Stare Into VACANCY
卯月二一
Stare Into VACANCY
「ああ、自由って素晴らしい!」
俺は公園のベンチに座り両手を伸ばしてから、夏の終わりの青い空を見上げる。こんな綺麗な空を見たのはいつぶりだろうか。そういえばずっと下ばっか見てた気もする。不満しかなかった会社に辞表を叩きつけた俺は現在、たまった有給消化中である。正式な退職はもう少し先なのだが、糞のような職場から解放されたのは事実であり、今はまさしく自由の身である。本当なら次の職を見つけていなければならないのだろうが、そんな気など全く起きないので近くの公園に来ている。貯金もたいしてあるわけでもないから公園ということなのだが。
「おお、ネコちゃんではないですか。こっちおいで」
噴水のところに一匹の黒猫がいた。首輪はしているから飼い猫なのだろうが、あたりにご主人らしき人は見えない。放し飼いなのだろうか。俺は驚かせないようにゆっくりと近づく。途中、俺に気づいたのか、その彼か彼女はこちらを見て身構えたように思えたので、俺もその場に立ち止まる。それではとその場にしゃがみこんで手招きしてみる。ネコは興味を持ってくれたのかゆっくりとこちらに向かってくる。
「あれ?」
あと少しで触れられそうなところで黒猫は後ろを振り返る。少し上をじっと見ているようだがそこには何もない。ふたたび俺の方をみて『にゃあ』とひとなきするとどこかへ走り去ってしまった。なんだよそれ……。
なんだっけか、猫には人間の目には見えない光が見えるんだったか。可視光線ってのが人の目に見えるやつで、その波長が短いんだか長いんだかで紫外線、赤外線っていうんだったか。見える範囲の外側ってことだったと思う。ああ、スマホを家に置いてきたんだった。まあ、別にどっちでもいいけど。
猫に逃げられて遊び相手もいなくなったので、仕方なくそこら辺を散歩しようと歩き出す。平和だ。あの死ぬほど高かった外気温も秋へと向かっているのかマシになっている。走り回る子どもたちの姿も見えるし、ベビーカーを並べたママ友さんたちが日傘をさして楽しそうに会話している。これは紫外線対策だな。夕方近いがまだまだお陽さまの光はお肌にはよろしくないのであろう。通りすがりにベビーカーを覗いてみると赤ちゃんたちも、どこか虚空をじっとみて手を伸ばしたり、きゃっきゃと笑っていた。
たしか乳児ってのは、はじめはカタチの変化じゃなくて光の変化を集中して見てるんだって親戚の姉ちゃんがいってたな。すぐには人の顔の違いは認識できないんだとか。それって何ヶ月だっけ? スマホ……。
いやいや、俺はいつからこんなスマホが手元にないと不安になるような、軟弱な人間になってしまったのか……。子どものころは別に無くても楽しくやってけたんだけどな。意識すればするほどスマホが恋しくなる。何が自由だよ。俺は通信端末の奴隷かよ……。
俺はまわりの景色に意識を向けてみることにした。
こんな平日の昼間に外でぶらぶらすることなんてないので新鮮だ。おっ、あれはピチピチの女子高生さんたちではありませんか。うん、JKだ。若いってよいね。青春って感じだ。
「ん?」
俺はおかしなことに気づく。彼女たちのひとりがスマホを取り出して視線を落とすと、すぐに虚空を見上げてじっとしている。そして何事もなかったかのように他の子たちとの会話に参加している。他の女の子もそうだ。代わる代わるおそよ斜め45度を見上げて固まる。俺は空にUFOでも飛んでいるのかと見上げてみるが、今日は雲一つない青空が広がっている。いちいち空の青さに感動しているわけでもなさそうだ。
思い出すとさっき見たママ友たちの手にもスマホがあった。日傘に隠れてよくは見えなかったが違和感があった気がする。
公園でさぼっているのだろうと、関心のかけらも無かったベンチに座るサラリーマンを振り返って見ると、やはり虚空を見つめていた。もちろんその方向には何も無い。
「何だ? 何が起きている?」
