~浅倉悟志の欲望、そして龍村茉莉の告白~
「で、茉莉ちゃん、これ何?」
あたしの前には太い眉をしかめたままの浅倉さん。
「えっと、深町さんの回答です」
や、それはわかってて……と、浅倉さんはグシャグシャとじぶんの髪をかきまわして切なそうにため息をついた。
ここは都内のカフェ。呼び出したのはあたし。場所を指定してきたのは浅倉さん。そして、彼が見つめるのはお兄ちゃんから転送されてきた深町姫香さんのメール。彼女の【I love you 和訳バトン】の返答。
私はあなたの幸せを何よりも望み、また、あなたの望みが叶うことを心から応援しています。
あたしは黙ってその文字を目で追った。
浅倉さんは難しい顔をしてあたしの携帯電話の画面をのぞき見てたけど、ふいに顔をあげ、初めて聞く、ちょっと怖いような声で尋ねてきた。
「茉莉ちゃん、あの人のこと嫌いなの?」
あら、バレちゃってる。
いままでの経緯を思えば当然かな?
じゃあもう隠すのやめる。
「……深町さん自身をどうこうは思ってないです。でも、お兄ちゃんと付き合ってたから」
キライ。
ほんと、ただそれだけ。
あたしからお兄ちゃんを取っていく可能性があるひとだから嫌いなだけ。その他に、嫌うほどの理由もない。よく知らないひとだもの。
わかってる。あたしだって。こんなことを思うのがどんなことかは。
でもあたしはそういう女なの。それはだって、そうなっちゃってるの。しかたないじゃない?
浅倉さんはガリガリ頭をかいて、あの人もこんなとこで因縁つけられて、なんつうか難儀なヒトだよ、とガックリと肩を落としていた。あたし、インネンなんてつけたつもりはないのよ。でも、そう見えるかもね。
ただ浅倉さんはもう、さっきみたいに怖い顔をしていない。あたしが素直にこたえたから、きっと許してくれたんだと思う。
そう安心してたら、
「それで茉莉ちゃんは、これをオレに見せてどうしてほしいの」
て訊かれた。
本当に困った顔をしてるわけじゃないのは見て取れた。もちろん、あたしの願い事をかなえる用意があるってはなしでもなさそうなのもわかる。でも、あたしはあたしの希望をいう。
「お兄ちゃんにあのひとを近づけないでほしいの」
「ああ、まあ、だろうねえ」
浅倉さんは肩をすくめて苦笑した。それからちょっと俯いて、ゆるゆると頭をふってからあたしを見た。
「オレはきみの『お兄ちゃん』じゃないからどんなことでも必ず聞く、なんてことはないってわかってるんだよね?」
「浅倉さんにお願いをしたつもりはないです。そういう言い方になってしまいましたが、そういうはなしじゃないんです。それは、浅倉さんだってわかってると思います」
あたしは別に、浅倉さんに頼みごとをしたつもりはないの。
だって、このひとはそんな優しいひとじゃない。お兄ちゃんみたいに綺麗なきもちのひとでもない。あたしにはわかる。
浅倉さんは黙ってあたしの顔をのぞきこんだままだった。あたしがもういちど口を開きかけたとき、
「茉莉ちゃんは、じぶんが美人で可愛いって知ってるもんね」
ちょっと、驚いた。こういうことを面と向かって言われたことはある。でも、浅倉さんが言うとは思わなかった。
「……知らないで生きていられますか?」
「オレは男だし、その点はわかんないよ。ただ、じぶんの武器を知ってるのは戦いやすいだろうなって思っただけ。まあ、それでいやな目にも合ってるんだろうしこういう言い方は皮肉にも慰めにもなりゃしないんだろうが」
「そうですね」
あたしは素直にうなずいた。あたしの屈託は知られたくない。それに、こんなものは武器ですらない。守りでさえない。ただ、あるだけのもの。
「オレは、茉莉ちゃんとあの人は友達になれるんじゃないかと思ったけど」
「友達はいらないです」
