ep.12-3・両家顔合わせ(3)


 皇都と辺境伯領の違いに驚いたり、婚約披露パーティーの打ち合わせが白熱したりといろいろ起こっているものの、公爵家の方々は楽しく過ごしているようだ。



 そんな中で、ディートヴェルデは思いもよらぬ事実を知ることになる。



 それはある日の晩餐の後、“男同士の語らい”と称してワインを片手にハッケネスとギュスターヴがシガールームへおもむこうとしていた時だった。


「ディート。お前も既に成人しているのだ。こういう席にも来ないか」

 ハッケネスにそう言われ、ディートヴェルデはついて行くことになった。


 畑仕事をしていることもあり、ディートヴェルデは基本的に早寝早起きだ。こういった夜の遊びはあまりしない。

 とはいえ、大人のたしなみを覚えなければならないというのもそうだが、義父になる人と心を通わせることも重要だ。ここは同席しないわけにはいかないだろう。


 ディートヴェルデがシガールームに入ったのはほとんど初めてだ。


 まだ幼かった頃に大人のしていることが気になって扉を開いたことはあるものの、シガールームに染み付いた葉巻の匂いと漂う酒精で気分が悪くなり、すぐに逃げ出してしまった。

 そのせいか、まだうっすらと苦手意識がある。



 シガールームは落ち着いたアイボリーの壁に囲まれた部屋で、壁の一面は黒檀がつやつやと輝く飾り棚になっている。納められているのは年代物のワインや辺境伯領で作られたウイスキー、そして美しいグラスの数々だ。換気のためか開け閉めのできる窓があり、緞帳どんちょうを思わせるどっしりとしたカーテンが掛かっている。


 猫脚で肘掛けや背もたれの縁に瀟洒しょうしゃな彫刻の入ったソファに座り、改めてワインで乾杯する。


「ディートヴェルデくんは葉巻はやるのかい?」

 ギュスターヴに訊ねられ、ディートヴェルデはうっと言葉に詰まった。


 正直に言えば葉巻は苦手だ。

 甘ったるく鼻腔に残る匂いがどうしても好きになれない。

「いえ、その……俺はあまり得意ではなくて」

「そうか。ならお酒だけでたのしもう。心配ないさ、サヴィニアックのワインは私の大好物なんだ。重めの赤も好きだが、私はオレンジワインに目がなくてね」

 ギュスターヴはそう笑ってワインをあおる。


 オレンジワインが好きだなんて相当なだな。

 ディートヴェルデは感心した。


 オレンジワインとは、シャルドネのような白葡萄を使いながら、赤ワインと同様の製法で醸造するワインのことである。

 通常、白ワインは白葡萄から果汁を搾り出したジュースを発酵させることで作られる。一方、赤ワインは赤い葡萄を潰し、果皮や種とともに発酵させ、そこからワインを搾り出すことで作り出すのだ。

 白葡萄を果皮や種ごと発酵させたワインは、赤とも白とも異なる色合いになる。その色からオレンジワインと呼ばれるのだ。


 ギュスターヴに力説されては断れないらしい。ハッケネスは飾り棚からオレンジワインのボトルを取り出す。年号を見るに白葡萄が豊作だった年に醸造されたものだ。

 持ってけ泥棒! と言わんばかりにグラスへなみなみと注ぐと、ギュスターヴは喜んでそれに口をつけた。




 そこからはギュスターヴの自慢話めいた語りとハッケネスのツッコミという漫談めいたやりとりにディートヴェルデは耳を傾け、杯を重ねていく。そのうちにだんだんと3人とも酔いが回ってきた。


 ハッケネスとギュスターヴは、初めは他人行儀に“辺境伯”と“公爵”と呼び合っていたのが、

いつの間にか“ハッケネス殿”と“ギュスターヴ”になり、

最終的に“ケネス先輩”と“ギー”になった。


 ん?とディートヴェルデが疑問を覚えた頃には、ギュスターヴはもうだいぶ酔っ払ってしまい「えへへ」と無邪気な笑みを見せる。


「やぁっとケネス先輩と家族になれましたよ。んふふふふ……」


「ハァ……今からでも断りたい気持ちでいっぱいだよ、ギー」

 眉間を押さえて嘆くハッケネス。


 しかし疑問でいっぱいのディートヴェルデの様子を見て、ハッケネスが渋々……本当に渋々といった顔でギュスターヴとの腐れ縁について語る。




 学院時代、ハッケネスが5年生の頃にギュスターヴが入学してきたそうだ。

 当時は上級生が下級生の面倒を見るという風習があったらしく、5年生が1年生につくのが通例だったらしい。

 サンクトレナール公爵家の令息ともなれば、同格の公爵家か、あるいは皇族の第二、第三皇子あたりがつくのが普通である。

 ところがなんの因果かギュスターヴの世話役がハッケネスに回ってきたらしい。


 恐らくは嫌がらせだろう、とハッケネスは語る。

 公爵家の跡取りを指導する、つまりはあれやこれやと命令じみたことをしなければならない。そうでなくとも公爵家令息ともなれば、他の貴族からあれこれ言われることを嫌がるはずだ。

