私の名前は毬明
白雪花房
少女は自分の名前の意味を知らない
両親が死んだ。
和風の座敷には見慣れない人影が集まり、知らない話を延々と繰り返している。
「哀れよな。交通事故でまるごととは」
「まるで呪いでも受けたようじゃないか」
妖しい目をした二人が口に手を当てながら、話している。彼らのニヤニヤとした視線は、正座で縮こまった私に向いている気がした。
「バカモノ。あの女にそのような謂れはない。お前さんらはなにも分かっとらんのだな」
後ろで低い声が怒鳴り込む。
相手は無視して話を続けていた。
他の場所でもコソコソと陰口でも叩くような感じで、人々は顔を向け合う。
「なにか悪いことでもしたのかえ?」
「仕事が下手だったとか? まだかの怨霊がお怒りか」
「くくく、ふふふ」
よく分からない話を聞き流しながら、葬儀を終える。
つやのない黒服に身を包んだ私は雨の中、墓前に立っていた。全体がグレーに染まった陰鬱な空間の中、周りを囲うように生えたあじさいが目を引く。
そして、一族の墓らしい霊園は共同墓地というべき広さを誇っていた。
親族ってこんなにいたっけ……?
身に覚えがない。無から発生したようで薄気味悪い感覚を抱く。
「お疲れ様です」
冷たい目をした親戚が傘を持ちながら迫る。
「これを手渡すべきかと」
手渡されたのは刺繍が施された丸いおもちゃ。こじんまりとしたボールを両手で受け取ると、闇夜でぼんやりと光る。まるで淡い月のようだった。
「あなたにはまだ役割が残されている。それを探して旅立ちなさい」
女性はあっさりと告げ、歩き去る。
影が遠ざかるのを黙って見送った。
旅立ちなさいと言われたって、どこへ行けばいいのか分からない。
役割? 継承? 手毬は名前的に関係はあるけど、それがなんだというの?
皐月
毬ってなによ。漢字を知って真っ先に思った。スマホで調べた結果、平安時代の貴族の遊びだという。意味が分からない。
聖母の当て字だろうか。でも、私はマリアじゃないし、そもそも家は和風である。
母は清楚な美人で、冷たい目元をしていた。くわえてどこか芯のある、底知れない印象を放っていた覚えがある。
父は浅黒い肌で筋骨隆々の肉体を誇っていた。常にタンクトップを着て、「熱血」「青春」だなんだとのたまう、体育会系の男。その癖、顔立ちは甘く幼かった。雰囲気はフランス人に似ているが、全体的な印象は赤が似合う日本人。
聖書の匂いなんてしなかった。
両親の気持ちが分からない。彼らは私になにを求めたのだろうか。今となっては尋ねる機会すらない。答えのない問いは闇の中にまぎれて消えた。
私はいったい何者で、なにをしたらよかったのだろう。
後ろ盾はなく、指針もない。唐突に大海原に放り出された気分だ。
結局、殺風景な部屋に引きこもり、うなだれながら過ごす。
いちおう高校生の身分。学校に通わなければならない。将来のことは考える余裕もないし、友達とも顔を合わせられずにいた。
空白感を背負いながら、時間だけが過ぎていく。
外は雨が降っており、しとしととした音だけが心に降り積もっていった。
いっそ、誰とも関わらないまま一人で死んでいけたらいいのに。
などと思っても、結局なにもせずにいるのは苦痛なわけで。
雨間が覗き、束の間の晴れ間が覗いたころ。
社会復帰を目指すニートのような感覚で身を起こし、外へ出る。一週間前に買ったばかりのワンピースに袖を通し、新たな自分になった気分で町を歩いてみた。
どうせすぐに雨は降るのだから、出歩くのなら今しかない。
ガードレールの内側を進むと、ミラーが見える。よく磨かれた金属に映る私はまだ幼い顔をしていた。
外に出たのはいいけれど、手がかりがない。
「もうなんなのよ」
嘆きながら逃げた。
流れで中心部に着く。なにもない場所古びた街並み。四方を山で囲われていて、鬱屈とした雰囲気だ。
