振袖3枚

増田朋美

振袖3枚

そろそろ秋かなと思われる季節がやってきた。まだ日中は暑いけれど、朝と晩は涼しいなと思われるようになってきたのだ。いよいよ、秋がやってきたということは、芸術の秋、食欲の秋、いろんなものが連想される季節ではあるけれど、まあ、人によりけりであるかなと思われる季節であった。

杉ちゃんと、ジョチさんこと曾我正輝さんは、用事があって電車で静岡駅近くにある百貨店に出かけて、電車に乗って富士駅に戻り、駅員に電車からおろしてもらって、もう人が行ってしまったホームを二人で移動していたその時。一人の若い女性が、電車の前で呆然としているのが見えたので、

「お前さんそこで何やってるんだ?」

と思わず杉ちゃんがでかい声で言った。女性は、もうバレてしまったかという顔をして、走って逃げようとしたのであるが、駅員に見られてしまって、それは失敗した。後ろには、杉ちゃんとジョチさんが立っていたため、どちらの方向にも逃げることはできなかった。

「逃げてもだめだよ。ちょっと、話を聞かせてもらおうじゃないか。まあここでは困ってしまうだろうね。じゃあ、こっちのカフェへ来てもらおうか。」

杉ちゃんに言われて女性は、がっかりとした顔をして、しょんぼりとした顔になった。

「じゃあ、エレベーターでカフェでもいきますか。」

と、ジョチさんが言って、彼女の右手を引っ張って、エレベーターに乗せてしまった。そして、駅に付属している小さなベーカリーカフェに入って、とりあえず、彼女を椅子に座らせた。ウエイトレスが、コーヒーを持ってきたのを確認すると、

「それではお前さんがあそこで何をしていたのか、ちゃんと話してもらおうかな。悪いことするやつってのはな、だいたい腹が減ってるんだよ。さ、ここでパンでも食って、はじめから頼むよ。それで終わりまでちゃんと聞かせてもらおう。」

杉ちゃんがでかい声でそう言いながら、彼女にウインナーロールを渡した。女性は、杉ちゃんの言う通り、腹が減っているらしい。すぐにウインナーロールを食べてしまった。そして、

「どうも申し訳ありません!」

と涙をこぼしながら言った。

「いやあ、謝ることじゃないんだよ。それより、なんで電車の前でボケっと立っていたの?まあ、お前さんの表情とか見ればだいたい何をしようか、わかっちゃうもんだけどさあ。お前さんは、多分、自殺しようとしてた。違うか?」

杉ちゃんにそう言われて、彼女は、ハイと申し訳なくうなづいた。

「それより、お前さんの名前は何ていうんだよ。」

「宇佐美と申します。宇佐美彩子です。」

「宇佐美彩子さん。どこかで聞いたような名前。」

ジョチさんが思い出そうと努力した顔をしているが、

「ええ。思い出されてしまったら、申し訳ないですよね。あの事件は、もう新聞とか、そういうことで大っぴらに報道されてしまいましたものね。」

と、女性、宇佐美彩子さんは言った。

「ああそうですね。確かに、非常にショッキングな事件だったため、新聞でもテレビでも報道されましたね。確か、自分の娘さんがいじめにあったことで、同級生の生徒さんを殺害したという事件でした。今は他にも事件がたくさん発生していますので、その事件のことは、もうみんなとうに忘れてしまっていますから、あなたのことを覚えている人は少ないと思いますよ。」

と、ジョチさんはそういったのであるが、

「でも、これからどうしたらいいか。先日刑期をが終わって帰ってきたんですけど、なんだか辛かったので、もうだめなんじゃないかと思って。」

彩子さんは、そういったのであった。

「はあなるほどね。そういうことか。それで仕事とか見つからないとかで、電車に飛び込むしか無いと思ったのか。そういうことなら、とにかく具体的に動いてみるんだな。そうすれば、具体的な答えが出るから。」

「杉ちゃんすごいこといいますね。なんだか相田みつをさんみたいですよ。そういうふうに動ければ理想的なのかもしれませんが、具体的に動けない方もいらっしゃると思います。彼女のような方は、そうなってしまうんじゃないかな。」

杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんが言った。

「まあ、そういうことか。それで、就職先も決まらない、あと、できそうなことはなにもないと。まあ、たしかにねえ。お前さんは、務所から出たばかり。それで、何もすることがない。それでは、確かに困っちゃうよねえ。他の国家なら、そういう援助をさせてくれるところもあるかもしれないが、日本では施設から出たら、放り出されちゃうみたいになっちまうからな。」