俺は公園を出て人通りの多い市内のスクランブル交差点まで走ってきた。ここは人が多い。信号待ちをしている中、ほとんどがスマホを手にしていた。そしてスマホに目を落とすとその内容をほとんど確認すること無く虚空を見つめだす。さまざまなタイミングで繰り返されるそれは、ただただ異様で不気味な光景であった。だが、不思議なことに皆お互いの奇妙なその行動に気づいてはいないようである。なにかの映画の撮影、テレビのドッキリ企画を疑ったが、どこにもスタッフらしき人間もカメラも見えない。空には当然何も無かった。
「お兄さん。ねえ、おにいさーん」
俺のことか? 振り返ると中学生くらいのセーラー服の女の子が俺を見上げていた。
「えっと。俺?」
「そうそう。お兄さんに声をかけたのです」
じっと見つめるその顔はアイドル並に可愛いと思ったが俺の対象とする範囲ではない。このご時世、変な誤解でもされて通報でもされたらかなわない。それに『お兄さん』だと? これくらいの年の女の子は三十過ぎた男はひとしく皆『おじさん』である。四十も五十も区別はつかない。二十後半でもきっと『おじさん』である。これはきっとヤバい奴に違いない。俺はそう瞬時に判断すると歩行者用信号が青に変わったのを見て歩き出す。
「ご、ごめんね。俺忙しいんだよ」
やれやれ。怪しげな商品を売りつけられたり、ヤバい人たちの待ち構えてる店なんかにつれていかれるとか勘弁だわ。交差点を渡りきって一安心と思ったのだが、背後に気配を感じた。振り返るとさっきの女の子がさっきとまったく同じ姿勢と表情で俺を見上げていた。
「ひぇっ!」
「何ですか? 変な声をあげて。お兄さん、私のことガキだと思ったんでしょ。それは胸だって……。でも頑張れば谷間も作れるんですよ!」
セーラー服の上からではまったく分からないのだが、両腕でなんか一生懸命よせていらっしゃる。なんなんだこの子は。
「えっと、どういったご用で?」
「ああ、そうでした。お兄さんの私への反応があまりにも薄かったんで、忘れてたのです。お兄さん『視えて』ましたよね?」
おいおい、俺は中学生女子の胸や、その短いスカートの生脚を眺めて喜ぶような変態ではないぞ。ん? 『みてた』ではなく『みえて』?
「俺が何を見てたと?」
「あれです、あれ!」
彼女が指差す先には、例の虚空を見つめる人の姿があった。
「ああ、あれ変だよね。みんなあんな感じになっちゃってて、不思議だと思ったんだよ」
「おおー、やっぱり『視えて』いるのですね。イレギュラー発見なのです」
「イレギュラー?」
「ご紹介が遅れました。私こう見えまして天界から遣わされた天使なのです。ああ、ちょっとお兄さんいっちゃだめぇ!」
ぜったいヤバい子だと確信した俺は逃げ出そうと試みるが、腕をつかまれてしまう。ちょ、ちょっとなんでこんな力が強いの? この体格差でこの俺が力負けするだと!?
「逃さないのです。イレギュラーは女神様に報告することになっているのですよ!」
神様じゃなくて、女神様? おそらくそのいかがわしい非合法な、罰当たりなコンセプトのお店は、女性がオーナーなのか? きょ、興味はあるが……。いやいかん、真っ当な一市民としてはしかるべきところに連絡をして、摘発して……。俺は意識が遠くなる気がして、力が抜けていくのを感じた。
気がつくと俺はどこもかしこも真っ白な空間にいた。地面は固くつるつるで真っ平ら。どこまでも先が続いているようにも見える。それに空は真っ白だ。雲が覆っているわけではなく一様に濃淡無く均一に白い。ふと振り返ると、公園で見た黒猫が俺を見ていた。
「ネコちゃん?」
俺がそう呟くと、黒猫はぐにゃぐにゃと姿が変化し始める。グロい光景というわけではなく、そもそもそれは粘土かスライムのようなもので形を変化させているように思えた。しばらくするとそれはさっき俺を引き止めていたセーラー服の美少女へと姿を完成させたのだった。途中、全裸の彼女が見えた気もするが、俺は平静を装う。俺は変態でもロリコンでもない。こんな良くわからない空間で通報される可能性があるのかは不明だが、変な誤解だけはされぬよう振る舞わねばならないのだ。この状況や眼の前の不思議現象よりも俺にはそっちのほうが重要案件であった。
