第68話 協力者


 シェルブルン宮殿のエドゥアルドの病室には、意外な人物が待っていた。

「彼が、僕のをしてくれてたんだ。もういいよ、ウスティン少佐」

 エドゥアルドが声をかけると、ベッドの上の布団が、もくもくと動いた。男が一人、飛び出してくる。

「貴方の布団は、寝心地が悪いですね。獣毛の詰め過ぎです」

「それは、ディートリヒ先生のせいだ」

「ああ、あの過保護な家庭教師ですか」


 「紹介しよう。アルト・ウスティン少佐。僕の副官だ」

 クラウスを振り返り、エドゥアルドは得意げだ。

「殿下の副官? けれど、貴方は、教皇領の大使では?」

 目の前の将校を睨み、クラウスは指摘する。この人は、嫌いだ。エドゥアルドをイリータへさらおうとしている。

「おや、二人は知り合いだったのか?」

 エドゥアルドが首を傾げる。ウスティンが頷いた。

「殿下の病室の前でお会いしたんですよ。この方はです。貴方がいつも、俺と呼び間違えていた」

「そんなことあったっけ? 僕が、君とクラウスを呼び間違えた?」

エドゥアルドは信じられないといった風だ。

「最初の頃は、ほぼ毎回でしたね」

平然とウスティンは頷いた。

「ところで、宮殿は今、大騒ぎですよ。宰相が狙撃されたって。、同行者の誰も、襲撃者の顔を見ていないようです」

言い終わってから、さりげなく付け加えた。

「彼のが無事に済んでよかったですね」

「うん」

エドゥアルドは頷いた。なおもウスティンが重ねる。

「それで、ギルベルト・ロレンスの遺体は見つかったんですか?」

「しっ!」

エドゥアルドが止めたが間に合わなかった。ウスティンが放った問いに、クラウスはぎょっとした。

「ギルベルトの……遺体?」

「おや、知らない? 彼には教えてないんですか、殿下?」


「学生が知らせに来た」

 クラウスに向かい、みるからにしぶしぶと、エドゥアルドが話す。

「葬儀を行おうとしたら、遺体が柩ごと消えていたそうだ。クラウス、お前、ロレンス教授の葬儀に行かなかったの?」

「いいえ、僕は知らされていなくて……」

 クラウスは喉を詰まらせた。

 そうだ。人が死んだら、葬らなくてはならないのだ。それなのに自分は、育ててくれ、終生守り抜いてくれた人の葬儀さえ、忘れていた。

「革命やら蜂起やら、いろいろあったからな。学生の指導者だったギルベルトは、謀叛人だ。知らなくても無理はないさ」

 訳知り顔でウスティンが言い放つ。どうやら取り成してくれたらしいが、逆効果というものだ。


「行方不明って、ギルベルトの遺体が?」

「そうだ。本当に彼は死んだのか?」

 重ねてウスティンが尋ね、クラウスはむっとした。

「何が言いたい?」

「だって、遺体が一人で消えるわけがない」

「死んだ。僕が殺した。間違いない」

「クラウスの言う通りだ」

 力強く保証したのは、エドゥアルドだった。ためらいのない援護が頼もしい。

「彼が嘘を言うわけがない。秘蹟の儀の時の彼は、真実しか語っていない。ただ……」

俄かにエドゥアルドは言い澱んだ。

「確かな事じゃないから、黙っていようと思ったのだが、岩場で僕は見たんだ。宰相を襲撃した後、逃げるお前を二人の兵士が追いかけていた。そのうちの一人にあっという間に追いつき、素手で打ち倒した男がいた」

「素手で! 要人護衛の衛兵をですか?」

ウスティンが口笛を吹く。

「うん。遠目だったのではっきりとは見えなかったけど。中肉中背で、僕より少し背の低い、藁色の髪の男だった」

「藁色の髪の男なんて、掃いて捨てるほどいます!」

思わずクラウスは叫んだ。

 ギルベルトが生きている? 荒唐無稽な話だと、クラウスは思った。彼の死は、隣室で待ちかねていたロッシを始め、その場にいた学生たち全員が確認している。間違いであるはずがない。


「そうだね」

にっこりとエドゥアルドが笑った。

「藁色は砂の色、あの辺の岩と同じ色だ。お前が襲われていると思ったから、僕も平常ではいられなかった。それに、お前を引き上げてすぐ馬を走らせたから、見間違いだったかもしれない。兵士は転んだだけだろう」

「転んだ? 訓練を受けた兵士が? 賊を追跡中に?」

咎めるようにウスティンが問い詰めると、エドゥアルドは頷いた。

「岩場だったからな。地表に突き出た岩に足を取られて、相次いで転んだに違いない。もう一人の兵士は、僕の馬が蹴倒した」

 まるで、手柄を焦る子どものようにエドゥアルドが胸を張った。クラウスを救ったのは自分だと主張している。たとえ幻影であっても、クラウスを救ったのがギルベルトだと思うことが我慢がならないのだろう。けれど、厳密にはエドゥアルドの馬ではない、クラウスの馬だ。


 「宰相の馬車に伴走していた近衛兵二名は、行方不明だということです。折悪しく雨が降ったせいで、あの辺りの足跡なども消えてしまって、賊の追跡は取り止めになったそうです。良かったですね」

最後に余計な一言を付け加えてから、ウスティンは続けた。

「いずれにしろ、あの日の蜂起は、完全に鎮圧されました。ギルベルト・ロレンスが生きていようが死んでいようが、大勢に影響があるとは思えません」

 言いながらウスティンは、胸の隠しから懐中時計を取り出した。

「そろそろ閲兵の時間だ。彼の説得は貴方にお任せしますよ、殿下。……君は、俺に敵意を抱いていないか?」

 最後の一節はクラウスに向けられていた。が、クラウスは無表情のまま、相手にしない。ウスティンは肩を竦めた。

「安心してくれ。君から殿下を取り上げたりはしない。俺が欲しいのは、軍神なのだから」

 エドゥアルドに対し、ウスティンは胸に手を当て、軍人の礼をした。それからクラウスの肩を叩き、大きな声で笑いながら部屋から出て行った。


「殿下。貴方が回復したことを、|アルト・ウスティンは知っているんですか?」

 彼の姿が見えなくなるとすぐに、クラウスは詰問した。

 だってそれは秘密ではなかったか。エドゥアルドは今、潜在的なゲシェンクだ。それは、とても不安定な立ち位置だ。彼は、死にかけた者を救うことができ、そのことが、彼の意に反して利用される可能性がある。

 なにより、二人だけの親密な秘密に、第三者ウスティンが割り込んできたことが許せない。

 それなのにエドゥアルドは、平然と頷いた。

「うん。ウスティン少佐は信用できる。彼には、僕の軍を任せてある」

「貴方の軍? じゃ、閲兵って……?」

「フサーレ連隊だ。僕はこれでも大隊長なんだよ」

 確かに、彼が軍を率いて行軍する姿を、クラウスは見に行ったことがある。

「軍を動かして、どうなさるおつもりです?」

「ユアロップ大陸を征服するのだ、もちろん」

「なんですって!」

 大陸制覇。それが、オーディン・マークスの野望だった。己の野望を実現させる為、彼はユアロップ全土を戦禍に巻き込み、そして大勢の人が死んだ。

 まじまじとクラウスはエドゥアルドを見つめた。自分が救ったプリンスを。全身全霊で愛した彼を。

 その愛は、間違いだったというのか。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る