第16回 『普通』 お題:VRCを一ヶ月続けて気がついたこと

んだな」


 と、友人は夜の公園のブランコで、ギコギコと立ち乗りをしながらそんなことを言った。俺はそれを真正面から黙って見ていた。雲一つない空の上に浮かんだ十五夜が、ちょうど友人を照らすように煌々と輝いていた。


「前から不思議だったんだ、皆は死ぬのが怖くないのかなって」


 それはいつかの時に俺達が言った言葉だった。クリスマスの賑やかな夜道を歩いている時に、正月にお参りに行った時に、バレンタインデーの日にファーストフード店の店先でカップル成立を眺めた時に。俺達はその場に居た人達の笑顔を見て、「死ぬのが怖くないのかな」と口にした。


「でも違った。普通は、普通の人達は。そんなことを考えないし、考えられないんだ」


 続けて友人は「俺達がおかしかったんだよ」と顔を伏せて言った。


「精神的に参ってたんだ」とも。


 俺はそれに、「そうか」と頷いた。


 友人は変わってしまったんだな、という実感が、今になってやってきた。思えば興味のない映画に俺を誘ったことも、先月になって絵を描き始めたことも、こうして夜に俺を呼び出したことも、変化の前触れだったのかもしれない。


「そいつは羨ましいな」


 俺はブランコを止めた友人に、意味のない皮肉を込めた笑顔を向けてやった。それが限界だった。



 死。それは万物に訪れる、絶対的な終着点。避けられない道、人生のゴール地点。


 やがて自分にもそれが訪れると考えると、とても恐ろしかった。


 今でこそ感じる指先の感覚、動作。手を動かし、ものを食べ、眠りにつく。それら全てが、死によって自分の中から奪われるのだ。眠ったまま、目覚めない。一度死ねば、二度とその感覚を得ることはできない。永遠の無。


 その恐怖が、何度も眠りを妨げた。

 その恐怖が、何度もふとした瞬間に訪れた。


 皆はどうして平然とした顔で過ごせているんだろうかと、不思議に思った。

 皆はどうして死が怖くないのだろうかと、不思議に思った。


 死ぬのが怖くて怖くて、怖すぎて、死ねば楽になるんじゃないかと、駅のホームで電車に飛び込もうとして、何度も竦んだ。訪れる死の恐怖、それから逃れる方法は死そのもののみ。終わらない堂々巡り、けれど日々着実に減っていく自らの命。


 死が、怖い。ふと訪れる死の恐怖に、今でも叫びたくなる。


 それが……それが間違いだと友人は言った。

 それが、おかしいと友人は言った。

 それが精神の異常でしかないだと?


 ───ふざけるなよ。



 友人はブランコを降りて、今度はシーソーに腰を下ろした。俺は手招きに従うように反対方向に腰掛けた。すると友人が上になった。


「毎日が楽しいと、死ぬ恐怖に襲われることもないのか」

「あぁ、そうだ」


 俺はシーソーを蹴らなかった。友人は重心を後ろに下げてシーソーを動かそうとしていた。


「お前は普通に戻れたんだな」

「多分な」

「なぁ、死を知覚しないで生きる日々に、価値なんてあるのか?」

「何かに夢中になって生きてたら、死を忘れるなんて当然のことなんだ。それはその日を精一杯生きた証と同義だ」

「逆に俺が、価値のない日々を送っていると?」

「そうは言ってない」


 シーソーが動いて、俺が上になった。


「毎日毎日思ってたんだ。どうしていつか人は死ぬのに、毎日を大切に生きようとしないんだろうって。死を知覚して生きないんだろうって」

「だからそれは……」

「間違いだと? ふざけるなよ。夢中になっていれば死を忘れることは、ただの逃げだろ」

「……そんなことも、考えられないほどなんだよ」


 友人が、再び上になった。


「なにか新しいことを始めようぜ、なぁ」

「何を始めろっていうんだよ。朝起きて、働いて、家に帰ったら夜遅くで、寝ての繰り返しで、どうやってやれっていうんだよ」

「時間を作るんだよ」

「はっ、どうやってだよ」


 会話が平行線になっているような気がした。俺はシーソーから降りて友人に背中を向けた。


「お、おい、どこ行くんだよ」


 すると友人も慌てて立ち上がった。


「もう、いいだろ。俺達は違う”人種”になっちまったんだよ」


 俺はそう吐き捨てて、振り返ることなく公園を出た。友人は動く気配を見せなかった。それでいいと俺は思う。友人は変わることができたんだ、きっと。それでいい。


 夜道を照らす満月が、ずっと着いてくるのが鬱陶しかった。



 公園から離れて歩いていると、ふとした瞬間に月はまるで隠れるように雲に呑まれた。たちまち夜道は薄暗いものへと変貌してしまったが、俺にはそれが逆に心地よかった。鼻歌を歌いながら俺は帰った。


 家に戻り、シャワーを浴び、ビールを飲む。


 テレビでも見ようかと思ったのだが、なんだか妙な疲れを感じた俺はさっさと布団に潜り込むことにした。


 電気を消して、頭まで布団を被って身体を包む。目を閉じると、視界一面が真っ暗になった。そして今日の一連の出来事が、何かに呼応するようにリフレインする。


 ふとその時、奴はいつものようにやってきた。


 指先の感覚がなくなる。自我もなくなる。眠ったまま二度と起きることはなく、俺という存在は消えてなくなる。身体が硬直し、やがて焼かれて骨になる。骨になり、墓に入れられ、管理する人がいなくなれば共同墓地に移される。


 存在、アイデンティティの消失。それが何よりも、何よりも、黒く、怖い。


「ああああああああああああああああああああ!!!」


 俺は布団から飛び起き、かぶりを振った。頭の中から、死の恐怖を追い出すように。


 俺は、俺は死を知覚しながら生活することで、自分を特別だと思いこんでいた。周りの人間とは違う、賢い人間だと思い込んでいた。


 だけどそれは、多分違うんだろう。


 友人の言うように、日々を全力で生きている人達こそ、真に価値があり、特別なのだ。そしてそれが普通で、逆に逃げていたのは、価値がないのは、俺だったんだ。


 達観した振りをして、自分の人生を全力で生きようとしなかった。

 それがこの様だ。


 友人が言うには「」らしい。

 俺はそれを、羨ましいと思った。


 あぁ、いつになったら、この苦しみから解放されるんだろうか。

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