬を飲み、風呂に入ると、やっと気持ちが落ち着いて来る。夜の方がリラックスする理由、多分、夜勤の職場、残業の人、勉学に励む学生を除けば、会社や学校は動きを止める時間帯だからだ。その状態が安心に繋がる。

皆が寝静まった頃に活動を本格化させ、世の中が教育、労働と、国民の義務を果たすべく喧騒に包まれる頃は、睡眠によって耳を塞ぐ。裏を返せば、それは自分の現状に負い目を感じている証拠でもある。引籠もりに夜型が多い理由が、何か解る気がする。

負い目を感じるという事は、オレの心はまだ正常に動いている。という事か。

 この時になって、やっと仕事の情報を検索する。ハローワークには見向きもせず、派遣で目に留まった仕事があればWEB応募する。

 他に動画サイトなどを観て、午前1時頃に就寝し、午前10時前後に起床。幾ら夜の方がリラックスするからとはいえ。気持ちがダウン&溜息。4発目……。

逐一数えていたら、優に百発は超えているだろう。



日曜日。目が覚めて時計を見ると、午前9時半だった。今日は譲一は朝から家を出ていないし、小枝子も出勤日だ。

因みに、この前応募した仕事は一次選考で落とされた。金曜日の午後に派遣会社から、

『今回はお仕事をご紹介するには至りませんでした』

というメールが届いた。面接もして貰えない。して貰ったとしても、

『選考から漏れてしまいました。また何かありましたら宜しくお願いします』

虚しい電話。同じような内容の連絡を何回受け取ったか、自分も記憶が定かでない。

譲一は「面倒は看きれない」の言葉通り、一切口出ししなくなった。小枝子は、「何で派遣に拘るの!?」「この前駄目だった所、裕介の気持ちの問題なんじゃないの?」などと口喧しい。最近は小枝子と顔を合わせる事ですら鬱陶しくなって来た。

オレみたいな子供がいれば、何処の親だって口を出さずにはいられないだろう。それを理解しているのに、自分を苛むだけ。

1階に降りてリビングに入ると、秋久がソファに寝そべってテレビを観ていた。

「オッス……」

秋久は振り返ってオレを一瞥し、「オッス」と返した。

コーヒーを淹れ、椅子に座ってぼんやりとテレビを観た。一週間の出来事をまとめた報道番組が終わり、10時になると、情報バラエティ番組が始まった。番組に出ているリポーターは、全てディレクターやAD達。拙いながらも面白おかしく情報を伝え、スタジオの出演者達がそれにツッコんで行く。

画面はスタジオに切り替わり、司会者に紹介されたコメンテーターの中に、「あの人」が居た。最近忙しそうだな。

「この人話題になってるか」

秋久に訊いてみた。

「オレの周りじゃそうでもないけど。本が売れてんでしょ?」

「みたいだな」

秋久は「あの人」がオレの友達だとは知らない。

「あの人」=夕起(ゆうき)という女性小説家。本名は渋谷文夏(しぶたにあやか)。18歳で風俗店に入店し、20歳の時に風俗嬢を続けながら、オレが通っていた定時制高校へ入学した。学年はオレが一つ上だが、年齢は夕起さんが三つ上だ。

愛嬌のある笑顔で人気を博すると、風俗サイトや雑誌のグラビアを飾るようになる。遂にはテレビの深夜番組で特集もされていた。

 26歳で引退した後、今年初めに半生と風俗時代のエピソードを綴った本『DEPARTURE』を出版。この本が現在までに5万部を売上げ、夕起さんはメディアへの露出が増えた。今や全国放送のコメンテーター。オレとは雲泥……いや、雲と地中の差はある。

友達になったきっかけは、当時人を遮断していたオレに夕起さんが興味を持ち、向こうからバンバン話し掛けて来たからだ。

友達の活躍を素直に喜べるゆとりはないが、ワンショットになった夕起さんを観て、自然と微笑んでいる自分もいた。



時間が経って夜。

「裕介。この前応募したって言ってた所、どうだったの?」

夕食を終え、そそくさと2階へ上がろうとした刹那、小枝子に呼び止められた。

「……駄目だった」

 秋久が素知らぬ顔でオレの横を通り、リビングから出て行った。それに続いて歩を進めようとすると、

「落込んでる?」

また足を止められた。

「平気、とは言えない」

「病気の面でも辛い時期よねえ……」

小枝子はうわ言のように呟いた後、鋭い目を向けて来た。

「言いたくはないんだけど、塞ぎ込むのは仕事を見付けてからにしてくれる?」

「……」

確かに、一々塞ぎ込んでしまう。そうなると気だるさで起きているのも辛く、終日ごろごろして過ごす。そして不採用の通知が来てまた……。自分でもその姿が見苦しい事は分かっている。だが、打つ手が見付けられない。

「序に言わせて貰うけど、正直あんた甘いわよ。就活中の大学生を見てみなさい! あんた大学時代何やったの!? ハローワークの混み具合にも目を向けてみなさいよ!!」

次第に大きくなる声。小枝子の言葉に反論の余地はない。遮二無二求職活動をしなければ職が得られない現実を、オレはもっと認識しなければならない。

「説教なら廊下に出てやってくれ! テレビが聴こえない」

譲一が口を開いた。

「息子が非常事態の時に何呑気な事言ってるの!?」

「良いんだよ。もう子供じゃないんだ。自分で考えて良いように生きて行くだろうよ」

譲一の投げ遣りな口振りに、小枝子の顔は「あんたそれでも父親!?」とでも言いたげな、訝しげな表情になった。

譲一がオレを一瞥する。

「やむを得ず派遣社員になったんならともかく、こいつは自分からその世界に飛び込んだんじゃないか。だったら自分で対処しろよって話だろ? 病の治療だけはちゃんと遣って……病気になりたいのはこっちだよ」

ご尤もなお言葉です。

譲一はチャンネルを替えた。一人のゲストに対し、聞き手がやたらに多いトーク番組。出演者の中に、売れっ子放送作家でありながら、タレントとしても活動している男性がいた。

放送作家。企画を考え、必要な事を色々調べて台本を書く職業。今の知識はそれだけ。 プロデューサーやディレクターは場を取り仕切り、現場の雰囲気を盛り上げるのも仕事の一つと、前に聞いた事がある。オレの性格上、それは難しい。

 だとすると、放送作家ならば……。

オレは咄嗟にリビングから出て行った。後ろから「ちょっと裕介!」と小枝子の声が響いたが、無視した。

部屋に入ると直ぐにノートパソコンを起動させ、ネットに繋いだ。オレの辞書から消えない文字、「安易」。放送作家を検索し、職業解説のページを開く。

『放送作家は時間が不規則です。企画会議は長丁場ですし、真夜中にディレクターに呼び出され、台本の手直しを頼まれる事も多々あります。給与(ギャラ)は、ベテランだと番組1本で15~20万円くらい。若手だと約5万円くらいと区々です。

しかし、これは原則的ではありません。若手でも売れっ子になれば高額になりますし、キャリアが長くなれば、ギャラもそれに比例するといった世界ではありません。地道に行こうと考えている人には、まずお勧め出来ない職業です』。

以上、抜粋。

厳しい世界だが、この手の職業はどの分野もそうだろう。でも、気に留まったからにはもう少し詳しく知りたい。放送作家を養成する学校も幾つかあるが、入学金が払えない。さてどうしたものか……。

考え倦ねいていると、夕起さんが頭に浮かんだ。あの人に話を聞いてみたい。しかし、半年以上も音信不通だ。いきなり「相談があるんです」と連絡するには気が引けた。

為す術がないまま、日時は過ぎて行く。



新年1月1日。午前中から正月特番をだらだら観ながら、舞田とミドに「あけおめメッセージ」を送った。

両親は年賀状のチェック。秋久はLINEの送受信に夢中だ。オレは、従姉の姉ちゃんから来た年賀状一通のみ……。テレビに集中出来るのはオレだけ。

そして、午後になっても2人からの返事は既読にはなるものの、なし。陸な正月じゃねえよ……。

この様子じゃ夕起さんも駄目か。とは思ったが、正月は良い機会。メッセージを送ってみる事にした。

「明けましておめでとうございます。その後お元気でしょうか? 最近忙しそうですね。身体にはどうか気を付けて」

弟のスマートフォンとは打って変わり、今日1日、オレのスマートフォンがバイブする事はなかった。

改めて孤独を噛み締めながら床に就いた翌朝の9時55分。スマートフォンのバイブ音起こされた。開いてみると、渋谷文夏と現れた。

『あけおめー! ずっと連絡できなくてほんっとゴメン。気にはしてたんだけど、メッセージくれて嬉しかった。私は元気にしてます。ユウ君は元気かな?』

返信を待ち侘びていたが、現実となると案外冷静だ。布団に潜ったまま返信を打つ。

「元気そうで良かったです。オレも元気にしています。それでですねえ、久しぶりに逢って話たいんですけど、時間を作って貰えないでしょうか?」

不躾かとも思いつつ、送信。約10分後に返信が来た。

『良いよ。でも10日くらい先で夜になると思うけど、それでも良い?』

「はい。大丈夫です。急なお願いに応えて貰い、ありがとうございます」

『了解。じゃーごはんでも食べながら語り合おう! 日時はまた連絡するね』

逢うのは2年ぶり。単純な頭の中は、久しぶりに逢えるんだと純粋さ半分。あの人に放送作家の事を話せば、何とかなるのではと打算半分。オレの辞書から消えないもう一つの言葉、「安直」。



1月11日金曜日。夕起さんに指定された通り、吉祥寺(東京都武蔵野市)に着いた。待ち合わせの時間は19時だったが、時計を見ると15分前だった。

「オレは今着きました。中央口の近くにいます」

メッセージを送り、寒いのでロータリー付近をうろうろしながら返事を待った。暫くして電話が掛かって来た。

『通りの所まで来て。青い車がそうだから』

「了解です」

行ってみると鮮やかな青のハッチバックがハザードを点けて停まっていた。外車ではなかっただけ、何か安心する。

「ああ、外寒っ!」

助手席に座り、悴んだ手を足元のヒーターに近付けた。

「一番寒い時期だからね。それより何が食べたい? 何でも良いよ、奢るから」

「じゃあ鍋。しゃぶしゃぶ」

「オッケー。しゃぶしゃぶね」

吉祥寺内の鍋料理店の個室に入り、牛肉と豚肉を注文。オレはビール。夕起さんはウーロン茶で乾杯した。

「日曜朝の番組はよく観てますよ」

「あれねえ。最初は出演するか迷ったんだよ。ぽっと出の私が、人様にあれこれ意見して良いのかなって」

夕起さんは、去年の六月頃からテレビ・ラジオの出演オファーが増え始めた。そこに次回作の取材も重なり、オレの電話やメッセージには対応しきれなかったのだという。今回返事をくれたのは、年末から少し時間に余裕が出来たからだそうだ。

「申し訳ない」と頭を下げられたが、詫びる必要はない。オレだって察していなかったのだから。

「それで、ユウ君は最近どうなの」

訊かれると予想はついたが、緊張が走る質問。

「実は、今求職中なんです」

「そうなんだ。どんな感じなの?」

「面接受けるんですけど、中々……」

「焦ってやるのは良くないけど、早く見付かると良いね」

目的の話を切り出すのは今だ。

「放送作家さんで知り合いの人いますか?」

「作家さん? まあ顔見知りの人は何人かいるけど、どうして?」

「勉強したいんです。放送作家の事」

「話がしたいって、その事だったんだね?」

夕起さんは笑みを浮かべ、鋭い眼光を向けた。

「それもありましたけど……」

図星の為、苦笑して返す他ない。

「良いよ。私で良かったらいつでも使って。でも勉強したいって事は、自分でも企画書書いてるの?」

完全なる他力本願。人に力を借りる前に何をしなければならないか、考えもしなかった。夕起さんに言えば何とかなるだろう。「悪い意味」での自分の羽化登仙な所が前面に出てしまった格好。

「……いや、それはまだ」

途端に、夕起さんの表情は落胆した。

「それじゃあねえ。考えてみてよ。手ぶらのユウ君を紹介して、相手はどんな印象を持つと思う? そんな子を紹介した私の印象も悪いだろうし、ユウ君だって「本気で放送作家に成る気があるのか?」って疑われると思うよ」

仰る通りだ……。

「私は本を出したいって思った時にはもう書いてたよ。今のユウ君は、只放送作家に憧れた夢現の状態じゃない」

僕がわるうございました。そこまで言われなければ分からなかった自分が情けなく、その場にひれ伏したいのと同時に、自分を真剣に叱ってくれた事が嬉しくもあった。

「まずは作家さんがアドバイス出来るように、自分で書いてみなきゃ」

オレは深く頷いた。

「何か間違った事言った?」

夕起さんの表情が優しくなっていた。オレは心中で「いいえ」と言いながら首をゆっくり振った。こういう時は動作だけ。無言のリアクション……。

夕起さんが牛と豚をしゃぶしゃぶした後、「皿貸して」と言った。皿を渡すと肉と白菜などを入れ、オレに差し出した。

「ほら、悄気てる場合じゃないでしょ! 肉食って精出せ!!」

この人のパワフルさは、初めて会った時から変わらない。

帰りは送って貰う事になった。車窓から夜の街の風景を眺め続ける内、気持ちを新たにする事が出来た。



翌日の午後。年末に観た職業解説のページにアクセスした。

『放送作家の第一歩はリサーチャーから始まります。リサーチの仕事は、番組で紹介する商品の情報・クイズ番組の問題作成など様々です。 

放送作家の基本はリサーチであると言っても過言ではありません』。以上、抜粋。

夕起さんは「まずは私が見てあげる」と言ってくれた。このページの「助言」に従う事にした。

さて、何をリサーチしようか……。手元にある雑誌や本を開いてみる。人物・流行と色々あるが、「これだ!」と思うものが目に留まらない。

本棚に目をやる。子供の頃から買い集めた日本史の本。歴史は堅っ苦しいかなあ……。とは思いつつ、何気に名城・古城を解説した本を手に取った。目次に書かれたタイトルに目を通していると、漸く「これなら面白いかも」と思える項目が見付かった。

早速、本とネットを併用して資料集めをした。



――闘う女――


ユウ君と久しぶりに逢った日から、9日が経った。今日の午後3時に原宿で待ち合わせて、さっそく書いたっていう企画書を見せてもらうことになっている。

「今日はいい天気だね」

「そうですね……」

ユウ君の表情が固い。緊張しているな。

カフェに入ってお茶してたら、緊張も解れるかな? って思ったけど、ちょっと無理みたい。

「じゃあ見せてもらおうか」

ユウ君が出した企画書のタイトルは、『世界遺産の、もう一つの遺産』。

「NHN(日本放送ネットワーク)でやってる歴史番組で特集したらって思って書きました」

『西暦79年8月24日。イタリアのナポリ近郊にあった都市国家ポンペイは、火山の大噴火によって一夜で消滅してしまった。

18世紀から開始された発掘調査によって主要部分が発見され、一般に公開されている事で有名だ。

所変わって日本。16世紀にポンペイと同じように、自然災害によって一夜で消滅した町がある事は、殆ど知られていない。

場所は、合掌造りの家が世界遺産に登録されている、岐阜県白川村。

1586年1月18日の午後10時頃。現在の岐阜県北西部を震源とした、マグニチュード7以上の大地震が発生。

当時白川村一帯を治めていた武将、内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ)の本拠、帰雲(かえりぐも)城とその城下町は、地震によって発生した土石流に丸ごと呑み込まれた。この惨事により、内ヶ島一族郎党、町の住民全てが犠牲となる。

だが、話は終わらない。当時白川村一帯は、金銀銅の鉱山資源に恵まれていた。帰雲城という童話に出て来そうな名前の城には財宝が納められていて、それも一緒に埋没しているという伝説がある。

これまで財宝目当て、学術的調査目当ての人達が、幾度も発掘調査を実施したが、城も町も未だ発見には至っていない』

「日本にもこんな所があったんだ」

「領主の家柄もよく解ってないんですって。だから教科書には載らない。よって知名度も低い」

「そこよ問題は。ポンペイは世界遺産だから番組にし易いだろうけど、発見もされてないんじゃ、幾らNHNっていっても扱い難いんじゃないかなあ」

「そうですか……」

「それと、なぜこれをリサーチしたのか、説明が長くてゴチャゴチャしてる。この時点でボツにするディレクターさんもいるよ」

ユウ君が無言になった。また悄気たか? 本当は「よく調べたね」って褒めてあげたいけど、この国には褒めて伸ばそうって人少ないし、プロに成ったら、もっと強い口調で採点されると思う。

この子は大丈夫か? と心配しつつ、もう一言。

「後さ、10日近くもあってこれだけ?」

「仕事の面接にも行ったんです」

「そう。……でもまだ見付かってないんだ?」

「毎日面接に行ってたんじゃないでしょ?」と口にしそうになったけど、抑えてあげた。でも、時間には余裕があるわけだ。

お会計をして、私は駐車場に、彼は駅に向かって歩いていく。途中ユウ君の方を振り返った。シャンとしていて、トボトボしていない。それだけでも安心した。



私だって小説家に転身できたっていっても、安心してはいられない。

処女作が5万部売れたからって、一過性で終わったら意味ないし、売れなくなったらアマチュアに逆戻りだ。

「夕起さん。今度は○○賞を狙いましょう!」

出版社の担当が力強く言ってくる。一応「ええ」とは返事するけど、やっぱりプレッシャーだ。

テレビに出演していても、番組を引立てるコメントを残さないとオファーはなくなる。それに、

「もっと胸元が開いて、谷間が見える服をお願いします」

男性ディレクターがにやついて言ってくる。元風俗嬢の肩書きがそうさせる。セクシー路線でいく気は全くないし、そんなのすぐに飽きられるとは思っても、「はい」と笑顔で返事をするしかない。