「ええ。そういうことでもありますね。養護学校を出た障害者が、どこにも行くところがなくて、山奥の福祉施設に入ってしまうのと一緒です。それで、これからどうするおつもりですか。僕らと分かれたら、又自殺を図ろうとなさるのではないですか?それだと、僕らも自殺幇助ということになってしまう。それだけは行けないから、そこはなんとかしなければいけませんね。」

杉ちゃんとジョチさんは、そう言い合って、

「まあ、お前さんが、又自殺を考えているようだったら、それはなんとかして止めなくちゃいけないから、それなら、こうしよう。お前さんはいま、働けそうなところも何も無いの?」

と、宇佐美彩子さんに言った。

「ええ、今さっき、飲食店に行ったんですけど、何もありませんでした。あなたの言葉を借りたら、答えはノーです。どこの会社に行っても、いらないって言われるだけです。」

彩子さんは、そう答える。

「ほんなら、ちょっと僕らでなんとかしてみるか。お前さんは着物屋で働いてみる気あるか?確か、カールさんの店がずっと手伝い人がいなくて困ってたから。」

「ああそういえば、ずっと従業員募集の張り紙がしてありましたね。確か台風で剥がれてしまったから又書き直すと話していらっしゃいました。」

杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんもそれに応じた。

「無理です。私、着物の知識も何も無いし、着物を着ることなんて今まで一回もなかったし。」

彩子さんはそう言うが、

「いや、いいんだよ。リサイクルの着物屋だから、そんな知識モリモリの人はいらないって言ってたよ。それより、確実に着物を着る喜びを増やしていきたいってカールさんは言ってたよねえ。それに、カールおじさん本人だって、イスラエルからこっちに来て、知識ゼロから着物屋を始めたから、似たようなもんだ。ほんなら、今から行ってみるか。カールさんの店はすぐ近くだぜ。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。ジョチさんもそれならそうしたほうがいいですねと言って、すぐにスマートフォンで電話して、運転手の小園さんに迎えに来てもらうことにした。カフェにお金を払って、三人は、富士駅の北口へいって、小薗さんの運転する車でカールさんの店に行った。

カールさんの店はとても小さな着物店で、小さな古民家のような感じの着物屋であった。三人はその玄関の前で車を下ろしてもらうと、玄関の引き戸に、まだ新しく書いたばかりの毛筆のポスターが貼ってあって、確かに、従業員募集と書いてあるのであった。所々に、よくわからない変な文字が混ざっているのは、カールさんが本来の母語であるヘブライ語で書いたためだと思われる。

「こんにちは。」

と、杉ちゃんはでかい声で言って、そのドアを開けた。ドアにぶら下がっているザフィアチャイムがカランコロンとなった。

「今日は、お前さんの一番欲しいものを連れてきたぞ。お前さんの店で働きたいという女が現れた。まあそういうことだから、ここで着物のことでも教えてやってくれ。」

「はいはい。ぜひお待ちしておりました。どんな人が応募してくれたのかな?」

カールさんは、着物を整理しながら、杉ちゃんが連れてきた女性を見た。彼女の名を知っているようなかおをしたが、でも名前を口にすることはなく、

「それでは、ここで働いていただくにあたって、意気込みなどありましたら教えてください。」

と、言ってくれた。宇佐美彩子さんは、なにか感じたらしく、

「ありがとうございます。着物の知識も何も無いし、今でもどこで何を着たらいいのかわからないような、初心者ですけど、ぜひ教えてください。」

カールさんに言った。

「わかりました。誰でもすぐにわかるものではありませんから、それは、気にしないでやってくれれば大丈夫ですよ。じゃあ、明日からでも着てもらおうかな。できれば、着物屋なので、簡単着物でもいいですから、着物で通勤していただきたいです。よろしくお願いします。」

カールさんは、宇佐美彩子さんの事情を聞くこともなく彼女を採用した。そういうわけで、宇佐美彩子さんは、カールさんの店で働く事になった。

それから、数日後。杉ちゃんとジョチさんが、腰紐が切れてしまったので、カールさんの店に買いに行ったところ。

「いらっしゃいませ!」

と、にこやかに挨拶したのは、宇佐美彩子さんだった。確かに、帯なしの、二部式着物ではあるけれど、ちゃんと着物を着ている。なんだかえらく明るい感じの顔になって、少し前向きになってくれたのかなと思われる雰囲気だった。

