藪医者

天川

養父医者

 医者というのは、因果な仕事だ。人間ひとを診るのには責任が伴う。

 誰かの役に立ちたいという気持ちと、迷惑をかけたくないし非難の的になりたくないという、矛盾……二律背反。


 肝が小さく人嫌いでもある私は、それならばと樹木医になった。

 人間のようにぎゃーぎゃーと文句を喚く生きものと違い、樹は寡黙で辛抱強い。そして、人間とは違う尺度で生きている。人間のようにわかりやすい反応を返してくれないのは困りものだったが、逆に腰を据えて付き合うことができる。


 しかし、実際に樹木の医者として働きだしてみたところ、静かで穏やかな生き方とはかけ離れた俗に満ちた世界だと分かった。

 そもそも、樹木に金をかけるような人間というのは好事家か資産家か、活動家か……あるいは宗教家か。普通に生活していてさえ敬遠するような類の人間ばかりだ。

 そういった人間との濃厚な交わりに危機感を覚え、今度はトラブルを避けようと結果の見えている仕事に舵を切ると……これまた社会の歪みの温床とも言える、公的機関からの依頼に頼らざるを得なくなった。

 行政側からの依頼は、その仕事の殆どが街路樹の診断書づくりだ。

 この街路樹はどのように手入れするべきか、どのように育成するべきか……などというこちらの望んだような「いい仕事」なんかは殆ど来ない。要は、行政の都合で邪魔になったので伐採したいのだが、いざ伐るとなると市民団体がうるさいから樹木医のが欲しい、というわけだ。早い話が、伐り倒すための理由付けである。

 目的がそれだから、当然良い診断書を書くわけにもいかない。何かしら欠点を見つけ過大に評価して、伐らなければ危ない、または、今後の展望が望めない、といった内容のものを書かなければならない。

 こういう仕事をしていると、明らかに人為的に痛めつけられた街路樹を目にする事が何度もあった。本来、樹の腐食というのは人間と同じで抵抗力の低下による病気の転移……まあ、きのこが生える等といった所見が見られるものだが、依頼の現場ではあきらかに薬品(除草剤など)に依る加害の跡が見られることの方が多いのだ。


 だが、その点を担当者に指摘すると、

「そういう事は言わないでください」

 という言葉がお約束のように返ってくる。

 なるほど、コレやったのはお前かと、確信に似た想像がつくことさえあるくらいだった。


 だが、報酬を頂くためには不本意であろうともそれに判を押さなければならない。


 結局は何処いずこも同じ、人の都合に巻かれなければ食っていくことは出来ないということだろう。正直、嫌になることのほうが多い。しかし、もはや人生に於いて潰しが効くような期間は終わっている。私は、この仕事で食っていくしか道は無いのだ。

 私が結婚にそれほど意欲が無い人間であったことは幸いだったと言えるだろう。そもそも、こんなおかしな仕事をしている人間と将来を共にしようなどというイカれた女はそうそういるまい。

 だが、それで正しいのだ。

 定石も規則性も……大義すらもないこんな生業に、理解がある方が異常なのだと自分でも思うくらいだ。かのドクターキリコでさえ、こんなことはしないはずだ。医者の中でも指折りのクソさ加減だろう。


 その上、樹木医というのは仕事自体がそうそうあるものではない。当然、樹木医これ一本で食っていけるほど世間は樹木に金をかけてくれるわけではない。同業者のご他聞に漏れず、私自身、造園業者や林業者に混じって作業員として働く傍らの樹木医である。医者と言いながら伐り倒すほうが圧倒的に多いのだ。実際のところ、私が救えた樹など何本も無いだろう。