自分が何を理想としているのか見失っていく、今日この頃……。

ユウ君。もしプロに成れても、最初は理想と違う仕事ばかりだと思う。けど、強い信念を持ち続けてね。



――監禁プレーー


3日後の水曜日。17時54分、夕起さんからメッセージが入った。

『急で悪いんだけど、明日ちょっと会えない? この前のカフェで同じ時間に。手ぶらでも良いからさ』

丁度オリジナルの企画書を書いていたので、承諾の返信をした。

2時間後にまたメッセージを受信しスマートフォンがバイブする。

『良かった。それとさ、どんな薬飲んでるのか参考にしたいから見せてくれないかな?』

何の参考だ? 小説のネタに使うのか? 解らないが、

「持って行きます。じゃあ明日」

と返信した。



翌日、書き掛けではあったが、企画書と薬を持参して原宿に向かう。カフェに入り、コーヒーと、今日はチョコレートパフェも注文した。

「書き掛けだけどこれ、見て貰いたいんですが」

テーブルの上に企画書を置いた。

「『この世に埋もれた殿方』……」

夕起さんが目を通し始める。

『いつの時代にも、各分野で現れる主役達。そして、周りには脇役がいる。

この番組は、映画やドラマでいつも脇役にされている人物に、敢えてスポットを当ててみようという番組である』

「うーん。もっと内容を詰めれば面白いかもしれない。でもさ、この手の番組って過去にもあるじゃん? そういう番組と何処が違うのか、はっきり区別しないと企画は通らないと思う」

「なるほどお」

「所でさあ、この前面接受けるって言ってたとこ、どうだった」

思い出したくもない事を、思い出したように訊かれ、無言のリアクションで首を振る。

「駄目だったんだ。お金はないけど暇はあるってやつ?」

「……そうなりますね」

情けないが現実だ。

夕起さんが「出よっか?」と言って席を立ち、会計を済ませる間、オレは外で待った。夕起さんは外に出て来るなり「じゃ、行こっか?」と言った。

「行くって何処に?」

「まあ付いて来なさいな」

そう言いながらオレの肩と腕を掴んだ。なーんか不穏な空気を感じる。その状態のまま駐車場まで行き、仕方なく助手席に座った。

『バタン!』と音を立てて閉まるドア。夕起さんが運転席のドアをロックすると、残りのドアにもロックが掛かる。エンジンを掛ける前、オレの眼前に黒い物を差し出した。アイマスク……。

夕起さんは子細ありげな笑みを浮かべ「着けて」と言った。薬を持って来いって言う時点から嫌な予感はしていた。こういう予感だけ、なーんで的中するかなあ……。

「何で着けなきゃいけないんですか」

努めて冷静に訊いた。素直に従う方が変だ。

「良いから」

夕起さんは尚も笑顔だ。

「車から見る街の風景が好きなんですよ」

従うつもりはないと意思表示する。すると「着けなさいよ!」と、笑顔を消して返って来た。この人が真顔で強い口調の時に抗うと危ないという事をオレは知っている。だからアイマスクを受け取り着用した。身の安全を考えたら、従わざるを得ない。

2、三30分くらい走った後、車は停まった。夕起さんが助手席のドアを開け、

「手を繋いどけば大丈夫だから」

オレの左手を握った。この状態で歩かされんのか……。それに、こんな場面、汐留の某キー局の企画で観た事あるような気がするんですけど……。

当然何処なのか解る筈がない。「大丈夫だから」と言っておきながら、段差があるとは教えてくれず、ズッコケそうになった。夕起さんは「っあ、ごめん」とライトな謝り方。

「テレビに出て多少なりとも顔を知られてる人が、良いんですか? こんなとこ見られて」

まだ明るい時間帯。車の通行量も結構あるようだし、通行人も少なくはないのではないか。アイマスクを着けた奴を連れ回していたら、好奇な目を向けられる事間違いなし。

「私は別に良いけど」

またライトな返事が返って来た。

「そうですか……」

5分くらい歩いて建物の中に入り、エレベーターに乗る。直ぐに目的の階に着き、また歩き始める。鉄扉を開ける音が聞こえ、また歩く。中では数人の女性の話声に交じってテレビかラジオの音がする。多分左に曲がり、真っ直ぐ進んだ後、木の戸を開ける音がして「座って」と言われた。

ゆっくり腰掛けると、革張りの一人掛けソファだった。

「はい。アイマスクを外してください」

見ると、眼前にテレビとデスクトップのパソコンがあり、白い壁の二畳半くらいの個室だった。マンガ喫茶? でもさっきの女性の会話は?

場所を特定させようと頭をフル回転させていると、

「トイレはここを出て真っ直ぐ行って、右に曲がった突き当たりにあるから。それとタバコ、一つ買っといた。ここ吸っても大丈夫だから」

夕起さんは早口で説明し、タバコをテレビの横に置いた。

「ちょ、ちょっと、施設案内の前にこの状況を説明して貰えますか?」

「解らない?」

「解りゃあテンパリませんって!」

夕起さんは右手を腰に当て「監禁したから」と徐に言った。???……。

「放送作家に成りたいんなら、ここでひたすら企画書を書いて」

そう言うと、バッグから企画書用紙とボールペン、修正液を出し、パソコンの横に置いた。この展開も、さっきの汐留のキー局で似たような企画があったと思いますけど。

「ネットは使い放題だから」

「……」

反論したくても頭がこんがらがって言葉が出ない。

「まだ解ってないようだね。「監禁」したから、貴方を」

「監禁……」

二の句が継げない。やる事が犯罪まがいで過激……なんだよね、この人。

「スマートフォン、没収したいけど、急に連絡着かなくなったら親御さんが心配するだろうから、まあ良いわ」

自由に外部と連絡出来る監禁なんてあんのか?

「っあ、夕起さん。お疲れ様です」

19か20代前半くらいの女性が夕起さんに声を掛けた。

「おう! セイラちゃんお疲れー」

「どうしたんですか? 今日は」

「うん。この子が風俗店を見学したいって言うからちょっとね」

おいおい……ん! 今この人、夕起さんを源氏名で呼んだ? セイラという人が去ったら、誘導尋問開始だ。

「じゃあ私、指名入ったんで」

「うん。噛ましといで!」

夕起さんがオレの方を向いた。

「今の人、「夕起さん」って呼びましたよね? って事は、ここは風俗店」

「さあどうでしょう? ばったり会っただけかもしれないじゃん?」

「じゃあ「指名」って何ですか? 勤めてた店、確か池袋でしたよね?」

勝ち誇った笑みを見せると、夕起さんも負けじと微笑んだ。

「っさ、そんな事は良いから企画考えよう!」

両手でオレの背中を押して個室の中へ戻す。

話を掏替えやがって……やれやれとソファに座る。予想だと、さっきの女性の会話は集団待機室からだ。という事は、ここは個室待機室。

居場所は大体特定出来た。スマートフォンも没収されない。逃げようと思えば逃げられる。これは「監禁」というより場所を考慮すれば「監禁プレー」……だな。

そんな事を考えていると、夕起さんは真剣な顔付になっていた。

「企画書、何枚書けとは言わないけど、本気で考えてみて」

「……やってみます」

オレも真面目に……答えるしかなくね?

そう思った刹那、急に壁に備付けてあるスピーカーから耳慣れない曲が流れ始めた。

「「監禁」は理解しましたけど、この曲は何なんですか」

 しかも突然過ぎ。素っ頓狂に訊いてしまうのも無理もない……。というよりこれくらいは説明して頂きたい。

「ああ、この音楽は19時になったよって合図。全国各地のイメージソングとか掛けて、コンパニオン達が少しでも心安らぐようにって、店長が提案してくれたの。こういう業界だしさ」

「ふぅん……てか店長の提案とかこういう業界とかって、「監禁」場所の答えを言ってるじゃないですか」

「マジな顔で訊いて来たのはユウ君でしょ。私は答えてあげただけだよ」

 夕起さんの落着いた気取り方が何とも澄ました様に見えてムカつく。

「フー……まあそれは解りましたけど、それで、この曲は何処の自治体のイメージソングなんですか?」

「えっ? ちょっと待ってよ。ねえ淳君聞こえてた? ……ああそう、なら良かった。今流れてる曲って、何処のイメージソングで何てタイトル? ……解った。ありがとう。宮崎県に高千穂町って町があるんだけど、そこのイメージソングでタイトルは『輝きの故郷(まち)』だって」

「……態々ご説明ありがとうございます。急にジャケットのピンマイクに向かって……インカムをお付けになられていたとは……」

 気付きませんでした。看破出来なかった自分にげっそりしてしまう。まさかここまで用意周到だったとはーー

「看破するの遅っ。ユウ君なら気付いてると思ってたけど。私の髪型もいつもと違くない?」

「あっ、そういや両耳を髪で隠しやがってる……」

 夕起さんはショートカットで、いつもは両方とも耳掛けヘアだ……。つまり、イヤホンを髪で隠していやがった。この憎らしい得意げな表情……まんまと術中に嵌まった。降参……お手上げだ。

「恐入りました。高千穂町って、何かテレビで観た事ありますよ、東国原英夫が宮崎県知事になってから。「神話の里」とか「パワースポット」とか。でも「なくても良いもの」も「なきゃ困るもの」も「両者共なさ過ぎ」のような町な印象受けましたけどね」

「田舎だからね。都市部とは違って当然だよ。それと一つ注意しとく。メディア業界に就職するんなら、東国原英夫「さん」、敬称付けなきゃね。呼捨は失礼千万だよ。目上の人達は礼儀作法を見るから」

 今度は子供を窘めるような表情で指導者の顔。だが間違ってはいない。確かに失礼。

「そうですね、失礼しました。で、この曲話してる間に聴き逃したんで、もう一度最初っから聴きたいんですけど。お願い出来ますか」

「はっ!? また流すの」

「僕もパワースポットのイメージソング聴いて心安らぎたいんで」

 細やかな仕返し。

「解った。特別だよ」

 夕起さんは態とムッとした表情を浮かべ、「淳君、今の会話も聞こえてたでしょ? もう一回『輝きの故郷(まち)』って曲掛けて上げて」態と投遣な口振り。言わずもがな夕起さんは寛大な人だから。

「ユウ君、良く聴いときな」

『♬ ふるさとの川には 温かい色がある そよ風の微笑み いつでも優しくて 触れ合う季節には すばらしい歌がある 山々を見上げる 瞳が輝いて キラキラでいようよ いつだって キラキラでいようよ この街で この高千穂の輝きを あなた一緒に感じてみませんか 感じてみませんか ♬ 


♬ ふるさとの空には 果てしない夢がある 雲海のパノラマ 勇気が湧いてきて はばたく未来を 感じてる人がいる 見つめ合う笑顔に 言葉はいらなくて イキイキでいようよ いつだって イキイキでいようよ この街で この高千穂の感動を あなた誰かに伝えてみませんか 伝えてみませんか ♬』

「……消滅可能性自治体にランクインした高千穂町なのに……「神話の里の図太さ」を感じる曲ですね」

 消滅可能性自治体な事は、この前暇でスマートフォンを弄っている時にたまたまネットニュースで知った。故郷が消滅してしまうのは、切ないし虚しい。尚且、宮崎県自体が「陸の孤島」と呼ばれているらしいから……後は日本国、政府の「役目」だ。

 譲一も小枝子も「今の曲はリズムが早いし覚えられない」と口を揃えて言うが、オレは一発で大体覚えた。若い脳って素晴らしい。

「センチメンタルになるとこが違くない? まっ、ユウ君らしいけど。それじゃあ私は一旦仕事に行くから。Studio alé(ストゥーディオ アッレ、勉強頑張れ)!」

えっ? 何て言ったの? っていうか何語? 夕起さんが解読不明な言葉をにこやかに発して去り、取敢ずリュックからさっきの企画書を取り出し、パソコンの横に置いた。

しっかし、初めて足を踏み入れた風俗店が「監禁場所」って、「人生一寸先は闇」とは、よく言ったものだ。「只今池袋の風俗店で監禁なう」……昔乍ら文言でXに投稿してやろうか。



「うーーん……」

企画書を見詰めたまま凝固してしまう。一服でもする事にした。

それから1時間以上が経過……書けと言われても何も浮かばず、夕起さんが去ってからは、ずーっとテレビ三昧である。

 それ以外はトイレに行く度、店員やコンパニオンに「誰だこいつは?」と言わんばかりの怪訝な目で見られるだけで、なーんの変化もない。17時になると、テレビはドラマの再放送が終わり、各局報道・情報番組の時間となった。その内の一局のトップニュースに釘付けになる。

『元人気女性アナウンサー自殺』。背中にゾクッと悪寒が走った。その人は局アナ時代、バラエティ系アナで有名で、よく観ていた。去年の3月一杯で、「報道の仕事がしたい」と宣言して退社。フリーと成ってからは夜のニュース番組を担当し、バラエティには出演しなくなった。

傍から見れば念願叶って順調な滑り出し。なのに、最悪な結末を辿った。

報道によると女性アナウンサーは、最近うつ症状に悩まされていたという。メディアや政治の世界は、一般市民が想像し得ない事、非常識な事が現実となり得る世界だろう。だから報道を鵜呑みには出来ない。

でもそういった世界だとしても、まさか1年も経たない内に、自分が自ら命を絶つとまでは考えない筈だ。

何で人間ってこうなるんだよ?……他人事だが嘆きにも似た、率直な感想。れっきとした仕事を持ちながらも命を絶つ人。片や浪々としてだらだらと生きている自分……。

『お前は、温いんだよ……』

心の声がうんざり気味に呟く。

5、6秒後、スマートフォンがバイブした。顔に一気に血液が流れる。

 見ると、夕起さんから夕飯は何が良いかとのメッセージ。有名ファストフード四社のハンバーガーを一つずつ。それと、ポテトのLを何処か一店でお願いした。

細やか抵抗50%。旺盛な食欲50%。どんなに沈鬱になっても、必ず何かは食べている。



2時間後、夕起さんが夕食の袋を提げてやって来た。各店のハンバーガーが四つ。そして、ポテトのLも……四つ。

「ポテトは一つで良かったんですけどね」

「食べられるでしょ? このくらい」

夕起さんの細やかな応酬、っか……しかしまあ、ハンバーガーもポテトも揃ってみるとかなりの量だ。

「それで書いてる訳?」

「まだ考え中……」

「そう。っま、良いけど」

何処か含みのある言葉。オレの頭が真っ白な事を看破しているようだ。



午前零時時過ぎ。閉店となった店内は、帰宅するコンパニオン達でざわついていた。

店内が静けさで包まれた1時過ぎ、外気に触れようと思い、集団待機室から外に出る。疎らになった夜景を見ながら一服していると、中からスーツ姿の女性が出て来たので、咄嗟に火を消そうとした。

「っあ、良いよ良いよ。ゆっくり吸って。君が裕介君?」

「はい」

「私、ここの店長の玲子。夕起から色々聞いてるよ」

面白おかしく言ってんだろうな。あの人の事だから。

「厄介になってます」

「水曜日に夕起から個室を一つ貸して欲しいって言われたの。電話でも良かったろうに直接ここに来て」

玲子店長は呆れた笑みを見せた。

「あまり急だから「何で」って訊いたら、「放送作家に成りたいって子がいて、その子が集中して企画書を書ける場所を提供したい」って。「力になりたいから協力して」ってお願いされたの」

「そうだったんですか。ありがたい事ですけど、あの人昔から強引なとこありますよね?」

「そうだよねえ。十代の頃から変わんない。自分より人の事ばかり心配して。親切が暴走するタイプだよね?」

「本当そうですね」

店長と一緒に笑った。

「でもさ、裕介君の友達の中でも、ここまで面倒看てくれる子は中々いないんじゃない? 私が知ってる中でも、あそこまで慈愛に溢れてる子はいないよ」

「……ですね」

店長の言葉と、自分の相槌を噛み締めるように頷いた。

個室に戻り、天井を見上げて大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。今の静けさを利用し、じっくり企画を勘考してみる事にした。でもその前に、夜食として残ったハンバーガーとポテトを頬張る。

『笑ウ犯罪者』。内容――全世界、古今で世間を驚愕、冷笑させた事件を起こした犯人の心境にスポットを当てる。但し、人を殺めた事件や薬物事件は扱わない。

事件を紹介する前に、出演者には簡単な心理テスト(「人の幸せを邪魔した、又はしようとした事がある?」YES or NOなど)を受けて貰い、再現VTRに入る。

注目するのは、容疑者が犯罪を犯すまでの心境であり、VTRの最後は、「あなたはこうならない自信がありますか?」と問掛けて締めくくる。

その後、スタジオでは冒頭に受けた心理テストの結果を発表。人間に潜む犯罪心理を浮き彫りにする。

『この世に埋もれた殿方』。内容――全世界、古今東西の脇役達にスポットを当てる。取上げる人物は、タイトル通り「この世に埋もれた」知名度の低い人物、名は知られていても、小説やドラマ、映画では主役にならない人物達。

良くも悪くも当人が一番輝いていた時期に着目し、「実は主役を食う程の力量の持ち主だった」など、知られざる人となりを紹介する。

 タイトルが『ーー殿方』となっているが、性別や世代は問わない。

そして、本当にこの脇役達は主役に成れないのかを検証して行く。

他、オムニバスドラマを一本考え、それぞれ具体例を二つか三つ付けた。



監禁3日目となる1月下旬の土曜日。情報番組を観ながら朝食のパンを齧っていると、夕起さんからメッセージが届いた。今日の夕食を届ける時に、友達の放送作家を連れて来るとの事。読んだ瞬間から緊張し、心は大きくに揺蕩させられ脇から脂汗が流れる。さあ、3日間で書いた企画書がどう判定されるのか?

