第23話【月宮明斗は油断する】


 気がつくと意識があった。

 いや、正確にいうなら完全にあるとは言い切れない。

 真っ暗な視界の中、思考は微睡み……されど緩慢とした速度で漠然と頭が動く。

 あぁ……今何時だろ?

 意識が覚醒する一歩手前。もう起きろと身体が言っているのだ。

 

 だというのに、モゾモゾと自然と身体が身動みじろぎし、最も自分がリラックスできる位置を探る。もう十分寝ただろ、という自制心とまだ寝ていたいという堕落心のせめぎ合い。

 いつもなら5分10分行われる脳内でのいざこざは、思わなぬ方向からの声によって前者へと軍配が上がった。


「おーい明斗くーん。朝だぞー?」

「ん、んん……」


 頭の上から降ってきた独特な甘ったるい声。

 どこか耳に馴染むその声色と、同時に肩を揺すられる振動に抗って俺は目を閉じ続ける。しかし肩を揺すられたことで意識だけでなく、いよいよ身体も起床モードに移行を始め、聴覚と触覚に加え、嗅覚が起きる。

 鼻孔をくすぐったのはあまり嗅ぎなれない香り。

 ウチにある布団の匂いじゃ……ない?

 でも俺が寝てるってことは、ここは俺の家で……というか俺の家に俺以外の人間がいる?

 改めて整理するとおかしな状況だ。

 空き巣? いや俺いるし。なんなら空き巣ならわざわざ俺を起こさないだろ。

 より正確な情報を得るために、俺は閉じていた視界の解除を決心する。

 

「せんぱい……?」

「あ、起きた起きた」


 目に飛び込んできたのは見知った女性だった。

 ツインテールになっていることが多い金髪は、今はストレートで俺の頬に幾許か垂れかかっている。ぱっちりとした二重の瞳は真っ黒で、いつも真紅色のカラコンをしている彼女にしては珍しい。

 肌は健康的な白。形の良いぷっくりとした朱唇が、笑みを象って見せた。

 この良い匂いは先輩のものだったのか。

 至近距離で俺に微笑んでくれた俺の上司にして大学時代の先輩、朝日奈雫を前に俺は得心と安心感を胸に宿した。


「ほら、もう朝の9時回ってるよ。もしかして昨日アタシ飲ませ過ぎちゃった? 頭とか痛くない?」


 と心配げな彼女を他所に、まだ半覚醒の俺の思考は全く別のところにあった。

 すなわち――――何故、先輩がここに?

 考えても分からない。昨日のことは……思い出そうとするとちょっと頭に靄がかかる。まだ寝惚けてんなぁ。

 でも現実的に考えて朝から俺の家に先輩がいるのはおかしい。ということはコレは夢?

 

 あぁ……これが明晰夢めいせきむって奴か。

 夢には幾つかあって、たしかな意識を持ちながら能動的に動くことができる夢を、明晰夢というらしい。

 さしずめコレは俺が先輩と付き合っている、あるいは結婚している設定の夢だな?

 

「もうそんな時間?」

「そうだよぉ。この寝坊助さん」


 ほら見ろ。やっぱ夢だわこれ。

 ちゃんと俺の声に、目の前の先輩が答え頬を人差し指で突いてくる。俺と先輩は仲が良いと言えど、これほどの距離感ではなかったはず。そもそも付き合ってもないのに同棲とかするわけない。

 コレは俺に都合の良い夢。

 ならば目の前の先輩をどうしようと、俺の自由だろう。

 

「朝日奈せ……雫」

「え、え? 今、名前で……てか、なに? どうか――――」


 と、先輩が何やら言い募っているのを無視して、俺は不意打ちで彼女の首へと両手を伸ばし、一気に自分の胸元へと抱き寄せた。

 彼女の存在を証明するたしかな重みと温もり、そして下腹部にあたる女性らしい柔らかさを感じる。


「あ、あ……あぅ……」


 最初こそ身動ぎしていた雫も、数秒もすると大人しくなって俺に身を委ねてくれる。

 

「あの、明斗くん……? たしかにアタシもその、こういうことしたいって思ってたことも無きにしも非ずなんだけどね? ちょちょちょ、ちょっといきなりこれは飛ばし過ぎというかぁ、もうちょっと段階を楽しませて――――」

