第17回 日記、残されたもの お題:遭難
ふと感じた磯の匂いに、意識が戻った。透き通るような海と白く輝く砂浜の渚に、僕は仰向けで倒れていた。
「ゲホッ、ゲホッ」
強烈な違和感が肺の奥から広がり、抑えることも出来ずにゲホゲホと咳き込む。意識を失っている内に海水を飲んでしまったのだろうか、喉もカラカラに乾いている。それに波に浸った下半身すらも焼くような太陽の光に長時間晒されていたらしく、全身にのしかかるような気怠さが僕の動作を鈍くした。
「み、水……」
しゃがれたような呻きは、まるで自分の声とは思えなかった。早急に水を摂取しなければ命も長くないだろう。そう思った僕は右腰に手を当てたが、そこにあるはずのものはなく、ただ虚しく空を切った。
くそ、携帯したはずの皮水筒がない。
近くに落ちていないか、と僕は必死に霞んだ視界を周囲に向ける。アレには船上前に真水を入れていたのだ。今アレがなければ僕は死ぬ。
しかし運が良かったのか、それとも神の思し召しか。偶然にも皮水筒は砂浜の奥に、船の残骸と思しき木片と共にその身を横たえていた。僕は気怠い身体をなんとか動かして、皮水筒に手を伸ばす。幸いにも破れることなくその責務を全うしてくれた水筒に感謝をしつつ、僕は真水を一気にあおった。
「……あぁ、ぬるいな! 文句言ってる場合じゃねぇけど!」
僕と同じように日光に照らされ続けていた水筒の中身は、見事なまでに温かった。キンキンに冷えた水を飲みたかったが、そうも言ってられない状況なのだから仕方がない。半分ほどの水を残して、僕は水筒の蓋を閉めた。
「やっぱ、格安運航は駄目だな」
ゆっくりと立ち上がり、そして振り返って、浜辺に突き刺さる木片達を見ながら僕はそう呟いた。心の底からの感想だった。
◇
少し身体は気怠いが、調子が戻った僕は水と食料を求めて浜辺と鬱蒼とした森の間の散策をしていた。
一時間ほど浜辺を歩き、岩礁を越え、今は森と浜辺の間を歩いている。実を付けたヤシの木でも見つかれば一石二鳥なのだが、これが中々見つからない。いざとなれば、危険だが森に入ることも検討しなければならないだろう。今自分が身に付けている袖の短い上着とこれまた丈の短いズボンという軽装では、ご勘弁願いたいのだが。
それにしても僕は本当に運がない。いや、『運び屋』もそうではあるのだが、孤島に遭難は流石に被害者ヅラをしてもいいだろう。
一攫千金を夢見ての大陸への密航。それを、ケチって格安の運び屋に任せてみたらこの始末。
素直に大船に乗っておけばよかったものを……。過去の自分を殴ってやりたいくらいだ。
そういえば、肝心の運び屋はどうしているのだろうか。傷だらけの灰色のローブに身を包んだ、下卑た笑みが特徴的な壮年の彼は、この島に流れ着くことができなかったのだろうか。浜辺には足跡らしきものも残っていなかったし、遭難の原因となったオンボロ船も一部のみしかこの島に流れ着いていない。まぁ、海の藻屑になってしまったと考えるのが妥当か。
そう考えると、僕はまだ運が良い方だったのかもしれない。
ここは何処の海域でどこの島なのか、どうやって街に戻るのか、ここから大陸に行けるのか。それはわからないが、とにかく僕は生きている。ならばまだ、希望は潰えていないのだ。
それからまた二時間ほど、浜辺と森の間を歩いた。途中で実を付けているヤシの木を見つけて、どうにかよじ登って実を手に入れたり、漂流していた樽や荷物を見つけて中身を確認したら偶然にもナイフやカバンを手に入れたり。
自分の運の良さに舞い上がっているうちに、日はあっという間に傾き始めた。
「……綺麗だな」
橙色に染まり始めた空、そして浜辺と海。揺蕩う雲は紅色に染まり、海を揺らす波がキラキラと輝いていて夕焼けを飾っている。浜辺も砂に混じった貝殻が、星光のように共鳴して輝いている。眩しいほどの、絶景。そんな景色を眺めながら飲むヤシの実の果汁は、今まで飲んだどんな飲み物よりも甘美なものだった。
「今日はここで一晩明かすか」
できるかわからないが、焚き火を用意してここで一晩を明かそう。そう思って、森の入口で手頃な葉っぱや木々を持ってこようとした時だった。
ふと目を向けた先に、浜辺と森の間にログハウスのような簡易的な小屋が建てられた。
「小屋……? まさか人がいるのか……?」
まさか運び屋が建てたのか? とも思ったが、小屋の様子は雨風に晒されたせいか少しくたびれて見え、その年期を伺わせるようだった。僕が漂流する前に、誰かがここに漂流して小屋を建てたということだろうか?