夕起さんは1日一回は顔を出し、二、三食分の弁当やパン。スナック菓子を届けてくれる。飲み物は、集団待機室にあるお茶やコーヒーを失敬していた。

18時過ぎ。夕食の牛丼弁当を持った夕起さんが、友達の作家さんを連れてやって来た。

「彼女が美貴。前に話した事あるよね? 一緒に住んでたって」

「ああ、はいはい。初めまして、中山裕介です」

陣内さんは「初めまして」と言いながら名詞を差出してくれた。『放送作家 陣内美貴』。名刺を手にして初めて本物の放送作家なんだと自覚する。

夕起さんと比べると、落着きと清楚さを兼ね備えた女性……に、オレには見えた。

「夕起からずっと噂は聞いてたよ。こんなとこに監禁されちゃって、君も大変だね」

にんまりとして言われ、「ええ、まあ……」と苦笑するしかなかった。

個室は狭いので集団待機室へ移動し、企画書を採点して貰う。

「ごめんね。ちょっとの間声のボリュームを下げてくれる。向こうで大事な話をするから」

夕起さんが待機室にいるコンパニオン達に声を掛けた。中には初日に見たセイラという人もいる。

「分かりました」

皆素直に従ってくれる。きっと夕起さんは良い先輩だったのでしょう。

陣内さんはコーヒーを一口飲むと、企画書に目を通し始めた。暫し沈黙が流れる。緊張の為、コーヒーが進んだ。

最後の一枚を読み終えた陣内さんは、頷きながらテーブルの上に置いた。

「内容は分かった。面白そうなのもあるけど、全体的にこの企画は既存のものと何が違って何が狙いなのかを、もっと明確にする必要があるね。それと、放送時間と主要なキャストも決めないと」

素直に受入れ、メモを取った。

「今度来るまでに手直しと、新しい企画を幾つか考えてみて」

「はあ……」

「「はあ」じゃなくて「はい!」でしょ」

「済みません。何が良いか考えてたもので」

「私は優しいよ。年配の人だと「百個考えて来い!」とか言う人いるんだから」

「百個も!?」

夕起さんがオレより早く目を丸くした。

「それも一晩でね」

オレも夕起さんと、同じ気持ち。

「今「えー!?」って思ったね?」

陣内さんが鋭い目で指摘して来た。

「私も最初はそうだったから気持ちは解るよ。でも企画を量産する事が求められる仕事だから」

優しい口振りの中に厳しさが滲む。

「はい。分かりました!」



2人が帰った後、気を引き締めて企画の練直しに取り掛かった。

『笑ウ犯罪者』。企画意図――古今東西起こる、社会を震撼、冷笑させる犯罪。その度に人々は、犯罪者に対して冷淡な目を向ける。

しかし、その冷淡な目を向けていた人が、犯罪者の立場となってしまうのも、昨今の社会。

この番組は、視聴者に「あなたは犯罪者にならない自信がありますか?」と問題提起をし、自身や家族、身辺の人達を顧みて貰おうという番組である。

『この世に埋もれた殿方』。企画意図――いつの時代にも、どんな分野にもいる脇役達。脇役が光る事により、主役の輝きは増す。夜の桜、スカイツリー、ライトに照らされる事で、昼間とは一味違う魅力を醸出す。

この番組は、ライト(脇役)がどのように主役を照らしているのかを多角的に分析しつつ、視野を広く持つ事の大切さを再認識しようという番組である。

他、クイズを一本。オムニバスドラマを二本考え、放送時間とキャストも決めた。



4日後、再び夕起さんが陣内さんを連れて来た。この前と同じように、集団待機室に入る。

陣内さんが目を通している間、また沈黙が流れる。今日は幾分落着いていられた。

「うん。ちょっとはましになったね。特に『笑ウ犯罪者』は可能性ありそうだし、ドラマはユニークだね」

「ありがとうございます」

と、安堵のこもった礼を言う。

「もう少し言うなら、ドラマにも具体例を入れて煮詰めると良いんだけど……それと、司会が売れっ子過ぎる。今は掴まえ難い人達だから」

ミーハーだったと素直に反省した。

「……分かった。社長に話してみる」

その言葉に、夕起さんも安堵の笑みを見せ、オレの左肩に手を乗せて「良かったね」と言った。

「宜しくお願いします」

「2、3日したら連絡するね」

「ユウ君、これにて監禁終了です!」

夕起さんが宣言し、一週間で無事「解放」された……が、スタートはこれからである。



――ロースタート――


「何処で何やってたの!?」

「だから友達んちに行ってたんだって!」

「一週間も人様のうちに迷惑掛けてた訳!?」

夜になって帰宅すると、待ち構えていた小枝子にリビングに引摺り込まれ、問質される。

「そいつは一人暮らしなんだよ」

「そんな問題じゃないでしょ!?」

「っち。もう良いだろう! うるせえな」

譲一がうんざりした様子で言った。小枝子はそんな夫を一瞥し、大きく溜息を吐いた。

「そうね。あんたはもう子供じゃないもんね」

口は皮肉。顔は嫌味たっぷり。小枝子は立上り、夕飯の支度を再開した。



1月30日。今日から陣内さんからの連絡を待つ事になる……が、気持ちは低空飛行なり。何にしてもそう。転換期が訪れるとうつが始まる。

現実逃避の為か、気だるさと眠気を感じるが、横になっても気が立って眠れない。全く、何の為に薬を飲んでいるのやら……。

横になったままスマートフォンを手に取った。この15センチ強の物体に精神を左右されるとは……ここ最近、残念な連絡ばかりを受取りトラウマになっていた。



2月上旬の土曜日の夕方。遂に陣内さんから電話が入った。

『社長と会う前に、私が担当するラジオのスタジオに来て欲しいの』

「いつですか?」

『今日』

「今日、ですか……」

自分からお願いしたくせに戸惑ってしまう。

『そうですよ。都合悪いの?』

「いや……」

『だったらおいでよ。そんな受身じゃ作家には成れないよ!』

真剣な声で指摘され、やっと我に返った。落着きと清楚さを兼ね備えた女性……と思っていたが、存外苛烈で勝気な人なのかも。まあ、放送作家ってそういう業界なんだろうけれど。

「分かりました」

ラジオは21時からの生放送。本番30分前にラジオ局に来てとの事だったが、1時間前には着いた。タバコを吸い、音楽を聴き、局の周りをうろうろして腕時計を見たら、25分が経っていた。安定剤を一錠飲み、陣内さんに電話を入れて玄関まで迎えに来て貰った。

受付で入構証を貰って中に入る。初めての放送局に周りをきょろきょろ見ていると、

「私が紹介したら皆さんに元気良く挨拶して」

念を押された。早速「はい!」と1オクターブ上げて気を引締めた。

「まだ良いから」

苦笑される。

「喉を慣らす為です」

「まあ普段から意識するのは良い心掛けだね。感心する」

陣内さんの表情が苦笑から惚けた笑みに変わった。目が「それで良し!」斗言っているように見えた。

3階にあるブースに入った。

「石倉さん。この子、お話した中山君です」

「中山裕介です! 宜しくお願いします!!」

石倉さんと呼ばれた男性に深々と頭を下げた。

「そんなに畏まらなくて良いから」

また苦笑された。

暫くして中年女性が入って来た。多分、陣内さんが「プロデューサーの人だから」と耳打ちした。耳打ちされた事を失念する程、オレの緊張はMAXに達している。

陣内さんに紹介され、挨拶する。

「緊張しなくて良いから。確り見て行きなさい」

優しく言って貰えた。

「はい!」

本番直前、陣内さんが「ここで見てて」とパイプ椅子を用意してくれた。スタジオの隅に座り、陣内さんはブースに入る。

「本番10秒前ー……8、7ー6、5秒前ー4、3、2……」

ディレクターのカウントと共にテーマ曲が流れ、放送が始まった。

「ゆとりのある土曜の夜、皆さん如何お過ごしでしょうか? こんばんは、YUKAです。今日東京は晴れてましたけど、北風が強くて寒かったですね。全国的にも――」

陣内さんと同世代と思われる女性DJが送る番組。今年で4年目に入るそうだ。今日から、所謂「職場見学」が始まった。

陣内さんが担当するラジオ2本、テレビ3本のスタジオ、構成会議に出向き、隅っこで見学する。会議や本番は大抵午後から。無職な立場も手伝い、時間には融通が利いた。

スタジオは収録現場を見て感覚を掴むだけだが、会議はカルチャーショックだ。特にバラエティの会議は全員明るいし、テンションが高いの何の。



お笑いコンビと女優の3人がМCの深夜番組。内容は、ゲストと恋愛に於ける様々なシチュエーションの心理テストを受けて貰い、その結果からトークを展開させて行くというもの。

会議はシチュエーションを決める所から始まり、プロデューサーが作家が考えた案を読み上げる。

「初SEXで童貞である事がバレた……女の場合はバージンだな?」

「見栄を張る人なら、ご無沙汰だからとか言って笑って誤魔化すでしょうね」

 陣内さんが積極的に意見を出して行く。

「言った事あるんだ?」

 男性ディレクターがにやりとする。世間ではセクハラって言われるのでは?

「私は見栄なんか張る必要ないですから」

陣内さんは泰然とした口振りで答え、室内に笑いが起こる。大胆なギャグ……。

「ちょっと話変わるけど、女ってSEXの時、多少演技するんだってね」

 男性作家が興味ありげに訊く。

「そりゃあまあ、男を乗せる為なら?」

 別の女性作家も泰然。

「女ってのは頭使ってんだねえ。男は欲望だけだろうけど」

 プロデューサーは言葉とは裏腹に真顔で腕組。

「若い子はそれも含めて楽しんでるんじゃないですか? 男は女の演技を見破って、女は男の為に演技して」

 男性作家は苦笑しているが目は真剣。

「どう? 若い男の子」

陣内さんの隣に座っている女性作家が目を合わせて来る。オレ!? 

「……それはまあ、やけにでかい声出されたら……」

一応笑いが起こった。陣内さんも頷いているが、こんな答えで良かったのか? ていうかいきなり振るなや!

「じゃあ、初SEXで恋人が経験不足だと分かった時、あなたは黙っていられる? それとも指摘しちゃう? みたいな感じにしたら」

 と陣内さん。

「うーん。そんな感じで行ってみようか」

 男性ディレクターが頷きながら言う。

これが全てではないが、バラエティ番組の構成会議はこんな感じ。他の人が言った事がヒントになったりツッコんだりしながら、企画は膨らんで行く。

会議は3時間くらいで終わる時もあれば、暗礁に乗り上げ、途中弁当休憩を挟んで5、6時間続く事もあるのだとか。長丁場になりそうな時、陣内さんは「今日はもう良いよ」と言って帰してくれる。飽く迄も今は……だ。



――諸行無常――


「職場見学」を始めて一週間が経った土曜日。今日、陣内さんが所属する放送作家事務所<レッドマウンテン>の社長と初対面する事になった。

夕方に陣内さんと港区南青山の事務所へ行き、入口を入って直ぐの休憩エリアで待たされた。椅子に座って待つ事約10分。

『ガチャ』とドアが開き、陣内さんと共にトレーナーにジーンズ姿の男性? が出て来た。立ち上がって一礼する。陣内さんがオレを紹介し、改めて自己紹介した。

「社長の坂木です。宜しく!」

宝塚の男役のような声。差出された名刺を見て訝しくなる。

『レッドマウンテン代表取締役社長 坂木舞』……名前も声も女性っぽい。しかし、身なりは男性……みなまでは言わないが、オレは同姓として接する事にした。

「どんな作家に成りたいんだい」

坂木社長に訊かれた。

「ナレーションを書ける作家に成りたいです」

「そうか。これからあらゆる面で厳しいと思うけど、今の言葉を忘れないようにな。覚悟も必要だけど、プロセスを楽しむ余裕も大事だから」

自分にそれが出来るか、不安になるが「はい!」と返した。うつ病を患っている事は、社長と陣内さんにだけ告げた。

陣内さんは一瞬困惑した後、

「辛いだろうけど、無理し過ぎないように頑張って、としか言ってあげられない」

じっとオレの目を見詰めていた。

坂木社長も、

「本当に辛い時は正直に言え。でもそれ以外は特別扱いしないからな」

やっぱりオレから目を逸らさなかった。

二人共正直な気持ちだろうし、本気で理解してくれようとしている事が伝わって、ありがたかった。告白するかどうか、かなり思い悩んだ。その末に告白しようと決意した理由は、以前別の患者さんから、

「会社に伏せて症状が出た時、何故黙っていたのかと問詰められた」

と聞いていたからだ。

黙っていれば何故早く言わないのかと叱責され、告げれば偏見を持たれる危険性も持つ「脳の病」。微妙な目を持つ社会が悪いのか、それとも、そんな疾病を患ったこっちに問題があるのか……。



翌週から、<レッドマウンテン>にて作家見

習として雇われる事になった。

陣内さんが教育係を務めてくれる事にな

り、構成会議、収録現場へ同行。他には、台本(ホン)を執筆するのに必要な資料をリサーチして来る。ロケハン(ロケーションハンティング)で現地へ出向き、そこで出演者にどういう事をさせるか、何処の店でロケをするか、ディレクターと打ち合わせをする。それ以外の時間は、クイズ番組などのリサーチャーを任された。

見習とはいえ、作家に成ればノートパソコンが必要だという事で、新しい物に替える陣内さんのお古を譲受けた。

「見習だから給料は期待するな」

坂木社長の言葉通り、仕事量にしては、3、4時間の日雇いアルバイトと殆ど変わらない。拘束時間も長く、午前中から仕事をしていようが、夜中でも構わずディレクターからお呼びが掛かる。そんな生活が、オレにも始まる訳だ。



リサーチャーという仕事は、只椅子に座って調べていれば良いというものではない。ネットで調べ、目当ての情報が見付かれば、電話なり現地に出向いて裏を取る。中には専門家に話を聞きに行く事もあるから、一定の知識は頭に入れておかなくてはならない。

他にも専門の図書館へ行き、資料となり得る箇所をプリントアウトして戻る。

そうやって東奔西走して集めた資料でも、「使えねえ」と判断されれば即ボツにされる……。そんな世界だ。

「お前ここの住所確かか?」

坂木社長が血相を変えている。

「確かですよ。直接聞きましたから」

某キー局の深夜番組のディレクターからクレームが入ったという。

番組は、普段見る事のないあらゆる分野の機器や職人を取り上げ、本来の用途とは違う事に使用して貰い、それが成功するか否かを、スタジオの出演者達がカジノ式に賭けるバラエティだ。

オレはどんな難所でも進行出来る工事用機材をリサーチした。会社名は<吉村組>。23区内にある会社、の筈だった。所がADが行ってみると、「組」は「組」でも、チン&ピラの方々が集まる「組」になっていたというのだ。

「移転するなんて言ってませんでしたけど……」

「あわや入ろうとした所を、寸前で気付いて逃げ帰ったそうだぞ! ちゃんと確認して(情報を)上げろよ!」

「……済みません」

オレがわりーのかよ……。でも、そんなコントのオチみたいな事が……あるんだねえ。そっちをネタにした方が面白いのではないか。

クイズの問題作成も、只難易度が高ければ良いというものではない。

「1945年8月に発足し、戦後初の短命内閣となったのは何内閣でしょう?……ってお前なあ」

ディレクターがしかめっ面をする。因みに正解は、東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣で、54日間。

「こんなの誰が知ってんだよ! 解答者の世代考えてみろバカ!」

バカとは何だよ! むしろ博識だろう。



構成会議でも発言出来ない状態が続いた。

「見習とは言え「作家」なんだからな」

ディレクターに言われ、「作家」という言葉に悦に入る一方、落胆する。頭に言葉が浮かんでもそれを口に出来ない。思わず隣の陣内さんの顔を見てしまうが、フォローはしてくれず、笑って誤魔化すしかない。

しかも、会議中にスマートフォンが着信音を鳴らした。幾つもの目がジロッとオレに集まる。

「……済みません」

見るからに面目ない顔をして電源を切った。

18時過ぎに事務所に戻るなり、オフィスエリアから外に出て一人タバコを吸った。他の人達は皆仕事に没頭している。一々心理状態に任せて一服する人はいない。

欄干にもたれ掛かり、下を向いて紫煙を吐き出す。7階は結構たけーなあ。高所恐怖症の自分には、バンジージャンプは疎か、飛降り自殺など出来ようものか……。でも、何で人間は落込むと下を向きがちなのか? 上を見上げる。真っ暗。こんな空でも、見ていれば気持ちが明るくなるのかい?