 看板倒れもいいとこだ。

 いっそ廃業してしまった方が気が楽かもしれない。


 だが、そんな私のもとにある時、風変わりな男から依頼が舞い込んだ。



 ……………………


 年の頃は、どう見ても20代前半。下手すると、二十歳前なのではないかという疑いさえ沸いてくるほどに若い男だった。

 若い依頼者というのはこれまでもあったが、大抵は資産家の息子か、変な方向に金をかけ出したITベンチャーの成金社長みたいな人間ばかりだった。


 しかし、その依頼者はそれら前例とは明らかに違う、何処か世間離れしているというか、年齢に似合わない雰囲気を持った男だった。


 こんな人間が、樹を診て欲しいと云う……勿論、事情があるのは察せられるがその事情と云うのに見当がつかない。いや、正しくは彼のが見えない、と言った方がいいだろう。


 実際のところ、樹を診てくれという依頼の内容自体はどの件であってもほとんど同じだ。家族や親しかった人が大事にしていた樹、或いは地域のシンボルを担っていた樹だから、なんとか助けたい。

 大抵がそんな理由だ。

 だからというわけではないが、そんな依頼が私の手元に来た時には、ある程度症状が進行してしまっているか既に手遅れの場合が多い。


 そんなに大事ならもっと樹について学んで、もっと早く助けを求めるべきだろう。

 いつだって、そんな心の愚痴が溢れそうになることばかりだ。


 大切だ、思い出だ、などと体の良い事を言っておきながら扱いはどれも杜撰ずさんで長らく顧みられていなかったことが判る樹ばかりだった。

 そのくせ周囲には、私が一番この樹を愛している、などと主張をしたがる輩の多い事といったら……全く反吐が出る。愛しているなら何故樹の声に耳を傾けようとしないのだ。

 彼らは、人間に聞こえない声を発しているだけで、長く付き合っていると結構饒舌なのだ。ときに樹は、共に生きてきた家族の様子を誰よりも仔細に語ってくれたりする。

 そんな樹木達が語り教えてくれるのは、大抵が呆れと諦めだ。どんなに外面を取り繕おうと、樹の感性は誤魔化せない。如何に、樹木というものの命が省みられていないかを嘆き、それを受け入れてきたか、そんなやるせのない歴史ばかりが語られてきた。


 つくづく、なんでこんな仕事を選んでしまったのか過去の自分を問い詰めたい気分に襲われる。いや、当時はこんな仕事だとは思わなかったんだよ、と無垢で無邪気な自分が言い訳するのが聞こえた気がした。まぁ、とにかくそんな因果な仕事なのだ。


 ………その依頼者に指定された場所は、寂れた村にある小高い山の中腹にある花園のような畑だった。傍らには小さな庵があり、周囲はそれなりに手入れされているのがわかる。人の気配は感じられないが、不思議と人の営みは感じられる場所だった。

 それほど広大ではないが、周囲には桜の木が植えられ緑地公園のような趣もある。花園の縁から周囲を見渡せば、村が一望できた。眼下には、それなりに民家が立ち並んでいるのが見える。お寺もあり、土地に根差した暮らしをしていることが感じられる風景だった。きっとこの花園は、村のどこにいても目が届く花暦のような場所なのだろう。


 この時代に、こんな場所がまだ残っていたのかと、不覚にも少し感動してしまったほどだった。


 依頼者の男は、女を伴って現れた。

 女は男よりも少し長身で、控えめに言っても美しい人だった。歳はまぁ、男よりは明らかに歳上だろう。母子に見えなくもないが、どうも雰囲気が違う。若い燕……というのを一瞬想像させたが、男の方がそれを言外に否定させてしまうほどの巌のような雰囲気を放っていた。

 まぁ、不思議な依頼者たちではあったが下手に詮索はするまい。自分の対象は人ではなく、あくまでも樹なのだから。


 依頼者の男は、名乗ってから丁寧に頭を下げ握手を求めてきた。

「ご依頼を頂きました、サガミと申します。診て欲しい樹というのは、こちらですか?」


 適当に名乗りながら、早々と対象を見定める。本来、依頼者の話を聞いてから診察を始めるべきなのだろうが、正直なところ、立ち並ぶ樹を見てどの樹が対象か、何が問題なのか私にはすでに分かってしまっていたのだ。

