第16話 お姉さまから、お嫁さまに
修道院での生活は、シンプルなものだった。祈りと奉仕。
淡々と手をうごかし、祈りながら自分を見つめる。
――だから、ルミナが考える時間はたっぷりあった。
(私の、結婚について……)
ミシェルに押される形で承知してしまったが、結婚は一生のことだ。
(おじさまはいいと言ってくださったけれど、周りはどう思うかしら。そして肝心の――ミシェル自身にとって、いいことなのかしら)
祈りの生活の中、ルミナはそのことについて、じっくり考えてみた。
(……ミシェルは私のことを、女性として見て……いるのかしら?)
ずっと、母のように慕われていたのだ。そう言われても、ピンとこない。
しかし、ここにいる数年の間に、次々と判明した事実があった。
(ミシェルの手紙……)
修道院に入ってからは、外部との接触は最低限となる。ルミナは一度もミシェルに会う事はなかったが、手紙のやりとりだけは行うことができた。
ミシェルはよく、過去のことを手紙に書いてくれていた。
――ルミナと距離を取っていた9年間、ずっとルミナのことだけを考えていたこと。
――卒業前の数か月間、ルミナと一緒に過ごした日々が、とても幸せに感じたこと。
またあの時のように一緒に暮らしたい、至らない自分だけど、できるすべての力で姉さまにふさわしい男になるため努力している、と、毎回手紙には書き綴られていた。
離れていた9年間の溝を埋めるように、ミシェルからの手紙は、彼の心情があふれんばかりであった。
時にルミナが赤面してしまうほどに、ミシェルはストレートに、自分の気持ちを書いていた。
『姉さまを待つのは僕の喜びです。毎日が過ぎるのが嬉しいのです。だって僕たちは夫婦になるのだから』
『新しい職場では、僕はフィアンセがいると最初から宣言しています。幸せなやつだと、上司からはからかわれます』
『僕にとって、姉さまはすべてなんです』
『姉さま、早く会いたい。でも、喜んで待っています』
三日とおかずに、手紙は送られてくる。
それでルミナはさすがに――彼の気持ちを、認めざるを得なかったのだった。
彼は掛け値なしにルミナを求めており、彼の幸福のためには、おそらく自分が一緒になるしかない、と。
もし断りでもしたら、また悪魔と契約しかねない。
(いいわ、今までときっと変わらない。少し戸惑うけど――姉弟みたいに、仲の良い夫婦になるわ、きっと)
◆
その日は折よく、晴天だった。
(やった……晴れた!)
ミシェルはベッドから出て身なりをととのえた。
――今日のために用意した特別なダークスーツに、磨き上げた革靴。教会用のタイ。
(何しろ、神から姉さまを返してもらうんだから……きちんと敬意を払わないとね)
あれからルミナは、予定通りに有期誓願を行い修道女となり、3年間、森の中の修道院で、修道女としての活動を行っていた。
会う事はかなわなかったが、ルミナはよく手紙を書いて、ミシェルに送ってくれた。
とうてい叶わないと思っていた願いが叶うのだ。――だからたった三年くらい、待つのは苦でなかった。何より修道院は女子しかいないから、無駄な心配もない。
が、ルミナからの手紙は、あえない期間、おおいにミシェルを慰め、励ましてくれた。
(お優しい姉さま――今日、三年ぶりに会える)
ルミナは24、ミシェルは21になっていた。ミシェルは今、学校を無事卒業し、政府主導の研究所にて、仕事についている。
父の威光を借りることもなく――『呪いを愛するミシェル』とあだ名されていたほど、悪魔の研究に没頭し、地獄へ行く魔法陣を開発するほどの功績を成し遂げたミシェルは、研究所でもその実力をいかんなく発揮していた。
ミシェルは浮き立つ気持ちを抑える努力をしながら、ルミナとの約束の修道院へと向かった。
乗り心地のよい一等馬車を借りて、修道院の小道をゆく。
(姉さま……ああ、やっと会える)
馬車に揺られながら、ミシェルはほんの少し――不安でもあった。
(姉さまはこの3年間のあいだに、心変わり……してないかな)
手紙には、いつも他愛ないことしか書いていなかった。
そもそもミシェルとの結婚をルミナが同意してくれたのは、おそらく同情からであった。
(姉さまは、僕を弟としてしか見てない。だから……)
しかし修道院の門が見えてきて、ミシェルはいったんその不安を保留にした。
――門の向こうに、ルミナの姿が見える。
走り出したくなるのをこらえて、馬車から降りた。
「姉さま……!」
3年ぶりに見るルミナは、何一つ変わらない笑顔で、それでいて、照り輝かんばかりの美しさが増していた。
「姉さま、お迎えに上がりました。皆さんへの挨拶は大丈夫ですか」
ルミナは小さなトランクを一つ持って、門から出た。
「ええ、もう済ませたわ。ありがとうミシェル、迎えにきてくれて」
「当然です。この日をもうずっと……ずーっとずーっと待っていたんですから」
まぁ、とルミナは微笑んだ。小さな鈴を鳴らしたような、快い笑い声。
彼女を馬車に乗せ、ミシェルは切り出した。
「姉さま……僕と本当に、結婚してくださいますか」
ルミナはちょっと目を見開いたあと、またその目を細めた。
「ええ、約束をたがえたりしないわ。私たち、今までと同じに――仲良く暮らしていきましょうね」
ルミナが穏やかにそう言ったので、ミシェルは安心したのと同時に、いわくいいがたい気持ちが湧き上がった。
「嬉しいです。姉さま――それなら、ルミナと呼んでもいいですか?」
「ええ、もちろん」
まだ穏やかに笑っているルミナの頬に、ミシェルは触れた。
「僕にキスを許してくれますか、ルミナ」
「まあ、改まってどうしたの」
ルミナは優しくミシェルの手を取って、そのまま昔してくれたように――ミシェルの頬に唇を寄せた。
(姉さまが、まだ僕を『弟』としてしか見ていないのはわかりきっている。それなら……)
「姉さま、嬉しいけれど、そこじゃないんです」
ミシェルはその口づけを受け入れたあと、ルミナの唇を奪った。
(――男として意識してもらえるよう、努力すればいいだけさ)
「⁉」
「口にキスされるのは初めてですよね? 姉さま」
言いながら顔を離すと、ルミナは驚いて――そして真っ赤になっていた。
「そ、それはそうだけれど……」
その様子を見て、ミシェルは微笑んだ。
「僕たち、姉弟から――まず恋人になりましょう、ルミナ姉さま」
ミシェルはルミナの手をそっと取った。
「でも、無理強いはしません。姉さまが全部、うんっていうまで待ちます。キスも、デートも、その先も」
そしてその手に、ミシェルはうやうやしく口づけた。
「ま、まぁ……ミシェル、いつのまに、そんな……」
大人みたいになっちゃって。ルミナははにかみながら、そうつぶやいた。
「ルミナ、頬が真っ赤です――かわいい」
「えっ」
――二人の恋愛は、いま始まったばかり。
僕のお姉さま @SHOUSETUMIKAN
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