赤い湿地帯

同志書記長

第1話


 この世が有限で無かったら、人はどれ程幸福に生きられたのであろうか。しかし、命が有限でないとするなら、その状態は生きていると呼べるのであろうか。

 無限の世界に資本主義は必要なく、それと同じで共産主義も不必要になる。経済という概念さえ、無用の長物になり、国家、社会、あらゆる組織がそれに準ずる。

 不幸の無い世界に、幸福が存在するのかは定かではない。我々はそれぞれの尺度にしろ、不幸というキャラクターが登場しない人生を送ることはできないからだ。幸福は、勿論不幸もであるが、全ては相対的である。故に何かが無くなれば、その対極に位置する大事なものも消えてしまうような気がしてならない。

 

 惑星リューリクは、その名を聞いただけで凍えると言われるほど極寒の惑星である。しかしながら、その永久凍土の下に埋まる膨大な資源を採掘するため、ごく僅かながら人間が居住していた。

 ……ひとえに、党の為ではあるが。

 リューリクの中心都市は赤道直下にあたる寒帯(地球基準)に建設されたノヴォグラードである。この都市は「効率」を重視した結果、箱だけで形作られたような無表情な都市となっている。唯一、温度を感じる建物は、党の権威を示すために建設されたリューリク地方評議会政府庁舎だ。旧時代的なネオ・ロマネスク様式で建てられており、周囲にある建物のほとんどが凹凸の無いものだから、失笑ものの景観となっている。

 しかし、失笑は起きない。失笑した者は、皆一様に消息を絶つためである。

 だが、それも昔の話。長年にわたって銀河を分断した大戦の後、占領軍が進駐してきてからは、この国も星も、変革が求められるようになってきている。それは日常生活にも表れ始めていた。

 

 雪に覆われた大通りを行く壮年の紳士、リンクス・コウネリウスは、この土地の出身者ではない。しかしながら、この極寒に身を投じているのは彼の祖国であるオーランド惑星連合からとある仕事を依頼されてのことだった。

 「まったく、こんな田舎まで来させやがって……」

 文句と共に白い息が出る。この星の基準では、これが熱帯というのだから、ケッペンは怒ってもいいだろう。

 リンクスは傍らを歩く少女を一瞥すると、少し自分が情けない気持ちになった。

 「教授、寒いですね」

 言葉にしてみればそれだけだが、少女……シエナ・イーリスの声の抑揚から感じ取れる感情の中には、確実に少し喜びを感じている部分がある。

 シエナにとっては、寒い、というのが初めてなのだ。何事も最初は楽しいもので、興味深く感じるということを大人という年になっていたからか、リンクスは忘れていた。

 「そうだね、この星は恒星から生物が生きられる生存可能域の最も端にあるから、日光が弱いんだ」

 ……恐らく、人が入植しなければ木すら生えぬまま、膨張した恒星に飲み込まれていただろう。このリューリクに生える植物は全て地球が原産となったものの子孫たちだ。

 「だが、本当によく着いてきてくれたよ」

 零れ落ちるようにリンクスは声帯を震わせた。

 「政府の命令ですから、これも職務に含まれます」

 この問答は何度も繰り返した。だが、未だにリンクスはこの反応に馴染むことができない。普通の少女、と形容するのが相応しいシエナに職務だの、政府の命令だの、という言葉は似合わない。

 「いつか、君自身が興味を持って私と共に旅をしてくれると嬉しいね」

 しかし、リンクス自身が興味を持っているわけではないが。

 

 事の発端は数か月前に遡る。

 その日オーランド惑星連合の本部が置かれている惑星ネルソンの中心地コーンウェルで大学の教鞭をとっていたリンクスはため息をついた。

 「なんだ、誰も居ないじゃないか」

 早朝からの講義だったことも助けて、この講義に参加者は居なかった。別に監視する人間がいるわけでもなかったのでリンクスは携帯端末を取り出し、指でスクロールしながら株価やニュースの欄を適当に流し読む。

