三題噺:充電器・漫画・鉛筆削り

煙 亜月

moratorium

「くそが」

 悪態を吐いてジーンズ越しの大腿に2Bのステッドラーを突き立てる。「もう、痛いじゃない」けど、削りたてでもない鉛筆はデニムの線維を貫通するでもなく鈍い痛みを与えるのみだった。「ああ、くそ」わたしは二度め、いや、三度めか? と数えてもいない悪態を述べる。


 漫画家。

 その言葉の印象からは液タブとか何台もの巨大なモニタ、何人ものアシスタントに囲まれた清潔な環境を思い浮かべるかもしれない。けれど実状、美大の三回生であるわたしはただ一人、課題を江戸間の六畳でこなすだけだ。

 漫画家、といったが漫画家志望というだけで、わたしは三年ほど画学生をやっているにすぎない。漫画家でも何でもないのだ。また、課題をこなすともいったがネーム段階ですら四枚半しかできていない。わたしのような才能も素養もない絵描きでも在籍できる底辺美大だから、留年することもなく三年もしがみついていられるのだ。 


 かんたんなことだ。専門学校などと違い、実力が伴わなくても学力でのし上がってしまえるのが大学という制度だ。国がその最高学府として設置している謎めいた——壊すまで内情の知れない——ブラックボックス、美術大学という闇だ。


 このブラックボックスは——いや、壊すまでもないか。幾人か学生に訊いてみれば分かる。写真科のある者は野鳥を探して河を遡上するし、映画科のある者はどこでもかしこでもカメラを回すし、油彩科のある者はガスマスクを着けたヌードモデルをひたすら塗ったくっている。顔? モデルが息を止めている間にさっさと描くのも油彩科の腕の見せ所でもあるのだよ。

 そしてミクストメディア科コミック専攻のわたしは——

「くそ!」——と、また鉛筆と大腿に突き立てている。


「わたしだってデカい液タブとデカいモニタが欲しいんだよ。でもまずは資金を作らんといけんのよ。うちとこ、金持ちちゃうもん。貸与のiPadは——アナログにには解像度でやっぱ負けるし」

 いいながらわたしはステッドラールモグラフ――もとは製図用だがその品質と精度に多くの画家がデッサン用に好んで用いる鉛筆——を赤い電動鉛筆削りに差す。ぎぎぎ、と抵抗する赤い鉛筆削り。やがてしゅるしゅると萎れた音で敵意がまったくない、もしくはその余力すらない姿勢をあらわす。


 昔はカッターナイフや肥後守で削るのが由とされていたのだが、今の時代、なにごとにも迅速であることが求められるのだ。きょうもいつも通り削ってくれたね、と鉛筆削りを見もせずに労う。

 

 L字型に配した文机の右側から正面のケント紙に向かう。右側、鉛筆削りの位置は完璧に把握しているので体や首の向きを変えたり戻したりする必要もないので効率はよい。ネームは相変わらず白いままだ。むろん鉛筆をいくら削っても人物は動かない。よし、とわたしは意気込んでエスタロンモカを牛乳で流し込む。カフェインの錠剤は眠気覚ましとか、そういった必要だからじゃない。やめられなくなったのだ。カフェイン中毒。傍らの牛乳は、胃粘膜保護。以前カフェイン剤の飲み過ぎで血を吐いたことがあったのだ。事が家族に露見し、医者に連れて行かされたりすれば単位や大学どころの話じゃなくなる。というわけで自分で調節している。自分の面倒くらい、もう自分でみれる。

 

「疲れたな」座椅子にもたれ、ぎい、と軋ませる。追いカフェインか、食事か。「お腹すいたな」

 かつてほど食事量を気に掛けるような痩せではないが、バランスは気にかけている。東京に進学した弟の短パンとブラトップ姿で階下に降り、台所をのぞく。

「ねえ、お母さーん」

 いないのかな。

「どしたの、恵子」

「あー、ごめん。ちょっとお腹すいちゃって」

「ええ? もう片付けしちゃったから、冷蔵庫のやつでも食べてて」

「なにがある?」

「んー、おじやひとり分」

「食べていいの?」

「はは、恵子以外だれが食べるのよ」

「なんか、悪いね」

「あ、でもここで食べてよね。部屋で食べだすとあんた、また——」

「わ、分かってるって。作ってくれた人の前で食べたいもん」

 熱い料理。美味しい味付け。ふうふうと冷ましながら木の匙ではふはふと食べる。


「ごちそうさまー。美味しかったよ。べろ火傷してたけどすごく美味しかった」食べ終わると、母は頬笑んで食器を片づける。


 夕飯どき——決まった食事の時間に満足に食べられないのは今に始まったことではない。むしろ、かなり治ってきた方だ。


 ご飯を作る母の背中を見るのは好きだ。

 出し汁を煮立たせ、いい香りをさせて煮物を炊いて、空いたコンロで味噌汁を作っている。顆粒だしとかめんつゆだけではなく、母は削り節やいりこ、昆布などをあらかじめお茶パックに入れ、それをお出しとして使うのだ。古風にもほどがあるしわたしも真似したくもないし、だれも母に頼んだこともない。けれど母はどんな料理にも必ずこうして作る。その味でわたしは育った。

 でも、わたしひとりで料理するときは顆粒だしとめんつゆだ。どちらかに肩入れする気もさらさらない。母は母の流儀に則っただけだ。わたしはただ面倒だから今風の味にするが、母の味はもちろん大好物だ。


 母は、心の充電器。わたしにはエスタロンモカよりも単位よりも、母が一番の心の栄養、充電器なのだ。

 わたしも一人暮らしをはじめたり、どこかに嫁いだりすれば充電が切れてしまうのだろうか。そうしたらカフェインやSNSでの名声欲や、誰か――新しい家族からの無条件の愛を欲すのだろうか。

 ——似合わないな。

 でも、たぶん大丈夫なはず。


 温まったお腹をさすりながら二階の自室へ戻る。体重はあの頃のように気にする事もなくなったし、体重計に乗ることへの恐怖もない。六個入りの箱に入ったチョコパイや、スナックの大袋、二つ入ったスーパーのモンブランではなく、毎日毎日残していったお母さんの料理——充電に気づいたとき、わたしのバッテリーはもう満タンだったのだ。

 ときどき脚に鉛筆突き立てたり、カフェイン剤を飲んだりするのさえやめられさえすれば、わたしも不安なく遠くへゆけるはず。

 その時だけは、お母さんに抱き着いて泣かせてやる――もちろん、その反対の図式しか思い浮かばないけどね。

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