「よう、元気にやってるじゃないか。一生懸命やってそうだな。」

杉ちゃんは彩子さんに言った。

「ずいぶん様になってきましたね。」

ジョチさんもそこは認めた。

「今日はなにかご入用ですか?」

と、カールさんがいうと、

「ええと、腰紐が切れたので、買ってきたいんだけど。」

と、杉ちゃんが言った。

「はい、えーと、何でしたっけ。なんとかという長い種類のものと、普通の長さの腰紐とあるそうですけれども。」

「ああ、長尺ね。幸い僕らは、長尺ではなくていいんだけどね。」

彩子さんは明るく言った。杉ちゃんがそれに答えると、

「では、こちらの2メートルの腰紐でよろしいですね。えーと、一本、300円でございます。」

彩子さんは、にこやかに言って、売り台から腰紐を一本出した。

「じゃあ二本ください。」

ジョチさんがそう言って、1000円札を取り出すと、

「はい。お釣りは、400円です。」

と、彩子さんはお釣りを渡して、お金を受け取った。

「ありがとうございます。着物のことは少し覚えてくれたかな?」

杉ちゃんが聞くと、

「まだ、色無地くらいしか覚えてないんですよ。柄の何も無い着物が、色無地だと。」

彼女は、にこやかに言った。

「色無地は、格理由が難しく、地紋のあるなしで、着る場所が違うから、一番むずかしい着物だと言われるんだぞ。あと素材のこともしっかり覚えなくちゃね。弔事に、光る生地の色無地を使わせたら、アウトだぜ。それもわかって販売しなくちゃだめだぞ。」

「そうなんですね。」

彩子さんは、申し訳無さそうに言った。

「あたし、そんなことは全然わかりませんでした。」

「いやあ、いいんだよ。そこのあたりは、僕らが教えたりしますからね。少しづつ覚えてくれればいいんです。すぐに何でも覚えようとしなくたっていい。そういうつもりで、いきていけばそれでいいんですよ。」

カールさんは、急いでそういったのであった。

「そうなんですね。少しづつ覚えてくれればいいか。娘の学校では、すぐに覚えなければだめだと、教え込まれてきて、娘は何度も覚えられないと言って泣いていましたが。」

「そんなこと、思ったって無駄だと思いますがね。」

彩子さんがそう言うと、カールさんは、ちょっとため息をつく。

「ごめんください。」

と、店のドアががちゃんと開く音がして、一人の女性が入ってきた。

「こんにちは。私、冨永と申しますが、、、。」

と女性は、カールさんたちに言うのであった。

「はい。冨永様ですね。確か、振袖のことで相談があると電話された方ですね。時間通りに来られまして良かったです。それではご相談を何なりとおっしゃってくださいませ。」

と、カールさんがいうと、冨永さんは、ちょっと恥ずかしそうな顔をして、

「実は、娘が来年の1月に、成人式を迎えることになりました。なので、親として振袖を買ってやりたいと思いますが、新品のものを用意させる余裕がありません。なので、リサイクルでなにかいいものはありませんでしょうかと思いまして。」

というのだった。

「ポリエステルでも構いません。やすいもので、いいですから、振袖をお願いしたいです。」

「わかりました。しかし、一生に一度の晴れ舞台に、ポリエステルと言うのは可哀想すぎます。えーとこちらに、正絹の振袖がありますから、こちらを選んでもらえないでしょうか?」

と、カールさんは段ボール箱の中から振袖を3枚取り出した。確かに、今風の派手な柄ではないが、それでも古典的で美しい振袖である。一枚目は、青で松の柄が下半身に入れてある。二枚目は赤で、桜が大きく入れてある。そして3枚目は紫で、下半身に、梅の花が入れてあった。

「ありがとうございます。振袖の最新の傾向とか、そういうものはまるでわからないのですが、できるだけ、祝の席にふさわしいのはどれでしょうか?」

冨永さんは言った。

「うーんとねえ。まあみんなが喜ぶのが、松だよな。茶道のお稽古とか、そういうところでは、松が好まれるし、能の舞台とかそういうところでも、松が好まれる。でも青っていう色が、若いやつにはちょっと寂しい。」

と、杉ちゃんが説明を始める。

「杉ちゃんは、着物に詳しいですからね。話しだしたらきりがありませんよね。」

ジョチさんは、そう観察しながら言った。

「それでこの2枚目だが、まあこれがおそらく最新のものだろう。桜は、日本の古典というか、国花として認められている。ほら、もろともに哀れと思え山桜という歌もあるくらいだからね。だけど、桜の柄というのは桜の花が咲いているときには着てはいけないというルールがあってね。桜の花より人間が美しくなってはいけないから、この振袖は成人式には着れたとしても、桜の季節には、着用できないということになるんだ。」