 途中、一瞬だけマッチングアプリに指が触れそうになったのは気の迷いではないだろう。既に妙齢に到達していながら、独身であることを気にしないではなかった。

 この年まで独身でいるのだから、当然ながら行動力が無いことは明白で、彼がアプリに触れなかったのもそのあたりの性分に起因している。

 「コウネリウス教授の教室はこちらですか」

 不意に声を掛けられたので椅子から立ち上がり、教室の椅子の方に目線を合わせると、丸々とした体形が特徴的で、酸性の匂いが鼻を襲う中年の男が教室へと入って来た。

 「ええ、もっともこの様なので授業こそしていませんが……。何か私に御用ですか?」

 そう言うと中年の男はネクタイを少しいじって威厳を演出すると、

 「私は宇宙軍参謀本部直属、戦史研究科のジョン・スレイマンです。此度の大戦もいよいよ終結が見えてきたという事で、正しい歴史を編纂するために教授には解放された星系でインタビューを行っていただき、最終的には参謀本部へ提出していただきたいのです」

 どうやら、彼らはプロパガンダを必要としているらしい。

 「その記録は国立図書館で保管されるのでしょう」

 窓の先に咲くヒマワリを眺めながら、リンクスは尋ねた。

 「ええ、勿論です。名誉ある仕事でしょう?」

 すかさず、ジョンはリンクスへ笑顔で返答した。

 

 勝ち誇ったようにリンクスは彼へこう告げる。

 「名誉があっても、夫婦(しあわせ)にはなれませんから!!」

 ……その様な無益な妄想が搔き立てられたリンクスであったが、政府のプロパガンダを書いた人間として歴史に残るのには嫌悪感を感じていた。

 「その様な名誉あるお仕事、凡才の私より、非凡な先生方に頼めばよいのでは?」

 提案するように、柔和な声でジョンへそう言ったが……。ジョンはすっかり困った顔をしてしまった。悪い人ではないのだろうが、柔軟性がないから後方勤務なのだろう。本来ならば、その逆であるべきだが、柔軟性がない前線の兵士が迎える運命は最初から決まってしまっている。

 「実は、事情があるのです」

 少し困惑した後に、ジョンは真剣な表情でリンクスを見つめながら背筋を伸ばした。

 「まず第一に寒冷な星系が多く、若い学者にしか依頼できなかったこと。そして第二に教授は一時期前線に出ていたと聞きます」

 ここまで喋った後にジョンは一息置いた。

 「単刀直入にお聞きしますが、『ヴァルキューレ』をご存じですか?」

 

 

 その問いに対して、首を縦に振っただけでこの極寒送りである。共産主義ではないだけで、オーランド惑星連合だって地球に存在したソビエト連邦という国のシベリア送りの精神を持っているのかもしれない。

