第69話 贈り物
クラウスの非難の目線を、エドゥアルドは、まっすぐに受け止めた。
「クラウス。お前にはまだ話してなかったね。ゲシェンクには、解除方法があったのだ」
エドゥアルドは話し始めた。
彼の父オーディン・マークスがゲシェンクだったこと。彼が救ったエドガルド・フェリシンが先に死んだため、不死となってしまったこと。
「待ってください! それならオーディンは、今も生きているというんですか? 彼は、アベリア海の孤島で死んだはずです」
思わずクラウスが叫ぶと、エドゥアルドは頷いた。
「孤島で死んだのは、父上の副官だ。王党派の虐殺に奔走した彼は、ユートパクスに王制が復活すると、祖国に残ることに危険を感じた。それで、父上の替え玉になることを了承したんだ」
「替え玉ですって?」
「父上が致命傷を負ったのは、ツアルーシの河渡りの時だ。永遠に続く死の苦しみを見かねたツアルーシの皇帝が、父上を氷に閉じこめた。けれど皇帝は、ご自分の国がオーディン派の聖地になることを嫌った。それで、絶海の孤島に流したという体を装った」
エドゥアルドにこの話を伝えたウテナ王ジウは問うた。
……「ところでプリンス。なぜ
「それが、ゲシェンクの解除方法だ。ユアロップ大陸制覇こそが、ゲシェンクの呪いを解く鍵だったんだ」
あまりのことに、クラウスは声も出ない。
「僕にお前は殺せない。それは、何十年、何百年経とうと、同じだ。でも、不死の苦しみに置き去りにするなんて、そんな残酷なことはできない。だから、僕はユアロップを征服する。そして、お前をこの大陸の王にする。ゲシェンクの呪いを解く為に」
到底、承服できることではなかった。
「ダメです。それでは、オーディン・マークスと同じになってしまう。貴方は、この大陸に再び、戦火を拡げるつもりですか!?」
「僕はね、クラウス」
ゆっくりとエドゥアルドは言った。
「武器とか戦争とか、そういうものとは違う方向で、ユアロップ大陸をひとつにしようと考えている」
熱くなったクラウスの頭に、一筋の清浄な風が流れ込んだ気がした。
「戦争ではなく? どうやって?」
「考えてみたんだ。言語も習慣も風俗も、なにもかも違う民族がひとつになることができるとしたら、それは何なんだろう? 僕は、ユアロップ全土の人が、同じ基準で、ものの価値を定めることができる世の中にしたい。経済こそが、この大陸をまとめることのできるたったひとつの手段だと思う。大陸全部のモノの価値を、等しくするんだ」
「経済? お金ですか?」
「まずは、貨幣だろうね。人々は働き、それに見合った対価を得る。大陸中、どこへ行っても、同じ通貨で買い物ができる。言葉は違っても、同じ価値観を共有できる。そんな風にしたい」
クラウスの胸が高鳴った。働いてそれに見合った対価を得たい。それは、ギルベルトの家に集まっていた、革命家たちが口にしていたことだ。
「父上は、経済封鎖によってお前の家庭を破壊し、危うくお前は死にかけた。そのことを考え続けるうちに……そんな風に考えるようになった。お前が教えてくれたんだよ、クラウス」
エドゥアルドは、クラウスが思っていたよりもずっと、彼のことを考えていたのだ。そのことに改めて思い至り、クラウスの目が潤んだ。
「でも本当は、貨幣そのものに価値なんてない。貨幣の後ろにあるものにこそ、価値があるんだ。愛する人の笑顔、健康。万が一の時の保証があること、そこから生まれる余裕と優しさ、また、音楽、絵画、物語……。僕がお前に捧げたいのは、そうした美しい世界だ。幸せで満足している民の、お前は王になるんだ」
危うい感じがした。そもそもクラウスは、王の器ではない。そもそも、人の上に立つなんてまっぴらだ。
彼の気持ちを読み取ったのか、エドゥアルドはため息をついた。
「わかってる。それは理想だ。なら、現実的な話をしよう。たとえば、ウスティン少佐の祖国イリータは、僕を王に迎えたがっている。小国だけど、ムーランドも」
そういえば、かつてムーランドの活動家が、「エドゥアルドをムーランドの王に」と書いたビラを、馬車に投げ込んだことがあった。
「それは貴方が、オーディン・マークスの息子だからでしょう?」
オーディンの名を出す時、やはりどうしても声が尖ってしまう。
エドゥアルドは平然と頷いた。