「あぁ……良い匂い」

「——————————っ」


 それから実体化した安心を抱いた俺は、再び意識を手放した。


**********



「誠に申し訳ございませんでした!」


 昼前。

 2度寝から起きた俺は朝食を取らずに、2時間近く先輩の家の床に額を擦りつけていた。

 もちろん膝はきちんと畳んで両手は三つ指を揃えている。

 おそらく俺の人生史上、空前絶後となるであろう全身全霊全力の土下座だ。


「だーかーらー……アタシは気にしてないって言ってるじゃん」

「だとしても俺が気にするんです」


 と、目の前でソファに座り嘆息を零す朝日奈先輩に食い下がる。

 マジで俺の朝の失態は許されざる行為なのだ。

 寝惚けていたとはいえ、女性に抱き着いたのだ。それも先輩が抵抗できないような体勢で。

 普通にセクハラ。事と次第によって強姦未遂で警察のお縄になっても可笑しくないレベルである。

 

「もぅ……君って意外と強情なところあるよね」


 どうしたものかなぁ……と独り言を呟く先輩。

 床を踵でトントントンと単調なリズムで鳴らす仕草は、まるで時計の秒針が1秒1秒を刻んでいるかのように、俺の脳内で木霊する。


「まぁこういうのって結局1人1人のケジメみたいなところあるからね……。明斗くん。君は自分のやったことを何で償えると思う?」

「何……って言われると、具体的にには湧かないんですけど、お金か……責任をもって退職して2度とこういうことが起きないよう、先輩への接触するのを禁止するとか、ですかね」


 なんか不祥事を犯した人の気持ちがわかった気がする。いや、ある意味不祥事ではあるのか。

 人間、誠意を見せろと言われると、やっぱり最初に示談金お金が思い浮かぶんだな。この貨幣社会だと金は“その額を稼ぐための、本人の時間と努力”の結晶なのだ。誠意という至って精神的な言葉に対して、対極にある現実的なモノお金で示そうとするのは、少々皮肉が過ぎている気がしないでもない。

 だがやはり真っ先に思い浮かぶモノと言えば、コレしかないのだ。


「うん、どっちも却下。君に辞められるのも会えないのもアタシが苦しすぎるし、プレゼントとかならまだしも、君からそういったモノは受け取りたくないかな」


 そう、どこか含みのある言葉で先輩はきっぱりと拒否した。

 たしかに会社を辞めるというのは考えが浅かったか。俺が辞めてしまえば、朝日奈カンパニーは先輩1人。当然会社が回るはずもなく、コレでは責任を取るどころか、無茶苦茶やってから会社を道ずれにする最悪なことをしているだけだ。


「わかり……ました……。なら当分の間、俺の給料を天引き、無給でも――――」

「それも駄目。アタシは君とは対等な関係でいたいの」

「じゃあ俺はどうすれば――――」


 いよいよ以て、俺にできることなど無くなってしまった。

 お咎めが無し。それはある意味、自分のやったことは償うことも許されないモノだと、暗に宣言されているようで……。

 怖くて涙が出そうだった。

 

「――――君を抱かせて」


「……………………は?」


 唐突にもたらされた案に頭の中が真っ白になった。

 だ、抱く? それってつまり――――。


「あー……ごめんごめん。今のはアタシがちょーっと言葉足らなかった。ハグ! 君のこと抱っこさせて? それでチャラ」

「チャラってそんなこと……」

「なぁにー? 被害者……っていうには大袈裟だけど、君の刑罰の決定権はアタシにあるわよね」


 それを言われては反論できない。


「それに“加害者は被害者と同じ目に合う”。これってよくある話じゃない」

「だからってそれだと罰どころか……!」


 美味しい思い。

 と言いかけるが、先輩が讃える正体不明の不敵な笑みに圧され、俺は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。


「へー。アタシにハグされるのは明斗くんにとって罰にならないんだ。もしかしてむしろご褒美、なんて思ってくれるの?」

「………………」


 ナチュラルに脳内で変換していた言葉を言い当てられ、俺は黙秘権を行使する以外の選択肢を失う。

 あぁ2度と、2度と自分に都合の良い解釈なんてするもんか。


「それじゃさっそく、いっちゃうね」


 その後、先輩に正面からハグされた俺は、生きた心地がまるでしなかった。



**********


【蛇足】

 

 かなり前に書きかけてあったお話を無理矢理完成させたため、急な終わり方になっております。


【あとがき】

 

 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

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俺をヘッドハンティングした憧れの先輩、実は残念美人でした 夜々 @YAYAIMARU8810

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