狂気の絵

海月^2

狂気の絵

 ある島の刑務所の壁には絵が描かれていた。それはなんとも美しく素晴らしい絵だが、それを見た者は受刑者も刑務官関係なく飛び降り自殺してしまうという噂があった。そんな刑務所に俺、浅間椎名は二十歳にして収監される事になった。

 くだらない犯罪だ。お金のために悪い奴らとつるんで薬を売り捌く手伝いをしていた。買うやつが悪いと思っているし、特に反省もしていない。そして精力的に働くつもりもないため、目下の俺のこの刑務所での目的はその絵を探すことにあった。

 しかし、その言葉を刑務所内で出すと多くの囚人に怯えられた。刑務官にうっかりその話を聞かれてしまった日には独房に入れられた。その徹底ぶりは呪いかと思うほどだった。

 そして何の手がかりも得られないまま一年が経過した。生やしっぱなしになった無精髭が案外様になってきた頃、刑務所にまた新しい人が入ってきた。

 それは歳のいったジジイだ。髪が白く薄くなるほど歳がいっていたが、滑舌も良く元気なジジイだった。ジジイは五年前まで数十年間この刑務所に居たようで、何人か顔見知りの人が居た。これは千載一遇のチャンスだった。何十年もここにいればきっと絵のことも知っているはずだ。だから、俺は刑務官の目を盗んでそのジジイに会いに行った。


「絵を探してるって? アレは辞めとけ。見るもんじゃねェよ」

 ジジイは馬鹿にするように笑った。そしてさっさと行けというように手を振った。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。俺の一年間が全て無駄になってしまう。

「見てみたいんだ。美しいと噂の絵を」

 本当は好奇心だけだったが、そんなこと言って見せる方法を教えてくれるはずもないので尤もらしい理由を述べた。

「絵は良いよ。その絵の先に作者を感じるんだ。何を思って描いたか。何を伝えたくて描いたのか。一体どんな技法が使われていて、それがどのように作用しているのか」

 ジジイは俺を見定めるように見入った。そしてため息を一つ。

「とある箱に開いている穴越しにとある外壁を見るんだ。特殊なインクが使われていて気温五度以下でその箱越しにしか見ることは出来ねェ」

 ジジイは赤く線の引かれた刑務所内の地図を出してきた。

「今日の夜だ。ここまで来い。案内してやる」

 俺は頷いて、夜を待った。

 

 満月の下にこっそり雑居房を抜け出した。ジジイが指定した場所を通っていけば、誰にも気付かれることはなく集合場所に着くことが出来た。

 その絵は、確かに見たこともないほど美しかった。その絵の中では人魚が檻の中に入って人の欲望を向けられていた。その人魚の目はこちらを責めるように向けられていた。俺に芸術は分からなかったけれど、これが芸術なのだと何となく思った。有り体に言うのであれば、それほど凄い絵だった。

「キレイなもんだよなァ。作者が絵に殺されたって遺言に残したのも頷けるくれェの」

 ジジイは幸せそうにこの絵を見ていた。そしていきなり鈍い光で飛びかかってきた。その手に握られた包丁が大きく振り上げられる。

「俺の絵を見たやつは死ななきゃなんねェ」

「なんっで、ジジイの為に死ななきゃいけねえんだ」

「なぜか、だと。決まっている。俺は絵描き人生を殺したのは他ならぬ俺の絵だったからだ。昔、依頼で描いた絵があった。数カ月かけて一枚を描き上げたんだ。だが、依頼主はその絵を見た瞬間に自殺しやがった。そして俺には殺人の容疑がかけられた。俺は、その事件で全てを失った。文字通り全てだ。若造にそれが分かるのか。数十年少しずつ灯してきたキャリアが一人の馬鹿によって消し飛ばされたんだ。その日から、俺は絵で人を殺すと決めた。人を殺す絵は良作であり名誉だからな」

 ジジイの目はイカれていて話が通じるような状況ではなかった。しかし、ジジイの力は強く中々振りほどけない。俺は自分から一番包丁が離れているところでジジイの腕を掴んで上に乗り上げた。そして包丁を弾いて顔を殴った。

 一発、二発。下からうめき声が聞こえても絶えず殴った。薄く本気の殺意が湧き上がっていくのを肌身で感じていた。

 ふと正気に戻って下を見れば、ジジイは死んでいた。今まで沢山裁かれない殺しをした男の最後は呆気ないものだった。

 俺はジジイの足を引っ張って隣の海へ落とした。あの絵を見たという手紙付きで。その手紙があれば、きっとあの噂の絵の所為にする。どれだけ、この刑務所であの絵が大きい存在感を放っているか。俺は一年のインタビューの甲斐あって知っていた。

 外の流し場で手を洗い、この場所に来たところを通って雑居房に戻った。きっともう、絵を見たやつが自殺するなんてことは起こらないだろう。あの秘密は俺だけが知っている。だから、あの絵にまつわる物語。絵を描いた作者が最後にその絵を見て自殺する話。それはどうにも美しい物語の一片のように思えた。

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