 「教授、あそこの住居の三階に今回インタビューする人が住んでいるらしいです」

 シエナは無表情で指を刺し、リンクスにそう告げた。

 「どうしたんだ、難しそうな顔をして」

 リンクスがそう尋ねると、暫し沈黙を保った後にシエナは答えた。

「いえ、捕虜への尋問以外でこの国の人に接した記憶がなかったもので、どのような気持ちや表情で挑んでいいのか、少しわからないのです」

寒さ故に口から吐き出された白い息を手袋で覆って暖を取っている少女が言うには、あまりにアヴァンギャルドなセリフだったもので一瞬リンクスは黙り込んでしまう。

一教育関係者として、少女をこう育てた国家に対して憎悪で体が焼け朽ちてしまいそうだったが、手に力を込めて怒りを制御するしかなかった。

「基本は私が聞くからおとなしくしていればいいのだけれど、もし気になることがあるのなら私と話すときのように変に緊張せずにしゃべりなさい」

シエナは完璧に納得したとは言い難そうだったが、それ以上の言葉も思いつかなかったのか、思いつけなかったのかそれ以上の問答は無かった。

階段をゆっくり、しかし確実に三階まで上がった二人は目的の部屋の前で深呼吸するとチャイムを鳴らした。

「イワン・ヴォロシーロフさんですか」

シエナが寸分たがえぬ抑揚で尋ねた。それ故に、感情が見えない。

「はい、オーランドの方ですよね、今扉を開けますから」

どんどんと、すこし激しい音がした後彼は扉を開けた。

「!」

彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに家の中へリンクスとシエナを招き入れた。

外の絶対零度と対照的に、暖色が占める室内は温度管理システムで快適な温度にされていた。

「紅茶にはジャムを入れますか?……オーランドではその風習はないんでしたか」

ダイニングに座らされたシエナとリンクスは何を言うまでもなくキッチンへ向かったイワンから応接されていた。

「いえ、私は是非ジャムを入れていただきます。我が国ではなかなかお目にすらかかれませんから」

リンクスはそういうと目線をシエナに向けた。

「私もそのように」

促された形になってシエナはそう答えた。先程から少し挙動不審だが、看過できない程怪しいというわけでもないのでリンクスは放っておいている。

彼が数分もせずにティーカップをダイニングテーブルの上に無駄のない挙動で配置するとリンクスとシエナの反対側の椅子に腰かけた。

何とも言えない沈黙がダイニングを包む。勝者と敗者、理解と無理解が錯綜する中で、次に生むべき言葉を見失っている。

「しかし、酔狂なものです」

リンクスが零した言葉はそのようなものだった。

「間違いのない戦争の歴史の継承など、不可能なのに」

窓の外の吹雪は強さを増して、部屋の中と外をより隔絶した印象を与えている。

「恐らくこれから私がお聞きした事の半分以上がオーランド当局によってもみ消されます」

彼は一瞬驚いたような顔をした後に、すぐ慈しむような表情を見せた。どのような感情か、リンクスは想像できない。

「ええ、わかっています。これからもそのように少しずつ私達は無かったことにされる」

彼は窓の外へ目線を向ける。


「残るのは感情だけだ」


感情だけ。

その言葉にどれ程の意味が込められているのかは定かではない。しかし、残った感情にどれ程の価値を持っているのか。

「人類も人の集まりですから、なんども復習しないと忘れてしまうのでしょう」

リンクスは悲劇、惨劇をそのように表現した。それら悲劇と惨劇はいつか喜劇になり、最後は忘れ去られて、人々は次なる悲劇と惨劇を求める。

「では、お話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」




〈当局の検閲を避けるためにリンクス・コウネリウスが残した手記を参照して再現した〉


……この話を理解するためには、戦前、戦中、戦後の銀河情勢について教科書並みの知識を理解する必要がある。

大戦直前、銀河は三つの勢力に分裂していた。最大の勢力であるカレリア・コミューンは集産主義と民主集中制によって一党独裁政治が行われており、その軍事力も他の勢力と比較して群を抜いていた。

そして次なる勢力はオーレリア惑星連合が率いる旧銀河連邦の伝統を色濃く継ぐ勢力である。この勢力は資本主義、帝国主義、地方自治、の三原則によって成立する同盟であり、あくまでもオーレリアはその主導権を握るに過ぎない。大半の国家が王権を持ち議院内閣制を採用している。銀河標準語であるオーレリア語を公用語とし、経済力と軍事力のバランスが良いのが特徴である。一方で貴族や階級が希薄ながら存在し、旧時代と新時代の要素を併せ持つ勢力と言える。

最後の勢力がアルテミス共和国であり、徹底した資本主義と執政官制の民主主義国家である。銀河連邦崩壊後、銀河を分断したオーレリアとカレリアに分割されたアルテミス共和国領土であったが、同地の民衆が独立運動を展開し二百年前のサンバ・テルミニ星域会戦にてオーレリア・カレリア連合軍を撃破し独立を宣言した国家である。現代においては最も勢いがある勢力であり、三番目の勢力圏でありながら経済力が最も高い。

三勢力間の果てしない策謀の駆け引きは結果的な大破綻を生むこととなる。

既に伏線は一世紀前から張られており、我々が認知する世界である「銀河」の外から飛来した大小惑星軍団は各国の尽力もむなしく二十八の星系を完全に破壊し、二百五十の惑星に隕石として落下した。半世紀をかけて銀河を横断した大小惑星軍団は数百億の人間の消息を不明とした。