暗い顔をしていると、不幸の神様がやって来る。大分前に聞いた話。

「人間様は大変だねえ。落込んでも笑ってなきゃいけないんだからさっ……」

『ガラガラ』。戸が開く音がして、「お疲れ様です」と振返りもせず、遠くの東京タワーを見詰て言った。『コツコツ』。足音が近付き、東京タワーがジュースの缶で隠れた。右を向いたら、陣内さんだった。

「挨拶する時は相手の顔見たら?」

陣内さんはオレにジュースを渡しながら言った。

「済みません。ありがとうございます。話題になってますよね? これ」

「CMが目を引くからね」

今年の3月から発売された無色透明のコーラ。ジャーナリストが出演するニュースリポート風のCMがセンセーショナルで、話題を呼んでいる。

「あんまり気にする事ないって。今は無理でも、その内発言出来るようになるから」

「そうですかねえ……」

とことん弱気だった。

「そんなんでどうするの!」

陣内さんに背中を叩かれる。

「まずは相槌とか、笑顔から始めて行ったら? 無表情だと参加してないみたいだから。暗い顔からは面白い案は浮かばないよ」

「はい……」

その通りだ。笑顔は提供して貰うものではなく、自分から出して行くもの。

「それと、スマートフォンはマナーモードにしておく事」

「そうでした」

忘れない内に、その場で設定した。

「私ね大学の頃、弁護士秘書を目指してたの」

放送作家の経歴は、元芸人・キャンペーンガールに元ヤンキーと様々だ。

「数十箇所の事務所で面接受けたんだけど、中々雇って貰えなくてね。そんな時に、夕起が人気風俗嬢としてテレビで特集されたの」

「観た事ないですけど、一本じゃないとか」

「多分、3、4番組だと思う。当時はまだ一緒に住んでて私の状況をよく知ってたから、ある番組のディレクターさんに私の事を話したみたいなの。それでそのディレクターさんが「放送作家なんてどう?」って言ってくれて、紹介されたのが坂木社長だったの」

「きっかけは夕起さん、ですか」

「私も君も夕起には頭上がんないね。学んで来た分野とは全く違うけど、弁護士秘書も文章を書いたり、推察するセンスが必要だから、何事も挑戦だと思って事務所に入った。とはいえ、私も最初は戸惑いばかりだったよ」

「どうやって乗り越えたんですか?」

「飛行機ってさ、離陸する前に滑走するじゃない? それと同じで、人間も羽ばたくまでには滑走する時間が必要。そう思って乗り越えた。アルバイトもしてたから、睡眠時間も3時間くらいで体力的にもきつかったけどね」

「オレは、その滑走路にいる」

「そうよ」

陣内さんはオレを指差し、

「考えたってしょうがない!」

こう言い残して中に入って行った。それは無色透明なコーラのCMのキャッチコピー「考えたってしょうがない。飲んで頂ければ、解ります」だ。

確かに、ここで諦めたら今まで頑張った証も、夕起さんと陣内さんの力添えも無駄にしてしまう。

考えたってしょうがない。続けていれば、解りますっか……尻を『パンッ』と叩き、一息吐いて中に入った。



――奮起した女――


「あいつどんな感じ?」

オフィスに戻ると社長に声をかけられた。

「まだ戸惑いの中にいますけど、私は乗越えられると信じてます」

それは本心でもあり、希望でもあった。

しばらくして中山君が戻ってきた。軽く気合を入れる素振りをして、ノートパソコンを起動させている。彼なりの結論がでたのだろう。

新人の頃、私も会議で発言できなかった。デレィクターに話をふられても笑顔で返す。その繰り返し。

デレィクターは「かわいいなあ」と見逃してくれたけど、女性の先輩作家や女性ディレクターには嫌われた。

「あんたかわいさだけで乗切れると思ったら大間違いよ!」

そう言われて落込むんだけど、微笑んで許してもらえることに甘えていたのも事実だった。

それから1ヶ月ほど経って、先輩作家は結婚を期に退職した。内心ホっとしたのも束の間。その作家と仲の良かったディレクターが、会議が終わると不敵な笑みを浮かべて近づいてきた。

「黒木さん(辞めた作家)からの伝言。もっとしっかりした方が良い。だって」

「そうですか」

とっさに意に介さない風を装った。

「そうですかって、あんたねえ。っま、良いけど」

ディレクターは呆れた表情をして行ってしまった。

私を親身に想った諫めとは思えなかったし、その言葉をそのままニヤニヤして伝えてくる方もどうなのか。辞めた作家がどういう口振りと表情で「しっかりした方が良い」と伝えたのか、容易に想像ができた。

自分の言動が発端になっていることも棚に上げ、悔しさとやるせなさで、それから三3日間悶々と過ごした。

でも3日目、アルバイト終わりに缶ビールを飲みながら、ある思いが涌いてきた。このまま打ちひしがれて逃げたら、私は負けたことになる。「やっぱりね」って、また嗤われる。絶対そうはならない!!

飲み終えた缶を押し潰して誓った。それ以来、私はなにくそ精神で働き続けてきた。

今思えば、あの時悔しい思いをしなかったら、私はとっくに辞めていたかもしれない。

中山君、落込んだ時、嬉しい時は、気持ちを噛み締めて反芻しなさい。そうしたら、良いナレーションが書けるだろうし、共感を得る企画も生み出せると思うから。きっと。



――美しいおばさま――


「頑張るのは良いけど、ちゃんと収入がある仕事に就きなさい!」

殆ど収入がない事を心配する小枝子は、最近口喧しさに拍車を掛けている。

「あんたがやってる事はボランティアじゃない。それで身体壊したらどうするの!? 企画なんていつ採用されるか分からないし、ギャンブルと同じよ!」

これには流石にカチンと来た。

「ギャンブルと一緒にすんなよ! 遊びでやってんじゃないんだぞ!!」

きっと小枝子を睨んだ。最近まともに小枝子の顔を見ていない。化粧品を変えたか? 譲一の退社後に始めたディトレードで利潤を得ているのか、息子が言うのも変だが、以前よりも若々しく「おばさま」といった感じだ。

「ハハハハハッ!」

こんな状況でも、譲一はテレビを観て笑っている。国内外の珍事や超人を紹介する番組。あんたが笑う為にその裏側じゃ、作家やリサーチャーが血眼になってネタ探しに奔走して、使えなけりゃディレクターにこっ酷く駄目出しされてけちょんけちょんになってんだよ! 番組一本一本が汗と涙の結晶なんだ!

「遊びではないんだろうけど、賭けの世界である事は違いないでしょ?」

小枝子が沈黙を破った。

「……もう良い!」

リビングを出て自室に戻った。リサーチしたものをまとめる仕事が、十重二十重に残っている。

母親に抗ってはいるものの、連日の寝不足と疲労から来る倦怠感とうつで、心身は限界ぎりぎりだった。プロセスを楽しむ余裕など、夢のまた夢……。

『自分のやってる事に誇りを持て!』

と叱咤する自分と、

『この道を突進んで良いのか?』

と将来を不安視する自分が格闘し、生身の自分を苛む。

でも、オレはまだましだった。周りには作家とアルバイト、二足の草鞋の人が結構いる。陣内さんも、アルバイトをしながら見習期間を過ごしたんだ。

世田谷区内にある、過去の雑誌を閲覧出来る図書館へ行き、何冊も読み漁ってプリントをお願いしている間、トイレに入った。

鏡に映った自分。随分くたびれているご様子。歯を出してにこっとしてみた。これだけでも、幾分気が晴れる気がする。

『笑顔から始めて行ったら?』

この前、陣内さんから言われたっけか。



翌日の構成会議。のっけから笑顔と相槌を心掛けた。

毎回話をいつ振られるかどきどきものだが、今日はスルーされて2時間が経った。企画が頓挫し、室内に沈黙が流れる。

プロデューサーからしりとりでもやるか? と提案が入った。停滞した時のリフレッシュタイム。だが、普通のしりとりではございません。

「回遊して日本近海に来たのだが、温暖化の為北上しようか南下しようか迷っている鮭」

 と作家A氏。

「穢れた愛人を想いながら人妻が握っている、おにぎりおかか」

と作家B氏。一回りしてまた……。

「態度と身体はでかいくせに、蚤の心臓の毒舌タレント某氏」

 と作家A氏。

「喋りは下手くそなのに何故か売れている芸人某」

と作家B氏……なんじゃいそりゃ!

他の人もツッコミたくなるような答えばかり。だが、場はツッコミ合いながら嬉々とした雰囲気が漂っている。放送作家は会議を盛り上げる事、既成概念を壊す事も仕事。だからこれで良いのである。

「鉢植えに使われ「これは本当の自分の姿じゃない!」と訴える洗面器」

 と作家C氏。

「水捌け出来ないだろ!」

 プロデューサー氏がツッコむ。

「ドリルか何かで底に穴開ければいけるんじゃないですかね?」

作家C氏が自分で笑いながら抗弁する。今まで普通に答えていたオレも、一発噛ましたくなった。

「き……奇妙な物!」

「いきなりどうした?」

ディレクター氏にツッコまれ室内に「失」が付くが笑いが起こる。たったこれだけの事でも、ちょっと自信が付いた気がした。



7月に入り、木の葉は青々と輝き、夜になれば家の近くで虫や蛙達の音色が響く。今月の14日で25歳。四半世紀も生きたか……などと感慨に浸っている暇はなし。

最近、「行くとこまで行ってしまえ!」と開直る気持ちが涌いて来た。縁起でもない。オレよりうつで苦しんでいる人達を、逆撫でする考えだとは承知している。

でも、「規則正しい生活」が治療への第一歩の病ではあるが、不規則な環境でも不思議と気落する時は何度もあっても、仕事を早退とか欠勤は今の所一度もない。自分が知らずに何かに吹っ切れたのか、見習でも放送作家の環境が性に合ったのかは分からないが、「辞めたい」と思った事も一度もなく過ごしている。

罷り症状が出たとしても、自分は今やりたい事をやっている。それで倒れる事態になっても、致し方ない。そう思って、残り一ヶ月の見習期間を過ごす事にした。



――電波塔は思いやり発信局――


8月中旬。2月に仮採用されて半年間の見習期間を終え、今日から<レッドマウンテン>の放送作家として本採用となった。何度も挫け、心身がいつまで持つか不安だった日々。その中で生じた開直り。そうこうする内に時は過ぎていた。

「よく頑張ったな。でも本番はこれからだぞ!」

先週の土曜日に坂木社長から言われた。そう、通過点で達成感に浸っている暇はない。だが、『株式会社 <レッドマウンテン>放送作家 中山裕介』の名刺を渡された時には、まあ、放送作家に成れたんだな。と、若干の感慨があったのも事実。

事務所によって異なるが、見習期間中うちのように教育係が付く事務所もあれば、早くに独り立ちする作家、誰かのサポートに就く作家とケースバイケースだ。オレは一応独り立ちした訳だが、与えられた仕事は、仮採用になる前に見学した、東京のFM局の番組『ルーム ナイト』と、東京の特定地上基幹放送事業者(キー局のネットワークに属していない局)、TーVisiоnの情報番組『カフェラテ』の2本。

『ルーム ナイト』は引き続き陣内さんと一緒に。『カフェラテ』は同じ事務所の3年先輩の加藤真哉さんと一緒に働く事になった。

『ルーム ナイト』は、毎週土曜日の21時から1時間の生放送。ニュージーランドで生活していた経験を持つDJのYUKAが、タイトル通りゆとりのある土曜の夜に合ったトークと、音楽を届ける番組だ。構成会議は毎週金曜日に行なわれる。

『カフェラテ』は、毎週日曜日の10時から90分間の生放送。MCは声優・DJとして活躍する松村乱と、中野涼子アナの2人。都内のニュースやトレンドを伝える番組だ。オレは加藤さんと、番組内の『T・D・S』というコーナーを担当する事になった。こちらは、東京・デート・スポットの頭文字をアルファベットにしたタイトルで、東京内外の日帰りで行ける範囲のデートスポットを取り上げる。 

航空会社と大手酒造メーカーのキャンペーンガールを務めた経歴を持つ、アイドルの村上奈美が、毎週ロケに出て担当している。構成会議は毎週土曜日。ロケは木曜日に行なわれる。

その他の空いた曜日は、今まで通りクイズ番組などのリサーチを任せられる事になった。本格的に作家生活がスタートした事で、二人の先輩の生活をより間近に見られるようになった。お二方のストレス解消方は、クラブで朝まで踊り明かす事。加藤さんには、それに合コンが加わる。何処か舞田とダブる人。

陣内さんはブログをほぼ毎日更新し、思いの丈を面白可笑しく綴り、加藤さんはXで「ああだのこうだの」女性受けしそうな、明らかに女性を意識した投稿をしまくっている。他の人もそうだが、どんなに明方まで遊んでも、会議の席ではしゃきっとしているのは凄い。社会人としては当然だけど、タフなフィジカルとメンタルには感服する。

常に頭の中では企画の事を考え、最新のトレンドや、これから流行りそうな事にアンテナを張巡らせている。勉強量と経験値はかなりのものだ。只々呆れるばかりなり……。それが、作家に成って初めに勉強した事。



 今年、うちの事務所にはオレを含め、5人の作家志望者が入って来た。しかし、9月までに3人が辞めてしまう。給料はないに等しいし、リサーチの仕事は想像以上に大変だから、見習期間中に辞めてしまう人が殆どらしい。

特に夢を大きく見過ぎた人は、現実との間でジレンマが溜まって行くのかもしれない。オレは殆ど解っていない状態で入ったから、逆に良かったのだろう。

 3人中、社長に辞めると告げたのは一人だけで、他はフェードアウト。でも、それも珍しい事ではないのだそうだ。

9月に入って連絡が着かなくなった神谷汐弥君もその一人。彼はオレより一つ下で、自主的に企画書を書いて来ては、社長や先輩に見て欲しいと頼んでいた。見習の仕事をしながらだから、寝る間も惜しんでいただろう。それだけ神谷君には伸び代があった。

坂木社長は去る者は追わずというスタンスだが、彼に対しては違った。

9月も中旬に入ったが、まだ残暑が続く金曜日の16時過ぎ。社長から事務所に戻って来るようメッセージが入った。『ルーム――』の会議を終え、19時を少し過ぎて事務所に入ると、社長は休憩エリアで別の作家と談笑していた。オレと目が合うと頷き、「ちょっと待ってろ」とアイコンタクトして来た。

その間デスクに戻り、ホン(台本)をまとめる事にした。20分程経って、『ポンっ』と右肩を叩かれた。

「ちょっと神谷の家まで行って、様子を見て来て欲しいんだ」

社長はオレを見下ろして言った。

「良いですけど、そんな親しくないですよ?」

会えば少し会話を交し、一応連絡先も交換したが、それ以上の関係はない。

「ああ、だから野村も連れて行け。これ、あいつんちの住所。タクシー代はオレが出すから」

野村さんは神谷君と3日違いで入った女性だ。

「解りました」

パソコンを閉じ、社長からメモを受取りながら立ち上がる。これも新人の務めか。

「おーい野村! お前ユースケと一緒に神谷の様子を見て来てくれ」

野村さんは立ち上がりながら、「……はい」と含みのある返事をした。乗気でない事が直ぐに解る。社長はそれを気にせず、オレ達を送り出した。

タクシーを拾い、神谷君の自宅がある世田谷区を目指す。

「あのう、申し訳ないんですけど、神谷君のとこ、ユースケさんだけで行って貰えないですか?」

のっけから伏目がちの野村さんが言う。

「別に良いけど、それまで何してる?」

含みのある返事といい今の言葉といい、2人の間で何かあったのは確実だ。

「マン喫でリポートまとめてます」

出発前、彼女は何かをUSBに保存していた。初めっから行く気はなかった訳だ。途中で彼女を降ろし、独り神谷宅へ向かった。呼鈴を鳴らし、母親に在宅を確認すると彼が出て来る。

駅近くのファミレスに入って話をする事になった。ドリンクバーを注文し、神谷君に了解を得て、序に夕食を摂る為ハンバーグセットも頼む。

「社長が心配してるんだよ」

「態々済みません」

外では暗くて解らなかったが、彼は頭髪を、正面から見て右半分を茶色に染めていた。只の気分転換か、それとも、もう気持ちは別の方向へ向いている現れか。

「何で事務所に来なくなったの?」

「……」

彼は下唇を噛み、宙を見詰めて思案に暮れている様子だった。

「言いたくないんなら良いんだよ。尋問しに来たんじゃないから」

「……実は……野村さんっていますよね? 彼女に見られたんですよ」

「見られたって何を?」

彼の様子からみなまで言わせるのは酷かもしれないが、途中まで聞いたら全て聞きたくなるのが通念。

「……シモです」

「シモ?」

神谷君の話では、ある日彼は事務所のトイレで大をしていた。鍵を掛け忘れている事にも気付かず……。そこに、野村さんが入って来てしまう。うちの事務所は男女兼用だ。

驚いた彼は思わず立上り、これまた思わず後ろを向いた。パンツもジーンズも下ろしたまま。彼女は「キャーー!!」と悲鳴を上げてドアを閉めたという。オレは事務所にいなかったので全く知らなかった。

「……それは気まずいね」

「そうっす」

でも何か引っ掛かる。彼にすれば羞恥心満載で重大な事だろう。それは察する。しかし、それだけで志を絶つだろうか?

「本当はさ、他に理由があるんじゃないの? 実はそれより前から辞めようと思ってたとか?」

そこまで追求する必要はなかったが、口を衝いて出た。

「敵いませんね」

神谷君は苦笑した。

「その通りです。正直限界を感じてました」

「体力的に?」

「それよりも、精神的にです。企画書を出すたんびに「もっと解り易く書け」とか、「自分の殻を破れ」とか言われて。言われれば言われる程、解らなくなって行きました。でも、そこを乗り越えてプロに成って行く訳ですから、オレなりに必死にやりましたけど」

「期待が大きくて辛辣になる人いるからね」

「常に良い案を求められる職業ですけど、失敗するのがそんなに悪いのかって、そっちの気持ちの方が大きくなったんです」

彼の表情には悔しさが滲んでいた。

「生意気言うなら、「徐々に覚えていきゃ良いんだよ」って、誰かに言って欲しかった」

「そっか……」

どうしても優れた人と比べられ、それを求められる。勿論、早く職能を上げようと頑張るが、本当は十人十色。それで人間社会は成り立っている筈なんだ。

会計を済ませ、神谷君と別れてタクシーを拾った。途中で野村さんを乗せて事務所に戻る。

社長には、

「精神的に辛かったんだそうです。憔悴した顔をしてました」

と、事実と嘘を交ぜて報告した。社長は「そうか……」と残念そうな顔をした。

良い悪いではなく、神谷君は放送作家として一本立ちするまでのプロセスを乗切る、精神力を併せ持っていなかったのだ。



「今お帰り? 忙し過ぎるお仕事ね」

小枝子が皮肉っぽく言った。10月中旬の月曜日。24時(午前零時)近くに帰宅し、こっそり譲一のビールを拝借していた時、小枝子がトイレに起きて来た。

返す言葉も見付からず、黙って背を向ける。

「最近は家にも帰らない日があるみたいだけど?」

小枝子の口は止まらない。

「夜中に打合せがあったりするんだよ。台本の手直しならメールで送れるけど、打合せはそうは行かないだろ?」

「それは良いけど、身を粉にして満足な給料は得てるの?」

またそれか……。でも、親にしたら当然な心配だとも思う。幾ら本採用されても食べて行けなかったら、どんなに美辞麗句を並べても、小枝子を黙らせる事は出来ないだろう。

「……もう寝る」

そう返すのがやっとだった。



11月23日土曜日。『カフェラテ』の会議と、担当コーナーの打合せを終えた時だった。

「再来週のナレ原(ナレーション原稿)、お前書いてみるか?」

加藤さんの言葉に絶句した。

「どうですかね? 戸田さん」

加藤さんは戸田ディレクターを丸め込もうとする。

「うーん。まだ早いだろうけど、書かせてみるだけでも良いかもね。使うかどうかは後で判断するとして」

「ありがとうございます。良かったな!」

加藤さんはオレの背中を『ポンっ』と叩いた。オレとしては、良かねえよ!

