第3話「舞う老武客:それは風のごとく、そして雷のごとく」

 祭りの喧噪が一瞬にして恐怖の叫びに変わった。黒川率いるテロリスト集団が現れ、無辜むこの人々を人質に取ったのだ。警察が到着したものの、人質の安全を考慮し、即座の行動には出られない。


「老いても、守るべきものがあれば人は動かねばならぬ……」


 徳栄は静かにつぶやき、ゆっくりと動き出した。

 その姿は、もはや非力な老人のものではなく、かつての威厳を漂わせていた。


 徳栄は人質のいる方向へと歩み寄る。その足取りは軽く、まるで軽快な舞踏のステップを歩むかのようだった。


「ん?」


 黒川がゆっくりとこちらに向かってくる徳栄に気がついた。


「おい、爺さん。近づくな、そこで止まれ!」


 銃を持った黒川が徳栄に向かって吠える。

 しかし、徳栄はその声など聞こえないかのように、淡々と前進を続ける。


「聞こえねぇのか? このボケじじいが!」


 黒川の侮辱的な言葉に、徳栄はようやく足を止めた。

 しかし、その表情には怒りの色はなく、むしろ穏やかな微笑みさえ浮かべていた。


「若人よ、言葉は刃物のようなもの。使い方を誤れば、自らを傷つけることになるぞ」


 徳栄の言葉に、黒川は一瞬たじろいだ。

 しかし、すぐに高笑いを上げる。


「ほざけ、じじい。貴様のような老いぼれにいったい何ができ……」


 その言葉が終わらないうちに、徳栄の姿は消えていた。

 次の瞬間、黒川の腕をしっかりと掴む徳栄の姿があった。


「なっ……!?」

「己の力を過信するのは、若さゆえの過ちじゃな」


 徳栄の手が動くや否や、黒川の巨体が宙を舞った。それは、一瞬の出来事だった。


 徳栄は黒川の腕を掴むと同時に、滑らかな円運動で体を回転させ、相手の力を利用して投げ技を繰り出した。これぞ正に合気道の神髄、入身転換(*1)だった。


 黒川が地面に叩きつけられる音が響く前に、徳栄は既に次のテロリストに向かっていた。その動きは、まるで風のように滑らかで、かつ雷のように鋭かった。


 右から襲いかかってきた男に対し、徳栄は四方投げ(*2)を繰り出す。相手の力を巧みに利用し、ほんの僅かな力で大柄な男を宙に舞わせた。男が地面に落ちる前に、徳栄は左からの攻撃を感知する。


 しなやかな動きで身をかわし、今度は小手返し(*3)で相手の手首を極める。痛みに顔を歪める男の腕を支点に、徳栄は自らの体を回転させ、男を地面に押し付けた。テロリスト達に発砲する機会をまるで与えずに無力化していく。


 背後から忍び寄る気配を感じ取った徳栄は、振り向きざまに合気落とし(*4)を決める。相手の腕を取ると同時に、自らの体重を利用して一気に相手を崩した。


 周囲のテロリストたちが驚愕の声を上げる中、徳栄の動きは止まることを知らなかった。天地投げ(*5)、回転投げ(*6)、軸取り(*7)と、次々と技を繰り出していく。その一つ一つの動きが、長年の修練で磨き上げられた珠玉の技々だった。


 徳栄の周りでテロリストたちが次々と倒れていく様は、まるで映画のワンシーンのようだった。しかし、これは紛れもない現実。78歳の老人が、若く強靭なテロリストたちを難なく制していく姿に、誰もが息を呑んだ。


 祭りに来ていた老婆の一人が、その光景を目にして息を呑んだ。


「あの方はまさか……伝説の真田流合気道の達人……徳栄師……」


 老婆の言葉は、周囲の喧噪にかき消されたが、徳栄の正体に気づいた者の驚愕は隠せなかった。


 一方、徳栄は淡々と、しかし確実にテロリストたちを倒していく。その姿は、年齢を感じさせない俊敏さと、長年の経験から来る的確さを兼ね備えていた。


 徳栄の周りを5人のテロリストが取り囲む。

 テロリストたちは相撃ちを避けるため、銃は使えない。

 一瞬の静寂の後、一斉に攻撃が始まった。


 最初の攻撃者に対し、徳栄は鮮やかな受け流し(*8)を見せる。相手の腕を軽く払いのけると同時に、その勢いを利用して相手の体勢を崩す。続けて呼吸投げ(*9)を繰り出し、男を軽々と宙に舞わせた。