大量の難民が発生し、社会不安が増大した結果辺境星域での反乱が各勢力で繰り返され各国は徐々にその強力な力を失っていくこととなる。

この時点で惨劇という大河川を未だ能力のままに暴れさせなかったのは人類には食料というダムが存在していたからである。

だが、カレリア・コミューンで発生した大飢饉によって食料安全保障が同国で崩壊しダムは決壊した。カレリア全国代表委員会は「人民の食糧確保」の為にオーレリア侵攻を決定し、カレリアは史上最大の略奪軍を組織することとなった。

このカレリアにおける大飢饉は防ぐことが可能であったと後世の学者たちは証明している。カレリアが生産する主要穀物はライ麦の改良種のみであり、これが飢饉や作物の疫病に過度に弱い農業生産を行っていた事実は否定できない。

実際、ライ麦が過剰に生産されていた背景にはカレリア建国の革命家レフ・アンドロポフと親交を持っていた農学者ジョゼフ・ジュガシビリ教授の考案したジュガシビリ農法が全カレリア人民労働党によって強制されていたことが主な要因である。

何にせよ六年前、カレリア人民解放軍は「解放」を口実にオーレリアへ「略奪」を働くべく侵攻した。当初半年でオーレリア首都まで迫った同軍であったが、侵攻を最初に受けたうえで補給基地となっていたローンウェル星系をオーレリア軍が奪還するとカレリア軍は補給ができないまま壊滅してしまう。

同時期にオーレリア政府の交渉が実りカレリア領の分割などを条件にアルテミスが参戦。戦争は一年以内に集結すると考えられていた。

しかしオーレリア・アルテミス連合軍が国境地帯での制圧作戦に手間取るとカレリアが設定した第二防衛線で戦線は停滞してしまう。

これはカレリア・コミューン首相ミハイ・マレンコフが戦争遂行能力を高めるために、それまでカレリア軍を指導していた参謀本部を解体し国防人民委員長アレクサンドル・チャウシェスクを議長としたうえで、新たに戦時総司令部大本営を設置したことで国家総力戦体制が整ったためである。

所謂タカ派のマレンコフに対してハト派のチャウシェスクは国内で防衛戦を行い、敵の消耗を誘う事で戦争終結を目指す方針を取り、侵攻用の新艦隊計画を破棄・凍結し、それら物資を輸送艦の護衛艦と防衛戦へ優先的に回したことにより補給線が伸び切っていた連合軍に対して有利に働くこととなったのである。チャウシェスクの補給重視の方針によって大半の人民の避難は無視され、膨大な屍が積み重なることとなった。


その第二防衛線の一角、惑星ディーヴァノビルスクは惑星の大半が湿地帯に覆われた惑星である。

かつてはジュガシビリ農法以外の水田が広がる飢饉の影響が比較的少なかった地域で、難民が集中したことからカレリア支配地域でも有数の人口集中地帯になった瞬間も存在したが、同地に連合軍が降下すると、同地の住民は全員死亡扱いになり地元の住民を無視した作戦が平気で横行していたとされる(これは他の第二防衛線の地域も同様)。




(二年前)