「公園でもお兄さんが、なんだか他の人とは違うなって思ったんですよ。あのときナデナデして欲しかったんですけど……。急にどうでもいい用事で女神様に呼び出されたんです。ほんと、あのババアむかつくのです」
「女神様にババアって、叱られないの?」
「ああ、ここは私の完全プライベート空間ですから問題ないのです。糞女神には聞こえるはずもないのです」
「ちなみに女神様はおいくつで?」
「さあ? 少なくとも数千歳はいっちゃってるんじゃないでしょうか。私はまだまだ三百歳でぴっちぴちなのです」
「は、はあ。お若いのですね……」
なんとこの子、平気で三桁を余裕で超えていやがった。ずいぶん年上なことで。
もうこの状況で女の子が天使か何かなのだろうと思うことにするしかなかった。じつは天使のふりをした悪魔で、俺はこのあと魂とか抜かれてしまうのかもしれないが、もうどうでもよくなっていた。想像を大きく超えた状況に、人間というのはすぐに対応したり順応できるようなものではないのだ。
「天使って綺麗な羽とか生えてるイメージがあるんだけど、実際はそうでもないんだね」
「いえいえ、お兄さん。フォーマルな席ではしっかり羽を生やしてるんですよ。仕方がないですねぇ、お兄さんが見たいというのであれば……」
「ちょ、ちょっと何してるの?」
「いえ、背中から羽が生えますから。服や下着は邪魔ですので全部脱いでしまおうかと思いまして」
「す、ストーップ! そ、その手を止めなさい。もういいです。大丈夫、君が天使さまだということは十分承知しましたから、その、脱ぐのはやめてください!」
「そうですか、そこまで言われるのであれば、お見せできないのが残念ではありますけど……。ちぇっ」
えっ、もしかしていま舌打ちした? さっき、猫から変身したときそのセーラー服も形状変化させてつくったよね。脱がなくてもその背中からびょーんって生やせるんじゃ……。下着まで全部脱ぐ必要なんてないし。もしかしてこの天使ちゃん露出癖でもあるの? 三百歳ってそういうお年頃なの?
「そ、それで虚空を見つめるあの人たちの不思議な行動は何なの?」
俺の質問にセーラー服姿の天使ちゃんは、正座して居住まいを正す。
「最近の人間界はあの金属板によっておかしなことになっているのです」
「金属板ってスマホのこと?」
「はい。お兄さんたち人間がスマホと呼ぶ金属板。スマートフォンと発音しているのになぜにスマフォではなくスマホと呼ぶのか。興味のつきないものではありますけど、いまはそのことは置いておきましょう。あれによって人間は心や意識のエネルギーの無駄遣いというか浪費をしていますね。人間は短命であるというのに、その貴重な時間を本人にとって価値のない些末な情報を得ることに費やしています。家族や恋人の顔よりあの金属板を見つめている時間のほうが長いのではないですか?」
「はあ……。そうかもしれないね」
たしかに天使ちゃんの仰る通りな気がする。会社の休憩時間でも気の合う連中が揃っていたとしても、スマホ眺めながら会話してたっけ。みんながみんなとは言わないが、電車の中でもそんな光景はよく目にする。子どもは携帯ゲーム機に夢中で、両親はスマホに集中している旅行途中の家族とか、もっと旅の会話とかで楽しんだらって思ったこともある。
「でしょ。ですから女神様の指示で、その無駄な意識エネルギーを有効活用せよと言われていまして。このような方法をとることにしたのです。スマホを使用する全日本国民からスタートしています。その次は世界展開です。本人たちにも、まわりにいる人間にもその行動は意識されないよう神的なジャミングが発生するよう仕掛けました。神のお力ですから例外なくすべての人間に適用されるはずなのですけど、不思議なことにお兄さんはかかっていないのです。私がお兄さんに興味を持ったのはそれが理由なのです」
「おおぅ。そうなんだ……。どうしてだろうね。俺はもちろんそんな信心深いほうじゃないのだけど」
「私達は人間たちの信仰心なんてずいぶん前から期待なんてしてないですよ」
「そ、そうなんだ。でも、有効活用って?」
