第67話 馬の災難


 その日、馬は、災難だった。

 人間を二人も背に乗せ、その上、初めて鞭で打たれたのだ。

 この二人はつがいだったのか、と馬は思った。最初の一人には逆らえなかった。ずっと彼の「駄馬」になっていた。それが、長いこと放って置かれたと思ったら、いきなり引っ張り出されてこのザマだ。おまけに、今手綱を握っているにも逆らえない。だって二人は、番だから。

 夏草生い茂る森の道を、ひたすら速く走ることを、馬は、強要された。



 森の外れのコテージは、気持ちよく整えられていた。温かみのある木の椅子があちこちに置かれ、部屋中どこでも休めるようになっている。

 窓際には、いかにも寝心地のよさそうなベッドが設えられていた。ふんわりした布団は、一目で質が良いものとわかった。その一角だけに、ふんだんに金がかけられていることが、見て取れた。

 エドゥアルドの視線を追い、クラウスは顔を赤らめた。

「誤解です。ベッドは、殿下の療養用です。ここで、ゆっくり休めるように」

 確かにこのベッドは狭すぎると、エドゥアルドは不満に思った。

 クラウスが説明する。

「このコテージは、子どもだった僕が、偶然見つけたものです。仕事仲間にも遊び友達にも、誰にも教えていません。僕だけの秘密の小屋なんです」

「誰にも? ギルベルトにも?」

「ギルベルトには、特に。だって彼は僕の親代わりで、時には口やかましいことも……、」

 いきなり、エドゥアルドはクラウスにとびかかった。両腕に封じ込め、口づけを繰り返す。

 エドゥアルドは、もう、夢中だった。

 口の中を蹂躙し、両手で慌ただしく相手の服をはだけていく。

 首筋にキスを繰り返し、鎖骨に鼻を埋め、懐かしい人の匂いを、胸いっぱいに吸う。

 熱い。

 汗が。

 ……エドゥアルド。大事な大事な、たったひとりの……、

 ……愛しいひと。



 エドゥアルドは、狂暴だった。

 うなり声をあげて、クラウスに襲い掛かり、押し倒した。

 クラウスは、完全に主導権を奪われた。

 肩をベッドに押し付けられ、喰われる、と思った。

 エドゥアルドは、全身で縋り、絡みついてくる。体を貪り、食い尽くされそうだ。

 ……食われてもいい。

 クラウスは思った。

 自分がこの人で、この人が自分で……。身の内から、ありとあらゆるものが流れ出しているようだ。

 自分だったものが、熱く蕩けて、エドゥアルドに襲いかかり、絡めとったような。エドゥアルドの何かと反応し、別のものになっていくような。

 彼を締め付け、締め上げた。

 低く、エドゥアルドが呻いた。息を切らして、顔を上げた。

「そばにいてもいいよね?」

 いつでも逃げて行っていい、と、クラウスは思った。

 自分が重くなったら。他に大事な誰かができたのなら。いつでも自分を捨てていい。だって今、自分はこんなにも満たされているのだから。もう、なにもいらない。


 「ねえ! ずっとそばにいさせてくれるよねっ!」

 眉間に皺を寄せ、何かを堪えるような顔で、エドゥアルドは繰り返した。

「そばにいさせてよ! ずっと……」

 何度も口づけを落としながら、哀願してくる。

 それはだめだ。

 クラウスは思う。

 執着は、だめだ。お互い、絡み合って自滅するだけだ。

「ずっとそばにいていいって言うまで、動いてやらない!」

拗ねた声がする。

 クラウスは、エドゥアルドの首の後ろに両腕を回した。

 キスを期待したのか、エドゥアルドが顔を寄せる。

 首の後ろの両手に、ぐいと力を込めた。

 バランスを崩し、エドゥアルドは、クラウスの体の上に落ちてきた。

 すかさず、その脚に、自分の両脚を絡める。蛇のように絡みつき、締め上げる。

「わっ!」

エドゥアルドが声を上げた。

「ちょっと。きつい。痛いよ」

「動けるもんなら動いてごらんなさい」

クラウスが言うと、エドゥアルドは口を尖らせた。

「なんだよ。ひどいよ、クラウス」

「……」


 体の中に、エドゥアルドを感じる。

 大きく、熱く……。

 うっとりとクラウスは目を閉じた。

 腰をくねらせる。


「やめて、クラウス!」

悲鳴が聞こえた。

 クラウスは脚の力を抜いた。

 密着していた体が、わずかに離れる。

 待ちかねたように、エドゥアルドが、激しく動き始めた。

「そばにいさせて」

耳元で、終わった話を蒸し返す。

「ずっとそばに」

 唇を唇で柔らかく塞がれた。

「ねえ、お願い」

 クラウスは、もう、何が何やら、わからない。ただただ、与えられる快楽がほしかった。がくがくと、彼は頷いた。

「約束だよ?」

 ずんと突き入ってきた。

 頭の中で火花が散った。

 何度も何度も突かれ、意識が真っ白になった。



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