「まぁ、タバコでも吸うか?」

ちょっと前に配備されたというウラジーミル・トレポチェフという男は涼しい顔をしながら煙草と大麻をふかした。他人が嘔吐しているのすら日常茶飯事らしい。

「いや、今はそんな気分じゃないんです」

私はそう言ったが。

「どうせ、現代の戦争をロボットに乗って戦うと思ってた口だろう……。まぁ、俺もなんだが」

トレポチェフはこちらに近づいてくる。

「これを見るには薬くらいやらないと、何かをする前に気が狂っちまう」

するとトレポチェフはキャンプファイヤ―を囲む兵士たちの方へ視線を流した。

「あなたたちは、いつもそうなんですか……!!」

その問い大してトレポチェフは少し顎に手を当てて考える仕草をしたものの、観念したのか、白状するような口調で私に告げた。

「ああ、毎日人を食ってる」

その言葉を聞いて初めて自分が狂気の世界に身を投じたことを悟った。



「なんで、俺たちはロボットで戦わないんですかね」

この戦場に来て一か月。戦闘に死ぬこと、戦闘を経験することなく塹壕にこもる日々が続いた。

「アホか、仮にどんなに速くロボットが動いたとしても、あの巨体じゃ大きな的だ。それに経済的に効率が悪い。一体作るのにどれくらいの金を使うのか。……結論だけ言うならロボットの装備だけを生産して、前線で一般兵器として使う方がよっぽど理にかなってるよ」

丁寧にトレポチェフは教えてくれた。だが、同時にこれからもロボット兵器が登場しないという現実を教えられて夢はついえた。

「今の辺境開発用の多目的重機ってのがちょうどだ」

面白くないから、反論した。

「ですが、こんな塹壕にこもって敵っぽいのが見えたらこのライフルで発砲するなんて……古代の戦い方だ」

「ライフル、じゃなくてボルトアクションブラスターな、今の技術じゃレーザーを一発撃つと銃身が熱くなるから冷やすにはボルトを開閉するのが合理的なんだよ」

何でこの人はこんなに学がありそうなのにこの線上にいるんだ……?

「同志トレポチェフ中尉、質問があります」

「どうした、同志イワン少尉。って、同志なんて単語、指揮官以外が喋るのは、なにか違和感があるな」

正式な呼び方をされることが少ないのか、トレポチェフは頭を掻いた。

「なぜ中尉は、戦場に居るのです?」

その言葉を聞いたトレポチェフは少し以外だったのか驚いた表情を見せたが、数秒の内に寂しげな顔に代わり、ただ一言。

「若気の至り、さ」

彼は軍帽を深く被りなおした。

それを見ていると、どうしても次の言葉が発音できなかった。しかし数分も経たないうちに塹壕に居る兵士の一人がこう声を上げた。

「みんな、食べ物を取りに行こう」

……もうそんな時間か。私たちの小隊は塹壕を別の部隊に任せて近くにある村へと足を運んだ。

「ここは、なるほど」

村は堀で囲まれ、門には『シヴィル・ディフェンス』と書かれている。死んだとされる人々が、自警団を組織しているのは失笑ものだ。

「私たちは解放軍です、門を開けてくれませんか?」

交渉役の大尉が、門をたたいてそう言った。すると次の瞬間大尉は門の隙間から槍で突き殺され、村を囲む壁の上から村人によって弓矢が放たれた。

「立ち去れ!!ここに食料はない!!」

迫真の絶叫である。……しかし、彼らは根本的な勘違いをしている。恐らく、周囲の村ともめて孤立していたのだろうが……。

我々の目的は食料を村から簒奪することではない。

村人を食料とすることなのだ。


我々は絶叫を聴き、笑みを浮かべてライフルを村人へと向けた。いつもなら命乞いをされるから多少なりとも心苦しいが、今日は先に向こうが手を出したのだ。言い訳ができる、大義名分が、ある。


迷い無く数人の村人が射殺され、木造の防壁と門には火がかけられる。村人の悲鳴が嗜虐心を刺激し、村の中へ小隊がなだれ込む。

「アハハハッハハハハ、この獲物は足が遅いからよく弾が当たる!!」

自分が撃った球で人が倒れるのが面白いのか、皆一様に鼻歌を歌いながらトリガーを引き、そしてボルトの操作を繰り返す。

「もっと本気で逃げろよなぁ……!!」

兵士の一人は投げナイフで遊んでいる。各地から、断末魔が木霊して、命が弄ばれる。

「おっ、お前らは俺たちを守る軍なんじゃないのかっ!!」

村人の一人が振り向き反論するが、

「悪いな、死人までは守れないんだわ」

頭を撃ち抜かれてしまう。


これがこの惑星の現状。地獄の釜の蓋が開いた後の様な惨劇が各地で繰り広げられている。七十億を数えた人口はすでに半数を切っているだろう。

殺戮・カニバリズム・麻薬・性別を問わない性的暴行の横行・国際法違反の兵器の市民への使用までこの世の悪とするべき全てがカレリアの第二防衛線では行われていた。これは補給線が伸びたオーレリア軍でも同様なことが起こっていたようで、反対側の塹壕の先から火の手が上がることは珍しくない。