やけに墓の数が多い。昔、事件でもあったのだろうか。
広場のあたりには妙な店が並んでいた記憶がある。骨董品だとか開運アイテムだとか。信じていないから触れない。
現実主義者の私だけど、お守りは持ってきている。ショルダーバックから取り出したのは、淡く光る毬。普通、光らないよね。繊細に刻み込まれた刺繍が妙に神秘的だった。
ひとまず、手がかりではあるから、持っていき得だろう。
握り込み、歩き進めた。端のほうまで来ると森に隠れるように社があり、そばには供養塔が立っている。
不穏な気配がするのでスルー。人気の多い場所へと足を滑らせる。
空き地へ差し掛かると、蹴毬歌が聞こえてきた。
「あんたがたどこさ。肥後さ。肥後どこさ」
バスケットボールをつきながら、足を動かす。まるで体操でもしているかのよう。
懐かしい。同時になぜか胸がざわめく。子どもたちがおかっぱヘアの、日本人形風の顔をしているからか。彼女たちの顔は皆、単一。個性はなく、色も白い。
実在しているのに、亡霊じみた気配を感じる。日陰に立ちながら、じんわりと汗をかいた。
心臓が加速する。神経がピリリとなにかに反応していた。開いてはならない扉に近づいたかのように。
私は手毬。毬は道具。私は蹴られるもの。遊び道具? 私って、誰だっけ?
ど、う、し、て。
こ、ん、な、に。
胸が、ざわめくんだろう。
平衡感覚を失い斜めに傾いた体。影を背負った背景にカラスの群れが飛び立ち、バサッと音を立てる。
いつの間にか空は深緋色に染まっていた。燃える日の光に照らされて、あたりも同じ色に包まれている。
おかしい。まだ日没にはかかるはずだったのに。なにかに逃れるように歩きだす。足早に、帰りたいと願いながら。
しかしいつまで経っても空き地から出られない。同じ場所をぐるぐると回っている。まるで、変な場所に入り込んだ気分だ。もしくは明晰夢。夢の中で夢を見るような入れ子構造だった。
言い知れない恐怖で足元から震えだす。焦りが募り、肌着にまで冷たい汗がにじむ中、出口を求める。
やはり袋小路だ。パンプスをはいた足はふたたび空き地に戻ってくる。薄墨色の地面の上で、ボールをつきながら、彼女たちは無機質に歌うのだ。
「あんたがたどこさ」
「どこさ」
「肥後どこさ」
発狂したくなる。耳を閉ざそうとしても、同じ音がリフレイン。視界は暗くなり、自分の姿すら確認できない。
もう耐えられない。目をぎゅっとつぶり、駆け出す。
無我夢中で駆け抜けた先に、ぽわっと明かりが見えた。
手前には店。老舗の雰囲気で、ガラス越しに毬が見えた。
中に入る。職人が台座の前に座り込み、布に淡色の糸を通していた。精巧な刺繍の施された、かわいらしい彩り。強面の外見も相まって、ギャップがある。だけど、初老で隠者の雰囲気があることから、工芸品を作っていそうな印象ではある。
おかっぱの子どもたちとは違い、生々しい実体感がある。やっとまともな人と出会えた。まずはほっと息を吐き、体から力を抜く。
気を楽にしようとしたところ、急に男性の薄い唇が開いた。
「マレビトとは珍しい。まあ楽にしろや。別にとって食べやしないのでな」
あれ、よく見ると葬儀の最中に見た顔だ。人ではあるのだろうけど、逆に怖くなる。こちらが警戒していると、男は気にせずに言葉をつむぎ出した。
「ここに迷い込んだということは、存在意義を見失っているということなのだろう。もしくはこのまま消えてしまいたいと願ったのか。」
的を得ている。
そっと近づく。
「外の世界ではなく、内の世界。もしくは異界。マヨヒガに近い場所。その境目に迷い込んだのだ」
「なんだかよく分からないけど、精神世界、的な?」
「そうだ。お前さんがここを出るには自己を確立する必要があってだね……」
言いつつ、顔を上げる。