 ハッケネスがギュスターヴから嫌われるよう仕向けて辺境伯家の評判を落とそうと画策した者がいるに違いない、と。


 ところがどっこい、何故か分からないがギュスターヴはハッケネスに懐いた。とてもとても懐いた。


 どうもサンクトレナール公爵家にも思惑があったらしく、辺境伯家の跡取りと仲良くなって商売の手を広げようなんて魂胆があったのかもしれないという。

 何ならギュスターヴの世話役としてハッケネスが選ばれたのも公爵家の差し金という可能性すらある。


 まあ、とにかくギュスターヴはハッケネスのことが大好きで、兄のように慕い、先輩先輩とついて回るほどだったらしい。

 何処からハッケネスの愛称を知ったのか“ケネス先輩”と呼ぶようになり、自分のことを“ギー”と呼ぶように頼み込んできたのだとか。



 しかも辺境伯家と養子縁組をして本当にハッケネスの弟になろうとしていたなんて目論見も露見し、当時のハッケネスの背筋を凍らせた。


 さすがにディートヴェルデも後輩から同じことされたら怖いだろうと思った。ハッケネスに同情の気持ちが湧く。



 もちろんそんな目論見など叶うはずもなく、ハッケネスは辺境伯になり、ギュスターヴも公爵家を継いだ。


 そうなれば関わりも無くなるかと思っていたのだが、ハッケネスの見通しは甘かった。


 ギュスターヴは大藏省に入り、功績をあげ、実に正当な手順で大藏卿に就任。

 財務や徴税を通して経済の調整を司る大藏卿と国家の食糧庫とも呼ばれる辺境伯領は切っても切れない関係にある。

 当然ハッケネスはギュスターヴと宮廷でバチバチにやりあうことになり、たいへん辟易へきえきしているのだとか。



 それから、ディートヴェルデが生まれたのと同じ年に、サンクトレナール公爵家で長女が生まれたと聞いたときには、既に嫌な予感がしていたそうだ。

 案の定、生まれてすぐにギュスターヴは彼の娘セレスティナとハッケネスの次男ディートヴェルデとの婚約を持ちかけてきたという。



「けれど腹立たしいことがあったのさ」

 いつから聞いていたのか不明だが、ギュスターヴが若干怪しい呂律ろれつで語りだした。


「よりによって、あの馬鹿皇太子がうちのティナに惚れ込んだんだ」


 先程までは酔っ払って頬を上気させながら「んふふ」なんて声を上げて笑っていたギュスターヴだが、今は落ち着いたのか目が据わっている。

 据わっているどころか、もはや目のハイライトが消えている。


 ギュスターヴの言うにはこうだ。

 5歳頃、皇太子ルシュリエディトの遊び相手もとい取り巻きを選定するために公爵家、上位クラスの侯爵家、それから各卿の子どもたちが集められた。

 皇太子との顔合わせもそうだが、次期皇帝になることが決まっている彼からの覚えがめでたければ家の権勢にも関わってくる。

 それでどの親も気合いを入れている中、ギュスターヴだけは辺境伯家との婚約を崩されたくないので無視を決め込もうとしていたのだ。


 ところが、なんとルシュリエディトがセレスティナに惚れたのだという。


 もちろんギュスターヴは断ったのだが、ルシュリエディト(当時5歳)はギャン泣き。皇帝からも取りなしがあり、『息子の初めてのワガママだから……』と五体投地レベルで懇願されたため、仕方なく婚約を結んだそうだ。


「そうでもしないと、あの場が収まらなかった……うちの可愛いティナを除けば公爵家に娘は二人しかいなかったからね。そして彼女たちは既に婚約者の目星がついていた。侯爵家なら婚約も未定の女の子がそれなりの人数がいたが、あのアホ皇太子め『ティナじゃなきゃ けっこんなんてしない!』なんて喚きやがったんだ……」


 確かにそれは断りづらい……。

 ディートヴェルデは内心同情する。



 だが結果は土壇場での婚約破棄だ。



 成長するにつれて令嬢の、そして皇妃としての教育を受けて洗練されてゆくセレスティナ。

 一方で教育から逃げ出し、王侯貴族としての自覚ノブレス・オブリージュすら示すことなく、友人という名の取り巻きたちと遊び歩いてばかりのルシュリエディト。


 当然ながらルシュリエディトは“できない子”のレッテルを貼られていた。

 周囲が口を酸っぱくして勉強を、規律マナーを、王侯貴族としての自覚ノブレス・オブリージュを、と言ってきたのに、彼は努力を放棄した。


 ルシュリエディトはソルモンテーユ皇国を代々治めてきた皇族の子である。決してスペックは低くない。

 整った容姿はもちろんのこと、皇族の証である青い髪も青い瞳もこれ以上ないほど濃いものだ。

 それに魔力量だって常人と比にならないほど潤沢なはずである。

 ほとんど悪知恵にしか使ってこなかったが、記憶力も良いし頭は回るのだから勉学だって出来るはずなのだ。


 しかし、彼は努力を放棄した。持ち得るスペックを無駄にするようにワガママ放題に振る舞い、愚かなことをして問題を起こすようになった。


 噂からかんがみるに、それが顕著になったのは妹姫レヴィアテレーズが生まれて数年、ちょうど読み書きができるくらいの年齢になった頃のようだ。

 もしかするとセレスティナやレヴィアテレーズ皇女のような優秀な女性に対してコンプレックスを感じているのかもしれない……。


 いや、とディートヴェルデはその考えを振り払う。

 ディートヴェルデごときが皇族の事情なんかをかんるのは失礼だろう。



 当時の感情を思い出したのか、唸ったりぐずったりしながら泣き出すギュスターヴ。

 いつもは犬猿の仲のくせに、今は酔っ払って学院時代を思い出しているのか“ケネス先輩”として小さな“ギー”を慰めるハッケネス。


 カオスな空間だ。

 ディートヴェルデは終始圧倒されていた。


 間もなく父親二人のあまりにもひどい酔い方を見兼ねた執事たちに二人が回収され、“男同士の語らい”……というより“父親たちの愚痴大会”は解散と相成ったのだった。

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悪役令嬢と暮らす辺境スローライフ @eleventhblack

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