花舞う霊園

六番

花舞う霊園

 難病で入院中の妹に「霊園に行きたい」と言われたとき、私は狼狽した。妹の余命宣告がされた日のことだった。

 主治医からそれを聞かされたときの妹は、私が歯を食いしばり嗚咽をこらえている横で特に動揺することもなく淡々と話を聞き入れていた。大学生になったばかりの妹にとってあまりにも衝撃の大き過ぎる告知のはずなのに、その様子はまるで他人事の話に付き合っているようにも見えた。

「花がこぼれ咲く、穏やかで美しい場所がいい」

 しかし、死者が眠る場所への願望を口にするその表情は、にじり寄る死の影と対峙しているかのように深刻なものだった。

 私はそれを見て、妹をおずおずと抱きしめた。痩せぎすの身体は死そのものを内包しているみたいに鈍い冷たさで、私の心の奥底からじわじわと不安が沸き上がった。

「お姉ちゃん、私は大丈夫だよ」

 そんな私の震える体をそっと抱き寄せて、妹は耳元で囁いた。その声からは確かな力強い意志が感じられ、こんなにも華奢であえかな体から発せられているとはとても思えなかった。


 後日、外出の許可を得て私たちは事前に調べた霊園へと二人で向かった。運転する私の気持ちの重さが反映しているかのような速度で峠道を越え、予想していたよりも遅い時間に到着した。

 私たちの住む街の郊外、大きな川の流域近くに広がる緑豊かな一帯にその霊園はあり、ちょうど見頃を迎えている桜を筆頭に、多様な花が四季折々に咲き揃う大型の公園としても機能している。

 園内を進むと、菜の花や菫、チューリップなど鮮彩な花々が至る所に見られ、辺りは春の甘やかな芳香が絶えず漂っていた。

 昼下がりの長閑な気候の中、名物である桜の見物に来ているのだろうか、人の姿は思っていたよりも見受けられた。しかし、その誰もが慰霊に訪れているかのように押し黙っていて、広大な園内はどこまでも静謐を湛えている。

「写真で見るよりも雰囲気がいいね」

 妹は安寧たる時の流れを噛みしめるように、ゆっくりと歩きながらしきりに周囲を眺め回して顔を綻ばせた。そのあどけない様子を見ている内に、陰鬱だった私の心も段々と軽くなっていった。


 ほどなくして、いくつもの桜の木々に囲まれた墓地のエリアに入ると、私たちは整然と並ぶ数々の墓を見つめて暫く沈黙した。

 桜によって周囲から断絶された墓地の中はより一層の静寂が満ちていて、隣に立つ妹が漏らした感嘆の息の音さえもよく聞こえた。

「……私、ここで眠りたい」

 妹は正面を見据えたまま密やかに言う。

「こんなにも素敵な場所なら、お姉ちゃんが私を思い出すとき、きっと安らぎで満ち足りた気持ちになれるよね」

 その言葉に私はハッとした。つまり、妹は私を安心させるためにここへ来たのだ。

 思えば、病気が判明してから一度たりとも妹から弱音を聞いたことはなかった。いつだって私のことを慮り、できる限り不安を感じさせないように振る舞ってくれていた。そして、自身にひたひたと迫る死の姿を認めた今も、私が正しく前を向いて進めるようにと、自分がいなくなった後のことを何よりも先に思案している。この美しい霊園は、この世に残る私のためのものなのだ。

 

 気付くと、妹は縋るようにひしと身を寄せながら私の手を弱々しく握っていた。

 そうだ。怖くないはずがない。この小さな体を飲み込もうとする無慈悲な影を妹は直視しているのだ。所構わず泣き叫びたいほどの恐怖を、逃げ場を見つけることができない絶望を、寝ても覚めても絶え間なく感じているに違いない。

 そんな妹に、今まで何をしてあげられただろうか。いや、それよりも、これから何をしてあげられるのだろうか。

 私は何度も手を握り返す。少しでも妹の心がほぐれるようにと願いを込める。しかし、私の心に引っかかる甚だしい無力感はとても拭えそうになかった。

 死という絶対的な存在の前では誰しもが無力であることを、私も妹もきっと頭では理解できている。私たちができるのは、その時を迎える準備を粛々と進めることだけなのだろう。

「お姉ちゃん、私は大丈夫だよ」

 これまでに何度も聞いたその言葉も、今はいじらしい強がりにしか思えない。胸がつまり、返事の代わりに妹の体を静かに抱きしめた。

 立ち並ぶ墓標から呼吸すら聞こえてきそうな静けさの中、不意に吹いた光風が桜の木々の間を通り抜け、私たちの元へほのかな花の香りを届ける。

「見て」

 妹が指差した頭上から、桜の花びらが一片、また一片と舞い落ちてくる。それを見つめる妹の屈託のない笑顔に、私は鮮烈な懐かしさを覚えた。胸に込み上げるものを感じ、そして、強く祈る。

 風よ、もっと強く吹いて。花よ、もっと舞って。私たちの視界が花びらで埋まるくらいに。恐怖も絶望も、全てを覆い隠すように。


 了


https://kakuyomu.jp/users/6b4n/news/16818093083997946741

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花舞う霊園 六番 @6b4n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説