犠牲フライ

ぴのこ

犠牲フライ

 子供の頃、揚げ物が怖かった。こう話すと毎回笑われるのだが、幼い俺は本気で揚げ物を怖がっていたのだから仕方ない。

 たとえばエビフライにしたら、フライ部分から飛び出ている尻尾は確かにエビのものかもしれない。だがパン粉で覆い隠されているのが、芋虫ではないとは言い切れないだろう。唐揚げにしてもそうだ。その中身にあるのは本当に鶏肉か?何か得体のしれないものの肉ではないのか?こうした恐怖を、俺は物心ついた時から持っていた。


 給食で揚げ物が出たら、クラスの食いしん坊に譲っていた。小学生といえばみんな揚げ物が好きな時期だし、俺も少食というわけではなかったので不思議がられた。ましてや野球クラブに所属していて、たくさん食べる必要があるのにどうしてと。胃が油に弱くて、揚げ物が苦手なのだと言い訳していたが、まさか本当の理由が「揚げ物が怖い」だとは誰も思わなかっただろう。


 母は、俺の揚げ物恐怖症を克服するために、調理工程を一から見せて、決して変なものが入っていないことを証明してくれた。そうすると見ている間は安心できたのだが、それでもいざ食べる時になると、吐き気とともに奇妙な疑念が頭の中に湧いてきた。あのエビは衣に包まれた後で芋虫に変身したのではないか。そもそもあの鶏肉は本当に鶏肉だったか。我ながら阿呆らしいとは思うが、揚げ物のことになると恐ろしい妄想が頭をよぎるのだ。

 

 なんとか揚げ物を食べられるようになったのは、中学に進学した頃だった。中学一年生の夏頃だったか。揚げ物を食べる時は必ず衣を剥がして中身を確認する癖がついた。エビフライの衣を剥がし、これはどうやらエビで間違いないぞとわかったら食べる。勿論マナー的には褒められたものではないので両親からは叱責を受けていたが、俺にとっては譲れないことだった。昔は揚げ物が一切食べられなかったのだから、衣を剥がして中身を見れば食べられるようになったのは大進歩だろうと自分の中で誇っていたくらいだ。

 それでもトンカツや唐揚げなど、肉類の揚げ物は駄目だった。それが何か、変なものの肉にすり替わっている。そんな疑念が湧いてきてしまうのだった。


 肉類の揚げ物を食べられるようになったのは、高校生になってからだった。中学の3年間、俺は野球部に所属していた。そのため、食事量を多くして、積極的にタンパク質を摂る生活を送っていた。タンパク質の摂取源は主に豚肉や鶏肉だ。豚肉の炒め物やチキンステーキなどの肉料理は毎日食卓に上がっていたが、中学時代は揚げ物はまだ苦手だった。それでも、トンカツや唐揚げをひと口食べ、これはいつも食べている豚肉や鶏肉に間違いないと自分に言い聞かせることで、どうにか食べられるようになっていった。


 訓練の甲斐あって、高校2年生の今となっては、揚げ物への恐怖は劇的に改善した。あの奇妙な疑念が脳をよぎることも、もう無くなった。

 俺は高校でも野球部に入った。先週行われた合宿では夕飯に唐揚げが出されたが、肉類の揚げ物を前にしても恐怖で箸が止まることなく、普通に食事ができた。


「唐揚げといえばさ~、ウチのお母さんが今唐揚げに凝っててね。部のみんなを招待して唐揚げパーティとか開きたいな~って言ってるの。もちろん私も作るんだけど。誰か来たい人いる?」


 合宿の食卓を囲みながら、マネージャーが言った。

 マネージャーはその愛らしい容姿から、野球部の男子たちの多くから密かな想いを寄せられていた。かくいう俺もその一人だった。


「「「「「「「「はいはいはいはいはいはいはいはいはい!!!!!」」」」」」」」


 そんなマネージャーの自宅にお邪魔することができるとあっては、ましてや手料理が食べられるとあっては、男子に参加を断る理由は無かった。

 俺も、凄まじい勢いで手を挙げていた。


「よかった!じゃあ来週の月曜日の放課後、20時にウチに集合ね!」




 その唐揚げパーティの日が今日だ。

 普段は騒がしい連中も、今日はテーブルにつきながらどことなく行儀よく振舞っている。放課後練習が終わってからシャワーを浴びに帰ったのか、シャンプーの香りを放っている奴までいる。


 しかし、揚げ物恐怖症を克服できて本当によかったと心から思う。以前の俺であれば、唐揚げと聞いた途端に参加を諦めていただろう。こうしてマネージャーの家に来ることなど、できなかっただろう。それにしても流石はマネージャーの家だ。広いし、上品だし、家全体から芳香剤のいい匂いがする。


「お待たせ!唐揚げできたよ~~いっぱい食べてね!」


 マネージャーが運んできた唐揚げの山。男子たちから歓声が上がった。


 なぜか、吐き気がこみ上げてきた。


 もう振り払ったはずの、ずっと昔から付きまとってきたイメージが、頭の中で警報のように暴れ回った。

 肉が。肉が違う。何か別のものが、衣の中に潜んでいる。この衣を剥がせば、おぞましいものが。鶏肉ではなく、なにか別の肉が。

 それは今までのように根拠のない疑念ではなく、確信を持って浮かび上がってきた。


 俺は急な腹痛と言って立ち上がると、マネージャーの家から走って逃げた。あれだけは、あれだけは決して食べてはいけない気がした。




「お前って揚げ物嫌いだよな。唐揚げとか絶対食べないじゃん」


「あー…胃が油に弱くてね」


 社会に出て1年と少し。今はもう、揚げ物を前にしても恐ろしい疑念が湧いてくることはない。それでも、俺は揚げ物を避けるような食生活を送っている。

 揚げ物…特に唐揚げを目にすると、あの時のことが蘇ってしまうのだ。


 あの唐揚げパーティの日から数日後、マネージャーは学校から姿を消した。母親と共に、警察に捕まったのだ。

 罪状は殺人。あの家の父親を殺害したのだと報じられていた。

 話題になったのは殺人事件そのものよりも、事件後に母娘が行った猟奇的な行動だった。そのニュース記事は今も残っている。



■■県の民家で切断された男性の遺体が見つかり、45歳の女と17歳の女子高校生の親子が逮捕された事件で、司法解剖の結果、遺体は主犯の女の夫であることがわかった。

警察の調べに対し、女は「遺体の一部は娘の学校の男子たちに食べさせた」という趣旨の話をしているという。

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