「ああ、そうですね。あの虚空を見つめている時、意識のエネルギーは天界に吸収されて、よりそれが必要な人のもとへと分配されます」
「えっと、やる気の出ない引きこもりの人とか、人生に絶望して立ち直るのにそういう気力みたいなものが必要な人とかに?」
「いいえ、そういったのは自己責任でお願いしたいですね。私たちが送り込むのは戦場の兵士たちにです」
どういうことだ? 神様的な存在って弱く苦しんでいるひとたちに手を差し伸べるもんじゃないのか? たしかにいま世界で起こっているあの不幸な戦いの場所では多くの人たちが苦しんでいるとは思うけど。
「どうして戦場の兵士なの?」
「それはぼうっとしてたらすぐに死んじゃうじゃないですか。気力が十分じゃないとちゃんと戦えないですよね。ああ、戦場で死んじゃうのは仕方ありませんし、私たち的には魂の循環サイクルがより進むことは好ましいのですよ。ですけど、あの状況、戦争が長く続くのはよろしくないのです。追い詰められて核でどっかーんなんてやめて欲しいのです。人類が滅んでしまいますから。そうなったら魂の循環どころでは無くなって、私たちのお仕事が無くなちゃうじゃないですか。お兄さんと同じ無職。無職ですよ。羽の生えた無職なんてどこに需要があるのですか? ねえ?」
ちょっと思ってた神様観が崩れ去っていく。こいつら兵士たちに気合を入れて殺し合いを加速させるつもりなのか?
「どうしたんですか、お兄さん? 素敵なお顔がちょっと怖いんですけどお」
それはそうだろ、日本国民すべてに精神操作みたいなのを仕掛けられるんなら、大いなる神の奇跡か何かで無理やりでも戦争を終わらせろよ。そう口から出かかったのだが、この天使ちゃんの言葉からするとそもそもの思考が異なる。これは無理だと俺は黙り込んだ。
「あれぇ、どうして急にご機嫌ナナメになっちゃったんですかあ? 私、悲しいですぅ」
「イレギュラーってのは、その女神様ってのに報告だかなんだかしなきゃいけないんだろ? 早く洗脳なり抹殺なりしてくんねえかな」
「うふっ。私、気が変わりました。あのババアの玩具にされちゃうなんて、お兄さんがかわいそうです。だから、この私がこっそりそのお兄さんの不思議の解明をしつつ、可愛がってあげますからね」
そう言うと天使ちゃんは俺に抱きついてきた。それと同時に俺の意識は再び飛んでしまった。
気づくと俺は自分の部屋のベッドで寝ていた。
「夢?」
いやそれはない。俺の頭の中にはあのあとの記憶が断片的にはだが、鮮明に残っていた。ああ、何やってんだ俺……。
俺は充電したままのスマホを見る。
「はあ!? おいおい、もう二週間たってるぞ!」
落ち着け俺。あの空間とは時間の流れが違うのか? 飲まず食わずで二週間も過ごせるはずがない。俺は冷蔵庫を開くが、俺が公園に出かける前にみた記憶のままの状態だった。次にテレビをつけた。朝のニュース番組だ。たしかに日付も二週間後の今日で間違いはなかった。
『ここで速報です。これまで続いていた……』
俺は目と耳を疑った。世界が見守っていた大きな戦争のひとつが終わりを告げたらしい。それも両国首脳の合意の上での和平が実現するという。続くニュースは昨夜の内容で、中東情勢だったがこちらのほうがより複雑な問題を抱えていたと思うが、完全停戦をしたという内容だった。この状況こそが夢なのではないかと、俺は頬をつねるというベタなことを人生はじめてリアルでやることになった。何がどうなったらこういうことになるんだ? 混乱したまま俺は洗面所で顔を洗う。すると玄関のチャイムが鳴った。二週間も不在にしてたら宅配やら郵便やら来るであろうと玄関の扉を開けた。
「おっはよー、お兄さーん」
俺はすぐに彼女から目を逸らし、斜め45度を見上げる。空は公園で見たのと同様の雲一つない秋の青空が広がっていた。
※これはこの話を読んでくれたあなたの世界とは、ちょっと異なる世界線に生きる俺の話。あなたの世界にも平和が訪れることを俺は心から願っている。
了
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