戦場に来てから一年半経った。

「同志アレクセイ・ティモシェンコ将軍から命令が下達された。即ち我が軍は惑星ディーヴァノビルスク全土を奪還する攻勢作戦を決行する」

大佐と呼ばれる師団長が、私達に説明を始める。二年ぶりの戦闘となるらしい。どうやら、連合軍とカレリアの間では互いに大規模な陸戦を行わないという協定があったようなのだが……。

数週間前、オーランド軍宇宙艦隊にカレリア軍本土決戦艦隊が敗北。いよいよ戦争も最終局面へと突入したらしい。そう、無謀な『最後の大攻勢』という局面へ。



鉄条網を乗り越えて、太陽を背に、泥の中を駆け出す。次々と頭を出した兵士たちが反対側の塹壕から実用化されたレーザー機関砲で一人、また一人と力なく倒れていく。中には砲撃のクレータでできた水溜まりに堕ちてそのままおぼれて死んだ人間もいた。

地面が泥なので軍靴を動かすたびに不快に感じる。

……刹那、眼前の空中で砲弾がさく裂し衝撃波と光、そして激しい熱が体を襲い軽く三メートルほど吹っ飛ばされた。

「みんな、ガスマスクをつけろっ!!」

国際法で禁止された毒ガスが敵陣地から流されたようだ。既に目が痛いが、最後の力でズボンの左足ポケットの中からガスマスクを取り出し、頭を上げて腕を後ろに回してマスクをつける。

誰も彼も古代のペスト医師のような不気味な格好になり、死神のようにも見えた。

1人の兵士が右手から立ち上がり火炎放射器を敵陣地に向けて使用し、塹壕から集団の悲鳴が聞こえてくる。そこで機関砲が止み、我々は初めて敵の塹壕へ突入した。


酷い有様だった。

恐らく現地住民であったであろう女性の死体が服などをはぎ取られ、一部が腐敗した状態で吊るされており、塹壕内は焼け焦げた死体と死臭が充満した世界だった。

しかしまるでそれを皮肉る様に、兵士たちの墓には十字架が立てられている。我が軍も似たようなものであるが、墓は無い分、やはりオーレリア軍の方が、幾分か余裕があるのかもしれない。

久方ぶりにパンを見たが、その端に震える敵の姿を私は見逃さなかった。すかさず、手に持っていたシャベルを震える彼へ振り下ろして殺した。

この戦場での命の価値と言ったらどれほどのものなのだろうか。恐らく、パンより価値は少ない。誰も他人の死など気にはしない。

死はありふれていて、すぐ隣に潜むこともなく佇んでいる。


そこから戦線は流動性を持ち始めた。

我々は敵の前線を二百キロにわたり突破し、殺した敵兵の肉を喰らって狂い生きた。どこかの部隊ではお互いを食ったという話を聞いたが、恐らく、眉唾物だと信じている。

「同志ティモシェンコ将軍、このペースでは62億年後に敵に勝利できます!!」

兵士の一人が、聞いたこともない森の行軍中にそう言って笑った。

すると後方にいた大佐が、怒鳴るでもなく彼を射殺した。仲間が撃ち殺されたのにもかかわらず部隊は笑いに包まれた。間抜けな奴だ、馬鹿は死ぬ運命だ、誰もがそう言って屍を踏みつけた。

この世界に友軍も同志も本当は居ないのだという事を我々は本能的に知っていたのだ……。


しかし冗談を言って一人の兵士が殺されてから数分もしないうちに森の中で潜む影が我々に襲い掛かった。

それは、非常に不思議で、残虐で、最悪だった。それと同時にこの地獄に似つかわしくない程美しい光景だった。

……天使が、死神を討ち取っている!!