「僕、採用されてまだ3ヶ月ですよ?」

言い終わるなり加藤さんの顔が険しくなる。

「お前そんなんじゃ仕事なくすぞ! 3ヶ月って、普通書かせて貰えないんだぞ。逆に考えれば女神の前髪に触れてんだよ」

良くも悪くも女神の前髪を憂いに変えてしまう。でもそれが巨大化するのが、オレの欠点。

「お前プロレス好きか?」

加藤さんが話題を変えた。

「ボクシングならたまに観ますけど」

「それじゃあ駄目だな」

戸田ディレクターが溜息交じりに言う。

「素っ頓狂でも良いから何でも答えるんだよ。最近の選手の名前知らなくても、「そうですね。馬場・猪木・力道山……」みたいにな」

加藤さんは「解ったか?」というような顔で目を合わせた。

「相手に面白い奴だなって思わせると、仕事が回って来たりするんだよ」

戸田ディレクターが畳掛けるように付加える。

結局、12月8日放送分を、書く事に……書かせて頂ける事になった。ナレ原といっても、スタジオにコーナー担当の村上がいて、VTRを観ながら解説するスタイル。ロケは木曜日に行なわれ、放送まで約一週間。

12月1日の放送終わりに貰った完パケ(完成VTR)、過去に加藤さんが書いたナレ原と資料を、残像になる程繰返し見て書き上げ、加藤さんにチェックして貰う。VTRは、神奈川県内のクリスマスデートスポットを特集する内容。商業施設や村おこし企画のイルミネーションと、周辺の店やレストランを村上が巡っていた。

「お前ちゃんと資料見て書いたかあ? こんなナレーション聞いたって、視聴者は「観りゃ解る」ってツッコむぞ!」

頭ごなしに言われた。

「……資料は読みました」

「読んだんなら、何でもっと情報入れねえんだよ? 只映像にある事ばっかじゃねえか。画にない事もタイミング良く伝える。基本だぞ!」

加藤さんは「それも解かんねえのか?」といった目を向けた。

へこんでいる暇などない。もう一度完パケと資料をよく読んで書直し、漸く納得を得られた時は、本番前日の深夜だった。それに加藤さんが加筆して本番となった。



神谷君のように去る者あれば、再び会う者も。ナレ原で四苦八苦した翌日の月曜日の夜。舞田尚之から久しぶりにメッセージが届いた。

『元気にしてっか? 色々話あるからさあ、男同士侘しく忘年会なんてどうだい?』

今まで音信不通だったじゃねえかよ……相変わらず軽い。でも元気そうで安心した。しかし女ったらしのあいつが男同士って、どんな風の吹き回しか。



12月上旬の金曜日。

「もし良かったら、引越し、お手伝い願えないでしょうか?」

『ルーム――』の会議終了後、陣内さんに打診した。

「プライベートで先輩を駆出す気?」

笑顔だが、じろっと見詰められた。

「不躾なのは承知してます」

ここまで話を持って行くにも、随分勇気がいった。約10分前……。

「家を出ようと思ってるんです。もっと都心に近い所に」

「そう。でも23区内は厳しいでしょ?」

「ええ、郊外で探してます。自分の経済力の範囲で。年明けから(レギュラーが)2本増えますから」

1ヶ月前に坂木社長から、『カフェラテ』と同じ局の音楽番組と、某キー局のお笑いコンビのラジオ番組への構成を命じられた。そんな事もあり、先月から暇を見付けては、不動産屋をあちこち回っていたのだ。

「仕事に合わせるのは良いけど、どうして急に?」

「自活したいんです。もう二十代半ばですし」

本心でもあったが、小枝子から逃げたい……の方が強かった。



12月12日の木曜日。朝から静岡県東部のある市に出向いた。木曜日は『カフェラテ』のコーナーロケ日だ。

22日放送分で、「冬休み直前! 日帰り温泉巡り」を放送する事になり、静岡県東部の温泉地を紹介する事に決まった。

8日放送分で初めてナレ原を書いてみて、自分の目で見て感じなければ駄目だと思立ち、交通費自腹でもロケに立会う事にしたのだ。前日、戸田ディレクターに最初の現場を確認し、朝6時には家を出た。電車を乗換える事4回。3時間近く掛かって駅に到着し、タクシーで現場に向かった。

「お前本当に来たのか!?」

挨拶に行くと、戸田ディレクターは目を丸くした。他のスタッフも皆同じ。

「中山さんどうしたんですか?」

村上も、然り。

「ナレーションの参考にしようと思って」

「へえ。勉強熱心なんですね」

村上の笑顔に「そんな事ないですよ」と照笑いした。

今回は入浴のみでもOKな宿などを3ヶ所回る予定。早速、村上が露天風呂に入った。天気も景色も良いが、それは画で解るし、露天なら絶対条件だ。他に情報はないかと、耳目を凝らす。

川のせせらぎに、源泉掛流しの水流の音。空中では枝が風になびき、遠くからは『ビュービュー』ともがり笛が聞こえる。これらの音が交じり合うと自然と心が落着き、効能以外にも優しい気持ちを得られる。露天風呂の特典だ。

1ヶ所目の撮影が終わり、オレもロケバスに乗せて貰える事になった。移動中の車内で、村上から入ってみた感想を訊き、オレも感じた事を話した。

村上はオレと同い年だが、2人であれこれ話合うのは初めてだ。場所を変える度にそれを繰返し、ロケ終了となった。

後日、完パケを観て自分が感じた事、村上の感想を参考に原稿を書き、加藤さんに見て貰った。

「ちょっと情報入れ過ぎだな。この前と逆。丁度良いラインを目指せ」

一発で採用とはいかなかったが、前回よりも半分の書き直しでオンエアとなった。



12月下旬。舞田と連絡を取合い、今日再会する事になった。19時に表参道駅で落合う。

「ちょっと痩せたんじゃね?」

舞田はオレの姿を見るなり言った。

「君は変わりませんなあ」

舞田の私服は学生時代から殆ど変わっていない。

駅を出るとケヤキ並木のイルミネーションが目に入った。1年前に聴いた衝撃のラジオを思い出し、複雑な心境になる。

それはそれとして、男の目から見ても幻想的で美しい。但し、隣にはチャラ男だけど……。

居酒屋に入り、生中で乾杯。

「今仕事何やってんの?」

「放送作家」

「すげーじゃん! 芸能人と仕事すんだもんな」

にやつきやがって……。多分、女性アイドルと大勢出会えるとでも思っていやがるな。

「全くないとは言わない。でも、まだ駆出しですので。それよりお宅はまだ出版社に?」

「ああ。お前からしょっちゅうメッセージや電話が来てる時、丁度大変でさあ。あの頃付合ってた彼女と大喧嘩して、暫く連絡取らなかったんだよ。それで憂さ晴らしでクラブで知り合った子とカラオケ行ったんだけど、その子と良い感じになってた時に、『ガチャっ』と彼女が入って来た訳よ」

「……悲惨だな。でも何でそうなったんだよ?」

「そこ行きつけでさあ、店員とも顔見知りだったんだよ。友達と来た彼女が店員からオレが来てるって聞いたみたいで、キスしてたとこだったからマジ焦ったっていうか、固まったよ」

「もーっと悲惨だな……」

ていうかそれ程応えなかったんじゃねえの?

「それが原因でその子と彼女とはTHE END。暫く悶々としてたよ」

「どう考えてもお前が悪いだろ」

舞田は「まあな」と言いながら笑った。ちっとも反省の色は、なし。でも、それが舞田尚之って奴なんだ。変わらない友達を見て、呆れと安心がミックスされた感情が宿った。

23時頃に帰宅し、録画した『カフェラテ』をチェックする。エンディングのエンドロール。構成、加藤真哉の下に「中山裕介」とあった……ような気がしたので巻戻し。確認すると見間違いではなかった。また巻戻して一時停止。よっしゃあーー!! 自分の中で拍手喝采を贈った。放送作家の喜びの一つは、エンドロールに自分の名前が載る事。まだまだ通過点ではあるが、取敢ず自分に拍手、しても罰は当たらないだろう。



――逃げ場――


新年1月4日土曜日。陣内さんが「年明けなら」と了承してくれた事により、『ルーム ナイト』の放送と『カフェラテ』の会議が休みの今日、引っ越しを実行する事になった。

運良く夕起さんとも連絡が着き、もう1人男性が必要だろうと、陣内さんが友達の若手ディレクターの山下さんを呼んでくれた。舞田にも声を掛けたが、栃木の実家に帰ると断わられていたので助かった。

午前8時に夕起さんが、9時にレンタカー屋で貸りた4tトラックに乗って、陣内さんと山下さんが我が家に到着した。新年早々集まって頂いた事に対し、誠心誠意お礼を申し上げる。

今日、小枝子は仕事でいない。

「食いっぱぐれになったらどうするの!?」

と言って最後まで引っ越しに反対していたが、時間が経って諦めがついたのか、

「洗濯機と電子レンジは買ってあげる」

と言い出した。昨日現金で7万円を渡された時、ありがたいが申し訳なさも込み上げ、胸が締め付けられた。

譲一は家にいたが、お三方が挨拶しても「息子を宜しくお願いします」と言ったきりで、手伝う気ゼロのようだ。

秋久も「勉強があるから」と言って、朝食後に部屋に籠もった。

簡単な掃除をしながら4人でトラックに荷物を運び、積み終わった頃には正午を回っていた。食器は家の物を勝手に拝借した。

家を出発する時、「行って来ます」と譲一に一声掛けた。譲一は「ああ」と言っていつも通りだったが、

「たまには帰って来いよ。お母さんも心配だろうからな」

ともう一言。この人、家族を顧みないふりをしているだけなのか? 意外な言葉に驚いた。

オレは夕起さんの車で移動し、自宅アパートのある市に入った所で、スーパーで弁当を買った。

そしてアパートに到着。築20年でオレの部屋は1階。1Rでクローゼットが1ヶ所あり、小型の冷蔵庫とエアコンが備付けられている。

「結構日当たりが良いね」

陣内さんが窓を開けながら言った。

駅までは徒歩10分。礼金はなく、敷金と1月分の家賃はなけなしの貯金から払った。

荷物を入れる前に弁当を食べ、小休憩の後、作業開始。女性に床を拭いて貰いながら、男2人で荷物を運び入れた。ある程度終わった時、

「テレビとかはどうなってるの」

夕起さんに訊かれた。

「おいおいですね」

「仕事柄あった方が良いんじゃない?」

オレが「うーん」と唸っていると、夕起さんは笑顔で立上がった。

「良いよ。私からの引っ越しのお祝い」

「家電量販店行って来なよ。私片付けやってるから」

陣内さんのお言葉に甘え、トラックで家電量販店に向かった。小枝子からの小遣いで一番安い洗濯機と電子レンジ、炊飯器を。夕起さんからは、テレビとブルーレイレコーダーを買って頂き、全てトラックに積んだ。

「出世払いで良いから。いつか美味しい物でも奢って」

夕起さんは腰に手を当てて言った。

「この人には頭上がんないな」

と山下さん。仰る通り。

片付けと掃除が大方終わった頃には、18時を回っていた。山下さんが打上をやろうと言い出し、近くの居酒屋へ行く事になった。夕起さんは18時から打合せが入っているとの事で、一足早く抜けている。

「自分の家を持ったんだから、これからが勝負よ!」

「そうだぞ。今の気持ちを忘れずに邁進しないとな!」

「はい!」

 正直プレッシャーも不安もある。でも、それを良い緊張感にして行きたい。

「ここ笊蕎麦あるじゃん。引っ越し蕎麦に良いんじゃない?」

陣内さんの勧めで蕎麦を啜った。



――スカイツリーだって思いやり発信局――


今月に入りレギュラーが2本増えた。1本は陣内さんが担当している、横浜のテレビ局の音楽番組『オンカン~Music Sciences~』。MCはDJとしても活躍している遠山琢矢と、水奈リンの2人。放送は月曜日の21時からの1時間で、収録は金曜日。会議は木曜日に行なわれる。

もう1本は、加藤さんが担当している某キー局のラジオ番組だ。パーソナリティーは、お笑いコンビの東京V2チャンネルが担当。『水曜That's 東チャンリーフ』。『That's』は月曜から金曜までの帯ゾーンのタイトル。番組名はルーズリーフから来ていて、「リスナーとの思い出を綴る」という意味がある。放送は25時(午前1時)から2時間の生放送で、会議は月曜日に行なわれる。

『オンカン――』は撮って出し方式(編集を加えずそのまま放送する)で収録され、MCとアーティストのトーク・歌・演奏の他、ネットで募った視聴者からの質問にアーティストが答えるなど、全うな音楽番組だ。

『東チャンリーフ』のパーソナリティー、東京V2チャンネルの2人は、十六歳で東京の事務所からデビューした経歴を持つ。売りは漫才で、コントのテイストが入っている事が特徴だ。ラジオの他にも、テレビで冠番組も持っている。



1月中旬。『東チャンリーフ』の初会議。番組は去年の10月にスタートしたばかりで、今日は来週から始まる新コーナーを決める会議だ。

女性ディレクターの大谷さんが、オレが出した企画案の一つを読み上げる。

「『私はこう考える』。東チャンと同じ29歳のリスナーからあらゆる面での持論を募る。……これテレビでやってるよね?」

主にツッコミ担当の小林さんと同い歳の29歳の女性アナウンサーがMCとなり、相方の多田さんはコメンテーター、他の出演者、スタジオにいる一般人も全て29歳に限定し、時事問題を討論する特番が不定期で放送され、好評を得ている。

「あれは話題を番組から発信させますけど、これはリスナー発信です」

「あの番組の企画意図って何だったっけ?」

 森プロデーサーが誰となしに振る。

「確か表向きは、世間では「若い」って言われてるけど、社会人としては後輩の面倒や重要な仕事を任せられる年齢。そんな自分達が社会に物申す。ってな内容だったような」

 加藤さんが答えた。

「結構観てんだな?」

森Pの感心だか呆れだか解らない笑みに、加藤さんは「まあ……」と言いながら苦笑した。

「あんまりテレビと同じにしちゃうと、向こうのスタッフも困惑しちゃうからなあ」

 大谷ディレクターが渋い表情を見せる。

「29歳って限定するよりも、同世代にした方が幅が広がって良いんじゃないですか?」

先輩女性作家の南さんの合の手で、少し閃いた。

「東チャンと同世代の人達から、別に時事問題だけじゃなくて、カップルでの事とか日常の事とか何でも良いと思うんです。募った意見を毎週一つ選んで、賛同出来るか否かを番組ホームページやXで投票して貰う」

「うーん。ちょっとインパクトに欠けるよね」

大谷Dの難色を見て、更に閃いた。

「じゃあ、普段異性の意見が中々聞けないっていう人達から、「こう思う」っていう意見を募って、男なら女。女なら男の同世代から意見を聞けるコーナー。っていうのはどうでしょうか?」

「うん。面白くはなって来たけど、SNSのコミュニティでもありそうだよな」

と森プロデューサー。

結局採用とはならず、保留という形になった。会議終了後、加藤さんに「大分意見が言えるようになったな」と、温かいお言葉を頂いた。

2日後の深夜。本番前、南さんと一緒にオレもブースに入れて貰える事になった。東チャンの小林さんと多田さんに挨拶をし、本番。

事前に大谷ディレクターから、「笑っても良いけど大声は出さないで」と喚起されていたので声を潜めて笑う。ラジオだしオレは出演者ではないのだから当然。が、南さんはゲラゲラと堂々と笑っている。しかし大谷Dは本番が終わっても南さんに注意する事は、ない。これって若手とベテランの扱いの違いか?……



2月上旬の月曜日の23時過ぎ。『東チャンリーフ』のホンを事務所で手直ししていると、スマートフォンが振動し始めた。見ると舞田からの電話。

「もしもし?」

『よう! 今仕事中?』

「ああ、ちょっとなら良いけど」

『わりーな。手短に済ませるから。お前さあ、最近ミドと連絡取ってる?』

「いいや。誰かさんと同じで音信不通」

『オレは連絡したじゃんかよ』

 舞田は独り爆笑。

「……それで、ミドがどうかしたのか?」

『結婚するんだってさ。この前電話が掛かって来た』

「君には連絡した訳だ」

『僻むなよ。オレも久しぶりだったんだ』

「結婚かあ。いつだって?」

『まだ詳しくは決まってないみたいだけど、6、7月頃になるって言ってた』

「まだ日にちがあるな」

『お前の仕事じゃ披露宴は無理だろうけど、その後の二次会のパーティには出ようぜ』

舞田は真面目な口振りで言った。

「そうだな」

『お前の方から、LINEとか電話してみたらどうだ?』

「ああ、そうしてみる」

10分程で電話は終わった。同い歳の友達が結婚。もうそんな歳かあ……改めて自分の年齢を自覚した。



「誠心誠意謝れば良いんでしょ!」

「だから責めた訳じゃないって!」

2月下旬の日曜日。ミドと約2年ぶりに再会した。電話を掛けて出てくれるか迷ったが、先週の日曜に、多分彼女が休みだろうと狙って掛けたら繋がった。

ミドは横浜に住んでいる為、一本で来れる渋谷で待合せる事にした。電話の時には言わなかったけど、逢うなり「連絡着いて奇跡だね」と冗談で言ってしまった。

ファストフード店に入ってお茶をする。学生時代、ミドに彼氏が出来るまでは、2人でファストフードでお茶したり、オレの洋服選びに下北沢までミドが付き合ってくれたりした。懐かしき良い思い出。

「気にはしてたんだよ。ずっと」

「あの頃は唯々人が恋しかった。相手の事も考えないで、構って欲しい気持ちが暴走してたんだよ。オレ、自己顕示欲が強過ぎるから。木を見て森を見なくなってたんだ」

「そこがユースケのかわいいとこだし、面白くもあるんだけどね。中々一発で解って貰えないだろうけどさ。あの頃ね、うちの博物館で催物があったの。ほら、3年前に明智光秀のお城のスケッチ画が見付かったってニュースあったじゃん」

「光秀の城?……ああ、そういえば」

「そう。そのスケッチ画が、期間限定でうちの博物館に展示される事になって。その準備でごたごたしてたの」

明智光秀。主君、織田信長に反旗を翻し、日本史史上最大の謎といわれる本能寺の変を起こした人物。光秀の本拠、坂本城は現在の滋賀県大津市内にあった。ポルトガル人宣教師が、絢爛で、信長の安土城に次ぐ名城だと絶賛した。け・ど・も! ……、今は殆ど痕跡を残していない。