「茉莉ちゃん?」
ただでさえ大きな浅倉さんの目がさらにおおきくなった。
「友達はいりません。そんなにたくさん望んだら、いちばん欲しいものが手に入らなくなりそうでこわいです。あたしは、お兄ちゃんが欲しい。それだけです。他はいらない」
たぶん、浅倉さんは微笑んだ。
きっと。
実際は、下を向いただけなんだけど。
しばらくの沈黙のあと、浅倉さんは何も聞かなかった顔で尋ねてきた。
「で、茉莉ちゃんの回答は?」
「それを知りたいなら先に言わないとだめです」
あたしがそうおねだりしたら、浅倉さんは真顔で返した。
「オレ? オレは、ヤリタイ、かな。ヤらせてください、か。そのどっちか」
「え?」
あたしは声をあげていた。そして慌てて周囲を見渡した。よかった。誰も、聞こえてない。聞こえてたとしても、そっとしておいてくれそうな雰囲気だった。
「浅倉さん、そんなこと大きな声で言わないでください」
大きな声では言ってないよ、と笑う。からかわれたのだと気がついて、あたしは頬を膨らますと浅倉さんは片手をふって。
「や、茉莉ちゃんのほうが絶対ヤバイこと言ってるって。マジで」
「そんなことないです」
「や、あるって。ホントに」
浅倉さんはほんとに困った顔をしてるように見えた。
そうかしら。
でも。
「浅倉さんがはぐらかしたから、教えません」
「ハイ?」
「教えません」
ふいと横を向くと、浅倉さんは呆気にとられた顔をして後またもや肩をすくめてみせた。
「オレにしちゃ最大限にマジレスしたつもりなんだけど、まあ、いいや」
そう呟いて、煙草に火をつけた。
……ああ、そうか。
ここ、喫煙OKなカフェなんだ。
あたしはじっと、「タバコをくゆらす」男のひとの姿を見た。ちょっとかっこよかった。様になってるっていうのかな。
煙を吐き出す横顔を見て、ふと思う。
このひとは、あの「深町サン」というひとの前でもタバコを吸うかしら。断りもなく、火をつけるかしら。
きっと、この件であたしが呼び出したのでなければ、このひとはあたしにもちゃんと断りを入れたようにも思う。気を遣うひとだってことは、あのお兄ちゃんの「友人」をしてるんだから間違いない。お兄ちゃんはとっても神経質だから。
んっと、なるほどね。
なんとなく、わかったかも。
なんとなく、だけど。
お兄ちゃんがこのひとを嫌いで、かつとても好きなのは、こんなところなんじゃないかしら。そう思いながら、「こんな」ってどんななのか自分でも言えなくて、すこし悔しかった。
……そう、
そうなのよね。
あたしは、お兄ちゃんに「友達」がいなくていいとは思わない。
そこまで傲慢になるつもりはないの。
あたしだけを見てほしい。あたしのためだけにそばにいてほしい。そんなふうに願い続けているけれど、お兄ちゃんはそこまであたしを好きじゃない。
だって、あたしを置いて家を出た。
あたし以外のひとと付き合った。きっと、セックスもした。
考えると気がおかしくなりそうだけど、ホントウのこと。
……きっと、そう、なの。
なのにあたしはお兄ちゃんだけ。お兄ちゃんしか好きじゃない。ほかの誰とも付き合ったこともないし、付き合いたいとも思えない。
お兄ちゃんは、深町さんとだって付き合った。何回かデートしただけなのは知ってる。でも、お兄ちゃんは楽しそうだった。浮ついていた。あんなお兄ちゃん、見たことない。あたしが泣いて、仮病をつかって引き止めなかったらもしかして続いてたかもしれない。
あたしがこんなに好きなのに。
あのひとは、ただ同じ大学に通ったってだけでお兄ちゃんを独占し、今またあたしからお兄ちゃんをとろうとする。しかもあのお兄ちゃんに、とても、大事にされてる。あんなふうに気遣ってもらえるなんて……
……ほんとうに、ほんとうに、大嫌い!
