旦那様のためならなんなりと

絵之色

第一夜 月が綺麗な夜の堕天使

  藍染よりも深みのある青さをはらんだ夜空が気高き白を誇る月をより輝かせる。月白色げっぱくいろとその名の通りのはかなさで、人々が住まう町を照らしていた。

 その中で、一人、とある青年は胸元を抑えながら赤くしたたり落ちる血痕けっこんを地面に散らばせながらもがき苦しんでいた。


「……はぁ、ぐ……はぁ」


 秋の季節だからか、吐く息が少ししらんで見える。

 思考が上手く回らない。さきほど、負わされた傷がゆっくりとえてくるのを感じることに神田白朗かんだしろうは恐怖を覚えた。

 手当もしていないのに、体の傷が治っていくのはどこからどうみても異常だ。

 童話や小説の奇跡の御業みわざ、なんて単語がピッタリだろう。

 だが、それは人にとって怪異と言った類に映るの必定だ。


「こんなところを、誰かに見られたら……っ」

「……ぐっ、あぁ……!!」


 白朗しろうは、混乱する思考を無理やりにでもまとめようとすると、何か翼でも羽ばたく音がした。


「……誰だ、お前は」


 苦々しく、白朗は呟いた。

 目の前にカラスのような黒い翼を生やした女がいた。衣服は海外の修道女の格好にしてはまるで英雄譚に出てくる神々などの白い衣服にも見える。

 まるで拘束具とも連想できるような格好をした女は呻き声を上げていた。

 月明かりに照らされて、彼女の体から血が流れている。


「……人間が、どうしてここに、」

「お前は、誰だ?」

「……天使、以外に何に見えます?」


 苦痛が混じった声色でも、確かな艶がある。

 天使、と呼ぶには黒い翼だから堕天使、と受け取るべきだろう。

 整った顔立ちで、一瞬で恋に落とされてしまいそうな美貌で囁いた。

 白朗しろうは心を強く持ち、胸元を抑える。

 どうする、不老不死の呪い、とかいうわけのわからない呪いを魔女と名乗る女から施されたが、目の前の彼女を助ける方法が、何か……?