恐る恐る小屋に近づき、中を覗いてみる。するとそこには、寝床として使っていたであろう枯れ果てた葉っぱ、木製の机、そして椅子があった。内装は机と椅子にはなく、壁や床のところどころには何かを溢したかのような黒い染みができていた。
「汚いなぁ……」
そう思いながら、内部に入って辺りを見渡す。本当に人一人がギリギリ生活できるくらいの大きさだろうか。クルリと一瞥して、僕は机の上にボロボロの本のようなものが置いてあることに気が付いた。
手に取ってみるとそれは、日記のようだった。恐らくこの小屋の元の持ち主だろう。何か情報を得られるのではないだろうかと思い、僕はその日記を開いた。
◆
遭難一日目。
クソが、この俺が無人島に流されることになるなんて!
大陸に向かう貴族の奴隷船に相乗りしたらこれだ。
必死に交渉したのが馬鹿みたいじゃねぇか。
しかもあの肉を喰らえば骨の一片も残さないと言われる龍、その龍と人間の奴隷ハーフ女が運よく生き残っちまった。
こいつと一緒に無人島で暮らせってか? 勘弁してくれよ。
一応死んだ時用の為に、こうして日記を書く。海に流された時に濡れちまったが、昼間の間に日光に当てたらちょっと縮んだが元に戻った。太陽さまさまだぜ。
因みにちょうど龍娘の様子を見に俺達の船に来ていた貴族野郎も同じ島に漂流したみたいだったが、「助けろ!」「ああしろ!」と何度も上からの物言いをするもんだからムカついてぶっ殺してやった。
◇
そういえば二ヶ月前、街で有名な貴族が大陸に向かうと言って船を出していた。その時は急に酷い嵐がやってきて船は沈没したと風の噂で聞いていたが、この日記を書いたのはその船に乗っていた生き残りなのだろうか。
それにしても上等な手段を使わず街から発とうとすると酷い目にあうのは、なにかの呪いなのか?
◆
遭難三日目。
昨日は龍娘の世話と小屋を作っていたら日記を書き忘れた。まぁいいか。
で、その龍娘なんだが、奴さん奴隷根性が染み付いているのか俺にビビってまるで動きやしねぇ。
頭には立派な角があるってぇのに怯えた目で俺を見て、近づこうものならびくびくする。 こいつ今の状況わかってんのか?
世話できるほど暇じゃねーし余裕もねーんだよ。
だけどまだ子供だし、見殺しにするのもなんか気分が悪い。
二日かけてようやく俺の言う事を素直に聞くようになった。
今になって思い出したが、こいつの目の前で主人の貴族野郎をぶっ殺したのは流石に悪かったかもしれねぇ。
◇
それからしばらくは、日記を書いている生き残りと、奴隷の龍娘の生活が淡々と書かれていた。龍娘は常人よりも何倍も力が強いらしく、今いる小屋の建設はかなり早急に行われたらしい。身体能力も高いようで、頼めば魚を取ってきたと言う。かなり良いパートナーと言えるだろう。
そのおかげか、一ヶ月は生活がもったらしい。そう、一ヶ月は。
◆
遭難から一ヶ月と一週間。
龍娘が肉を食いたいと言い出した。
そんなもんねぇよと突っぱねたらガウガウと吠えだしちまった。
目もなんだか金色に輝いて理性もトんでるみたいだった。
前々から感づいてはいたがどうにもコイツ、人間より龍の血の方が濃いらしい。
魚では満足できないらしく、肉を食わないと自分にも制御できないような衝動に襲われるみたいだった。
今までは衝動を頑張って抑えていたらしいが、等々限界に達したらしい。
今は落ち着いて寝ている。
……どうする、今のうちに殺すか?
さもなければ多分、俺が食われることになる。
……、……、クソ、できるわけねぇ。
肉を用意したいが、そうは言ったって島には鳥くらいしかいねぇ。
なんとか、捕まえるしかないか。
◆
遭難から一ヶ月とわかんねぇ。
やらかした。
鳥を捕まえようと森に入ったら怪我した上に毒性のあるモンでも触っちまったのか体調がおかしくなってやがる。
熱が、汗が、嘔吐が、止まらねぇ。
ハハ、こりゃあもう死んだな。
もう、アイツが襲ってきたら俺は抵抗できねぇ。
そもそも襲ってこなくても、俺は死ぬだろう。
もしこの島に漂流した奴がいて、この日記を読んだのなら、この島に居ないでさっさと逃げた方がいい。
じゃないときっと、骨の一片も残らず食われることになる。
運がなかったな。
◇
僕はそこまで読んで、日記を閉じた。そのページから先はなにも書かれていなかったからだ。
途端に、風の音が、波の音が、耳に響いたように聞こえてくる。どういう訳か僕自身の息が上がっている。床に飛び散ったような黒い染み、骨の一片も残らず……、肉に飢えた残された龍。そこまで考えて、僕はかぶりを振った。
「まさか、そんなことあるわけないだろ」
僕がそう呟いた瞬間、まるでライトを消したかのように太陽が沈んで、視界が真っ暗に染まった。夜が訪れたのだ。この場にはもう、光はない。
そして僕の後ろから、ガサリという嫌な音が聞こえた。
金色の、二つの光が僕を捉えている。
どうやら僕は、本当は最高に運が悪かったらしい。
VRCでもらったお題で短編小説を書くだけ レスタ(スタブレ) @resuta_
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