LOT 02 青い鳥の心-③

 あてがわれた客間でひと晩を過ごした翌日。枕が変わったら寝つけないなんてことはなく、アイレは爽快な気分で目を覚ました。

 さすが侯爵家。ベッドそのものの快適さもさることながら、隙間風や隣家から聞こえる怒鳴り声に身をすくめずにすむ夜は快適だった。

 さて。廊下に出るにも寝着ではためらわれる。アイレは昨夜、着せられた――正確には自分で着ようとしたが青ざめて駆けつけたメイドのニナに着つけられた――ナイトドレスなるものを脱ぎ、自分の服を探して客間を見回した。


「アイレ様、おはようござ……昨日も申し上げましたが、着替えは私がお手伝いしますから! アイレ様はお気を楽にしてくださいませ」


 入ってきたニナが焦った顔でアイレに駆け寄る。ニナはオークションの際にアイレを通用口から入れてくれたメイドだ。鮮やかな赤毛と、笑うと左の口元にえくぼができるのが特徴で、アイレ付きとして世話をしてくれるという。

 とはいえアイレも根っからの労働者なので、世話されるのは落ち着かない。


「ひとりで着替えるほうが気楽……あの、わたしの服はどこですか?」

「いえ、お願いですから私にお任せくださいませ」


 けっきょくニナに押し切られてしまい、アイレは袖がふんわりと膨らんだ若草色のドレスを着つけられた。お下がりらしい。

 銀髪も片側で緩く編みこんだ髪型に整えられる。


「旦那様がお待ちです。お食事をどうぞ」


 案内されたダイニングルームもまた豪奢な空間だった。テーブルに着席していたガウン姿のバルトルートまで含めて絵画かと思うほど。

 アイレは軽い緊張とともに、バルトルートのはすかいの席につく。ほどなく運ばれてきた朝食の数々に自分の目を疑った。


「これ、食べていいんですか?」


 カリカリに焼いたベーコンにソーセージ、鮮やかな黄色のスクランブルエッグ、やわらかそうなパンとたっぷりのバターやジャム、見るからに瑞々みずみずしいフルーツの数々。

 どれもが、アイレの五感を幸福へ向けてこれでもかというほど刺激してくる。


「要らないなら下げさせるが」

「いえ、食べますよ! いただきます」


 アイレは身を乗りだしてフォークを手に取ったが、たちまち重大な問題に直面した。どう切りだすか迷い、バルトルートをちらちらとうかがう。


「視線が騒がしい。言いたいことがあるなら言え」


 バルトルートが新聞から胡乱うろんげに顔を上げた。彼の前にはコーヒーのカップがあるだけだ。


「いえ、あの……ウォード卿は朝食をもう終えられたんですか?」

「食べると頭が働かなくなるから、朝は食べないことにしている。今日はこれから大事な仕事があるからな」


 バルトルートは手にしていた新聞をアイレのほうへ押しやった。

 先日少年が売っていたようなゴシップ記事ばかりの新聞ではない、上流階級アッパークラスが読む「高尚な」新聞である。いったいなに。

 バルトルートは、訃報欄を見ろと裏面の下三分の一ほどを占める記事を指す。アイレはインクの匂いが残る新聞をひっくり返し、訃報欄に目を走らせた。

 上流階級を中心とした著名人の死亡記事が並んでいる。生没年、死因だけでなく、生前の功績なども書かれていた。


「そこに、エリザベス・アン・メイディスとあるだろう。ウィッコリー・アンド・メイディス社の社長夫人だ」


 アイレはふたたび記事に目を落として「あっ」と声を上げた。

 どこかで耳にした覚えがあると思ったら、近ごろ急成長中の海運会社ではないか。その勢いは三日に一度、新しい航路が開けると言われるほど。

 社名は創立者ふたりの姓をもじったもので、彼らの船には頭文字をとってW&Mと大きくロゴが描かれているのが特徴だ。

 ジャック・エアには港湾施設で働く労働者も多い。彼らが酒場で酒のつまみにする話題にも、ときどきその名前が登場していた記憶がある。

 記事ではその社長夫人が病死したと書かれていた。享年三十七。若い。


「お知り合いですか?」

「社交界で挨拶をしたくらいか」

「じゃあ、仕事って」

「〈ハウス〉の仕事に決まっているだろう」


 菓子に使われるのは砂糖に決まっているだろう、とでも言うような口ぶりだ。塩じゃない。しかしアイレはしょっぱい気分だ。


「決まっていると言われても、メイディス夫人と〈ハウス〉にどんな関係が?」


 オークションつながりとなると、彼女は顧客だったのか。事業を成功させた夫のお金をオークションにつぎ込む夫人……あまりに遠い世界だからか、想像がぼんやりする。

 と、バルトルートがあきれた顔で指を立てた。


「いいか、貴重な品がオークションに出るタイミングは大きく分けて三つある。一つは借金だ。借金を返済するために、財産をオークションに出して金を稼ぐ。二つ目は離婚だな。思い出の品の処分が必要になるタイミングだ」


 トゥルディアでは長く離婚が認められなかったが、大陸からの移民が増えたのにともなう世論のあおりを受け、法が改正されている。まだ件数は少ないようだが。

 バルトルートがコーヒーに口をつける。


「そして三つ目がこれだ。死亡にともなう遺産の処分というやつだな。以上の三つは、その頭文字から3Dと呼ばれる」

「げっ、なにその不吉な略称、こわっ……」

「おい、俺のらしい言葉遣いをしろ」


 口調が砕ければ、すかさず容赦のない指摘が入る。令嬢、恐るべし。気を取り直してアイレは続けた。


「メイディス家には財産があるから、今回の件で処分される逸品もあるかもしれないってこと?」


 そうだ、とうなずいたバルトルートは、コーヒーを飲み干して腰を浮かせた。


「出かけるぞ。支度しろ」


 アイレは目の前の彩り豊かな料理を見下ろした。卵からは世にも蠱惑こわく的なバターの香りが立っていたはずだが、いつのまにか冷え切っている。

 ベーコンも、アイレの胃を多幸感で満たしてやる気概にあふれている様子だったのに、今は心なしかうなだれて見える。


「これ、食べますからね?」

「いただきますから、だ。ひとつ忠告しておくと、本心では足りなくても、さもおなかいっぱいという顔をして残すのが令嬢のマナーだ」

「ご牽制けんせいありがとうございます。大いなる恵みに感謝して、すべていただきます」


 いざ、今度こそと食べようとしたアイレは、勢いよく取りあげたフォークとナイフを裏切り者のごとく見つめ、おもむろにテーブルへ戻した。


「あの……使い方を教えてください」



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ここまでお読みいただきありがとうございました。試し読みは以上です。

続きはぜひ書籍版でお楽しみください!


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偽令嬢の訳ありオークションカタログ エメラルドは出会いを導く 白瀬あお/富士見L文庫 @lbunko

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