「だから? お前のゲシェンクを解除する為だ。利用できるものは何でも使う。親の七光りであろうと、失策であろうとね。父上は失敗したけど、僕は失敗しない。だって、大陸制覇は、お前の為だから」
エドゥアルドが、最初から一度も父を悼む言葉を発していないことに、クラウスは気がついた。氷に閉ざされているオーディンに会いに行きたいとも言わない。
彼からはもう、父オーディン・マークスへの憧憬は感じ取れなかった。むしろ偉大な父さえも利用し、踏み台にしようというふてぶてしさが滲んでいる。
それは、ゲシェンクの呪いを解こうという強い意志から発しているのだと、クラウスは悟った。エドゥアルドは、ただ、クラウスを救いたいだけなのだ。
「そうそう、ユートパクスも、僕を王に迎えたがっているぞ」
にやりと笑い、エドゥアルドが付け加える。
オーディンを追い出し、復古王朝を据えたユートパクスは、王政のあまりの旧弊さに、国民の不信を招いていた。その不満は、オーディンの再来、彼の息子への期待に繋がっている。
「イリータ、ムーランド、ユートパクスに加え、ウィスタリアもまた、問題なく僕の味方についてくれる」
「あり得ない! だってこの国を牛耳っているのは、メトフェッセルですよ!?」
メトフェッセルこそ、エドゥアルドを宮廷に閉じ込めた、諸悪の根源ではないか。クラウスは憤懣やるかたない。その上宰相は、彼の死を願っている。
エドゥアルドはくすりと笑った。
「確かに
「次の皇帝は、フェルナー王子です」
「うつけ」と評判のフェルナーは、政治に関心がなく、外交含め全てを宰相に任せると豪語している。
クラウスの口からフェルナーの名が出た途端、エドゥアルドの顔が歪んだ。
「
クラウスは驚き、義憤に駆られた。
「革命! なんてことだ。市民に勝ち目はない。すぐに鎮圧されるだけだ。再び大勢の死者が出てしまう」
「大丈夫だよ、クラウス。ウスティン少佐がフサーレ連隊を引き連れて、蜂起軍の援護に立つから。もちろん指揮を執るのは、僕だ。この計画は、ミリィを通して革命軍に通達してある」
「ミリィですって!」
悲鳴のような叫びがクラウスの喉から迸った。
「貴方、いつの間に、彼女と!」
「何の心配してるんだ、クラウス」
本当におかしそうにエドゥアルドが笑う。
「自分はさんざん、女の子たちを惑わせておいて。僕に、一人だって紹介してくれたか?」
「紹介? そもそも惑わすなんて、誰がそんなことを! 貴方です! 貴方に、女の子を近づけたくないから、僕はっ!」
ついにエドゥアルドが決壊した。涙が出るほど、彼は笑った。
「お前が嫉妬するのを始めて見た。嬉しいものだな、好きな人が妬いてくれるのは」
「好きな人」という言葉が、しみじみと胸に滲みた。みるみる顔が赤くなる。恥ずかしさにクラウスは、ぷいと横を向いた。
エドゥアルドが真顔に戻る。
「革命軍の狙いは、メトフェッセルの追放だ。だから、宰相の傀儡になるような王は望んでいない。つまり、フェルナーの即位はありえない。ただしロッシら幹部は、皇帝位は温存させると誓った。しばらくの間は、有識者による摂政が続くだろうが、次の皇帝は、僕の味方だ。なにせ、即位するのは、僕の息子だから」
クラウスの胸がどきんと鳴った。
「あなたの、息子!?」
「うん。メリッサ大公妃が産む赤ん坊だ」
絶望がクラウスを襲った。やっぱりあの噂は、本当だったのだ。メリッサ大公妃とエドゥアルドは、互いに愛し合っているという……。
再びエドゥアルドが笑い出した。
「馬鹿だな、クラウス。噂なんか真に受けるなよ。重病で死にかけてたんだぞ。メリッサのお腹の子が、僕の子であるわけがない」
クラウスの全身から力が抜けた。
「事実はそれほど問題ではない。重要なのは、人々がどう思うか、そして赤ん坊本人がどう理解して成長するかだ」
「……よく、わかりません。本当にその子は、貴方の子じゃないんですよね?」
消え入りそうな声が釘をさす。
「当たり前だ。メリッサは、叔父上の公妃なんだぞ」
「なら、どうやって味方に付けると?」
帝国の外に出たエドゥアルドを、ウィスタリア皇帝が支援する理由などない。
エドゥアルドは平然としていた。
「事実は重要ではないと言ったろ? 大事なのは噂だ。メリッサは協力してくれる。子どもの頃から一緒だった
噂。ウィスタリアの新皇帝の父は、エドゥアルド・ロートリンゲン公である……。
「まさか、噂と風評だけで、あなたは
「そうだよ」