 次の瞬間、徳栄の背後から襲いかかる男がいた。しかし徳栄は既にその気配を察知していた。振り向きざまに合気落としを決める。相手の腕を取ると同時に、自らの体重を利用して一気に相手を崩す。


 左右から同時に襲いかかる2人に対しては、徳栄は巧みな体さばきで中心に入り込む。そして両手を広げ、二教(*10)の要領で両者の手首を同時に極めた。痛みに顔を歪める2人が、まるで人形のように操られる。


 最後の一人が、必死の形相で徳栄に飛びかかる。徳栄は一歩も動かず、相手が間合いに入った瞬間、入身転換で相手の懐に潜り込んだ。そのままの勢いで、大技の十字投げ(*11)を決める。男の大柄な体が、まるでスローモーションのように宙を舞い、圧縮された時間を解凍するかのように激しく地面に叩きつけられた。


 わずか数秒の間に、5人のテロリストが徳栄の周りに倒れていた。その光景は、まるでダンスを見ているかのような美しさと、アクション映画さながらの迫力を兼ね備えていた。


 徳栄の呼吸は乱れず、その表情は終始穏やかなままだった。長年の経験と鍛錬が生み出した、究極の技の数々。それは単なる力や速さではなく、相手の力を巧みに利用し、最小限の力で最大の効果を生み出す、まさに合気道の神髄そのものだった。


「動きを止めれば、世界の動きがわかる。そして心を動かせば、世界を動かせる」


 徳栄の言葉が、風のように場を包み込む。

 その瞬間、残っていたテロリストたちの動きが鈍くなった。

 あきらかに怖気づいている。


 黒川は、地面に叩きつけられた衝撃からフラフラとした動きでようやく立ち上がると、怒りに満ちた目で徳栄を睨みつけた。


「貴様……ただのじじいじゃねえな」


「若いの、気づくのが遅いぞ」


 徳栄の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。


 黒川は持っていた銃を構え、徳栄に襲いかかった。しかし、徳栄はその動きを予測していたかのように、わずかな動きで攻撃をかわす。それは合気道の基本である体さばき(*12)の極致だった。


「力で押そうとすれば、必ず反発を受ける。相手の力を利用するのが、真の強さじゃ」


 徳栄の言葉が響く中、彼の手が閃光のように動いた。黒川の銃を持つ腕を掴むと同時に、鮮やかな小手返しを繰り出す。銃は宙を舞い、飛んでいった。


 そのまま徳栄は、黒川の腕を支点に自らの体を回転させる。それは洗練された転換(*13)の動きだった。黒川の体のバランスが崩れ、徳栄はその隙を逃さず、大きく円を描くように相手を投げ飛ばした。


 黒川の体が再び宙を舞う。しかし今回、黒川は落下の衝撃を巧みに受け止め、受け身(*14)を取ってすぐさま態勢を立て直した。


 二人の間で緊迫した攻防が続く。黒川の若さと荒々しい攻撃に対し、徳栄は経験と技で応戦する。黒川が繰り出す鋭い蹴りに対し、徳栄は巧みな足さばき(*15)で間合いを取る。そして相手の力を利用して、見事な四方投げを決める。


 黒川は地面に叩きつけられるが、受け身を取ってすぐに立ち上がり、今度は組み付いてきた。徳栄は落ち着いて相手の力を感じ取り、それを利用して天地投げを繰り出す。黒川の体が三度みたび大きく宙を舞ったが、彼もまた巧みに着地する。


 その光景は、まるで嵐の中で踊る二人の影のようだった。黒川の荒々しい攻撃は嵐の猛威のようであり、それに対する徳栄の滑らかな動きは、その嵐の中を舞う風のようだった。


 攻防が続く中、徳栄の動きには一切の無駄がなかった。それは長年の経験が生み出した、究極の合気道の姿だった。一方の黒川も、その若さと鍛え抜かれた肉体で徳栄に迫る。しかし、徳栄の洗練された技の前に、徐々に疲労の色が見え始めていた。