「そうなんですか。桜って一番美しいと思ってましたのに、そんなルールがあるんですか。」

冨永さんは初めて聞いたという顔でびっくりしている。

「まあ、そういうことですね。確かに桜の花が世界で一番美しいとされていた時代が確かにありましたからね。それを考えると、この振袖も、オールマイティーとは言えないということですね。」

ジョチさんは、杉ちゃんの話をまとめるように言った。

「そうなんだよねえ。桜より、人間のほうが美しくなってはいけないってさ、なんか変かもしれないけど、でもそれはしょうがないだよ。それはちゃんと知っておいたほうがいいね。日本人がいかに桜を愛してきたかがわかるルールだからねえ。」

「あの、ちょっとよろしいですか?」

と、宇佐美彩子さんが、杉ちゃんと冨永さんの間に入っていった。

「それなら、この3枚目の振袖を購入されたらいかがでしょう?」

「そうですか。こちらは紫ですね。何の模様でしょう?」

冨永さんは、宇佐美彩子さんに聞いた。

「ええ、こちらは梅の花の模様です。梅は、寒さに耐えて花を咲かせるというところから、困難に耐えるという意味があるそうなんです。それに、紫は、日本では高尚な身分の人しか使えない、高貴な色とされています。だから、これからの門出を応援してあげるっていう意味ではいいのではないでしょうか?」

彩子さんはしどろもどろに答えた。

「そうなんですか。でもそうなると、うちの娘には、高尚な色は向かないのではありませんか?うちは、しがない会社員家庭です。大学にもいかせてやれないで、娘には働いてもらわないといられなかった家庭です。そんな身分で、紫など着られるはずがありませんよね。だからやっぱり別のものを。」

冨永さんはそう言うが、

「いえ、いいじゃありませんか。だってそうやって働いてくれている人がいるから、偉い人が偉い人の場で能力発揮できるってことは、良く知られていることじゃありませんか。だから、高尚な色である紫を着たっていいのではないかと思いますよ。一生に一度の成人式ですもの。それを親としてお祝いしてあげたいんだったら、紫をつかってもいいと思います。だって、そういう愛情表現が出来るって、幸せなことですよ。あたしは、そう思います。」

と、宇佐美彩子さんは言った。それは確かに、前科者でなければわからない原理だった。非常に大事なことであるのだが、それを忘れている偉い人たちが多すぎるというところが問題でもあると思う。だけど、彩子さんは、そこは言わないで、こういったのであった。

「大事な娘さんじゃないですか。何もしないで、20歳までいきてくれたことは、素敵なことですよ。それは、もっと喜んであげても良いのではないでしょうか。だから、そのために紫を着せてあげたって私は良いと思います。それに梅の花は、これからの人生、辛いことがあるけれど、頑張れっていうメッセージになると思います。」

「ありがとうございます。」

冨永さんの表情は少しづつ和らいでくれたようだ。彩子さんの説明で、少し考え直してくれたのだろう。

「じゃあ、こちらの店員さんの言う通り、この紫の振袖を買っていきたいと思います。失礼ですが、おいくらになりますでしょうか?」

「はい。古いものなので、3000円で大丈夫です。」

カールさんはにこやかに言った。冨永さんはその値段に偉く驚いているようであったが、

「いやあ、着物なんて今はそれくらいしか、値段がつかないんだよ。」

と、杉ちゃんに言われて、3000円支払った。カールさんが振袖を畳んで紙袋に入れている間、

「ずいぶん、素敵なお店ですね。他の呉服屋さんに行ったら、とにかくかえかえの合図ばかりで、柄の説明など何もしてくれませんでした。着付け教室への斡旋ではなくて、着物のことを説明してくれる店は無いのかと思っていましたが、やっと見つけました。あの、失礼ですが、お名前はなんとおっしゃいますか?」

冨永さんは、宇佐美彩子さんに聞いた。呉服屋で店員の名前を聞かれることはさほど珍しいことでも無いのであるが、彩子さんは、困った顔をしてしまった。カールさんが、

「はい、増田呉服店と申しますので、増田と呼んでいただければそれで結構です。」

と言って、冨永さんに、紙袋を渡した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

振袖3枚 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る