「茉莉ちゃんさあ」
浅倉さんに名前を呼ばれて顔をあげる。灰皿にタバコを押し付けて消し、瞳をあわせてくる。
「龍村さんに、ちゃんと告白するといいよ」
「浅倉さん……」
「ことばが欲しいなら、欲しいって言わなきゃ。逃げようもなく追い詰めて、言わせたらいいよ。あの人も、本質的に待ち受け体質だから先に迫ったほうが勝ち」
「浅倉さん、でも」
「でもも何もなくて。安心したいんでしょ? ほんとはじぶんたちの間に誰も入れないってわかってて、それでも不安なら、奪い取るしかないよ。オレは邪魔しない。つうか、早くあんたらが出来上がっちまったほうが気が楽」
……そう、よね。
「深町さんのためにも?」
あたしの質問に、彼は顔色を変えなかった。完璧なポーカーフェイス。
「オレはそんなこと言ってないよ」
「じゃあ、浅倉さんの都合?」
彼は息だけで笑った。そして、面白いこと言うね、と呟いてまたタバコに火をつけようとして、やめた。やめて、かわりに横を向いて窓の外を眺めた。まるであたしが目の前にいないかのような素振りで。
ふーん。
浅倉さんて、そうやって壁をつくるんだ。
このひと、あたしが小説を書いてるって知らないのかしら。
「あの人も」って言ったじゃない?
「も」って同様の副助詞よ。あたし頭悪いけど、国語の成績だけはお兄ちゃんに迫る勢いだったんだから。ことばの端々には敏感なの。副助詞って危ういのよ。本音が出やすい。ひとって案外そういうとこは正直なのよ。
だから、ぶつけてみようと思う。
「あたしの回答、教えましょうか」
さすがに目が合った。うながすような眼差しに誘われ、お兄ちゃんにさえ告げる気がなかった言葉を口に出す。
「あたしの全部をあげるから、いちばん近くにいさせて欲しい」
それだけ。
本当に、それだけ。
あたしといて、お兄ちゃんが幸せかどうかわからない。たぶん、あたしから逃げたくらいだから本当はあたしが嫌いなんだと思う。あたしだってそのくらいのこと、わかってるの。でも、諦められない。
あたしがさしだせるものは全て、お兄ちゃんにあげる。あたしのこころも、からだも、時間さえ、それがあたしの自由にできるものならお兄ちゃんの好きにして。
そのかわり、
もう、あたしを置いていかないで。
あたしのそばにいて。
なんでもするから。
あたしに出来ることなら、何でもする。
だからあたしのそばにいて。そばに、いさせて。
「茉莉ちゃんは、強いね」
あたしは、このひとに褒められたのがわかった。「強い」という言葉の取り扱いはむずかしい。でも、今のはちゃんと、賛嘆のそれ。
「開き直りましたから」
あたしは素直に褒め言葉をうけとって胸をはって続けた。
「もうなんだっていいんです。この気持ちを誰がなんと呼ぼうとも、あたしの願いは変わらない。たとえ当のお兄ちゃんが、それは愛じゃないと言ったって、あたしにはそんなのもう、ぜんぜん関係ないんです」
浅倉さんは一瞬だけ呆けた顔を見せたけれど、次にはもう、肩を小刻みに震わせて、くつくつと喉を鳴らして笑ってる。
なんかこれ、すごく失礼なんじゃない?
あたし、笑うようなことを言ったつもりはないのに。
頬をふくらまして浅倉さんをにらむと、彼はようやく笑い納め、
「茉莉ちゃん、今日はオレに奢らせて。つうか、こんどお祝いしよう、お祝い。ご馳走するよ」
そう言いながら席を立つ。
あ、このひと、じぶんのことは言わないつもりなんだ。なんかズルイ。
レジへと向かう背中を見て、けど、これはこれで悪くない感じ、とも思えた。何故なら、あたしの肩は自然に落ちていた。
ほんとうは、誰かに聴いてもらいたかってことがわかったの。
あたしの覚悟、あたしの未来、あたしの……アイ、を。
その行方を。
あたしのいちばん近くにいたはずなのに、実はいちばん遠いひと。
遠かったひと。
あたしの「お兄ちゃん」。
あなたを、
愛しています。
了
たとえばそれをあなたが何と呼ぼうともー龍村兄妹物語3 磯崎愛 @karakusaginga
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