不甲斐なさ
「それで、どうだったんだよ。」
ゆっくりとした口調に、穴を掘った先の景色に何が見えたのかを仲間に聞く囚人のような動きで、 ―もし懲役40年のやつらと違うところがあるとすれば、良い知らせだろうと悪い知らせだろうとどちらでも良く、聞いたら腹を抱えて笑うということだろう― カートはハイスツールから身を少し乗り出して、立ったままタバコに火を付ける僕に話しかけてきた。
僕はすぐには口を開かず、考え込んだふりをしながら
「どうってなんだよ、別に、なんともなかったさ。」
あの日の街並みを思い出してにやけつつも、僕はどの瞬間のことを、はたしてなんと言えばいいのか分からず、次には説明するのも面倒くさくなってしまったので、たまらずに僕は目をつぶりながら首元を撫でた。
「ただノリッジまで行って、飯食って、買い物とかなんとかして帰ってきただけだよ。平日でも人は歩いてたな、天気にも文句はなかった…他に聞きたいことは?」
カートは肩透かしをくらったように鼻で笑い
「お前、ふざけてんのか?ちょっとこっち来て座れよ」とカウンターテーブルを叩いた。
僕は灰皿を持ってカート達の横へ行き、微笑を浮かべながらスツールに片脚だけを乗せて着席した。ダスティンは奥であからさまに嫌そうな顔をしながら酒をあおっている。
「お前さん、それだけにやにやしてるのに何も無かったことはないだろ。さぁ、観念してなにもかも話せよ!」
席についた瞬間、奴はそう言って僕の頭を鷲掴みにし、髪をぐしゃぐしゃにかき乱してはあそび始めた。僕がびっくりして灰皿の上にタバコを落とすと、なぜかハロルドも僕の背後にやってきて謎の奇声を発しながら「言え!言え!」と、カートに合わせて僕の肩をぐらんぐらんと揺らしてきた。
2人からの攻撃に鬱陶しさを感じながらも、僕はまったく怒る気になどなれず、むしろおかしさとくすぐったさで腹がよじれそうなくらいだった。
「なんだよ!何を話せって言うんだ?ただ楽しかったと言うだけじゃダメか?」
「ダメだ!そのグロースだかグレアスだか知らんが、一体彼女と何を話して、何をしてきたのかをお前の口から聞くまで俺たちここに居るからな!」
僕らが大きな声で騒いでいると、唐突に店のベルが鳴り ―その時僕らは気付いていなかったが― 見慣れた顔の男が入店してきた。
僕がグレイスのことを話せと言われているとき、男は今までの会話をすべて聞いていたのかと本気で疑いたくなるほど完璧なタイミングでやってきては、キョロキョロと店を見回して、店で1番目立っていたはずの僕らを見つけるのは簡単だっただろう、奴はすぐに僕らの近くへと歩を進め
「よぉ、なに話してんだ?」と、笑いながら話しかけてきた。
突然話しかけてきた男に対して、僕らは水を打ったように静かになったが、目線を男へと向け、声の正体に気付いた瞬間、みんなは椅子をはじき飛ばすようにして立ち上がった。
「ダニエル!来たのか!」
いの一番に声をかけたのはハロルドだった。
「お前、来るなら一言くれたって良かったのに!黙って来られちゃ、こうやってみんな腰を抜かすだろ」
ハロルドの冗談に、カートは “全くその通りだ” というふうに相槌を打った。
「それはすまんな。急に時間があいたんで久しぶりに顔でも出そうと思ったんだが、なんだよ、外からでも分かるほどの大騒ぎをしやがって。どうしたんだ?」
「あぁ、それがさ、実は昨日ルイスが ―まぁ、ちょっと座れよ、きっと長くなるだろうから。」
ダニエルの登場に僕はまぬけに笑うのを辞め、最後にタバコを1口吸ってから「酒を作る」と立ち上がり、自分が座っていた席をダニエルへ譲った。
カート達が状況を説明している間、僕はカウンターでグラスに酒を入れながら、心底でひどく悪態をつき始めた。少し焦っていたのだ。
このままじゃ、ダニエルに彼女の話をしなくちゃいけなくなる。
いったい何が良くて彼に女性と出かけた話なんかをしなければいけないのか。何が良くて彼に勘違いされてしまいそうな話をしなければいけないのか。頭くらい抱えてしまいたかった。
