LOT 02 青い鳥の心-②

 ジョシュアの合図で、すっきりとした香りの紅茶と、ラズベリージャムを挟んだ見た目も愛らしいビスケットがテーブルに並べられる。おやつ係って、ほんとうにおやつを用意する係なんだ。それにしても……なんておいしそうなの。

 許可を得てそわそわしつつビスケットをひと口かじる。口当たりのよいざっくりとした食感とラズベリージャムの甘酸っぱさが、たちまち口内をえもいわれぬ幸福で満たした。

 悪魔の誘いが頭に響く。一枚食べたら、ついもう一枚に手が伸びる。だが、アイレははっとした。


「今夜はオークションじゃないですよね? 皆さんくつろいでいらっしゃいますし、わたしもやることがないように思うんですが」

「セール当日だけがオークションではない。俺たち〈ハウス〉の仕事はむしろ、セール当日より裏側の活動が大半だ。出品する品物を集め、査定を行い、出品者と契約してセールの準備をする。セールが終われば、入金を確認して作品を引き渡す」


 思っていたのとだいぶ様子が違う。


「特に、オークションを成功させるにはなによりもまず、よい品を手に入れる必要がある。待つだけでは、よい品は集まらない。そのためには、こちらからも出品する作品を集めにいく必要がある」


 それはアイレにとっても好都合だ。オークションを口実にすれば、指輪の情報も集めやすくなる……が。


「おまえにも、やるからにはきちんとやってもらう。郵便配達はやめろ」

「はい!? そんなの無理です! 生活が立ち行かなくなります」


 週に六セスしかなくても、大事な収入だ。途絶えたら行き倒れる。


「〈ハウス〉のメンバーがジャック・エアに住んでいるなどと知れたら、それこそよい品が集まらなくなる。おまえの家は引き払ったから、そのつもりでいろ」

「ちょっ、わたしの話を聞いてました? っていうか、今なんて!?」


 アイレはティーカップを乱暴に置いた。ソーサーにたたきつけられる耳障りな音がして、飲みかけの紅茶がこぼれる。


「なに勝手なことをしてるんですか! あそこを引き払ったら、わたしには行くとこなんてないんです! ほかを借りるお金もありません」


 フェリクスへの弁償代わりの労働だから、〈ハウス〉の活動も無給なのに。


「それは心配しなくて大丈夫、今日からここに住めばいいんだよー」


 ジョシュアがくりくりとした目を輝かせたが、アイレは拳をわなわなと震わせた。


「わたしがここに住むなんて、冗談にしても悪質です」

「俺も好き好んでおまえを住まわせるわけじゃない。だが〈ハウス〉として活動する以上、最低限まともな生活はしてもらう」


 ジャック・エアでの生活はたしかに、お世辞にもよいとはいえない。

 あそこが自分の居場所だという感覚も持てない。アイレが帰りたいと思う場所は、母と過ごした思い出の中にしかない。

 けれど貧しくとも、アイレが自分で決めて手に入れたもの。

 アイレにとっては、自分の意思で選択したという点が重要だった。修道院ではなにひとつ自分で決められなかったのだ。


「突然連れてこられて、知らないあいだに住み慣れた場所を取りあげられて、なにがまともなんですか? 先にわたしに話をするものでしょう」


 ジョシュアとバルトルートがぽかんとして、顔を見合わせた。


「なんか……喜ばれてないっぽい?」

「ここよりジャック・エアが好きとは、酔狂な人間もいるものだな」


 話が通じてない。


「わたしが言いたいのは場所のしではなく、わたしにも意思があるということなんですが」


 ふたたびふたりが目を丸くした。


「うん、そんなの当然だよ。だからアイレにとってもいい話だと思うよー」

「わかってないじゃないですか……」

「なんだ?」

「いえ、なんでも」


 頭が痛くなってきた。でもここではっきりさせておかないと、今後もこの調子で勝手に色々と決められて振り回されるのは困る。


「今後はわたしに関することを、わたしの許可なく勝手に決めないでください。それさえ守っていただけるなら、今回はウォードきょうに従います。さっそくですが、ひとつ。家に物を置いているので、わたしが引き取るまで勝手に処分しないでください」

「なんだ、意固地かと思ったが折れるのは早かったな。注文が多いが」

「なんでもかんでも反対するわけじゃありません」


 価値観があまりに違うため頭を抱えたくなるけれど、一緒に活動すると決めたからには、多少の歩み寄りは必要なはず。


「よし、これで決まりだね。アイレは今日から、ウォード家の遠縁の娘だ。ようこそ! さっそくだけど名前はどうする?」

「俺の母方の親戚の姓を取るか。子爵家辺りでアイレ・オルセンなんてどうだ。名前だけなら、なかなかどうして淑女らしいじゃないか。……おい、どうなんだ。聞いているのか? 許可がいるんだろう?」


 現実味のないやり取りにぽかんとしていたアイレは、われに返った。


「はあ」

「その間抜けな返事ひとつで、淑女でないことがバレるな」


 おかしい、さっきまで居候の話だったはず。なのに、いつのまにかアイレが令嬢になりすます話に飛躍したのはなぜ。


「問題ないと思います……」


 ひょっとして早まったのかもしれない。

 そうちらっと頭をよぎったが、アイレ・オルセンなる貴族令嬢の日々がどれほど大変か、このときのアイレはまだわかっていなかった。

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