彼は私を見て、はっと目を見開いた。
「お、お前お前さんは!」
指差し、声を荒げる。幽霊でも見たかのような勢い。私は首をこてんと傾けた。
「私が誰かに似ているの?」
「ああ、そうとも! かの神職の一族――私の初恋の相手にな!」
声を張り上げたかと思うと、相手は喜々として語りだす。
「お前さんにゃ分からんだろうが、あの女は昔から気高く、強かったのよ。小柄で控えめな癖して、悪霊相手にはめっぽう強い。どんな禍々しい攻撃にもびくともせず、逆境に咲く美しい花だった。それが車相手ともなると、ああもあっさり。それとも相方を置いてはいけぬと、ついていったのか」
とうとうと続ける男。あまりの勢いについていけない。
いや、あなたの母に対する思い入れとか、知らないんですけど。
「そういうあなたはなんなんです?」
「見ての通り。私はただのしがない職人だ。ただ境目を移ろう力があるだけでな。霊能者のよしみゆえ、なのだろう」
ふーん、霊能者、ね……。
常識のように神秘の話が語られる。とても呑み込めないが、冗談を言っているようには見えなかった。
「お前さん、名字はなんという?」
「皐月です」
「本当にかの一族の末裔かい。お前は母にくらべるとずいぶんと弱いな。やはりあの憎らしい男の血の影響か」
素直に答えると頭を抱えられた。
なんだか間接的に父をディスられた気がして、ムカつく。
「私は没落貴族の家系だ。今は供養塔を管理している」
「私の母を知ってるみたいだけど」
「ああ、その筋では有名な霊能者だからな。なにせ皐月といえば神職。今は形骸化したがかつては重要な位置にいたのだとよ」
ピリピリとしつつ尋ねたところ、さらりととんでもない情報が明かされた。
昔話には興味がないけど、親に関わる内容となれば、話は違う。私は身を乗り出すようにそちらを向いた。
「聞きたいか。ならば教えてやろう。これは皐月家が成した神事の一部。それにまつわる愛の話よ」
時は平安。貴族が中心となった時代で、二人の男女の物語は紡がれる。
幼少期は同じ貴族。神事に参加し、蹴毬で遊んだ。仲睦まじく、桜が散る中で遊ぶ様は絵になっていただろう。まるで絵巻物の中の世界のように。
互いが互いの一目惚れ。
「願わくば桜の下、春に会う。ここに誓うよ」
「ええ、いつか同じ夜でともに和歌を歌いましょう」
二人はともに目を合わせ、笑い合った。
だが、彼が大人になるころには家は没落。皇族の娘であった彼女とは身分差ができる。
本来、彼らは付き合ってはならぬ身だ。
それでも男は夜な夜な屋敷の塀を乗り越えては、彼女に会いに行く。彼に気づいた彼女は玉簾を開けて、彼を招いた。
逢瀬は続いた。夜闇は静まり、人気もない。澄んだ空に浮かぶ月光だけが二人の様子を照らしていた。
しかし、彼らの秘密はいずれ露呈する。周囲を警戒していた武士により、両者の関係は表に出た。
彼らは仲を引き裂かれ、今はもう想いを隠すことすらできない。
彼女に会うためなら一〇〇日だって通い、果てるというのに。今は、愛に伝えに行くことすらできなくなった。
没落貴族の一族は追放。本人は島流しに会い、誰もいない環境で、ただ娘を思う。ただ一言会いたい。今も諦めきれずにいると直接伝えたいと。けれどもその想いは叶わず、彼女は出家した先で自害したという。
二人の魂を供養するため、神事が開かれた。
幼少期の彼らのように毬をつき、怨念を鎮める。
けれどもそれは桜の下で行われた蹴毬と同じものではない。約束は果たされなかった。当時彼らが使った毬は持ち主に届けられず、今もどこかで眠っているという。
話の全容はうまく頭に入ってこず、ついていけない。
ただただ衝撃を受けて固まっている。
一つだけ、分かった。皐月家は神事を司った一族。
毬は鎮魂のために使われ今は私の手元にある、のかもしれない。