 あとは依頼者がどのように話し、どんな要望を出してくるのか、その言葉を聞いて診察の「着地点」を考える。

 人間を診る医者の仕事と違い、樹木の診断は人の都合によるところが大きい。先述の街路樹の話が良い例だ。その樹が不要だというなら、私は心を殺してその要望に応えるまで。


 その依頼者である若い、不思議な男は……少し驚いたように話し始めた。


「よくお分かりで。お察しの通り、桜の様子がいつもと違うので、これは何か……私が間違いを犯してしまったのではないかと心配になりましてね──」


 依頼者の男の話を聞いたところ、この花園の周囲の桜は、彼が幼少期に世話になった老夫婦が開墾した畑の周囲に植えられて根付いたものだという。その老夫婦は7、8年ほど前に亡くなり、今は自分が所有し管理しているという。普段は別の土地に住んでいるため年に一、二度しか来られないので、草刈りなどは別な人の手によるものだそうだ。

 なるほど、言われてみれば周囲の手入れの仕方は眼の前の几帳面そうな男の手によるものとは少し雰囲気が違って見える。雑だという訳ではなく、幾人もの手が加わっているような、そんな雰囲気を感じたのだ。


 この樹木たち、樹種は山桜と八重桜であるが、ここを訪れてくれた人に記念として植えてもらって今も少しずつ増えているのだという。大きな樹に混じって、幼木が生えているのはその為なのだろう。

 まだ、開花前だというのに樹の様子の違いが察せられたというのは大したものだと思った。いや、本来はこうあるべきなのだが、今のご時世そんな感受性を持った人間はほんの一握りだろう、悲しいことだが。


 見ると、周囲には真新しい苗木が何本も植えられていた。話から察するに、最近になって訪問者が大勢いたということだろうか。

 よく見ると植え方に統一感が無い。こちらも何人もの手が加わっていることが見受けられるだった。


 私は話を済ませると、である大きな山桜に近寄り、そっと手を触れた。

 それからゆっくりと後退あとずさり、樹姿が全て視界に収まるような位置まで距離を取る。

 そしてしばらく樹様を眺めた後、その距離を保ったまま樹の周りを一周してその姿を全ての方角から確認した。歩きながら、と周囲の樹との距離とバランスも頭に入れ、常人には聞こえないはずの『樹の声』を感じ取っていく。


 その合間に、ちらりと依頼者たちを盗み見ると、女の手が若い男の手をしっかりと握っているのが見えた。なるほど、その空気感でなんとなく分かった。彼らはきっと夫婦なのだろう。珍しい組み合わせだが、ありえないことじゃない。


 ゆっくりと時間をかけ一廻りしてから、もう一度患者である樹に近づき、木の肌や枝の付き方、害虫や病気の有無をつぶさに観察した。


 心配そうに見つめる夫婦に近寄り、私は声を掛ける。

「心配無いと思います。この樹は……すこし、びっくりしただけでしょう」

 それを聞いた二人は、怪訝な表情をする。まぁ、無理もない。樹が吃驚するとはどういうことなのかと。


 そんな彼らに、今度は私のほうから質問をした。

「様子がおかしいと感じたからには、何かしら変化を感じ取ったのでしょう? 漠然とで構いません、それを聞かせてもらえますか」


 すると、男は頷いて話しだした。

「昨年の暮に、新しく15本ほど桜の苗木を植えたのです。それで、数日前に様子を見に来たのですが……。幼木の方はなんとも無いのに、この老木の蕾がいつもの年よりずいぶん多く感じられて……。山の木の花があまり見事に咲き誇りすぎるのは凶兆の場合があると、祖母に聞いていたものですから」


 話を聞いて、私は新鮮な驚きを感じた。

 これはこれは……。

 ずいぶんと懐かしい知識が飛び出してきたものだ、と。


 確かに、山の樹木が普段つけない花を付ける場合はその年の夏は冷夏か長雨になる場合が多いことが、経験則から知られている。桜や藤などはそれでも顕著な違いは見られないが、辛夷こぶしなんかはあからさまだ。

 今年は見事に咲いたと喜んでいると、その年の農作物のできが悪いという話が聞かれることが多いという。

 植物は、人間には感じ取れない自然の僅かな兆候を察知し、その年に付けるべき花の量を決めて蕾を作る。迷信だと云う者も多いが、そもそも人間とは違う尺度で生きている生命だ。どんな人間であれ樹木ほど長くは生きられない。そんな彼らが、人間の感じ取れないものを感受する能力を持っていたって何ら不思議ではないのだ。