「くそじじいが……このくたばりぞこないが……!」


 黒川が息を切らしながら言う。


「くたばりぞこないと言ったか、若いの。そう、年を重ねるということは、それだけ多くの艱難を乗り越えてきたということじゃ。覚えておけ。わしは


 徳栄の声に揺るぎはない。その瞬間、黒川の動きに微かな隙が生まれた。長年の経験で磨かれた徳栄の目は、その僅かな隙を見逃さなかった。


 電光石火の動きで、徳栄は黒川の懐に入り込む。それは合気道の神髄とも言える入身(*16)の極みだった。黒川が反応する前に、徳栄の手が相手の胸元を掴んでいた。


 次の瞬間、徳栄の体がゆっくりと回転を始める。それは合気道の大技、回転投げの前触れだった。しかし、通常の回転投げとは違い、徳栄は自身の軸を低く保ちながら、相手の重心を巧みに崩していく。黒川の巨体が徳栄の矮躯わいくに抗えずにまるで人形のように振り回される。


「くっ……くそ、こんなバカな!?」


 黒川の呻きが虚空に溶ける。徳栄はまったく表情を崩さない。


 黒川の大きな体が、まるで空中に浮いたかのように宙に舞う。それは、徳栄が長年磨き上げてきた独自の技、「風車落とし(*17)」だった。


 宙に浮いた黒川の体は、徳栄の回転力によって加速され、大きく弧を描く。そして、まるでスローモーションのように、大地に向かって落下していく。


 徳栄は黒川の腕を離さずに、相手の落下に合わせて体を沈める。それは、技の衝撃を極限まで強めると同時に、より効果的に相手を制御するための動きだった。


 轟音とともに、黒川の大きな体が地面に叩きつけられる。その衝撃は、まるで小さな地震のようだった。しかし、対する徳栄の動きは実に柔らかく、まるで羽毛が舞い降りるかのようにふわりと着地した。


 黒川の意識がブラックアウトする前に、徳栄は素早く相手の関節を極める。それは合気道の関節技、三教(*18)の応用だった。黒川は一切動けない状態で完全に制圧された。徳栄は念のため、手慣れた動きで黒川の主要な関節をすべて脱臼させた。


 黒川がまったく動けないことを確認すると、徳栄は静かに立ち上がり、深呼吸をする。

 その姿は、まるで嵐の中心にあって、まるで静寂のようだった。


「勝負とは、己との戦いじゃ。相手を倒すことではない」


 徳栄の静かな言葉が、祭りの広場に響き渡った。


 その後、警察が一斉に動き出し、残りのテロリストたちを拘束し始めた。事態は、あっという間に収束へと向かっていった。


注釈:

(*1) 入身転換:相手の攻撃に対して、体を回転させながら相手の懐に入り、バランスを崩す技。

(*2) 四方投げ:相手の力を利用して四方八方に投げる技。

(*3) 小手返し:相手の手首を取り、関節技で制御する技。

(*4) 合気落とし:相手の腕を取り、自分の体重を使って相手を崩す技。

(*5) 天地投げ:相手を真上に持ち上げ、真下に叩きつける技。

(*6) 回転投げ:相手の力を利用して、回転しながら投げる技。

(*7) 軸取り:相手の重心を奪い、バランスを崩す技。

(*8) 受け流し:相手の攻撃を柔らかく受け止め、その力を逸らす技法。

(*9) 呼吸投げ:相手の動きに合わせて呼吸を整え、相手の力を利用して投げる技。

(*10) 二教:相手の手首を内側に捻り、関節を極める技。

(*11) 十字投げ:相手の腕を取り、自分の体を軸にして大きく回転させて投げる技。

(*12) 体さばき:相手の攻撃をかわすための体の動かし方。

(*13) 転換:相手の力を利用して自分の体勢を変える動き。

(*14) 受け身:落下時の衝撃を分散させる技術。

(*15) 足さばき:相手との距離や位置関係を調整する足の動き。

(*16) 入身:相手の攻撃に対して、体を回転させながら相手の懐に入る技法。

(*17) 風車落とし:徳栄の独自技。回転投げを応用し、相手を大きく宙に舞わせて叩きつける技。

(*18) 三教:相手の手首を外側に捻り、肘と肩の関節を同時に極める技。

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