1979年に実施された発掘調査などによって、徐々に詳細は明確になって来た。け・ど・も! ……、その姿形はベールに包まれていた。所が3年前の夏、城を絶賛した宣教師とは別の宣教師が描いたとされる城のスケッチ画が、滋賀県内の民家の蔵から発見され、メディアでも大きく取り上げられた。

「そんな歴史的発見もあったねえ……って本題なんだけど、いつなんだよ、結婚?」

「っあ! そうそう、7月の予定なんだ。忙しくて披露宴には無理だろうけど、その後のパーティには来れない?」

「うん。何とかなるとは思う」

 けど……今の所はの段階。「出席させて頂きます」と言いたかったけど、期待させてがっかりさせたら申し訳ないと思った。

「旦那は何やってる人?」

「公務員。市役所に勤めてるの」

「そんな人と何処で知り合うの?」

「合コン」

あっさりした答え。

「そう……舞田もそうだったけど、出逢いにも機動力が必要なんだね」

「ユースケに誰か紹介出来れば良いんだけど、でも絶対出逢えるから!」

「そんなもんかねえ……」

パーティの場所はまだ決まっていないそうだが、招待状を郵送して貰う為、住所を教えて今日は別れた。

駅の改札で彼女は笑顔で手を振り、オレも笑顔で振り返した。これで数少ない友達3人と、新たに関係を培って行ける。何気ない事が、今とても嬉しい。



2月上旬の木曜日。『カフェラテ』のロケで横浜市内の屋内スキー場へ出向いた。去年の12月に初めてロケに参加した翌週、戸田さんが「直接局に来い。交通費痛いだろ」と言ってくれたおかげで、始めからロケバスに乗せて貰っている。

「1分じゃなくて1秒幾らって世界で勝負してる業界だからな。それを意識して(ナレ原を)書いてくれ」

最初に戸田さんに言われ、それからずっと胸に刻んでいる。最近はやっと訂正される事が少なくなって来た。

今月中旬放送のコーナーでは、春以降も楽しめる屋内スキー場を特集する。カメラが回り、村上がにこやかにスノーボードを披露したが、お世辞にも上手いとはいえない。そういうオレは、スキーもスノーボードもやらないのだけれど……。

子供の頃は降ると嬉しかった雪。だが年齢を重ねるにつれ、「電車は動くのか?」などと厄介な存在になった。でもこういう所の雪は、見ているだけで童心に返り、楽しい気持ちにさせてくれる。

「ああいう所にカップルで行くと楽しいだろうね」

移動中の車内で村上が言った。ロケに立会うようになって、村上の方から良く話掛けてくれるようになった。

「楽しんで楽しんで結婚。その後は、現実に戻されるってか……」

「中山さんって夢ないね」

村上は口に右手を当てて笑う。

「大学時代の女友達が結婚するんだけど、村上さんは結婚考える」

オレの質問に、村上は少し考えた。

「うーん。今は仕事かな? もっと私の事を色んな人に知って欲しいから。でも、結婚してて仕事をバリバリやってる人にも憧れる」

「キャリアウーマンか」

「今の彼、仕事に理解のある人だから」

村上は声を落とし、オレだけに聞こえるように言った。

「それは何よりだけど、今のオレが言わせたんじゃないから」

「良いよ、別に。でも……」

村上は、「他の人には黙ってて」と耳打ちした。それは言わずもがなだろう。

「了解……」

今まで色んな人の秘密や本音を聞いて来た。けど……言い易い顔してるのかねえ?

バスは交差点の信号で止まり、左に次のロケ先が見えていた。



『仕事の方は順調ですか? お父さんが4月から嘱託社員として会社に復帰する事になりました』

3月中旬の水曜日。『東チャンリーフ』の打合せ中、小枝子からメッセージが入っていた。

『会社を辞めた時、正直離婚しようか思い悩んだけど、何とか落着いたわ。秋久も臨床心理士の資格を取る為に猛勉強してる。来年は大学院に進みたいって言ってるわ。我が家はそんな感じです』

「そうですか……」

 と、少し冷めた? 素っ気ない感じで返信。小枝子も、夫の退社と息子の進路の事で、随分葛藤があったと思う。息子を応援したくても、進む道は不安定な職業。親を苛ませ、親不孝な息子だ。一人呵責に耽っていると、

「どうしたの? 深刻なメッセージ?」

大谷ディレクターに声を掛けられた。

「いえ、母親からの近況報告です」

「そう。私2年前に母親亡くしたんだけど、あんまり親孝行出来なかった。早く売れっ子になって親孝行しなさいよ」

大谷ディレクターは右腕でオレの上体を揺蕩させた。

「これまで両親には、苦労や心配を人一倍以上掛けて来ました」

「この業界に進んだ子は大体そうよ。でもね、人を泣かせた子は、その反面笑顔にさせる事も出来るからさ」

「はい」と照れ笑いをして返した。救いの言葉、又は自己弁護の言葉かもしれないが、早く両親を安心させたいと切に思う。



「突然の発表で申し訳ないんだけど、村上奈美ちゃんは23日の放送で降板します」

『カフェラテ』の下平プロデューサーは、神妙な面持ちで言った。3月中旬の土曜日。会議が終わり、解散直前での事だった。

「実は年明けから体調が悪かったらしくて、暫く休養に入りたいって(所属事務所から)打診があったんだよ」

降板なら普通、2、3ヶ月前には発表されるが、急で唯々びっくりした。他の人もそうだったらしく、二十畳弱の会議室は静まり返った。

病名は明されなかったが、今まで気付かなかった自分が悔しい。この間のロケの合間、村上が疲れた表情でベンチに座っていたのを思い出した。その時は敢て声を掛けずにそっとしておいたが、様子がおかしいと思ったのはその一回だけだ。

でも正直、日々先輩達から技術を盗もうとし、ロケに出れば、ナレーションのネタになるものを見付けようと必死で、彼女の様子にまで目が回らなかった。

オレは何一つ村上奈美の事を見てはいなかったのだ。それが悔しい。

20日のロケから、新人アイドルのあおばが後を承け、30日の放送から出演する事になる事も発表された。



23日の『カフェラテ』の本番。村上奈美はいつも通り笑顔を振り撒いていたが、中々声を掛ける事が出来なかった。勝手な推察だが、彼女は休養=仕事に穴を開ける事を忌嫌う人だと思う。そう思うと変に意識し、近寄り難かった。

戸田ディレクターと加藤さんは何事もなかったような顔付で、本番前の打合せ中も淡々としていた。

「っさ、そろそろエンディングなんですが、今日で奈美ちゃんが卒業という事になりました」

CM明け、MCの松村乱が視聴者に向け発表した。

「はい。一年半『K・D・S』のコーナーを担当させて頂いて、本当に楽しかったです。ありがとうございました」

休養に入る事には一切触れず、村上奈美は松村から花束を受け取った。もう一人のMCの中野涼子アナは、

「本当にお疲れ様でした」

花束を渡しながら涙を浮かべていた。

「ありがとうございます」

村上も目が潤んでいる。スタジオのスタッフから拍手が沸き起こり、そのまま放送は終わった。

終了後、彼女の楽屋に向かう。いつもなら、「お疲れさまー」と挨拶し、軽く会話をして「じゃあ、来週のロケ宜しく」と言って別れる。だが、今日は緊張している。固い表情のまま入らないように、入口前で笑顔を作ってノックした。

「お疲れ様」

「お疲れ様。これからも頑張ってね」

彼女は笑顔で言ってくれた。本当は、オレが先にお礼を言わなければいけなかった。

「どうかゆっくり静養してください。そうする事が、また仕事をバリバリやれる事に繋がると思うから」

「ありがとう……戻って来たら、また一緒に仕事したいね」

「そうだね。楽しみにしてる」

やっと彼女と笑顔で会話が出来、充実感に浸った。



――クラシック――


 4月中旬の土曜日。『ルーム ナイト』の本番前に事務所に寄ると、陣内さんと話込んでいた坂木社長と目が合った。

「ユースケ、AV女優誰知ってる?」

突拍子もない質問に呆気に取られたが、『素っ頓狂でも良いから何でも答えるんだよ』加藤さんの言葉が頭を過った。

「そうですねえ。小室友里・及川奈央・豊丸……」

そうお答えすると、社長は「お前幾つなんだよ!」とツッコんで大笑いした。

「よし! 今度の『姫さま――』、お前行って来い」

社長の言葉が終わった瞬間、頭の中で、何故かエドワード・エルガー作曲の『威風堂々』のサビが流れた。今月から始まった新番『姫さまのギモン』。

うちの事務所からは、陣内さんと先輩作家の谷村さんが参加している、キー局の深夜番組だ。

36歳の谷村さんは持病の椎間板ヘルニアが悪化し、入院して手術する事になり、社長と陣内さんがピンチヒッターを探していた所にオレが現れ、テレビではキー局初となる大きな仕事が舞い込んだ訳だ。

主な番組内容は、姫に扮したアイドルの指令に、若手芸人がロケに出て真相を解明して行くというもの。オレが担当する回は、会議の結果、「AV女優の素顔」に決まったそうだ。俗に言う「素人モノ」に出演している女優に、「何故出演を決断したのか?」話を聞く事になった。



後日、事前取材の為に陣内さんと他事務所の女性先輩作家、真崎さん。ディレクターの秋元さんとADの田村さんとオレで、撮影が行なわれているスタジオへ向かった。AVのスタジオへ行くのは当然初めて。事前に出演を打診して承諾を得た女優に話を聞くだけなのに、移動中の車内で既に心拍数は上がっている。仕事の意識は遠く、あるのはミーハーのみ。

スタジオに到着すると、十二畳程の会議室に通された。ここで撮影を終えた女優に話を聞いて行く。

「私、自分の身体に自信があるんです。毎日鏡で全身を見ている内に、一番スタイルの良い状態を映像に残しておきたいって思ったから」。またある人は、「とにかくお金が必要で、早く貯金を増やしたかったんです。イギリスに語学留学したい目標があるので」。またまたある人は、「単純にSEXが好きだから。男を攻めるのってすっごく楽しい!」。

「どうやって攻めるんですか」

いやらしさではなく、素朴な疑問だった。

「え? 全身リップとか」

にこやかに答えて頂いた。来る時には浮足立っていたくせに、なーんか沈む。

……若いって何なんだろう?

ナルシストを曝け出す人。堅実に行く人。SEXを楽しむ人……。同じ分野に進みながらも、千差万別。

その時、隣に座る陣内さんから、左太股を『ポン』と叩かれた。「今は物思いに耽るな」という合図だろう。

次の女優の撮影が終わるまで、一旦休憩となった。

「お前達(撮影現場を)見て来ても良いんだぞ。飢えてんだろ?」

秋元さんが田村さんとオレに言った。女性二人が失笑する。本音は興味津々で席を立ちたいが、気が引ける。田村さんとオレは苦笑いで「いいです」と返した。

十分程経って田村さんがトイレに立った。所が、五分以上過ぎても戻って来ない。オレも催したのでトイレに行く。だが、トイレに田村さんの姿はない。やっぱりな……。撮影現場に行ってみると、いた。なるほど、トイレに託けて。

田村さんはオレと目が合うと笑みを浮かべ、「面白いですよ」と声を潜めて言った。AVの現場が面白い? 田村さんが「見てみろ」と目で合図する。見ると、清楚な女性が、テープで作られた壁の向こうで全裸で立っていた。その女性にクイズを出題し、不正解だとテープが剥がされて行く。全身露になった所で絡み、という内容のようだ。

だがルールなど無視。正解しようがしまいが、出題者はテープを剥がして行く。始めは一枚ずつだったのが、次第に二枚三枚ずつと増えて行く。女優は一応、「ええ!?」「何で!?」と戸惑う芝居をしている。

田村さんが面白いと言ったのは、女優の解答だ。

Q 浜名湖の銘菓で「夜のお菓子」といわれるのは何パイ? 正解はうなぎパイ。

「夜の……パイパイ?」

Q 名古屋コーチンは鶏の品種。ではTOKYO Xは何の品種? 正解は豚。

「戦隊ヒーロー!」

おバカ解答連発。でも、こんな間の抜けた答えが瞬時に出て来るって事は、ある意味頭の回転は速い。冷静に分析している自分と、スタジオに入った途端に口は渇き、『ドック! ドック!!』と心臓が大きくバウンドし、胸が圧迫されて息苦しい自分がいる。

「っう!……」。そこに吐き気を催し、乾いた口内に大量の唾液が分泌された。テープが剥がされて行く度、意識が朦朧として行く。起きているのに夢見心地、非現実の空間。

チラッと右下を見ると、パイプ椅子の上にペンとスケッチブックが置いてある。徐に手に取った。全くの無意識。自分でも何がしたいのか解らないまま、白紙のページを探す。

Q ある映画やドラマの脇役を主人公にして制作された作品を、何作品という? 「スピンオフ作品」と書いて、女優に見えるように掲げた。彼女は気付いて正解。

Q 関ヶ原の戦いで東軍の大将は徳川家康。では西軍の大将は誰? 正解は石田三成。今度は「小栗旬」と書いて見せる。そんなアホな! という答えだが、彼女はまんま答えた。出題者は「ファイナルアンサー?」と大物司会者を真似、沈黙してタメる。

「……早く言って!」

「……残念!」

当然だ……。その後も悪戯心フル稼働で、正解と嘘を書き続けた。人間、緊張感がMAXに達すると何をしでかすか解らない事を、自分で証明した。

AVスタッフには注意されなかったが、田村さんから「そんな事して後で大変ですよ」と言われた。

やがてスタンバっていた男優の1人が立上り、絡みのシーンとなった。一つだけ厳守されるルール。十問中五問以上正解すると、若くて美形の男優と。五問以下ならメタボな中年男優が相手となるようだ。

青年男優に手を引かれた女優は、笑顔から艶めかしい表情へとスイッチが入った。それに合わせオレの頭の中では、ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番『新世界より』が鳴り響いた。

実に濃厚なSEXを見せ付けられ、過呼吸寸前になったが、鼻血が出ないだけまだましだ。クラシックが流れる中、左肩を『ポンポン』と叩かれ、「そろそろ戻って来い」と秋元さんが耳打ちした。

ぐったりした状態で会議室に戻り、最後の人を待つ。30分以上経って、「お願いします」と田村さんが招き入れ、立上って女優を見る。黒いブーツにデニムスカート。顔を見ると、さっき悪戯した彼女……。思わず口を開けて顔をしかめた。田村さんと目が合うと、「だから言ったでしょ」と言わんばかりの表情をした。後で大変……こいつ知っていやがったな。

彼女はオレに気付いて若干睨んでいるようにも見えたが、素知らぬ顔をして一礼した。

「出演のきっかけは」

と真崎さんが訊くと、

「軽いノリです。友達が風俗で働いてて、AVやってみようかなあって感じでした」

彼女は淡々と答えた。

「風俗を選ばなかった理由は」

陣内さんの質問に、

「疑似恋愛はしたくなかったんです。男優さんもお互いプロだし、一緒に作品を作ってるっていう所に惹かれました」

さっきのおバカ解答とは打って変わり、確りとしたお答え。



取材を終え、彼女は出て行った。オレ達は少し座談会のような事をした後、AVスタッフに挨拶をしてスタジオを出た。外に出ると、空はすっかり暗くなっている。夜風の心地良さを感じながらワゴン車に乗ろうとした時、

「ちょっとあんた!」

大声が聞こえ、全員が声のした方に目をやった。最後に取材した女優が、缶チューハイ片手に近付いて来る。

「あんただよあんた!」

状態から見て一缶目ではないだろう。酒癖の悪い人間は苦手だ。さっさと車に乗ってドアを閉めようとした。が……。

「ちょっと逃げないでよ!!」

左腕を掴まれた。

「お前何かしたんだろう」

運転席の秋元さんがにやにやして訊く。助手席の田村さんは「言わんこっちゃない……」といった表情。陣内さんと真崎さんは「知~らない」といった表情。

「何であんな事したのか説明してよ!」

彼女に腕を引っ張られ、仕方なく車から降りた。

「今日はこれで解散だから」

陣内さんがオレに耳打ちしてドアを閉めると、何とエンジンが掛けられ出発してしまった。「薄情者!」と言いたい所だが、こうなったのは自分のせい。観念して彼女と向合った。

「何本目ですかそれ? 大分酔ってるみたいだけど」

顔の色が、着ている赤のカーディガンに負けないくらいだ。

「3本目。そんな事どうでも良いでしょ」

独りでそんなに……余程癇に障ったのだろうけど、只の酒好きかもしれない。

「立ち話もなんだから、何処か入りましょう」

同意を得ずに歩き出した。通行人はそんなにいなかったが、やっぱり周りは気になる。彼女も黙って歩き出した。駅近くのカフェに入り、二人でアイスコーヒーを注文した。彼女は「そろそろ説明してよ」と訊きながら、タバコに火を点ける。