「俺は、不老不死の呪いを受けている。よく知らない魔女からな……俺の呪いを、お前は解けるか? 天使なら、呪いに詳しいだろ」

「……貴方の呪いを、解くことはできません。今の私に力はない、契約でもしない限り私は夜が明ける前に私は死にます」

「なら、お前を助けてやる」

「何を……」

「俺の呪いを解くために従者になれ、それが契約内容だ!!」


 白朗しろうは力強く叫ぶ。彼女が契約しなくてはすぐ死ぬと言うのなら、今は繋ぎ止める契約をしてしまえばいい。


「……いいのですね、私も死ぬわけにはいきません。貴方の、名前は?」

白朗しろう神田白朗かんだしろうだ」

「シロ、ウ……? ……わかりました、その契約、飲みましょう」


 彼女は立ち上がり、俺の両頬にそっと触れる。

 女堕天使はそう囁くと、俺の唇に接吻せっぷんをする。自分の舌に何か熱のような感覚を覚えるのと同時に、気が付けば彼女が俺の唇から離れていた。


「……ここに契約はなされました、カンダシロウ様。これより私は、貴方だけのしもべとなりましょう」

「……あ、あ」


 愛おしげに見つめられる表情は、まるで恋人のような熱の籠った顔だった。気が付けば、俺の意識は薄れその場で倒れ込んだ。


「シロウ様、シロウ様っ!!」


 女堕天使の叫び声を耳にしながら、俺の意識は完全に失った。



 ◇ ◆ ◇



 赤い液体が飛び散っている。

 鉄の匂いがする。血の、匂いがする。


『……シロ、ウ』


 姉さんの、声がする。

 優しくて、落ち着く声のはずなのに。

 今はまるで、砕けたランプの硝子の音みたいに聞こえてくる。

 現実に戻されるような、背けてはいけない悪夢だと突き付けられるような感覚に寒気と恐怖感を覚える。


『――シ、――ウ、――ロウ』


 ……誰、だ。

 この、声は。

 聞いた覚えがある、確か。


「――シロウ様?」


 ああ、姉さんじゃない。目の前に、いるのは――――天使だ。



 ◇ ◆ ◇



 目の前に飛び込んできたのは異国の衣服で身を包んだ、全国の大和撫子に負けていないほどの美貌を持った女がいる。


「……ここ、は」

「……シロウ様、大丈夫ですか?」


 気が付けば、白朗しろうは自分の屋敷の寝室にいた。

 俺は起き上がり、彼女の顔をじっと見る。


「……どうして、屋敷の場所を?」

「契約を交わしましたので、少し力が戻ったんです。まだまだ本調子ではありませんが」

「……そうか」


 白朗しろうは、なんとなく察した。

 じゃあ、戻った力を使って俺の屋敷を特定した、といったところか。

 契約者の情報は多少彼女にはわかる、と受け取ってもいいだろう。


「お前は本当に俺の従者になったのか?」

「……助けていただき、本当に感謝しています。シロウ様」


 シロウ様、か。

 ……では、あの声はやはりコイツだったのか。


「礼はいい……お前のことはなんと呼べばいい?」

「それは、シロウ様に決めていただくと幸いです」

「俺が?」

「はい……ダメ、でしょうか?」


 少し、困ったように微笑む彼女に自分は顎に手を当てて思考する。

 名づけか、あまり経験が多い方ではないのだが。昔、父が飼っていた猫に名前を考えたこともあったことはあったが……まさか、堕天使の命名をすることになるとは。

 だがしかし、タマ、や、クロと名付けるのは芸がない。

 印象的だったのは彼女の翼だったな。黒い烏のような翼、堕天使だからこそその翼が成り立つだろう。

 ならば、名前は……そうだ。


綺鵺あや綺鵺あやはどうだ?」

「アヤ……ですか?」

「ああ、字は綺麗なぬえと書いて、綺鵺あやだ。悪くないだろう」

「……私は日ノ本の怪異などではございませんよ?」

「お前と出会ったのは綺麗な満月がある夜だ。黒い翼を生やした夜の鳥、堕天使という言い方はお前が嫌ならばそっちがいいはずだろう」

「……」


 一瞬、面食らった顔をする綺鵺あやだったが俺の話を聞いてから、満足げな顔を浮かべた。


「……わかりました」


 女堕天使、いいや、綺鵺あやはメイド服に一瞬で着替えた。

 まるで何かの呪術的な術のように見えた。

 ヴィクトリアンメイドらしい衣服を身に纏う彼女は、普通の日本人のメイドにも見えなくはない。だが、体の各一部分は、豊満な点は除けば。

 彼女は自分の胸元に片手を置き、うっそりと微笑む。


「……ありがとうございます、シロウ様。綺鵺あや、そのお名前ありがたく頂戴いたします」


 ……鵺を分けたら夜の鳥となるから、それで夜鳥やとと読ませるのもいいとは思ったが咄嗟に女らしい名前ではないなと思った。

 だけの話だが、意外に悪くない命名もできただろう。


「ちなみに、お前は俺の名の漢字は後日覚えさせるぞ。従者ならば、日本の文字にも慣れてもらわないと困る」

「助かります、シロウ様の従者足る者、勉学は励みたいと思っているので」

「ならいい……もう疲れた、寝る」


 俺はすぐにベットに雪崩れ込み、眠る態勢を取る。

 綺鵺がふふ、っと笑いを零すと俺の耳元でこういった。


「――――お休みなさいませ、旦那様」


 俺は慌てて起き上がる。


「……なっ、なんだその呼び方は!?」

「私はもう貴方だけの従僕じゅうぼくです。ならば、旦那様と呼ぶのはおかしいことではないでしょう?」

「俺はまだ結婚していないぞ」

「それとこれはまた別の話でしょう? 旦那様」

「……っ、いい! 俺は寝るぞっ」


 俺は詰まらせた言葉をぐっと飲み込み、下手に反論しても疲れている今なら、下手な返しをしそうだと感じて一度俺はベットに潜り込む。

 よし、このまま俺は寝よう――って、ちょっと待て。綺鵺あやはどうなる? 俺はふと、コイツの部屋の場所を教えていないと気づいた。


「……おやすみなさい、旦那様」

「いや、やはり少し待て」

「はい? きゃっ――」


 強引にシーツから彼女の腕を捕まえて強引にベットの中に連れ込む。


「旦那様? な、何を――」

「お前も一緒に寝ろ、いいな。俺はもう疲れたからこのまま寝る」

「で、ですが、」

「もう寝ろ……お休み」


 強引な手段だったが、これで綺鵺あやが一人で廊下に立ちながら寝るだの、ソファで寝るだのさせなくて済む。

 俺は無駄が嫌いだからいいことだ。

 よし、そういうことにして、もう寝よう。


「……すぅー、すぅー」

「眠ってしまったのですか? 旦那様」

「すぅー……すぅー」

「……もう、強引な人」


 綺鵺あやは戸惑いながら、主人の熱が伝わる温度に照れを覚えながら、恐る恐る綺鵺は共に就寝することにした。

 まだまだ、二人の物語は序章を始めたばかりである。

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