ダニエルはカート達の話に心から驚いたようで、「えぇっ!」と目を見開き
「お前、いつの間にそんないいところまで進んでんだよ。せめてアイツら伝いでもいいから、言ってくれりゃあ良かったのに!」
彼の元気で嬉しそうな声に、たちまち僕の耳はちぎれそうになった。
僕の気も知らずに、ダニエルは満面の笑みだ。
さらにカートたちは口を揃えて
「俺たちにも全然話してくれなかったんだぜ」と言い、兄貴肌である彼の好奇心を存分に煽った。
僕はまったく変な笑い方をしていたと思う。
どうやったって逃げられないのなら、せめて彼女に興味はない口ぶりをしよう。まずは車の話でもして、彼らの気を逸らしてしまおう。それから…
―僕が必死に考えていると、店の扉がもう一度ベルを鳴らして開き、客が入ってきた。
無意識のうちに扉の音へと耳を傾けていた僕は、この場を離れるには都合のよい人物に助けを求めるようにしてサッと玄関の方を振り向いた。
(神様は、暇つぶしに僕の心でも読んでいたのだろうか?) そう思った。
一瞬にして顔がほころびていくのが分かる。
心根のどこかで今いちばん会いたいと思っていた人。全身の力がちょうどよく抜けて、自然と口角が上がっていく。
「先生…!」
まだ半身しか入店していないというのに、またたく間に気付かれて、
「まさか私が来ることを知っていたわけじゃないよね?」
と、相変わらずのはにかみを見せてくれた。
僕は緩んだ顔のままでダニエルと目を合わせ
「ダニエル、君は初めてだろ?ちょっと紹介させてくれよ」と、カウンターテーブルにまわって彼を立ち上がらせた。
「えぇと…ダニエル?初めまして、いい名前だな。私はベリアル・バンディ」
先生が右手をサッと出すと、ダニエルも気付いたように「あぁ」と右手を差し出した。
「お褒めの言葉をどうも、ベリアルさん。ダニエル・ランバートです。」
「…申し訳ないが、私を呼ぶ際はどうか“バンディ”と。ベリアルという名は呼ばれなれていないんだ。」
「えっ?どうして?自分の名前でしょう」
ダニエルの問いに、先生は綺麗に剃ってあるこめかみを掻いた。
「うーん、すまないね。とにかく、分かってくれると嬉しいよ」
「はぁ、そうですか。こちらこそすみませんバンディさん。良ければ広い席へ移りましょう、実は面白い話があるんですよ」
ダニエル達は酒を片手に先生を連れて席を移動した。
途中ダニエルは、ダスティンが初対面の先生にしたこととそのハプニングを聞いて
「本当ですか。それは申し訳ない」と呆れたように言っては、ダスティンの頭をちょっと小突いていた。
「それでさ、ルイス。彼女の話はしてくれないのか?」
安心したのもつかの間、席に着くや否や、カートの一言が僕を不快な気分へと連れ戻した。
先程までではないが、やはり話したくない気持ちは収まっておらず、さらに今度はバンディ先生も聞いているんだと考えると、僕は小っ恥ずかしくてたまらなかった。
「本当になにも面白い話なんてないよ…」
そう言って僕が首を一周半撫でながら弱々しく渋っていると
「…お前らなぁ、黙って聞いてりゃ何度も何度も俺が不機嫌になるような話題ばっかり持ち出してきやがって、もうこいつの彼女の話なんかどうだっていいだろ!?」
今まで静かにしていたダスティンが僕らの話に痺れを切らしたのか、突如として声を張り上げ、ワッと叫び出した。
「彼女じゃない」僕は急いで訂正をする
声のトーンからして、奴が本気で怒っているわけではないと分かったが、やはりいきなりの雄叫びには全員驚いた様子だった。
カートは大息をつき、 “どうどう” の動きをとってダスティンに話しかける。
「突然叫ぶんじゃねぇよ…ていうかダスティンお前な、少し過敏すぎやしないか?お前の姉ちゃんの彼氏がひどい奴だったのは分かるけどよ、それにしたっていちいち騒ぎすぎじゃねーか」
「ハァ!?あいつは姉貴の彼氏じゃねぇ!元だ、元!」
ダスティンも急いで訂正した。
「それに俺は過敏なんかじゃない!ただ、あんまり気分は良くねぇってんだ。いつかルイスがそのグレイスって子を傷付けちまったらさ、おれ、姉貴の二の舞のように感じると思うぜ。」
ダスティンは声を押えて話し始める。
「なぁルイス、俺は言ったよな、女の子と接するときはちゃんとしろって。お前もなんとなく意味は分かってるだろうけど、つまりさ、相手を変に期待させちまうのは良くねぇんだよ。きっと」
ダスティンの話に、みんなは黙っていた。
彼の言葉はあまりにも、あまりにも説得力がありすぎていたから
― それはまだ年が明けたばかりのころ、今年の一月上旬の話になる
雪が降るほど寒い中、いつもみたいに僕たちは飲んでいて、ダスティンが家へ帰ったのは夜遅く、とっくに深夜3時はまわっていたというころだった。
彼は酔い覚ましでもしようとリビングへ赴き、暗い部屋の電気を探ってつけた。すると、明るくなったリビングの床には、遠くの街で一人暮らしをしていたはずの姉が座り込んでいたそうだ。
サプライズで帰ってきたのかと思ったが、どうやら違うらしい。笑顔で 姉貴?と声をかけても返事が返ってこない ―どちらかというと、喋れないようだったとダスティンはのちに言った― 少しの違和感に困惑したダスティンはそっと姉に近付き、もう一度声をかけてから顔を覗いてみた。彼はあの瞬間、全身の血の気がサァッと引いたという。
自分と顔を合わせた姉の唇は大きく腫れ、頬骨のあたりは紫色にかわり、目元は涙でびしょ濡れだった。身体には治りかけの古いキズもあったし、皮膚の薄いところでは新しく出来たキズが開いたのか、薄く血が滲んでいたりもした。
自分の顔を見るや否や、胸に抱きついてきて泣きわめく姉は、いつの日か共に喧嘩した時よりもひと回り縮んでいたように感じられたという。
その後ダスティンは泣き目になりながら両親を叩き起し、夜の間は応急処置だけして、日が昇れば一番に病院へと駆け込んだ。
彼女の診察中、ひどくかすれた声のダスティンに呼び出された僕らは、彼の弱りきった姿に言葉を失った。奴は怒りと悔しさと不甲斐なさに打ち砕かれ、声も出さずに号泣していたのだ。
そんなダスティンを見た僕らはただ、奴の背中をさすってそばにいることしかできなかった。
あの日のことを断片的に思い出した僕らはダスティンの言葉になかなか喋り出せず、ほんの数秒だけ静かになっていた。
ダスティンはそんな空気に気付いたのか、変に気を遣いだしそうなみんなを嘲笑うようにして“ふんっ”と鼻から息を吐き、酒を手に取った。
「ああは言ったが、やっぱりお前に彼女が出来るのは癪でならないな、この話はやめだ。アドバイスなんかは、お前が彼女に嫌われるためにしてやるよ」
極悪人のようにゲラゲラと笑いながら酒をイッキするダスティンを見て、みんなは少し笑い、僕はいつものように言い返す余裕ができた。
「…どうせ君は僕にガールフレンドを作られるのが怖いんだろ。妬みはやめて、今すぐ女の子でもなんでも引っ掛けてくればいいんだ、その酒だってちょうど飲み終わったんだろ?」
「黙れよ、俺は十分酒が入ってる時がいちばん男前なんだ。分かったら次のを持ってこい、適当に勝負でもしようぜ」
奴は空いたグラスを持ってゆらゆらと振っている。
「ジャッキー・チェン気取りか、それならがっぽり飲めよ、先に潰れた方は1週間相手の飲み代を払う。いいな」
「もちろん」
そうして始まった僕たち2人の対決は大いに盛り上がった。
マリオン・レイブンウッドの初登場のように豪快に酒を煽り続けて1時間半後、僕がぶっ倒れる手前でついにダスティンが撃沈。
僕は見事に勝利を収め、1週間分のタダ酒を獲得した。
その後は閉店だと言ってみんなを帰し、僕はまた先生と2人で話しながら、500m先の角まで歩いていった。
先生 ほっと @hot_momo6029
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