同じ顔をした少女達が始めたのは決して歌劇などではなく殺戮だった。幼さが残る体に一瞬見えるソレは、恐らく計算されているのだろう、華奢でありながらバランスよく筋肉がついている。それ故に発揮されるパフォーマンスは到底人間とは思えぬ速度と強度を誇った。

「あはははははは、みんな、みんな死んだぞぉ」

だが、この場合の死は救いかもしれない。

誰もが、死を受け入れ、抵抗をやめて首を差し出す。


みんな、みんな、これ以上、罪を重ねたくなどなかったのかもしれない。

少女兵たちは困惑しながら、一人ずつカレリア兵の首を切り落とす。誰もが満足そうな表情で死を迎えていく。かくいう私も首を差し出していた。


……だが私とトレポチェフは殺されずに敵の陣地へと運び込まれた。まさか、彼女たちに良心が芽生えたのか。いや、ないだろう、あれは最近噂の人間のまがい物、クローン兵器なのだから。


「お前ら二人に拳銃を渡して密室へ入れる。殺し合って生き残った方が、もう片方の肉を喰らったら生かしてやるよ」

オーレリア人が語ったのはそういう内容だった。


「……」

「……」

密室に入れられた二人の間を沈黙が駆け抜けた。迷い無く抜かれた拳銃はトレポチェフの体を撃った。そして倒れ逝くトレポチェフは最期にこう言った。

「トレポチェフ、なんで僕を……!!」

イワンは生きるためにトレポチェフを喰らう。


〈引用をここで終える〉


この壮大なインタビューを終えたリンクスとシエナは再び雪の中へ戻っていた。

「どういう事なんでしょう、トレポチェフさんは何故自分の名前を最期に呼んだのでしょうか?」

それを聞いたリンクスは苦虫を嚙み潰したような表情を見せてこう言った。

「イワン・ヴォロシーロフは死んでいたのさ」

シエナの凍り付いた表情が動く。

「今日の語り部はイワン・ヴォロシーロフなんかじゃない。クリーク・トレポチェフだったというわけだ。」

シエナは目を震わせる。瞬間風が彼らを殴って、巻き上がった粉雪が淡白な世界を作り出す。

「な、なんでヴォロシーロフさんと名乗って……!!」

青くなった唇から紡がれる言葉は相変わらず短いままだが、声が多少上ずって抑揚がおかしい。

「他人を食った人間がまともなままで居られるわけがない」


「それが生き残った彼に下った罰だ」


顔面蒼白で、言葉を失うシエナはリンクスの眼前で歩みを止めてしまう。歩き出す、新たな一歩を踏む気分になれないんだろう。

(アルテミスのヴァルキューレ、クローンであって心はあるのか)

何故、リンクスは心が無いと思っていたのか自分でも今となっては解らない。

「だが良かったじゃないか、君は一人の人間をああいう形であっても生かしたんだ」

リンクスは肩を掴んで揺らしながらそう言う。

「……!!なんで、わがって!!」

それには答えないままリンクスは歩みを進める。今の時代は、そういう時代だ。過去に捉われたままで飯を食えるほどやさしい時代ではない。

「さあ、シエナ。歴史の勉強をしよう」

リンクスは歩みを止めたままのシエナへ語り掛けた。

「感情的に戦争を捉えるのは間違っていないが、生き残った我々に求められるのは、どのように次なる戦争を先にするか、ということだ」


「恒久平和など不可能だ、だから我々は感情で覚えようとするが、所詮は記録に残らぬ感情。私達考古学者が必要とされるのは考察と証明、記録だ。その為には感情に縛られて戦争と人間の真実から目を逸らしてはいけない。惨劇を繰り返さぬために必要なのは共感力ではなく、説得力だよ」



 

この星、リューリクの吹雪はやむことが無かったのかもしれない。しかしいつの日か人類がこの厚い雲を晴らし、その先の星の海へと漕ぎ出す様が見れることを、確信している。

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