「毬がそんなに重要なものだなんて思わなかった」
神職にとっては宝もののようなものではないか。
「それを私の名につけたのは」
答えを求めて視線を
「蹴毬は深い友情と忠誠。幸せを願って送られる。そして、愛の象徴」
だから私にそれを与えた。
ひどいな、そんなこと一言も言ってくれなかったのに。なにもかもを隠して逝ってしまうなんて。
切ないような恋しいような、妙な想いがこみ上げる。目を閉じ、胸の前で手を重ねる。手のひらに包んだ空白を愛おしむように。
でも、いつまでも感慨にふけってばかりではいられない。忘れかけていたが現在は異界――現実との間にいる。
「お前さんは毬を持っている。社へ赴くといい。おのれの運命と対峙するのだ」
「うん。分かった。ありがとう」
ハッキリうなずく。
決意を秘めた顔をするなり、外へ出た。
深緋色の空の下、不気味な町。山奥へと進む。こんもりと植え込まれたあじさいに導かれ、迷わずに社へ。
そこには供養塔が確かにあった。怨霊が渦巻く場所だ。
自分を求めている。探している。この毬を、きっとずっと待っていたんだ。
薄暗がりに沈んだ社が闇に浮き出たかのような存在感を放つ。前方から不穏な気配が迫りつつあった。
霧をまとった表層。スライムを変形させたようなぐちゃぐちゃとした外観をし、貫頭衣をまとったような腕のラインが見て取れる。
視界はおぼつかないが、危機感だけが示す。ここは危険だ。離れたほうがいい。
でも、私は逃げない。
皐月家の正体を知り、おのれに残された役割も知った。今こそ自分を示すとき。
しかし、さすがに厳しいか。前方からの圧力に押し負けて、体勢を保つので精一杯。まるで嵐の中にいるような感覚だ。
腕で体を庇うようにガードするけれど、もう限界だ。絶望的な中ギュッと目をつぶったとき、不意に謎の光が差し込む。
はっと顔を上げる。それは月だった。
神秘的な輝きを受けた怨霊は動きを停める。効いている。やるのなら、今だ。意を決して、私は毬を握り込んだ。
「今、これを渡しに参りました!」
声を張り上げ、深緋色の影へ向かって、毬を蹴る。
宙へ転がりでた丸いおもちゃが月光に輝く。透明な光を浴びた怨霊はまたたく間にしぼんだ。半透明になり、薄れていく。背景も淡く、清らかに。
声はなく、ただ浄化されていく影。
あたりにはなにも残らず、細かな粒子がダイヤモンドダストのように輝くだけ。
なにかを見届けた。私はそこに立ち尽くす。役目を、果たせたのか。実感が湧かず、気が抜けた。
外に出ると、青と赤のグラデーションのかかったあじさいが私を出迎える。町には晴れやかな風が吹き抜けていった。
気が抜けると急に涙があふれてくる。今だけは自分の中にあった水分を、両親が受け止めてくれる気がした。
だから思いっきり、泣く。下を向いて、口を開けて、声を出して。
ほどなくして気分が落ち着いた。
いつの間にか手元から毬が消えている。心は空っぽになっているけれど、不思議とすっきりしていた。
唱えるだけで熱い想いがこみ上げ、頬がゆるむ。
でも、本当はお母さんとお父さん――本人の口から聞きたかった。
顔を上げると涼やかな風が吹く。あじさいに囲まれながら、淡い色に染まった空を見つめると、両親の気配をほんのりと感じた。
果たして彼らの思う娘になれただろうかと、今はない影を追いかける。
本音を言うと早く大人になりたかった。だけど、両親の気持ちを知った今は、まだ少女のままでいたい。
坂を上り、本来の家へと戻る。答えを得た清々しい気持ちだった。
そのおり、また蹴毬歌が聞こえた。
空き地に響く穏やかで明るい声。私はそっと微笑んだ。
私の名前は毬明 白雪花房 @snowhite
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます