第4話「静寂への帰還:真の強さとは」
黒川が倒れ、テロリストたちが制圧された瞬間、祭り会場に静寂が訪れた。やがて、周囲の人々から驚きと称賛の声が沸き起こった。
「すごい! あのおじいさんが、テロリストたちを倒したんだ!」
「まるで映画みたいだったわ……」
「あれは合気道ね。しかも、超一流の……」
人々の興奮した声が飛び交う中、徳栄はただ静かに立っていた。
突如、さくらの声が響いた。
「おじいちゃん!」
さくらが徳栄に向かって走り寄ってくる。
その後ろには美倉と健太郎の姿もあった。
家族が徳栄のもとへ駆け寄り、抱きしめる。
「お父さん、大丈夫ですか?」
「いや、すごかったです、お義父さん」
家族の安堵の声に、徳栄はようやく柔和な笑みを浮かべた。
「心配かけたね。みんな無事でよかった」
その時、テレビカメラのクルー、そして大勢の記者たちが押し寄せてきた。カメラのフラッシュが瞬き、質問が飛び交う。
「あなたは何者なんですか?」
「どうしてそんな技が使えるんですか?」
「今の心境をお聞かせください」
徳栄は淡々と応じた。
「わしは、ただの老人じゃ。たまたま昔習った技が、今日は役に立っただけのこと」
そして、記者たちに向かって静かに語りかけた。
「真の強さは、人を倒すことではない。人を守り、平和を守ることじゃ。それぞれが、自分にできることで世の中に貢献する。それが大切なんじゃよ」
徳栄の言葉に、記者たちも一様に言葉を失った。
◆
数日後、警察から表彰を受けることになった徳栄。
しかし、その態度は至って控えめだった。
「この老体に、こんな立派な賞をいただくのは恐縮じゃ」
徳栄は照れくさそうに頭を下げた。警察署長が感激の面持ちで語りかける。
「いえいえ、真田さんのおかげで多くの命が救われたのです。本当にありがとうございました」
帰宅後、家族との夕食の席。美倉が静かに口を開いた。
「お父さん、どうして今まで合気道のことを隠していたんですか?」
徳栄はゆっくりと箸を置き、深呼吸をした。その一瞬、彼の目に遠い日の光景が浮かんでいるようだった。家族全員が、その静寂に包まれた。
「若い頃、わしは合気道に没頭しすぎて、大切なものを見失いかけたことがあってな」
徳栄の声は柔らかく、しかし、その奥に僅かな悔恨の色が滲んでいた。
「毎日毎日、朝から晩まで道場で稽古に明け暮れて……。気がつけば、家族との時間も、友人との語らいも、そして恋人すらも、全てが合気道の影に隠れてしまっていた」
彼は一瞬、目を閉じた。そこには、若かりし日の自分の姿が浮かんでいるようだった。技を磨くことに心を奪われ、周りが見えなくなっていた自分。
「ある日、わしは大きな試合で優勝したんじゃ。しかし、喜びを分かち合うべき家族の姿は、客席にはなかった、友人も、愛しい人も……」
徳栄の声に、かすかな震えが混じった。
「その時、はっと気づいたんじゃ。強くなることだけが、人生じゃない。むしろ、強さを求めるあまり、本当に大切なものを失っていたんだと。わしは気づかぬ間に鬼になってしまっていたのだ、と」
彼は穏やかに微笑んだ。
その表情には、過去の苦い経験を乗り越えた者特有の、深い温かみがあった。
「引退を決意したとき、ただの普通の生活に憧れたんじゃ。朝、家族と顔を合わせて、『いってらっしゃい』と見送る。夕方には、『ただいま』と迎えられる。そんな、当たり前だけど、かけがえのない日々をな」
徳栄は、テーブルを囲む家族の顔を一人一人見つめた。
その目には深い愛情が宿っていた。
「しかし、今回のことで気づいたよ。技は決して忘れてはいけないものだ。それは、いざという時に人を守るためのものなんじゃ」
その言葉には、新たな決意と、自らの人生に対する深い理解が込められていた。
「合気道は、ただ強くなるための道具ではない。それは、平和を守り、人々を守るための道具なんじゃ。わしは、それを忘れていた」
徳栄の目に、静かな光が宿った。それは、長い人生を経て得た智慧の輝きだった。
「今、わしには分かる。合気道も、家族との時間も、どちらも大切なものだ。それらをバランス良く保ち、自分の力を正しく使うこと。それが、本当の強さなんじゃよ」
部屋に静寂が広がった。しかし、それは重苦しいものではなく、新たな理解と絆に満ちた、温かな空気だった。徳栄の言葉は、家族一人一人の心に深く刻まれていった。
さくらが目を輝かせて叫んだ。
「おじいちゃん、かっこいい!」
徳栄は優しくさくらの頭を撫でた。
「さくらよ、強さとは外に現すものではない。心の中に秘めておくものじゃ。普段は穏やかに生き、必要な時だけそっと力を使う。それが真の強さじゃよ」
◆
それから数週間が過ぎ、真田家の生活は徐々に日常を取り戻していった。ある朝、いつものように徳栄が縁側でひなたぼっこをしていると、近所の人々が次々と挨拶に来るようになった。その眼差しには、以前とは異なる畏怖と尊敬の色が宿っていた。
しかし、徳栄は相変わらず穏やかな笑顔で応対し、普段通りの生活を送っていた。
そんなある日、さくらが徳栄に駆け寄ってきた。
「おじいちゃん、合気道教えて!」
徳栄は少し驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑顔に戻った。
「さくらよ、前にも言ったが、合気道は人を倒すための技ではない。人を守り、平和を守るための道じゃ。その心を忘れなければ、教えてもいいかもしれんな」
さくらは大きく頷いた。
「うん! わかった! おじいちゃんみたいに、みんなを守れる強い人になりたい!」
徳栄はさくらの頭を優しく撫でながら、静かにつぶやいた。
「強さとは、決して人を傷つけることではない。それが真の強さじゃ」
縁側に座る二人の姿に、穏やかな風が吹き抜けていった。それは、新たな物語の始まりを告げるかのようだった。
(了)
【おじいちゃんアクション短編小説】老翁の一手 ―真田徳栄の秘技― 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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