確かに、この人になら可能だろう。これほどの美貌と才能に満ち溢れたこの青年になら。
「……人でなし」
ぼそりとクラウスの口から洩れた。
罵られたのにも関わらず、本当にうれしそうに、エドゥアルドは笑う。
イリータとムーランド、ユートパクス。これらの国の民は、王の圧政に耐え兼ね、オーディン・マークスの息子に期待している。そして、ウィスタリアの皇帝は、エドゥアルドを父と慕い、援助を惜しまない……。
エドゥアルドの言う通り、ユアロップ大陸の制覇も、夢ではない気がしてくる。
「ああ、でも、教皇領はどうするんです?」
イリータとウィスタリアの間には、教皇領がある。そこは、神の領域だ。神聖な領土に押し入ってはならない。
「もちろん、教皇領も併合する」
エドゥアルドにためらいはない。
「神は、テュベルクルーズ病から僕を救ってくれなかった。それどころか、御大層な最後の秘蹟とやらで死に直面させ、立ち直れないほどの打撃と恐怖を与えた。だから僕は、神に立ち向かうことも辞さない」
「殿下……」
ミサに参列した人々の祈りをドア越しに聞いていた時の絶望を、クラウスは思い出した。確かにあの時、エドゥアルドは、神の楽園から締め出された。ミサは、エドゥアルドの為ではなかった。参列した人々の、心の安寧の為だ。
「僕を救ってくれたのは、お前だ、クラウス。聖なる書を破り捨て、お前は言った。地獄にまでもついてくると。なら、恐れるものなどなにもない」
ゲシェンクは、対象を死から救う。だか、彼が追い払った死は、神が与え給うたものだ。神によれば、救われた対象は、死なねばならぬ人だったのだ。なのに、ゲシェンクが蘇生させてしまう。しかも、何度も何度も。
ゲシェンクは、神に逆らう存在だ。けれどそれは、神に対する裏切りなどという大それたものではない。自身の内から出た、単純な衝動に過ぎない。ただ相手を庇護し、愛したいだけだ。
無謀なまでの自信に満ちたエドゥアルドに、俄かにクラウスは心配になった。
「ユアロップ大陸の大部分の国は味方だと、貴方は言う。けれど、オーディンの強引なやり方を恨んでいる者は、今でも大勢います。危険です。貴方の身が危ない。だって、テロは、いつだって起こり得る」
「逆らう者とは戦う。当たり前だろう?」
青い目が光った。
「だが、ユアロップの支配者の多くは気がついているはずだ。戦争は、利益にならない。一時的な好景気は、官民の癒着を生み出すだけで、すぐに弾ける。後には不景気と、大量の失業者しか残らない。移動する兵士たちは疫病を齎し、国土は荒れ、作物は収穫できなくなる。多くの人の死と引き換えに得た賠償金は、支払われなければ、ただの数字だ。さっきも言った。そもそも貨幣に価値なんてない。領土、城、宝飾品……そうした古い財産にも、本当は、価値なんてないんだ」
「でも、血眼になって求める者は大勢いるでしょう?」
「そうだね。そうした古い価値観を持つ者どもがいなくなるまで、戦いは続くだろう。でも僕に関していえば、クラウス、お前だ」
クラウスは目を瞬かせた。
「はい?」
「この手で殺したくないから、でも、残酷な不死からは奪い返さねばならない。だから、僕は、悪魔になる。お前に、善意に満ちた新しい世界を捧げよう。古い頭の奴が文句を言うなら、戦争だって辞さない。必ずお前を、この大陸の王にする。そして、ゲシェンクの呪いを解くんだ」
遠くで歓声が上がり、どおん、という腹に響く地響きが伝わってきた。城壁の内側に、土煙が上がるのが見える。
「市民たちの革命が始まった。行こう」
善も悪もない。この人についていくだけだ。そして、無茶で無鉄砲な彼を、守り続ける。
エドゥアルドの差し出した手を、クラウスは握った。
fin.
________________
暑い時期から、長くダークな話にお付き合い下さり、ありがとうございました。
応援やコメント、スターも、本当にありがとうございます。
後ほど、近況ノートで、「ゲシェンク」の今後につきましてお知らせ致します。
改めまして。
伴走頂き、とても励みになりました。
心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
ゲシェンク せりもも @serimomo
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