 だが、今回のこれはそういったものとはまた別だろう。

「根本に少し土が盛られていますが、あれは?」

 私は、彼にそう質問した。

「はい、去年の植樹のときに余ってしまった土を根本に寄せておいたのです」

 そう彼は答えた。


 なるほど、それを聞いて合点がいった。

「きっと、そのせいですね。根本に急に土が盛られたせいで環境の変化と誤解してしまったのでしょう。後からかけられた土をどかして、竹箒で掃いておいてあげれば、なんともありません」


 彼は驚いて、

「土をかける分には良いことだと思ってました。良くないのですね?」

 そう尋ね返した。


「はい。根が見えてしまうほど表土が痩せるのは勿論よくありませんが、根本を隠すのは却って樹が呼吸しづらくなるのです。地際の根の張り出しの部分が見えるくらいまで、土を除けてあげるのが樹には良いのですよ。他にも……」

 私は言いながら樹に近づき、

「ほら、こういう新しい枝がいきなり幹から出ている場合は、その上に何かしら問題が出ているものです」

 そう言って、太い幹から急に飛び出している新しい芽のような枝を指差す。

 すると彼は、その新枝の上に目を向けて……

「あ、ほんとだ。枝が折れてますね」

「はい、今年の春先は雪が多かったですから、そのときに折れてしまったのでしょう。これくらいなら心配ありませんよ」

 大して太くはないが、雪で折れたらしい枝を見上げながら、私はそう伝えた。


「山桜は、二百年くらいは普通に生きます。条件が良ければ五百年を超える個体もあるくらいです。流石に二百年を超えてからだと、ちょっとした人為的なものが影響したりしますので、油断はできませんが……。この樹は、まだまだ若いですから心配ありません」


 私は、もう一度幹に触れて生命力を感じる。

 うん、大丈夫……この樹は、生きたがっている。


「ありがとうございます、おかげで安心しました。やはり、専門家のお話を聞いて良かったですよ」

 そう言った彼は、とても嬉しそうだった。


 専門家、か。

 久しく忘れていた感覚だった。


「いえいえ……僭越ながら、あなたのほうがいい目をお持ちだ。樹だけ見ていたら私にはこの不調は見抜けなかったでしょう。毎年、この樹に向き合っていたからこそ、小さな変化に気づくことができたのです」


 私がそう言うと、彼は感慨深げに樹を見上げ……

「この桜は、わたしの育ての親のようなものですから」

 そう言って、改めて感謝を述べてくれた。


 ………………………


 帰り際、少々世間話をしてから私は帰途についた。

 去り際に、お代のことを聞かれたので、

「お代は要りません。何も処置はしておりませんから」

 と伝えたところ、そう言うわけには行かないと半ば無理やり奥さんに封筒を掴まされた。

 まぁ、仕事であり出張旅費も僅かながらかかっているため何も取らないわけにはいかなかったのだが。それでも費用云々より、樹と向き合う真っ当な精神に触れられ、久しぶりに心が洗われるような思いだったのだ。あのような人ばかりなら、樹と人との関係ももっと良いものになるだろうと思わせてくれるというもの。

 もしかしたら、樹木医をしていてこんな気持ちになれる機会というのは稀有なことなのかもしれない。他の同業からも、こんないい気分になったという話は、ついぞ聞いたことがなかったからだ。


 そういえば、と。

 私は、もらった封筒に謝礼と一緒に同封されているという、名刺を取り出した。

 あの依頼人に、私を紹介してくれた人の名刺だという。なんでも帰りの道中沿いに住んでいるらしいので、挨拶をしてこうと思っていたのだ。


 確認した名刺には……

「なぁんだ……ははは」

 私の、樹の師匠の名前が記されていた。

 なにもかもお見通しだった、というわけではないだろうが……。これも、なにかの巡り合わせかも知れないな。

 

 懐かしい名前を目に収め、バスに揺られながら車窓の外の景色に目をやる。

 さて、素晴らしい出会いに感謝を込めて、酒でも買って尋ねてみようかね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

藪医者 天川 @amakawa808

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画