「ほんの遊び心です」なんて言ったら、タバコどころか全身に火が点くな……。

「でも、美男子と絡めたでしょ?」

「そんな問題じゃない!」

「じゃあ、おっさんの方が良かった?」

彼女は「それは……」と訥弁になったが、直ぐに顔をにやつかせた。

「でも見たでしょ? 私の身体。AVのスタッフでもないのにさ」

「まあ、確かに……」

 オレが訥弁になってどうすんの……。

「お詫びにデートに誘ってよ」

「はっ? デート!?」

 なんじゃい? その推測不明なお詫びは。

「そう。何処に行くかは任せる。その日に決めたって良いし」

そう言うと、彼女はハンドバッグから名詞を取り出し、スマートフォンの番号と一応メールアドレスを書いて差し出した。<文京区 Club Soft チハル>……。

「あんた名詞は?」

「生憎持っていません」

 嘘。正式採用になって直ぐに百円ショップで名刺入れを購入し、十数枚は入っている。

「しょうがないなあ」

彼女はもう一枚名詞を取り出すと、裏返しにしてペンと一緒に渡して来た。

「これに連絡先書いて」

マジかよ……。この女アルコールのせいもあるのだろうけどガチだな。出鱈目に書いてやろうか、とも思ったが……。

「解ったよ」

 リュックから名刺入れを取り出し、

「はい。これがオレの名刺」

 愚直にも……というか、押しに負け出してしまうオレのメンタルの弱さ……。

「何だ持ってんじゃん」

「それよりあんたキャバ嬢?」

「そう。AVは副業。あんたもテレビ局関係だとは思ってたけど、放送作家だったんだ」

キャバ嬢が眼前に……。何度か連れられてキャバクラには行ったけど、自分からはまず行かない。

「まだ成って間もないけどね……キャバだと、オレよりは儲かってるね」

チハルは「そうでもないけど」と淡白に答えた。まっ、AVのアルバイトをするくらいだし、歌舞伎町とか六本木ではないからな。

今日はこれにてお開き。チハルの提案で割勘にして帰った。



――それはそれ、これはこれ――


4月下旬の土曜日。『カフェラテ』の打合せを終え、局の出入口を目指して加藤さんと廊下を歩いていた。人気が少なくなった時、

「奈美ちゃんの病気……」

加藤さんが徐に口を開いた。

「……癌なんだってさ」

「癌?」

「何処の部位かは解らないけど、さっき下平さんから聞いた」

「……そうですか」

「二十代って、そんな大病とは縁がないって勝手に思ってたけど、本当はそうじゃないんだな」

「……」

何を考える訳でもないが、自然と俯いてしまう。

「しけた顔すんなよ!」

加藤さんはオレの右肩に手を回し抱き寄せた。

「必ず元気になって戻って来る。そう信じようぜ! 今の事は他言無用だからな。SNSとかにも出すなよ」

加藤さんは笑顔で言った。オレも笑顔を作り、「はい」と答えた。

夜、『ルーム ナイト』の本番が終わり、24時過ぎに帰宅した。ポストを開けると、ミドからパーティの招待状が届いていた。部屋に入り封を開けると、中には場所と時間、地図が印刷された紙と手紙が入っている。

『毎日お疲れさまです。忙しいだろうけど、時間があったらぜひ来てね』

手紙を見詰めて考えた。マリッジブルーもあるかもしれないが、心根は幸せなのだろうミドと、希望を持ちつつ、病と闘っているのであろう村上。同じ時を生きているのに、運命って、不公平だな……。今の自分が出した結論。



――不実、でもステキな関係――


ゴールデンウイーク明けの木曜日。23時55分からの30分間、『姫さまのギモン』が放送された。

チハルは自宅マンションで取材を受けていた。声は加工されていなかったが、顔は磨りガラス状にモザイク処理されていた。エンドロールに自分の名前はクレジットされなかったが、やっと仕事を終えた感じでほっとした。

翌日。『オンカン――』の収録前の打合せ中、スマートフォンが振動した。本番の為スタジオのサブ(副調整室)へ移動中にチェックすると、チハルからだった。デートはいつなのかと催促する内容。覚えていやがったか……。

サブに入り、傍らにいた陣内さんに愚痴りたくなった。

「この前オレに絡んで来た子覚えてます?」

「……ああ、チューハイで出来上がってた子?」

「ええ。あの後お詫びにデートに誘えって言って来たんです」

「ハハハッ。逆ナンじゃない。暇がある内に行って来たら?」

他人事だと思って……。

「どんな所が良いですかね?」

「そう難しく考えなくても、遊園地とか、近場で済ませたいんなら映画でも良いんじゃない?」

生まれて此の方、デートで遊園地になんか行った事がない。まあしかし、オレの知合う女性ときたら、元風俗嬢にキャバ嬢兼AV女優……オレが引き寄せてんのか?

そうこうしている内に、

「本番5秒前ー、4、3、2……」

オンエアのランプが光った。

「さあ今週も始まりました『オンカン』――」

黙って収録を見守りながら物思いに浸った。



5月中旬の火曜日。天気は快晴。チハルと

のデートが「決行」される事になった。連絡を取合った結果、2人の休みが合う日が今日だった。9時半に渋谷で待ち合わせる事になっている。10分前に着いてハチ公前の喫煙エリアで一服した。程なくして彼女も到着。

「何処連れてってくれるの?」

「ちょっと考えさせてよ」

一服する彼女の服装をさり気なくチェックする。この前と同じ黒いブーツに黒のミニスカート。オレは、スニーカーに迷彩柄のパンツ。大丈夫だな。

スマートフォンを使い路線情報で行く先を調べた。

「じゃ、行こうか?」

「何処に?」

「取敢ず品川」

この機会だから、昨日インスピレーションで浮かんだ所に行こう。早い時間に待ち合わせたのも、それが狙いだから。プライベートで女性と2人で行動するのは、夕起さんとミド以来。内心胸が躍った。そのくらい僕は異性とは縁遠い男なのです……。

山手線内回りで品川に向かい、そこから熱海行きの列車に乗った。

「訊いても教えてくれないみたいだね?」

「着いてからのお楽しみ、か解らないけどヒント。チハルさん歴史好き?」

「チハルで良いよ。歴史は戦国時代ならちょっと好きだけど」

「なら良かった」

チハルは子細ありげそうな反応を示したが、職業柄調子を合わせただけかもしれない。

「ユウって作家になって何年目?」

ユウって……。

「1年目」

「じゃあゴールデンの番組とかは任されないね」

「キー局はね。発展出来るよう、努めております」

チハルは「ガンバレ!」と言って微笑んだ。

「でも会議とか長いんでしょ?」

「そう。朝から晩まであっちで拘束されこっちで拘束され。それでも時給に換算したら、コンビニのアルバイトより安いと思う。終電乗れなかったら、事務所に泊まり込んでるよ。タクシー代勿体ないし」

「身体壊さないでね」

チハルは神妙な顔をして、オレの左膝に手を置いた。

「ありがとうございます」

笑顔で励ましてボディータッチで気遣う。キャバクラの基本的な営業技術ですね。

「この前風俗嬢の友達がいるって言ってたけど、キャバから風俗に転身する人、増えてるみたいだね?」

「うん。私みたいに兼業の子もいる。景気悪いとキャバの世界も厳しくなるから。「儲かってるね」って言ったけど、ドレスとか髪のセットで出て行くお金も大きいんだよね」

じろっと目を合わせて来た。

「それは、キャバとAVってだけで言っただけだから……」

浅はかな発言でございました。リーマンショックもあったしね。思わず外に目をやった。



――トイルガール――


ユウは済まなさそうな顔をして外を見た。売上が減るのは経済のせいだけじゃない。キャバの世界は営業力がすべて。口下手だったりアフターや同伴をサボれば、いくらルックスが良くても結局飽きられちゃう。お客の心をつかみ続けるだけでも大変なのに、店じゃキャストどうし、表向きは仲良さげにしといて、裏ではあら探しして足の引っ張り合い。

じゃあAVの世界はっていうと、誰でも撮ってもらえるわけでもなく、なかなか面接には受からない。倍率何十倍って世界。

放送作家も、少し前まで売れっ子だった人が、番組が終わったりしてアルバイトしなきゃいけなくなったって、聞いたことがある。

人気商売に進んだ人間の辛いとこだよね? 中山裕介さん……。

その後もいろいろ話してるうちに、ユウとは同い歳だと解った。私が6月でユウが7月生まれ。私のほうがちょっとだけお姉さんだった。

電車に乗って1時間以上が経って小田原に着いた。でも降りない。

そこから一駅過ぎて、やっとユウが「降りるよ」と立上った。

でも初デートが歴史に関係あるとこなんて……シブっ!



駅を出て山道を無言で登っていく。歩いているのは私たちと、おじいちゃんおばあちゃんの集団だけ。ユウは私を気づかう気ゼロでどんどん進んでいく。さっきから腰イテー。

「ちょっと待ってよ!」

やっと追いついてユウの右腕をつかんだ。

「ハー、ハー……山登るんだったら言っといてくれる?」

「渋谷で最終決定したもので。言ったら絶対嫌だって言うだろ?」

みごとな開き直りだ。

「そりゃそうよ!」

「それより見てみな。青い空に陽光を一杯に反射した海。輝かしいばかりだな」

話をそらすなよ!

「そんな余裕なーい」

すねた感じで言ったけど、半分マジだから。ユウは聞かないふりをして、「行くよ」と言って歩きだした。

ユウの腕をつかんだまま歩くこと約30分。2人とも汗だくで入口に着いた。

「もーう。メイク台なし! せっかく丁寧にしてきてあげたのに!!」

「そりゃわるーございました」

ハンカチで汗をふきながら看板を見た。

「石垣山? 一夜城? お城の跡?」

「豊臣秀吉が小田原征伐の時に築いたんだよ」

「オダワラセイバツって何?」

ヤバッ! 歴史に興味ないのバレちゃった……。っまいっか。

「後で説明するよ」

ユウに続いて先に進むと、一面芝生の広場に出た。

「あー、そよ風が当たって清々しいな」

「私は最悪。ユウはキャップ被ってて良いけど、紫外線あたりまくり」

化粧品はUVカットのやつだけど、汗で取れちゃっただろし。日焼け止めも持ってくれば良かったと後悔する。

「で、ここはどうゆうお城なの?」

嫌な予感はするけど、一応話をふってみる。

「1590年3月(旧暦)から、秀吉は自分の家臣になろうとしなかった小田原城の北条氏を攻めたんだ。それが小田原征伐。そして4月6日から、小田原城を見下ろせるこの山に築城を始めた」

ユウは語りながら歩き始めた。ストーリーテラーのつもり? タモリじゃあるまいし。ほっとこうかとも思ったけど、ベンチがある所までついていくことにする。

「3万から4万人が動員され、工事は昼夜突貫で行なわれた。結果、石垣造りの城が僅か3ヶ月で完成する。それがこの石垣山一夜城」

展望台に着き、ベンチがあったので喜んで座った。ユウは私に背を向けてるからメイク直しに都合が良い。

「北条一族と重臣が徹底抗戦するか降伏するかで紛糾していた時、余裕綽々の秀吉はここに側室の淀殿を呼んで、連日のように茶会を開いていた」

まだ続くな。嫌な予感的中。男は自分の世界に入ると周りが見えなくなる。

「そして、夜の内に山の木を伐採。朝になって向かいの山を見た北条方は驚愕。一夜にして城が出来たと戦意を消失したっていわれてる。それが、一夜城の由来」

「ふーん。ビックリするよね」

「7月5日に北条氏政と氏直の親子は降伏。秀吉は戦後処理をして、8月9日、天下統一を完了させた」

はい。カンペも私の顔もいっさい見ないで良くできました。

「っておい! 聞き流しやがったな!」

「聞いてたよ。解りやすく説明してくれてありがとうございます」

コンパクトを持ったまま開き直ってやった。

私を展望台に残して、ユウはあちこち回ってスマートフォンで写真を撮っていた。戻ってくると、あっちが相模湾で、遠くに見えるのが三浦半島と房総半島だと説明してくれる。汗が引いて風が気持ち良い。やっと眺めの良さを実感できた。



小田原駅に戻ったとき、

「おなかペコペコなんだけど」

笑顔だけどうんざりぎみに訴えた。だって朝からほとんど何も食べてないから。

「ちゃんと調べて来たよ」

ユウはそう言って駅ビルの中の食事処に入った。ご当地グルメの「小田原どん」を注文する。地元で獲れた魚や野菜のてんぷらが盛りつけられていて、結構ボリュームがある。食べたらすごく美味しくて完食した。

食器は伝統工芸品の小田原漆器なのだとか。

 このご時世に、キャッシュレスじゃなくて現金派? ……少しビックリしたけど奢ってくれるのだから黙っておく。お金を払ったユウは外に出てくると、

「機嫌が直ったとこでもう一ヶ所」

こう言って今度は小田原城も見たいと言いだした。なんだとお!!

「これ、私にお詫びするデートじゃなくない?」

「申し訳ない。でもせっかく近くまで来たかさ」

こいつどこまでも開き直るつもりでいやがる。でも、なんか憎めない。

ユウくん誰の子、ふしぎな子……。今まで逢ってきた男とはちょっと違う。



――あの人は今――


『お久しぶりです! 元気ですか? オレは元気にやってます』

5月下旬の火曜日。自宅で『ルーム――』のホンを書いていると、スマートフォンに懐かしい名前から着信が入った。神谷君だ。

『作家をあきらめてから少し考えて、作家は作家でも小説を書いてみたんです。それを文学賞に応募しています。結果はまだ分かりませんけど、オレはそんな感じです。ユースケさんは仕事順調ですか?』

突然事務所を辞めて8ヶ月。彼も新たな道を見出していた。

「元気だよ。あれからレギュラーも4本になって忙しくさせて貰ってる。小説かあ。色々チャレンジしてるみたいだね。羨ましいよ」

挫折は辛い。でもその先に道が開けると、それだけでも嬉しい。オレもそうだったから。



――これから――


羨ましいって、マジっすか!? オレに言わせればユースケさんの方が羨ましいですけど。

事務所をバックレた後、オレは日雇いアルバイトの派遣会社に登録して工場で働き始めた。イスに座って、ただひたすら朝から夕方まで仕事をし続ける。働き始めて1ヶ月が経ったある日の休憩中、専門学校時代に書いた脚本のことを、急に思い出した。それは1時間ドラマって設定で、卒業制作で書いたヤツだ。

タイトルは『Wonderful two Person』。

セックスフレンドの男女が主役で、欲を満たすだけの関係と割り切って付合っていたが、その内、2人はお互いを思いやるようになる……そんな内容だ。

卒業してからずっと忘れていたが、その作品を小説にしてみたくなり、半年間、内容を再構成して書上げた。

オレは小説っていう道を見つけはしたけど、現実にはまだ何も決まっていない。そういう点じゃあ、ユースケさんは放送作家を勝ち得た。人を羨ましいと思う人も、誰かに羨ましがられる。人間の世界は、そういう想いが十重二十重になって成り立っている。ってね。



――不実、でもステキな関係は続く――


6月に入った。チハルとの約束のデート……まあ、オレが楽しんだだけだけど。も果たした事で、彼女との関係はTHE ENDと思っていた。だが腐れ縁ってやつか、夜中に会議が終わり、彼女にアフターが入っていなければ2人でカラオケに行ったり、午前中時間が合えば、食事や映画に行ったりする。そんな関係が続いている。

「最近表情明るいな。彼女でも出来たか」

加藤さんが悪戯っぽく笑って訊いた。

「そんな人欲しくても暇がないですよ。単に仕事が楽しくなって来ただけですって」

こう返したものの、仕事は勿論だが、チハルとの関係も楽しんでいた。でも、彼女はキャバ嬢。オレは客じゃないけど、彼女はこの関係をどう思っているのか……。



6月中旬の月曜日。『東チャンリーフ』の会議が終わった後、大谷ディレクターに呼止められ、18日の本番前のホンの手直しを兼ねて、再ミーティングとなった。

20時少し前に終了したと思ったら、今度は『カフェラテ』の戸田ディレクターから、千代田区の支社まで来いとのお呼出し。19日のロケを前に、打合せが行なわれた。約1時間半で終了し、戸田ディレクターが「一杯やるか」と言い出して近くの居酒屋に入った。

終電に乗る為には、23時半過ぎには駅に向かわなくてはならない。前にスマートフォンで時刻表を検索していたら、「電車気にすんな!」と注意された。以来、大体の終電時間はインプットしている。だけども……帰して貰えれば良い方で、始発で帰る事もあれば、事務所に泊まる羽目になる事もざらだ。

その23時半になった。

「済みません。僕、そろそろ終電なんで失礼します」

努めて丁重に申し上げる。戸田ディレクターは「何だよ帰んのかよ」と渋い表情になった。

「仕方ないっすよ。こいつうち遠いですから。良い夢見ろよ!」

加藤さんはフェローしてくれて、オレに向かって親指を立てた。よっしゃ! 今日は帰れる。喜びを押し殺し、奢って貰ったお礼を言って駅を目指した。

その時、またスマートフォンが振動した。見るとチハルからのメッセージ。また呼出しかよ……。確か彼女は月、火と休みだ。

今日は断わろう。直ぐに結論が出た。



約20分後、オレは自宅がある最寄駅……ではなく、渋谷に……いた。結局、断れなかった訳だよ!

いつものようにカラオケかと思ったら、今日はゆっくり飲みたいらしい。

「アフターで居酒屋行ったりするの?」

「たまに行くよ。仲の良いキャストとも」

今日のチハルは笑顔の中に疲れが滲んでいる。店に入って最初の内は普通に会話していたが、サワーが3杯目になると……。

「ハー。私も疲れちゃった」

「何かあったの?」

「今に始まった訳じゃないけどさ、売上上がんなかったら店長の目は厳しいし、客は客で身体目当ての連中ばっかだし……」

「一見華やかな職業は厳しいからな」

「キャストの誰かがAVやってるの吹込んだらしくて、それで余計に身体目当ての客が増えて。倍疲れる!」

チハルはグラスを見詰て言った。頷く事しか出来ない。気の利いた言葉を掛けられれば良いのかもしれない。でも、余程間違った考えでもない限り、黙って受入れるのも優しさだと思う。

愚痴を言うと、「皆苦労を抱えてるんだよ」とか説教じみた事を言う人もいるが、多くの人はそんな事は解っていると思う。只、苦悩を抱えて他人の事を忘れているだけ。それを思い出す為に、蟠りを吐き出して溜飲を下げる。これを交替交替で繰返して行くのも人間関係の一つだと僕は考えるのですが、間違っていますかね?



約2時間後、店を出た。

「ユウ、今日は一緒にいてくんない?」

「……まあ良いけど、何処に行く?」

電車はもうなくなった……となれば、2人の足はホテル街へと向かっていた。こんな事が……オレの人生と縁があったのか。

そんな事を考えている内にあるホテルに入り、チハルは慣れている様子で独りで部屋を決めていた。部屋に入りあちこち見て回る。

「こういうとこ初めてなんだ?」

「いや、前に一度だけ……」

泊まった事はあるが、部屋をじっくり見るのは初めてだ。

彼女に右手を握られ、抱きつかれた。背中に手を回す。酒の力か、以外に落着いていた。

「もっと優しく」

女性の身体は柔らかく、思わず力が入ってしまう。

ゆっくりと唇を合わせた。『カチッ』と歯が当たり、「慣れてないね」と嗤われた。

そして、チハルは服を脱ぎ出した。その光景を見て、何故か頭の中で『Over The Rainbow』が流れ出した。そのくらい穏やかで、優しい気持ちだった。

「脱いでよ」

2人でシャワーを浴び、ベッドへ行く。チハルは髪で顔が隠れる度、髪をかき上げて耳掛けヘアにする。女優は顔が命なので……。その仕草を見てオレが嗤ってしまう。

「何がおかしいの?」

「別に」

明け方に眠り、昼近くに起きた。

人生、何処で誰と出逢い、何がどう転がるか解らない。酔いが醒めて心底実感した。



――いちょう並木――


『カフェラテ』の会議に出席する為、事務所を出て東京メトロ表参道駅に向かって歩いていた途中、青々と茂ったいちょう並木が夕日に照らされ、黄緑色に染まっていた。もう直ぐ夏本番がやって来る。

6月下旬の土曜日。『ルーム ナイト』の生放送が終了し、ブース内が「お疲れ様でしたあ」の声で包まれた。

DJのYUKAがブースから出て行き、オレもその後に続こうとした。その刹那……。

「中山君。ちょっと良い?」

陣内さんが神妙な面持ちで呼び止め、2人でブースの隅に寄る。

「良い知らせじゃないんだけど……」

小声で言われ、一瞬で緊張が走った。

「今日のお昼に……村上奈美さんが亡くなったらしいの」 

あれこれ推察する暇もなく、頷く事でしか相槌が打てなかった。村上は入院してまだ3ヶ月しか経っていない。

「入院した時点で、癌が他の臓器にも転移してたんだって」

全身の力が抜けて行くくらいの衝撃。その場にしゃがみ込みたかった。

「仕事の前に言ったら、中山君動揺しちゃうと思ったから」

「ありがとうございます。配慮して貰って」

やっと言葉が出た。

「美貴ちゃーん!」

「はーい!」

石倉ディレクターに呼ばれ、陣内さんは出て行った。

放心状態のまま喫煙ルームに入り、呆然と一服する。村上奈美とは短く、仕事上の付合いでしかなかったが、走馬灯のように思い出された。いつも穏やかだが心中では闘志を燃やし、向上心も高かった。オレとは相反する性格の村上奈美から、もっと色んな感性を吸収したかった。

『ガチャ』。ドアが開き誰かが入って来たが、構わず下を向いていた。

「挨拶くらいしなさいって前に言ったでしょうよ!」

陣内さんから右の頬に冷たい物を当てられた。びっくりして顔を上げると、笑みを浮かべていた。

「これ飲めば落着くんじゃない?」

陣内さんは当てていた缶をオレに渡し、自分の分を吸煙機に置いた。無色透明なコーラ再び。但し、無色な事を確かめるにはコップに注がなければならず、缶のまま飲めば只のコーラだ。

「陣内さんこれ好きなんですか?」

「好きなのは中山君でしょ?」

言われてみれば、物珍しさからよく買っていたのはオレだ。

『ゴーー』という吸煙機の音に、『フーー』と紫煙を吐き出す音が交じる。

「悔しいし悲しい事だけど、こればっかりは不可抗力よね」

「オレと同い歳ですから……25歳……ですか……」

「私より若いのに……」

『もっと私の事を色んな人に知って欲しいから』『戻って来たら、また一緒に仕事したいね』村上の言葉を思い出し、視界が滲んで来た。見開いて数回瞬きする。

「でも……「良かったね」って……言ってあげたいですね」

「良かったね?」

「誰もが活躍出来る訳じゃない世界で、ほんの少しの間ではあっても、世の中に出る機会を与えて貰った。そういう意味では、「良かったね」って……」

「そうね」

陣内さんは納得し、コーラを一口飲んだ。



翌日。『カフェラテ』の放送が終わり、事務所に戻る為、表参道駅から南青山に向かって歩いていると、この前夕日に照らされていたいちょう並木に入っていた。

思わず足を止めて見上げると、葉っぱが陽光に照らされて目映く、綺麗だ。その時ふと、『元人気女性アナ自殺』のニュースを思い出した。序でにこの言葉も……。

『お前は、温いんだよ……』

自分の目が虚ろになって行くのが解る。その目のまま正面を向いた刹那、村上奈美が破顔してオレを見ている姿が映った気がした。……そうだね。

 温かろうが何であろうが、オレは生きている。人は生きるのを止められても、続ける事は出来ない場合がある。生きたくても生きられなかった人の分まで生きる。それが、残された人間の不文律なのではないか……。

 突然すらすらと出て来た考え。村上奈美が導いてくれたのだろう。オレは微笑を浮かべ、事務所に向けて再び歩き始めた。

駆け出しの作家に気さくに接してくれて、本当にありがとう。村上奈美さん、本名、村上奈美子さん、忘れない……。



 7月上旬の日曜日。『カフェラテ』の本番を終え、一旦帰宅した。

17時過ぎに、ミドの結婚パーティに出席する為、着慣れないスーツにネクタイを締め、会場となる横浜のバーに向かった。駅で舞田と落合い、受付で会費の8千円を払い中に入った。

貸し切りの会場には、自分達と同様、男性はスーツ、女性はドレスに着飾って2、30人は集まっていた。オレ達は遠慮がちに後ろの席に座る。

19時になると、カウンターにバイキング形式で料理が並べられた。空揚げやウインナー、ポテトを皿に取り、舞田とビールで一足早く乾杯した。

20分くらい経ってやっと主役達が登場。改めて全体での乾杯となった。旦那は白のタキシード姿。長身で顎鬚を生やし、一見恐持てにも見えるが、笑顔は優しそうだ。

ミドは純白のドレスに身を包み、正直綺麗だ。流石はプロのメイクさん。その技術に、ミドの笑顔が輝きを与えていた。

幾つかのゲームがあったり、新郎が新婦に向けて手紙を読上げた後、2人は各席を回り始めた。ミドは満面の笑みでオレ達にお菓子を渡した。

「二人共来てくれてありがとう!」

「すっげぇ綺麗じゃーん!」

ほろ酔いの舞田がチャラさ全開で言った。

「おめでとう」

笑顔で言えた。気持ちは吹っ切れ、心から祝福出来て良かったと思う。



――達成――


7月6日日曜日。『カフェラテ』の生放送を終え、午後、陣内さんと『オンカン――』の宮崎ディレクターと共に、新宿のデパートに向かった。

番組内には映画などのDVDを紹介するコーナーがあり、2週間後の放送では、石川県内の女性市議、本田氏が出演するDVDを取上げる事に決まった。

本田市議は「美人すぎる市議」として、当選直後から何かと報じられている。確かに美人だとは思う。だが「すぎる」とは、誰をボーダーラインにしているのか? 謎だ。

6月に市の知名度アップと観光PRの為、DVDを発売。ショッピングサイトでは、予約段階で受付が殺到したらしい。売上は慈善事業に役立てて欲しいと、全額寄付するらしく、更に話題を呼んでいる。

今日は、本田市議が新宿のデパートでイベント(特産品のPR)に参加する為、上京した事に合わせて、18時のイベント終了後に打合せをする事になっている。

コーナーでは、たまに作品の出演者にVTRやスタジオへの出演を依頼する事がある。今回は駄目元でスタジオ出演を依頼した所、「市のPRに繋がるのなら」と快諾して貰ったそうだ。

デパートに着き、控え室に行く前にイベント会場を覗いた。日曜という事もあり、どのブースも盛況だったが、会場を見渡して!!!!……衝撃が走る。にこやかに試食品を持つコンパニオンの中に、頭から消し去れない顔が一つ。あの人も石川出身だと言っていた。

やっと逢えたな。早稲田望……。放送作家を目指した理由の一つは早稲田を見返したい。スタジオか何処かで擦違って、自分の存在を知らしめたい、だった。

「中山君? もしもーし!」

陣内さんに眼前で手を振られ我に返った。

「っあ、済みません」

「行くよ」

控え室に入って本田市議を待つが、落着かない。安定剤を一錠飲み、深呼吸した。

「調子悪いの」

心配した陣内さんが小声で訊いた。

「大丈夫です。(薬を)飲む時間でしたから」

「なら良いけど」

「どっか悪いの」

宮崎ディレクターに訊かれ、「大した事ないですから」と笑顔で答えた。

薬は平静状態を得られる手助けをしてくれるだけ。活かすか無駄にするかは自分次第だ。

待つ事約20分。丁度薬が効き始めた頃に本田市議が現れ、挨拶を済ませて打ち合わせが始まった。

最初にコーナーの趣旨説明をし、早速話を伺う。

「初め(DVDの)お話を頂いた時にはお断りしたんです」

「政治家がやる事ではないと判断されたからですか」

陣内さんの質問に、

「それもありますけど、市民以外に自分をアピールする意味を見出せなかったんです」

本田市議は物腰柔らかな口振りで答えた。

「それから承諾しようと思ったきっかけは何だったんですか」

宮崎ディレクターが問掛けた。

「後日プロデューサーの方から、私の知名度を活かして、市内の観光名所を紹介する作品にしてはどうかって持ち掛けられたんです。数日考えて、市のプラスになるならと思いました」

政治家ならば、郷土や国の事を一番に考える。これ、言わずもがなの筈。

次に陣内さんが内容に触れた。

「テーマは春と夏です。私が名所を訪れて解説しています。名所に合わせた衣装もポイントです」

やっと本田市議が笑顔になった。

1時間程で打合せは終わった。本田市議は所属政党の党大会の前夜パーティがあるとの事で、一足早く出て行った。

オレ達は帰り支度をし、デパートの人達に挨拶をして出口を目指した。廊下を歩いていると、前から他のコンパニオンと会話しながら歩いて来る、早稲田望を見付けた。

『ドック! ドック!! ドック!!!』。鼓動が大きく鳴り響き始めた。手は涌き水でも涌いたように、脂汗で濡れている。

「中山君。来週の『ルーム――』のメールまとまってる」

陣内さんから訊かれた。番組内で読むメールや葉書候補を選び、何処の件を読むのかを決める作業だ。

「っあ!……明日にはまとまります」

裏声気味で答えた。その内に早稲田は直ぐ目の前まで来ていた。そして、目が合う。早稲田は「何処かで見たような?……」というような怪訝な表情をした後、思い出したのか、はっとした顔になった。以上、飽迄もオレの推察。

オレは早稲田望の表情を見届けて目を逸らし、会釈もせずに通り過ぎた。作家に成る前に夢見た事が、1年半で実現した。ちんけな夢……。

やっと緊張から解き放たれ、バカらしくなって「フン」と鼻で笑う。

「何笑ってるの?」

陣内さんは呆れて笑っている。

「思い出し笑いです」

「人間笑う事が大事さっ」

宮崎ディレクターが息を抜くように言った。



――誠実な関係へ――


7月中旬の月曜日。26歳になった。20時近くに『東チャンリーフ』の会議が終わり、スマートフォンをチェックすると、夕起さん、舞田、ミドから「おめでとうメッセージ」が来ていた。その他は仕事のものばかりなり……。

誕生日を知っているのは家族と友達3人。それと坂木社長と陣内さんの計8人だ。社長からは午前中、祝福のお言葉だけ頂いた。陣内さんとは今日会っていない。加藤さんとは誕生日の話をした事がないので、お互いに知らない。

スマートフォンを弄りながら突っ立っていると、

「これから皆で飲みに行くんだけどさあ」

「どうだ?」

大谷ディレクターと加藤さんに誘われた。

「済みません。今日中に書上げなきゃいけないホンがあるんで」

事実半分、面倒な気持ち半分。この前は行ったし今日は良いだろうと思った。

会議室を出て放送局内の廊下を歩いていると、スマートフォンが今度は振動し始めた。チハルからの電話。

「もしもし?」

『ユースケ、まだ都心にいる?』

「いるけど何?」

『良かった! 今から店に来て私を指名してよ』

「キャバクラに行く金なんかねえよ!」

『お金の事は気にしなくて良いから。誕生日でしょ? じゃあ待ってるからね』

『ツーツー――』

こっちの返事も聞かずに切りやがった。金の事は気にするなって、キャバ嬢の彼女から金を出して貰ってキャバクラに行くって、どういう事? とは思いながらも、仕方なく文京区内の彼女が勤める店に向かった。キャバクラに独りで行く事は初めてだ。



電話から3、40分後、< Club Soft >に到着した。

『ドック! ドック!!』。また心臓様がバウンドし始めた。深呼吸を繰り返す。一つ歳を重ねても、こんな感じでございます。「ッフ!」と力強く息を吐き、意を決して中に入った。

「いらっしゃいませー!!」

黒服やボーイの威勢の良い挨拶だけで萎縮する。確りしろ! 拳で左の尻を叩いた。

黒のベストに黒の蝶ネクタイのボーイに席に案内され、タキシードの黒服にシステムを説明された。が、新規の客は1時間飲み放題だという事以外、後は筒抜けだった。

その後、数人の女性が自己紹介をしながら名詞を渡して来た。その中に、素知らぬ顔をしたチハルも、いた。「この野郎!」と目で訴えつつ丁重に受取る。

直ぐに側にいた黒服に、「チハルさんをお願いします」と指名を入れた。

「チハルさん12番テーブルご指名でーす!」

インカムを伝って店内に声が響く。小っ恥ずかしい事この上ない。

少し経って、バッグを持ったチハルが現れた。

「迷わないで来れた?」

「ちょっと探したけど。勤務中によく電話出来たな?」

「途中で抜けて更衣室から掛けたの。で、何飲む?」

メニュー表を開ける。チハルが来て大分気持ちが落ち着いた。

「やっぱ高っ! ウーロン茶だけで千円かよ!?」

「お金の事は気にしないでって言ったじゃん」

こういった高貴なお店は、僕のような雑魚には合いませぬ。何せウーロン茶は普通ドリンクバーだ。結局、ウイスキーハイボールで乾杯した。

チハルはバッグから紙袋を出し、「はい。プレゼント」と渡して来た。開けると、夏用の薄いニット帽とサングラスだった。

先月の彼女の誕生日には、ディスカウントショップで購入したピアスと、黒のマニキュアを贈った。単純に、キャバ嬢=黒のインスピレーションだったので。

「こんな物しか贈れないけど」と言って渡したら、彼女は「一応」喜んでくれた。

「ニット帽持ってなかったんだよ」

「キャップばっかりだもんね。被ってみて」

それまで被っていたキャップをリュックに仕舞い、ニット帽を被ってサングラスを掛けた。

「こうしても良いんじゃない?」

チハルがオレからサングラスを外して、ニット帽の上に嵌めた。

「うん。結構似合ってる」

そう言うと、バッグから手鏡を出してオレを映した。2、3回角度を変えて見てみる。

「こんなオシャレがあるんだな。ありがたく使わせて頂きます」

暫く経って、ほろ酔い気分のオレは今まで訊かなかった事を敢て訊いてみる事にした。

「チハル」

彼女は何気なく「ん?」と返事をした。

「良かったら、本名、教えてくれないか?」

チハルは黙り、思案している様子だったが、

「いつかは訊かれると思ってた」

そう言うと周りを見渡し、黒服やボーイに見えないようにバッグから運転免許証を出して渡した。阪井奈々。生年月日も嘘偽りなかった。

「解りました。訊いといて何だけど、こんなの見せて後で何か言われない?」

チハルに免許証を返すと、

「地元の幼なじみとか適当に言うから大丈夫。私はキャバ嬢だから」

得意げな顔を見せた。

「そう。頭の回転が速い事……それじゃあ、改めて宜しくお願いします。阪井奈々さん」

「おっきい声で言わないで!」

「ああ、ごめん」

「こちらこそ宜しく。中山裕介さん!」

「君はおっきい声でも、構わないか」

気持ちを新たに乾杯した。



――エピローグ――


それにしても25歳の1年間は色んな事があった。放送作家に成れた事。友達との再会。村上奈美やチハルとの出逢い。

これから先も色んな事があって、オレは変化して行くのだろう。

『未来に不安もあるだろうけど、お楽しみって考えたら?』

心の声が珍しく優しかった――



――ユースケに一言――


この前ディズニーランドに行ったことないって言ってたよね? せっかく私がいるんだから、一回くらい行ってみても良いんじゃない? っていうかぜったい連れてく!!

あとさあ、AVやってるの弟にバレちゃったんだよね。口止め料渡すか辞めようか考え中。

チハル



最近ナレ原見せにこねえからオンエアでチェックしてるけど、だいぶ力付けて来てんな。まあ先輩のアドバイスが良いからな(笑)

これからも現場に足運んで、色んなことを学んで行け!

                               天才加藤



始め会議の席上での様子を見て、「どうなることか……」って心配してたんだけど、最近は表情も明るくなって良い感じになってるね。

でも、まだ受身になる面が多いと思う。せっかく素質があるんだから、物怖じせずに自信を持って欲しいな。

陣内美貴



マスコミの世界に二人の親友が入って活動の場を広げてる。自分のことのようでとっても嬉しいよ。

ところでユウ君さあ、美貴から聞いたんだけど、最近良い感じのコがいるらしいじゃん? そのコを大事にしろよ! 今度紹介してね。

夕起



毎日ご苦労さま。

私も毎日仕事と家事でピーピーなんだけど、ダンナが結構協力してくれて、精神的にも支えになってくれてるの。この人と絶対幸せな家庭を築いてやる!!

ユースケにも、いつかそんな日が来ますように。

                        松田(旧姓 藤崎)美登里



最近恋愛の方はどうだ?

オレ、前から気になってた子と、この前初めて睦み合ったわけよ。そしたら後になってその子は結婚してて、しかも子供までいることが判明しちゃってさあ。まったくあの夜は何だったんだ!? って話だよ。

って、君にはまだまだ難しいか(笑)

舞田尚之


                              了

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Femto Boy 弘田宜蒼 @sy-ougi

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